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日本の電子産業の不振は最近の事のように思っていたが、逆にピークはかなり昔である事が分かった。実際はとうの昔に世界のトレンドからかけ離れていたのだが、日本語の壁であったり、いわゆるガラパゴス仕様により延命できただけだった。こう考えると、やはり日本には本当の経営者がいないということが分かる。結局は目先の売り上げに囚われて、世界の状況や今後想定されることに備えて手を予め打つということができない。銀行や政府、株主や社内調整に終始しているうちに世界の動きからどんどん乖離して行く様子が理解できた。確かに10年、20年先を予測するというのは不可能だが、今生き残っているのは未来を予測するのではなく、自ら未来を創ろうとする企業のみなのだろう。
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著者は、元々工学系の博士号をもつ、日経BPの日経エレクトロニクス元編集長。雑誌の編集長だけあって、電子分野の網羅しており、文章も読みやすく的確である。日経メールによく引用される(自社だから当たり前だが)のも妥当かなと思った。
本書は、日本電子産業の衰退を、過去との比較、世界の他地域との比較、他産業(日本の自動車等)との比較、によって明らかにすることが本書の目的(p.15)である。
そのうえで、戦後を冷戦終了の1985年までの資本主義政策としての日本、2000年までの内需拡大時期、2000年以後の衰退時期、として分析している。
具体的に扱っているのは、地デジ特需としてのテレビ産業、有線から無線の通信の自由化、PC(98シリーズ、DOS/V、Windows)、DRAMの栄枯盛衰、半導体産業の設計と製造の分業化、ファブレスメーカーとEMS、イノベーションと研究の混同、成功体験から抜け出せるかの各章である。
まとめの本としては非常によくできていると思った。
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電子技術分野でなぜ稼げなくなり、衰退の一途をたどっているのか、を、非技術の視点で描く。
電機メーカの方とお話しすると、驚くほど賢い人がいる。のに、稼げない事業。
本を読むと、その理由が透けて見えてくる(技術へのこだわりが強すぎる)
事もあるし、「分かっていてもできなかった」事情があるのだろうなと感じます。
日本がグローバル化に乗れず、ガラパゴス化して世界市場で置いてけぼり的な
論調が(だいぶ落ち着いてきたが、まだある)ある中で、時代背景(米ソ冷戦終結によるアメリカの戦略転換)と日本人の持つ価値観(当初ファウンドリ事業を下に見ていた)等にも目を向けているのがポイントです。
雑誌の編集長らしく、章、説のタイトルも本質を捉えているので、すっと内容が入ってきます。
個人的には、各国人の持つ性格、価値観およびそこから展開される戦略は
企業の活動全般にも影響を与えるのかと改めて認識しました。
いくつか「なるほど」と言った視点を。
ー 売上と同相の投資、売上と逆相の償却負担
製造工場への莫大な設備投資の償却負担コストへの意識の低さ
ー 真の半導体メーカは近年までなかった。
総合電機メーカの一部門である半導体部門は、その半導体ビジネスの
観点で投資を決める事ができない。
ー 垂直統合か水平分業かは雇用維持と無関係
EMSとして、他社の製造も請け負えば(それができるなら)雇用は維持可能。
ー 出版と印刷会社の関係に似るファブレスファウンドリの関係
ー 銀行からの借入には、担保(土地)が必要で、株式を持ち合う独特の経営慣習
ー 新たな分業構造の実現はイノベーションそのもの
ー インテルの経験と近年のビッグデータが示す「因果から相関へ」
ー イノベーションは技術革新ではない。既存の物や力の組み合わせ方を革新し、経済的あるいは
社会的価値を実現する行為(蒸気機関車ではなく、鉄道という社会システムがイノベーション)
ー 明治以降、通信機器は「国が仕切る」体質が造り付けられた
ー 成功は失敗のもと。
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2012年初の新聞雑誌の見出し、電機総崩れ、日本半導体崩壊。これを受けて、日本電子産業がここまで凋落した経緯を調べることをテーマとした本。
デジタル家電の御三家のテレビ、レコーダ、デジカメにより日本電機産業はさらに発展すると一時期言われていた。しかし、蓋を開けるとこのような状況。モジュール化され擦り合わせの要素も減り、デジタル化により誰でも同じような製品が作れるようになった。
設計と製造の分業が最近の勝ちパターン。日本もそれに習うべきだったとの事。ものづくりの中で技術を蓄積することに長けているのが日本であると考えると日本の中で分業化を進めたい。中央研究所による企業の基礎研究は間違いであったと言われるが結果をシビアに監視する、横のつながりを強固にし、ここで得られた知識や成果を確実にお金に変えることで有効に活用可能ではと推測する。中央研究所は無用とは思わない。
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円高で台湾や韓国に出し抜かれたのかと思っていたが、設計vs製造という国際分業の流れを読み取れなかった企業経営に原因があったということか。
現場の能力に比べて高次元の経営力に欠けるのは、帝国陸軍以来我が国の悪しき伝統となってしまっている。
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電子産業に加わった4つの圧力
①半導体集積回路は、ムーアの法則による価格低下圧力をもたらす
②プログラム内蔵方式は、付加価値の源泉をソフトウエアに映す
③プログラム内蔵方式では処理の対象も手続きもデジタル化される
④インターネットは、企業間取引コストを下げ、分業を促進する
この4つの圧力に日本企業は対応せず、伝統的垂直統合と自前主義に立て込もった。これが衰退原因の本質。
時代は変わったのに成功体験から抜け出せない。
成功は失敗のもと
