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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.7
- 出版社: マガジンハウス
- サイズ:20cm/220p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-8387-1189-1
紙の本
光さす故郷へ
著者 朝比奈 あすか (著)
真実を語るには、55年という歳月が必要だった…。戦争をまったく知らない著者の心を揺さぶった、戦争を生き抜いた大伯母の生き方。生きるとはどういうことか、生の意味を求めたノン...
光さす故郷へ
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商品説明
真実を語るには、55年という歳月が必要だった…。戦争をまったく知らない著者の心を揺さぶった、戦争を生き抜いた大伯母の生き方。生きるとはどういうことか、生の意味を求めたノンフィクション。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
朝比奈 あすか
- 略歴
- 〈朝比奈あすか〉1976年東京都生まれ。慶応義塾大学卒業。出版社勤務。
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紙の本
一読のすすめ
2000/08/10 08:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MSTK - この投稿者のレビュー一覧を見る
なにげなく手にとって読み始めたのだが、すぐに引き込まれた。
それほど、筆者の文章は透徹し簡明である。
非常に読みやすく、しかし生き生きとした描写がなされていて、
読者に息をつく暇を与えない。
しかし、そのような文体こそが、この本で描かれているような悲劇、重い過去の記憶を語るのにはふさわしいのだ、と読後改めて思う。
昨日がソ連参戦の日であったが、この本は1945年の昨日に始まった、満州在住の一女性の物語である。
まるでドラマであるかのような劇的な展開が、しかし著者の大伯母という身近な人の過去に刻まれている、それは私のような戦後世代にとって非常に新鮮な驚きである。
戦中世代は、一部のひとが公の場で戦中のことを語ったことはあったとしても、自分の子供や孫に自らの体験を語ったことはあまりないのではないだろうか。私自身も聞いたことがない。それはあまりにつらい体験であって、語るに忍びなかったからではないか。
その意味でこの本は、われわれが直接聞くことのできなかった身近な戦争体験を、まるで祖母から直接話を聞いているがごとく、聞かせてくれる。
余計な図画や参考文献、過剰な表現を一切排し、しかし迫力ある文章で著者は語り掛ける。
心の震える本に久しぶりにめぐり合った。
紙の本
「この夏、高校生・大学生に薦めたい一冊」
2000/08/04 09:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きむかず - この投稿者のレビュー一覧を見る
たいへん失礼な話だが評者は一読して、若干だがある種の「もの足りなさ」を感じた。それが生々しい描写や、地図など資料類の不足であるのか、あるいは本自体の「厚さ」であるのかは、判然とはしなかったのだが。
だが改めて読み返したとき、それは私の読み取る力の不足と、感覚の鈍さによるものだと気づき自責したと同時に、実は意図されたものなのではないか、という気がしてきた。
この本の作りは、さりげない。ともすれば、さっと読み終えて、それで終わってしまうかもしれない。
だが今私は、これほどまでに作り手(著者や編集者を含むスタッフ)の心に想いをはせることができる本に、出会ったことがないという気さえする。
著者は出版社のインターネット関連の部署に勤務し、それこそ膨大な量の裏づけ資料を提示することもできたはずである。実際、巻末には10を超える参考文献名が掲げられており、著者が事実の裏づけを求めて、資料を集めたであろうことは容易に想像できる。だが、一部引用はあるものの、それらをあえて積極的に使おうとはしていない。
