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攻撃的でうんざりする…
2022/06/01 01:55
7人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:biee - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生です。斎藤幸平氏の人新世の資本論の批判本らしいですが、人新世の資本論で書かれていることを、単純化して解釈し(わざと)攻撃しているだけのように見えました。
本屋に置いてあった時に本の上にラベルがあって、そこに書いてあることがまず、え?これ間違ってる…と皆で喋っていました。斎藤氏の理論を全体主義と言っていて、全体主義じゃないっていう話だったのに、もしかして読者に悪印象を与えるために単純化して全体主義って言ってるんじゃないかなと思ったくらいです。あとマルクス主義という表現も、マルクス主義じゃないっていう話をあんなに斎藤氏の本で解説されているのに、マルクス主義だと言っていて、読めてないのかわざとなのか、とりあえず私たち学生より分かってないとか有り得ないし、このラベル貼った人も絶対性格悪いよね…って話していました。その場で全員で読みましたが、本当に人新世の資本論を読んだの?そして斎藤氏の大洪水の前にを読んだの?って思うくらい、資本主義が好きだからそれを反論されて、腹たったから資本主義をとりあえず正当化させた。みたいに見えました。
斎藤氏の理論をわざと分かりやすい表現で単純化させ皆に悪印象を与えようとしてるのかなと思ったので低評価です。
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明快かつ説得力のある共産主義・社会主義批判。共産主義・社会主義批判を中心とした第6章までの内容にまったく異議はないが、第7章で槍玉に上げられている斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読んでいないので、その批判が的を射たものかどうかは判断しようがない。ただ、引用箇所の内容から察するに批判対象本は相当酷い代物のようである。しかし、何でそれがベストセラーになり、もてはやされているのでしょうね?
それはともかくマルクスの唯物史観的に言えば、共産主義(社会主義)は資本主義の発展の先の段階に措定されているためか、よく誤解されるのだが、実は資本主義によって解体させられた共同体の再生を指向する復古的反動思想なのだという指摘はその通りであろう。著者は自由や成長を可能にする資本主義に対する人びとの根強い懐疑を鋭く指摘しており、興味深い(人々はまだ200年そこそこに過ぎない経済成長や資本主義に慣れてない?)。
2021.8.20追記
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柿埜真吾(1987年~)氏は、学習院大学文学部哲学科卒、学習院大学大学院経済学研究科修士課程修了、立教大学兼任講師等を経て、高崎経済大学非常勤講師。
本書は、副題にある通り、斎藤幸平氏のベストセラー『人新世の「資本論」』(2020年9月)が唱える「脱成長コミュニズム」を全面的に否定し、反対論を述べたものである。
本書の主旨は、『人新世~』出版以降、少なからぬ知識人が「コロナ禍や気候変動が起きたのは、人間が分を超えて際限ない経済成長を追い求めたからだ。これからは脱成長で、環境に配慮した慎ましい暮らしをしなければならない。グローバル化と自由市場経済は破綻した。民主主義は強権体制に敗れた。」と考えているが、それらは全て偽りであり、「資本主義文明が達成したこれまでの成果は想像もしなかったような素晴らしいものだった。よりよい未来を目指して、資本主義文明のもたらした、開かれた社会への道を引き返すのではなく、さらに進むべきである。」というものである。
そして、序章:脱成長というおとぎ話、第1章:経済成長の奇跡、第2章:前近代の閉じた社会の道徳、第3章:なぜ資本主義は自由と豊かさをもたらすのか、第4章:社会主義は反動思想、第5章:資本主義の完全勝利に終わった20世紀の体制間競争、第6章:理想社会建設の末路としてのソ連、第7章:新しい隷属への道~『人新世の「資本論」』批判、という構成で論を進めていくのだが、(社会主義の)歴史についても、資本主義のメリットについても、大半の内容は既知のことであるし、ある意味同意もできるものである。
