紙の本
渇き切った諦観や悲嘆に救われた。
2021/02/19 17:05
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投稿者:ゲイリーゲイリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
自らが存在するだけで、何かを傷つけてしまうのではないかという懸念。
どれだけ時が経とうと消えない破滅願望と、享受できない幸福。
それらを抱えたまま生きていかなければならない。
私が今まで読んできたエッセイは、ユーモアを交えて日常を切り取り、読書の心を軽くするようなテイストのものがほとんどだった。
しかし本作は、そういったエッセイと一線を画す。
著者の抱える諦観や悲嘆に基づく「生きづらさ」が、淡々とまるで他人事の様に綴られていく。
赤裸々に語られていく自己嫌悪や死への願望、生きることの苦しさ。
そういった内容にもかかわらず著者の卓越した筆力により、ジメジメした暗さは皆無で、むしろ渇き切った諦観からは力強ささえ感じられた。
昨日の自分と今日の自分、昨日の世界と今日の世界は驚くほど変化しうる。
その非連続性や一貫性のなさに、途方に暮れてしまう気持ちは痛いほどわかる。
楽しいと思うと同時に寂しさに襲われ、嬉しいと思うと同時に虚無感に襲われる。
しかし同時に悲しみを抱えながらも幸福感に包まれることもあるのだ。
結局のところ、どっちつかずの宙ぶらりんな状態で生きていくしかない。
けれども、そういった「生きづらさ」を抱えているのは自分一人だけではないと本書のおかげで少し前を向けた。
紙の本
ヒリヒリするのに救われる
2021/05/30 21:27
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投稿者:kochimi - この投稿者のレビュー一覧を見る
存在しているだけで、
何かに誰かに何らかの気持ちを抱いかただけで、
傷つき、傷つける構造になっているこの世界。
そこは敢えてスルーで、
と多くの人が無意識下で流している
残酷なこの世の成り立ちを、
流せずに傷だらけになる彼女の痛みを
一瞬でも共有して、
私たちは救われるのだ。
紙の本
生きていく逞しさ
2020/10/28 16:53
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投稿者:une femme - この投稿者のレビュー一覧を見る
ままならないこと、うまくいかないこと、思うようにならないことの連続である日常という現実で、小さな嘆きを掬い取るように、ごく自然な言葉で巧く綴られている。そこには逞しさが垣間見える。府に落ちないような日常を生きていかなくてはならない、生きていかざるを得ないところから生じるエネルギー。それを、スマートに書くことができるのが、著者の優れた力であり魅力だと、つくづく思わされる。(文体に関して、変に格好付けることなく、書くことに誠実なところは、変わらない。著者は、本書のなかで、自分は、欺瞞だらけで、書くことにも不誠実だと書いているが、そのことへ目を向けていて、言葉にするところに、誠実さと、他ならない魅力を感じる。)
生きる力をもらえるエッセイ。
(パリっ子の軽やかで、どこか気怠く、暗い雰囲気もあじわえる。)
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ひぇー。。
これエッセイだよね?小説じゃないよね?こんな赤裸々に書いていいの??フィクション?って読み手が不安になる、不穏さ。ピアスのシーン、ピアスの名前知らなかったから一つずつググって画像検索してひぇーってなっての繰り返し。蛇にピアスから進化し続けてる、怖いくらいに。これはわたしのこと?って思うくらいどこかがシンクロして、暴かないでって泣きそうになった。死にたい、自ら死を選ぶことはなくなったけど夫に殺してほしいって思うって気持ち、すごくわかってしまう。消えたいくらいに絶望するこの鬱々とした世界、なんなんだろうね。
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私小説を書いてきた著者のエッセイは、究極の私小説である。
氏の小説における武器となっていた「憂鬱な日常」が、フランスのムードをまとって品格さが備わった印象。
映画化できる内容と展開。
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"ここまで 十数年の時間をかけて知ってきたのは、私と彼との間にある高く険しい壁の形であって、その壁の向こうにいる彼自身については何も知ることができないまま、互いに何も分からないまま生きている。壁を壊そうと足掻くのをやめた今も、見えないところで少しずつ白蟻が家を食い荒らしていくように、その分からなさは少しずつ確かに私を蝕んでいる。"(p.11)
"基本的に鬱は早起きや掃除や武道や水行をすれば治ると思っている旦那と、早起きや定期的な掃除、武道や水行をするような人は鬱にはならないし鬱な人はそんなことできないし、そんなことをするくらいなら死ぬと思っているのだと主張する私は、一生分かり合えないだろう。それでも重なり合った部分はあって、その部分のかけがえのなさを思うたび、私はこの人と一生離れられないような気がする。"(p.159)
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生きていくことの愚かしさと情けなさと幸せが、日常に乗せて切々とつづられていた。完璧じゃなくていいって思える。
