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商品説明
1970年代初頭から現代までの社会/思想の推移について、1973年に創刊された雑誌『現代思想』の特集と営みを補助線としながら大澤真幸と成田龍一の2人が考察。これからの歴史の読み方を鋭く問う。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
大澤 真幸
- 略歴
- 〈大澤真幸〉1958年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。
〈成田龍一〉1951年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了(文学博士)。日本女子大学人間社会学部教授。
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書店員レビュー
読みながら抱いた二つの感慨
ジュンク堂書店難波店さん
大澤真幸と成田龍一の対談に、改めて色々と勉強させられながら、二つの感慨を覚えた。
一つは、自分は大澤真幸と同時代を生きてきたのだな、という感慨。
画期は、やはり1995年と2011年だろうか?”オウムの信者を見ていると、自分のなかに、彼らと共鳴する部分があるのを感じる”という実感はぼくらの世代の人間が共有していると思うし、東日本大震災直後の茫然自失もそうだ。”あれから二年以上が経って、急速に忘れられるようになっているのは、問題が小さかったからではなく、大きすぎたがために逃げの一手を打っているからだという気がします。” ”確かに、3.11をきっかけにして、夥しいことが言われた。しかし、それらは、我々のショックや当惑に応えるものではなかった””あれから二年以上が経って、急速に忘れられるようになっているのは、問題が小さかったからではなく、大きすぎたがために逃げの一手を打っているからだという気がします”というのは、まったく同感。
もう一つは、さまざまな形で人文書にかかわってきたぼくの書店人生を総括してもらえたという感慨。
1972年(あさま山荘)/1973年(オイルショック)の断層、その時に雑誌『現代思想』が始まったということ。その10年後の1982年に書店で勤め始めたぼくが、最初に出会った衝撃は、やはり、浅田彰の『構造と力』だった。しばらくして大澤の書くものに出会い、「これだ!」と思ったことを、懐かしく思い出す。この30年を振り返り、自明性の解体自体が自明になってくる→「次は何が解体されるのですか?」;驚くこと自体が儀式に→行き詰まり感、”逃げて逃げて逃げまくったとしても、初めから誰も追いかけて来ない”というのも、共感できる。
成田の”歴史学というのは「第三者の審級」です。「第三者の審級」を自明とし、その立場を保持するのが歴史学ですから、その位置を脅かし揺るがせる営みー学知には強い警戒心を持ちます。⇒『現代思想』に乗れなかった”という回想もなるほどな、と思い、(良い悪いではなく)哲学思想・社会学と歴史学との時間軸のズレが理解できた。更に、”歴史家は、まるで「第三者の審級」から語って見せるが、その資格は果たしてあるのか。また、そうした問いを経たとき、歴史はあらためてどのように語られるのかということが、「第三者の審級」として大澤さんが問われたことであったとわたしは理解しています”というある意味謙虚な成田の言葉からも、本編でもかなり語り込まれているが、大澤の『〈世界史〉の哲学』という仕事が、より注目される。また、歴史学に限らず、“新しいものはいきなり新しいまま出来上がるのではなく、それまでの主潮流との対決のなかから出てきます。そのとき、前の思想とどのような距離を取り、どのような地点から格闘を試みているかを理解しなければなりません。そのプロセスを経なければ、単なる流行を受け取ったことしかならないだろうと思います”という成田の言葉にも、賛成する。
二人のフィールドが社会学と歴史学と異なっていることが、対談を、全編通してとても読みやすいものにしているように思う。「同業者」同士の対談や座談は、「業界」の自明な前提、暗黙の了解が多くて、第三者が読むとさっぱりわからないことも多いからだ。翻って本書の対談では、思想、社会学、歴史学の流れが、とてもわかりやすく語られていて、書店の人文書担当者が大いに参考にできる本である。