私は、『人新世~』を読む以前から、ピケティが『21世紀の資本』でも論じた「格差」に対する問題意識をきっかけに資本主義に疑問を持ち、ジョセフ・E・スティグリッツの著書、広井良典の『ポスト資本主義』、(近著の)『無と意識の人類史』、大澤真幸の近著『新世紀のコミュニズム』なども読んできたが、本書を読了してもなお、我々が向かうべきは、資本主義をさらに推し進める方向ではなく、それに歯止めをかけ、(歴史の失敗にも学びつつ)コミュニズム的な発想を取り入れる方向だと思うのだ。
その理由は、例えば、著者が繰り返し述べる「資本主義はプラスサムゲーム」という前提は、ここまでグローバル化が進んだ現代社会において今後は成り立ち得ず(更なる成長のためのフロンティアが存在しない。仕舞いには月や火星をフロンティアにするつもりか。。。)、それ故、資本主義は格差を拡大させると考えられることや、コロナ禍や温暖化に留まらず、生命工学やAIなどの分野においても人間の倫理が試されるような状況になっている今、資本主義的発想はそれを良い方向に導かないと考えることなどである。
そして、改めて考えてみると、斎藤氏を含むコミュニズム論者(資本主義限界論者)は、本書で指摘されているようなことは当然理解した上で、それでも我々は、未来の人類のために、これまでのような資本主義の盲目的な追求を止めなくてはならないと、警鐘を鳴らしているのだ。もちろん、そのときに人類は、本書で書かれているような資本主義のメリット(の一部を)を自ら捨てることを受容する���要があるし、それは、価値観の転換、精神の変容という、容易ならざる過程を伴うものとなるだろう。
そうした意味で本書は、『人新世の「資本論」』への反論であると同時に、逆説的に、資本主義を乗り越えて、ポスト資本主義を実現するためには、我々はどのような価値観を転換させる必要があるのかを明らかにしてくれる一冊ともいえる。
(2021年8月了)
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資本主義の観点から昨今人気の脱成長コミュニズムに対する批判の書。資本主義はプラスサムゲームであるのに対して、コミュニズムはゼロサムゲームであるということが全てのカギだろう。脱成長が目指す社会はパイの大きさが一定、もしくは減少していく社会であり、必然的にゼロサムゲームになる。その社会は限られたパイをどのように分配するのかという点にフォーカスが当たるため、必然的に排除の論理が働く。外国人やマイノリティーだけでなく、脱成長コミュニズムに反対する論者にはパイは分け与えられず、過去の共産国家の例に倣えば、国外追放や粛清につながるリスクすらある。また、途上国との関係においても脱成長である以上、途上国との間でもパイの分配をする必要が生じ、先進国の富は途上国に分配する必要があるだろう。そのためには先進国の生活水準は現在の半分以下にせざるを得ない。そのような生活に現代の日本人、先進国の人間が耐えられるのか。そうでなければ、先進国の中でだけで分配せざるを得ないが、その場合、途上国の貧困は放置するのか。また、ソ連、中国、東欧、カンボジア等、過去に共産主義体制をとった国では、大量の粛清が行われただけでなく、公害問題は放置され、産業も成長しなかったが、脱成長コミュニズムを考える人々はこのような過去に戻るリスクを許容するのか。加えて、脱成長コミュニズムに親近感を覚える多くの人が、環境問題に危機意識を持っていると思うが、その問題でさえ、資本主義化で成長し、環境技術への投資が行われること、技術革新が行われることが必須であり、そうでなければ我々の生活水準を半分以下に落とさなければならない。
それほどまでに脱成長でゼロサムゲームの世界を目指すことは荒唐無稽な話なのにも関わらず、これほどまでにリベラルな人々が脱成長の甘言に騙されてしまっている。リベラルな人々は、脱成長のようなくだらない話に囚われるのではなく、個々の問題を技術的に社会政策的に解決することを考える方が、迅速だし効果的である。マルクス・エンゲルスにしても、今読んで面白いのは、彼らのジャーナリスティックな文章であり、そこでの問題を具体的に解決する方法を考えた方が、社会への貢献度も高いのだ。
“アダム・スミスの『諸国民の富』のカギとなる洞察は、誤解されそうなほど簡単なことだ。それは、交換が自発的なものである限り、その交換によって利益を得られるとどちらの側も信じているのでなければ、交換が実際に行われることはないということだ。経済学上の誤りの大半は、この簡単な洞察を無視して、パイの大きさは決まっていて、誰かが利益を得るには、他の人がその犠牲にならなければならないのだと思い込んでしまう傾向に由来している“(M&R・フリードマン)