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同じ年ということもあり、彼女の作品は芥川賞をとった「蛇にピアス」の頃からなんだかんだとほとんどの作品を読んでいる。
同世代の彼女がどんな視点で生きてきたのか、思考の変化や変わらない部分に興味があったので、このタイミングでのエッセイは嬉しい。
全てに同調せずとも流れる空気感や言葉のセンス、常にどこかで陰をまとった世界観は健在で魅力的。
エッセイといえど、これまでの作品で漂わせていた雰囲気をそのままに帯びていて良かった。
日常の他愛もないワンシーンや会話でも、何か引っかかり思考を巡らせているところなんかは、素直に素敵だと思う。
そうやって考えあぐねることが生きるということなのかなと。忙しなくただ過ぎていく日常をやりすごすのはあまりにもからっぽだと気付かされる。
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今まで読んできたエッセイは軽く読めるものが多かったけれど、このエッセイはそんなものではなくてヒリヒリする感じがしました。
読み始めたら金原ひとみさんの世界に引き込まれました。
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何処にいたって苦しいと思うこともあれば、何処か別の場所であればこの息苦しさも和らぐのではないかと思うこともある。
パリと東京の暮らしを読んでいると、感じる苦しみには違いが見えるが、どちらも苦しいまま生き続ける緩やかな生活には違いない。自分を苦しめる出来事は、日常のなんでもない瞬間に訪れる。大きな苦しみを受けたことを、より大きな苦しみの膜で包むような筆者の表現に、逆にホッとなる読者もいるだろう。苦しいなぁ、と思うことにまた別の苦しいなぁを重ねていく。馬鹿みたいだけど止められない。消えないなら、重ねることで保つしかない。幸せは思い出すものかもしれないけど、苦しさはいつだって隣にあるから。
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フェスで号泣と子育てで心身削られる部分は共感するけど他は異次元の話すぎる。日常のパリが知れた。世界は破滅ばかりではない。
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金原ひとみには、本当に駄目でもう限界な自分をべったりと共感させて読んできたけれども、これはもう本当に大変な読書だった。エッセイ調ということもあってか、小説とはまた違い、完璧に、自分と文章内の人物の境界が溶ける感覚。文章の切れ味は素晴らしく、また事象を描く解像度がこれまた天晴という感じで、一文一文すべてに「わかる」と言いたくなる。わたしは10代の頃に比べてすっかり健康になった気がしていたけれど、今はやっぱり本当に人生史上最高くらいに駄目で、結局人間の根本にある世界の見方はそう簡単に変わらないのだ、などと思う。メンヘラの味方というと簡単なのだが、なんというか、頭の中を言葉がぐるぐる回り続ける思考を止められないメンヘラの味方という感じで、昔からずっと抱えている抑えきれない焦燥感が胸にばっと蘇り、結局いや〜な気持ちになってしまった。でも共感できたからそれも全部良い。
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東日本大震災をきっかけに原発事故の放射能を恐れてフランスに移住しのも知らなかったし、現在は日本に帰国してらのも知らなかった。
俵万智も仙台から沖縄に移住したしね、作家だからどこでも引っ越せるわけだし、あの震災でそういう判断をした人って結構いるのね。
フランスでの日常生活を興味深く読む。
煙草を吸ってると必ず1本くれと言われるとか、これが最後の1本だ断りかたとか、友だちはだいたいフランス在住の日本人で不倫しててみたいな、あとお酒ね、よくシャンパンにワインにほんとひとりでもバーに入ってよく飲んでるみたいで、そうとう酒好きとみた。
あと恋愛ね。中2の時からずーっと恋愛し続けてるってすごい。
生きづらさを感じてた著者は恋愛することによって、生きてていいっって免罪符をもらえたようだ。
恋愛至上主義と自分でも言ってるように、書くことと恋愛することがすべてなのだろう。
著者のそういう生き方しかできない不器用さが嫌いじゃない、と思った自分が意外。
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金原ひとみの著作はなるべく読むようにしている。理由はいくつかあるが、同じ歳ということも大きく関係している。もちろん彼女の文章に中毒性があるということもある。
2011年に娘2人を連れ、渡仏。パリに6年間住むが、日本に帰国する決意をする。本書は、パリ時代、そして東京へ戻ってからの日々を綴った初の内省的エッセイ。
エッセイのはずだが、小説のようでもあった。彼女の著作を読む時はいつものことだが、一気呵成に読み終えてしまった。文章のドライブ感に舌を巻く。口にピアスを通すシーンでは思わず目を瞑った。金原ひとみの文章は読むと実際に痛い。前半はフランス語の言葉を中心にエッセイが紡がれる。aiguille(針)、canicule(熱波)、mystification(欺瞞)。 異国に住むとはどういうことか、家族とは何か、人生の選択について、痛みを伴いながら読了した。
パリには1年住んだことがある。辛い経験ももちろんあったが、ある種の生に対する気楽さを享受していた。同感である。
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不意に、読んでいるのがエッセイなのか小説なのかわからなくなりそうなことが度々あった。『アタラクシア』の様々なシーンがリンクされるようだった。