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戦後日本を「電子立国」と定義づけたのは、おそらくNHKの「電子立国ニッポンの自叙伝」だ。放送されたのは1990年で、筆者の言う電子産業の輸出ピークを過ぎている。なんのことは無い。この番組はソニーやトヨタなどが伝説的に伸びていく時期を描いただけで、この強みが未来永劫続くことを保証した訳ではない。しかし、このマジックワードが、その後も日本人の耳に残り続けたのは確かだと思う。
筆者はその「電子立国」がなぜ凋落したか、と論を立てている。つまり、栄え続ける可能性もあったが誤った戦略など何らかの理由で凋落してしまったということだ。実際には、この競争の激しい資本主義社会では、一般に優位性を保ち続けることは難しく、栄え続ける方にむしろ理由があると思うのだが。
電子産業「凋落」のプロセスで筆者が注目するもの、それはテレビ産業の地デジバブルや携帯電話のガラケー時代、日本語パソコンなど、鎖国的環境下での一時的な繁栄。しかしそれらは経済誌上で語り尽くされた話で、今更本にすることもあるまい。筆者が本当に書きたかったのは、半導体産業の末路だろう。ファウンダー、ファウンドリーの分業が世界的な流れだったのに、日本企業はその流れに乗らなかった。日本企業はファウンドリーを一枚下と見做していて、そこにビジネスモデルの有機的なつながりを見いだすことができなかった。そうした状況下で、懐古的なモノづくり訴求や、そうした古い産業観に基づく公的支援政策には何の効果も無いと言いたいのだろう。
それはそうだと思うが、電子産業が先行して斜陽化した欧米にも色んなモデルがあって、必ずしも全ての会社がアップルやマイクロソフトやテキサスインスツルメンツになれた訳ではない。NECもソニーもパナソニックも、それぞれの道を歩み始めている。単に貿易黒字を稼げなくなったという嘆き節だけではなく、ビジネスモデルの未来を問わなければこの議論は閉じないと思うのだが、どうだろう。
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設計も製造も垂直型に抱える大企業、分離が進まなかったこと。儲かれば設備投資で、ランニングコストのみで減価償却コストは考えなかったこと。研究開発をイノベーションにまでつなげなかったこと。活用とイノベーションの余地は、これからの社会の中にいくらでもある。
重厚長大、高度成長の夢を知る人が現役からだんだんいなくなることが、これからの新しい日本のカギになるかも。
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日本の電子産業の課題がとてもわかりやすく簡潔にまとまっている。日本のものづくり、経営を学ぶのにとても優れている。
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一連の製造業敗退本の中では唯一、戦後の経済発展を冷戦、日米関係という視点から分析しており、この点に関しては面白い(主に前半)。80年代に起きた冷戦終結が少なからずテレビ、電話、パソコン・半導体全ての崩壊のトリガーになっており、この世界情勢の変化を無視して、技術や経営のあり方に敗退の原因を求めていては、いつまでたっても産業復興はあり得ないのかもしれない。
テレビ産業敗退の陰に放送業界vsインターネット産業って見方も面白いし、この例を考えても、技術や経営というよりは政治・ロビー活動によって業界団体が間違った方向に旗を降ってきた罪が大きい気がする。ただ、電話にしろテレビにしろ、頑張って次を作ったら既に世間では無用の長物ってパターンがあまりにも多くて悲しくなった。
肝心の主題についての結論は佐野昌さんの「半導体衰退の原因と生き残りの鍵」に近く、垂直から水平への転換に失敗したという考え方で、この点について面白い議論はなかった。
関連して企業研究所(中央研究所)と基礎研究ブームについての批判も1つの章を設けて書かれている。「研究所は大切」派としては悔しいけど、僕自身も最近は「理学の研究は大切だけど、工学に研究は必要ないかも」と思い始めている。
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それにしても凄まじい凋落だ.同一企業で製造と開発部門を維持していきたいという習性は,今の経営者は絶対持っていると思う.水平分業の考え方を取り入れられるだろうか.官僚も含めてこの現実を直視する必要があろう.
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凄まじい本であった。凋落以前に勝ててたのか? ものづくりとか言う割に製造受託はしないのはどういうことだというのは完全に同意であるし、ものづくり神話を語られた時は使っていこう。
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半導体など電子立国を支えた産業が何故凋落したかを元日経エレクトロニクス編集長だった著者が分析。
いやはや電機の一角の人間としては暗くなる。東芝も気がついたら死に体だし、これからどうなることやら。
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全体的に、いまいち。一言で言うと、垂直統合に閉じこもりイノベーションを起こせなかったから、というが、なぜそういう状態に陥ったのか、という点で掘り下げ不足。
自動車産業と情報産業の差は何だったのか、を知りたい。
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1991年、私が大学生だった頃に、NHKで「電子立国 日本の自叙伝」というドキュメンタリーが放送され、本にもなった。半導体という技術に、日本の官民が貪欲に取り組み、世界のトップに上り詰めたその過程が誇らしげに記録されていたものだ。
それから、20年以上立った現在、日本は電子立国ではなくなってしまった。ハード的には、中国、韓国に完敗し、国内企業は存続すら怪しい。ソフト的には、欧米企業の競争相手ですらない。
誰がみても電子立国は凋落してしまった訳だが、そうした歴史に学ばなければ、唯一残っている自動車などの製造業も同じ道を辿っても不思議ではない。