“社会主義の理念は先祖返りであり、開かれた社会に部族社会の道徳を課そうとする空しい試みである。そして、こうした道徳がもし広がるならば、300余年の市場秩序があるからこそ人類が成長させてくることが出来た無数のものの存続に大きな脅威を与えることであろう“(フリードリッヒ・ハイエク)
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『人新世の資本論』の資本主義側からの批判書として話題になっていたので、読んでみた。特定の著作に対しての批判は古典ならまだしも、現代の新書でこのような形で出版されるのは珍しいのではないだろうか。
同い年の学者による資本主義vsマルクス主義というバトルでかなり期待したところはあったが、『人新世の〜』に比べると物足りなさを感じた。そもそも『人新世の〜』で語られる脱成長コミュニズムへの批判というより、20世紀的共産主義への批判が大部分を占めており、『人新世〜』の世界観を十分にふまえて批判しているのか怪しい所が多々あった。もちろん脱成長社会のユートピア的な要素、成立条件の甘さなど的を得た批判だと共感した箇所もあるが。『人新世〜』に対する資本主義側からの批判を知りたいのであれば、最終章の第7章のみ読めば十分だろう。
資本主義側には「データ」という強力な武器がある。そのほとんどは資本主義に有利なものではあるのに、それが本書では十分に活かしきれていない。広い視点で見れば、確かに人類は皆豊かになっている。「平均」の指標は良い方向に向かっている。ただ『人新世〜』の世界は「私たち」それぞれが豊かになる社会を目指しており、大多数の「貧しい者」がその主役である。自由貿易により「価値」的に豊かになること、トリクルダウンにより富が分配されること、増加する自然災害を科学で制圧することが、どのように「私たち」を「豊か」にするのか資本主義の立場から論じることで応答になっていくのではないだろうか。物質的な豊かさを得るには資本主義は必要であったし、これからの必要性を示すだけの武器も十分に揃っているような気がするので新たな批判本にも期待したいところである。
内容とは関係ないが所々誤字脱字があるのが個人的には気になった。
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内容は、伝統的なマルクス主義批判と資本主義の優越性を説いたもので、普遍性がある。これを乗り越える言説はなかなか生まれないと思うが、資本主義批判が絶えることもないのもまた事実。
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為政者は、古き良き封建制、社会主義に、本能的に世界を傾けようとする。富と力を極端に己に傾けるのにとても都合が良いからだろう。
戦後日本は一時的に為政者の力が弱まり、資本主義と民主主義の下で繁栄した。
しかし、次第に為政者の地位が固定化してくると、民衆を誘導しながら元に戻ろうとする。
オリンピック、コロナ、環境問題、様々な理由で言論、思想の統制をはかり、自らのユートピアを作り上げようとする。
為政者サイドだと考えている知識人の言葉にも注意が必要だろう。
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『人新世〜』に対する、資本主義支持者からの反論のテイスト。個人的には資本主義による恩恵に対する説明に合理性があった。行き過ぎた資本主義の是正などは必要かと思うが、それを社会主義では解決できないと思う。
真っ向から対立する内容を書く事で資本主義の自由さを体現しているのかもしれない。
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この本より前に読んだ「人新世の資本論」よりかなり面白かった。「人新世~」では読んでても「そうか?」と疑問に思うことが多かったんだけど、この本は読んでて「それな!」と思うことが多かった。
それだけではなくて、今の停滞を許している自分を見直すきっかけにもなりそう。文章も軽快で面白く、読んでいて退屈しなかった。
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『#自由と成長の経済学』
ほぼ日書評 Day572
ベストセラーになっている、斎藤幸平著『人新世の「資本論」』へのアンチテーゼを意図した著作らしい。その"資本論"を(本書で述べられた内容を見る限り)買うまでもない(印税収入も与えたくない)と思い図書館で借りようとしたら、なんと予約順番158(実際には蔵書が9冊あるので、待ち行列が緩和はされるのだが)だそうだ。