これまでわが国の戦争について書かれた本の多くは、事実を伝えようとする思いのあまり、少々力が入りすぎていたのではないかと思う。それが決して悪いことだとは思わないし、このような見方が失礼だとも思う。だが若い人に拒絶反応を起こさせていたのではないかと、
自分自身の経験を振り返って思うのである。
本書は、筆者が大伯母に聞いた話を伝えている。さりげなく語り始められた身内の記憶を、どうしたら人に、自分の身内の話のように構えずに読んでもらえるか。どうすれば「自分とは関係のない遠い世界」と思われずに、感じてもらえるか。この本の作り手たちは、そこに最大限の力を注いでいると思う。
「そうか、そんなことがあったのか」。
「そう遠くない自分たちの祖父母の時代、多くの日本人がこのような目に遭っていたのか」。
「戦争というのは、ただ単に人が殺し合うのではないのだな」
すべては、そこから始まる。
そして、私はこの本を「よい教科書」として例えたい。
最近の教科書をきちんと検証したわけではないのでやや恐縮ではあるが、メディア等で見聞きする最近の教科書は、いかに生徒の興味を引くか、効率よく学習ができるかに心血を注いでいると思われる。親しみやすい表紙、豊富な図表、これでもかというくらいの親切丁寧な資料…これはあくまで想像であるし、当然といえば当然の話かもしれない。
だが、いくら多くの高価な食材を盛り合わせた料理でも、食欲がなければ食べる気にはならないのと同じで、必要なのは料理の中心となる、もともとの素材が持つ魅力を出しきって、食欲を引き出すことにあるのではないだろうか。よい教科書は、読むほどに理解が進み、さらに詳しく知りたくなって自らを勉強に駆り立てる。
評者は、この本の「もの足りなさ」ゆえ、「もっとよく知りたい」と思う読後感が残った。それこそが、著者が最初に大伯母から話を聞いた時の、気持ちそのものだったのではないだろうか。
紙の本
「戦争を語り継ぐ」なんて無理だと思っていたけれど……
2001/03/23 14:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おぐに - この投稿者のレビュー一覧を見る
シンプルにして胸を打つノンフィクションだった。
内容に衝撃的な事実があるわけでも、どんでん返しがあるわけでもないのに。穏やかな魅力に包まれた本だと思う。
ストーリーは、満州で終戦を迎えた一人の女性が、幼い子を抱えて必死で生きる道を探しながら、日本を目指すという話。たぶん、満蒙開拓団などの本を幾つか読んだ経験のある人であれば、話自体に目新しさはないだろう。奇をてらった内容でもない。ある意味でで、平凡なストーリーのはずなのだ。
それなのに、どうしてだろう。
とても新鮮な感じがする。
「戦争」というとても重いテーマを真正面から扱っているはずなのに、シンプルな恋愛小説を読んだ時みたいに、読後、心の中を一陣の風が吹き抜けていくのだ。
一番最初に思いつく理由は、女主人公自体の持つ人間的な魅力だ。
戦争、満州からの逃避行、というテーマ自体より、主人公の生き様の方がずっと心に残るくらいに、生き生きとしたその人となりが、このノンフィクションに温かな魅力を与えているのだと思う。
しかし、本当に大事な理由は、この本の筆者と主人公との特殊な関係にあるのかもしれない。
主人公は、この若い書き手の「大叔母」に当たるという。当時大学生だった筆者が偶然に大叔母から戦中の体験を聞くところから、この物語は始まっていく。
当事者の手によるものでも、客観的な書き手によるものでもない、ノンフィクションなのだ。
「戦争体験を語り継ごう」という運動が、かつてあった。今の30代のほぼ全員が、「両親や祖父母から戦争体験を聞いてこよう」という学校の宿題(たいてい夏休みの宿題だったりするのだ)を経験しているんじゃないだろうか。
事実、どんな悲惨な体験を書きつづった本よりも、衝撃的だった「はだしのゲン」よりも、肉親の戦争体験は強烈に身体に染みついた。
まるで自分が体験したことのように、子どもたちは、両親の経験した空襲や飢えを、身体の痛みとして想像することができた。