評者のように興味本位で手に取るのであれば良いが、ベストセラーだからという理由でこれを読み、感化されるようなことがあったら、目も当てられない。
本書の主旨は、経済成長なき世界は徹底したゼロサムゲーム。誰かが富むためには、他の誰かの取り分を奪わなければならない。その際たるものが、そもそも自由な競争を認めない社会主義。ゆえに旧ソ連等では、衣服も自動車もそもそもデザイン等という概念とかけ離れたものとなり、日常の消費財はそもそも物がなく、環境破壊も酷いものだった。
一方で、"資本論"で提唱される成長を放棄した世界では、今この瞬間の世界の国々の間にある貧富の差を固定するか、先進国の生活水準を8割ほど落として全世界の平均あたりで均衡させるかしかない。8割落とすといってもなかなか実感が湧かないが、1970年代の日本、クーラーもない、道路は舗装されておらず、トイレは汲み取り…そんな時代よりもさらに酷いものになるという。
本書を通じて、概ね、納得のいく内容であるが、ひとつだけ中盤の、社会主義による環境破壊に比べれば加速する成長による地球温暖化の影響はたかが知れている、という箇所について、温暖化リスクの見積りは、やや過小ではないかという気がする(温暖化は起きていないという主張ではない)。
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反社会主義者、自由主義者、資本主義信者の本。
『人新世の「資本論」』の内容とこの本が売れたことに対して徹底的に不満をぶちまけてこき下ろしている。
資本論や社会主義、マルクスを見直す、研究する意見には尽く反対し、
池上彰、佐藤優も含めて批判に徹する。
ある意味で胸糞本。
読み合わせる意味ではファクトフルネスとの相性が良いだろう。
弱肉強食の思想、テクノロジーへの楽観論。
資本主義の問題とその解決のための具体的なソリューションが何も語られていないため見当違いというか、今更感があり、かつ意義を感じられない。
ただし『人新世の「資本論」』における矛盾や懸念点、不足箇所、齟齬などの指摘は、多く的を得ている。
『人新世の「資本論」』の主張や、脱成長コミュニズムを検証し、観念から行動への橋渡しをしていく上で重要な糧になる。
かつて社会主義・共産主義への妄信が多くの悲劇を生んだように、
資本主義・自由主義への妄信もまた現代における多くの苦しみを生み出している。
バランスよく、建設的に考え、今ある課題、すなわち環境問題を、
「テクノロジーが解決するからなんとかなるだろう」という楽観的な未来予測だけではなく、現実的に解決していくためのアクションは欠かせない。
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本書を一言で表すなら「人新世の資本論」へのデータに基づく反論の書、ということになるだろう。よって「人新世〜」の主張に共感出来なかった方は読む価値があると思う。
一部「市場の力を過信」しているように感じる部分があるが、これは「資本主義を前提としたうえでの価値観の違い」と整理できる範囲だと考える。
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基本的には人新世の資本論という本(マルクス主義の肯定)の内容を否定する本
社会主義と資本主義の違いを知りたいと思い読んだら納得かもしれないけど、タイトルと内容のギャップがすごい(まあ、あるある)
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経済成長と多様性が社会を豊かにし自然にも効果的。19世紀〜20世紀の民主・資本主義VS社会・共産主義の結果分かって来たこと。
資本主義の利点が整理された。
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池上彰氏や斎藤幸平氏などの人たちが、資本主義による悪影響を唱える本を著していて、そこで定義している「脱成長コミュニズム」は、環境保護や心の豊かさを名目に既に破綻しているマルクスの構想を礼賛しているが、それは大きな間違いだと本書は説いています。斎藤氏の著書である「人新生の「資本論」」主張されている内容は、資本主義の恩恵を一部受けながら、共産主義体制に立ち戻ることであり、大きな矛盾を孕んでいるということ。本書で著されている内容は実に納得のいくものであり、資本主義の良さを見つめなおす良い契機になりました。