この世代に属する私は長じて今、親になり、自分の子どもにどんな風に戦争を語ろうか、と考えた時、途方にくれてしまう。実体験としての空襲も、飢えも、私は知らない。両親の戦争体験でさえ、私の口を経ると遠い昔話になってしまう。両親の話を聞いた時の私自身に痛みをきちんと加味したストーリーを、子どもにきちんと語り継ぐ自信がない。
だからこそ、このノンフィクションに軽い羨望を感じる。
この本は、20代の筆者が、大叔母の体験した「戦争」を、同じ女として、世代を超えて身体で感じ、若々しい文章で書きつづったものだ。できあがったノンフィクションは、筆者自身の、当事者としての痛みや感動が、きっちりと行間に表現されている。
主人公への、筆者の暖かなまなざしこそが、この本の最大の魅力なのだ。
これからの若い世代が「戦争」を読む時、手に取るのは、こんな本なのかもしれない。「遠い昔話」と読み捨てられないためには、若い書き手が痛みを持って聞いた体験を書きつづるしかないのかもしれない。
そんな風にしか、これからの私たちは「戦争を語り継ぐ」ことができないのかもしれない。
紙の本
戦争に翻弄された一日本女性の生きた個人史が見事に再現され、戦争の横暴さ、理不尽さを浮き彫りにしている
2001/11/06 22:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:高橋洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは、朝比奈あすかさんが19歳の時に、父親の実家である静岡で執り行われた祖父の通夜の席の時であった。儀式が終わり、簡単な酒盛りが始まったその席で、朝比奈さんは祖母の菊枝から、彼女の80歳にもなろうとしている姉を紹介された。
大伯母にあたるその小柄な老女は、人の良さそうな笑みを浮かべ、しわくちゃな顔の中の丸い目を優しげに細めている「可愛らしい」人であった。あすかさんが通う大学生活のこと、祖父母についての共通の話題などを話しているうちに、やがてお開きの時間となったが、お互いになんとなく去りがたい気持ちになった。いよいよ東京に家族で帰るという日、あすかさんは一人で大伯母の家を訪れる。耳鼻科医の妻だったという彼女には子供が4人、孫が9人もいるという。話をするにつれて、大伯母は40歳になってからの再婚で、初婚は22歳の時だと分かる。
好奇心のままに質問を重ねるうちに、彼女の繰り広げる想像を絶した話の虜になり、あすかさんは、その晩彼女の部屋に泊まり、朝まで話し込んだ。
大正9年生まれの大伯母、西村よしの話とは、満州国歩兵中尉の妻となって満州に渡り、そこで敗戦を迎えた一日本人女性の、激動の時代に巻き込まれた凄絶な体験記であった。あすかさんは、この大伯母の話に圧倒され、激しく心を揺さぶられ、何らかの形で本にしたいと思った。
朝比奈あすか著『光さす故郷(ふるさと)へ』は、このようにして世に出た。よしは、昭和18年、22歳で同郷出身の軍人の大石寅雄と結婚し、夫の赴任先の熱河省の大富豪の邸宅中に新居を構える。豊かな自然に囲まれ、すべての面で恵まれた生活を送る。長女の初代も生まれた。
平穏な日々は、昭和20年の8月9日夜に崩壊する。家主の張文壇が、ソ連軍の奇襲を告げ、彼の娘に成りすまして留まることを勧めてくれたが、よしは乳飲み子の初代を連れて、内地に戻ることを決意し、張のもとを去る。夫は軍務のため不在で、生死も不明だ。
朝鮮の手前の安東市の満鉄病院で終戦の玉音放送を聞く。病院は八路軍に接収され、国民党と共産党との内戦に巻き込まれていく。豚の餌のような食事しか与えられない最悪の環境下、病院の付き添い婦として働き、21年7月25日深夜、他の日本人たちと脱出する。険しい山道を赤ちゃんを背負いながらの凄絶な5日間の逃避行の末に、ようやく日本への引き上げ船に乗るが、上陸直前に初代は2歳半の幼い命を終えた。
ここには、戦争に翻弄された一日本女性の生きた個人史が鮮やかに再現され、戦争の横暴さ、理不尽さを浮き彫りにしている。戦争について一人一人が考えるに何よりも適した教材である。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.11.07)