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- カテゴリ:小学生 中学生 一般
- 発行年月:2004.9
- 出版社: マガジンハウス
- サイズ:20cm/325p
- 利用対象:小学生 中学生 一般
- ISBN:4-8387-1531-5
紙の本
マイマイ新子
著者 高樹 のぶ子 (著)
昭和30年、新子・9歳。大事なのは「なんでも自分の目で確かめる」こと。失われた時代の命の豊かさを、魅力あふれる少女の目で描く。大人も子供も楽しめる日本版「赤毛のアン」。ル...
マイマイ新子
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商品説明
昭和30年、新子・9歳。大事なのは「なんでも自分の目で確かめる」こと。失われた時代の命の豊かさを、魅力あふれる少女の目で描く。大人も子供も楽しめる日本版「赤毛のアン」。ルビつき。『クロワッサン』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
高樹 のぶ子
- 略歴
- 〈高樹のぶ子〉山口県生まれ。東京女子大学短期大学部卒業。84年「光抱く友よ」で芥川賞受賞。著書に「蔦燃」「水脈」「透光の樹」(谷崎潤一郎賞)「百年の預言」などがある。
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紙の本
いままで、私にとっての高樹のぶ子は官能小説作家だった。でも、自分の少女時代を描いたというこの作品は、おおらかでいかにも子供らしさ漂うものだった
2004/11/27 19:57
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの不倫・官能小説(世間一般では、純文学として位置付けられています、はい)の大家・高樹のぶ子が児童小説を書いた、さぞかしアブナイ小説になるだろうなあ、などと不埒な気分で読み始めたのだけれど、これがエロ場面なしの(当たり前か)本当に素直なお話で存分に楽しんでしまった。
で、いかにも児童書、それも元気溌剌といった子供時代を思い出させるカバー装画は、飯野和好。書棚に入れたとき、本の背だけを見ればとても子供本には思えない上品で、本全体を見渡せば如何にも子供の本、でも大人だって読めそうだと思わせる装幀は、この世界の第一人者 菊地信義。
時代は昭和30年、舞台は周防の国の都だった国衙(ネット検索によれば、現在の山口県防府市国衙)。主人公は小学三年生になる青木新子九歳。なぜ少女の名前の頭にマイマイとつくか、実は彼女自身の頭につむじが二つありことによる。一つは頭のてっぺんに、もうひとつは額の真上に乗っている。額の真上のつむじを、家族はマイマイと呼んで、だからマイマイ新子。
母親や祖母は、そのマイマイを見ながら、富士額になるから良かったね、と言うけれど、新子の妹の光子にはマイマイがないのに、自慢して歩きたいほど可愛い。そのせいか、何だか自分ばかり用事を言いつけられたり、叱られたり。だから新子の不満は絶えない。でも、そんな新子を可愛がり、色々な話をしてくれるのが祖父である。
左眼を怪我で失い、今は義眼を入れている優しい祖父は青木小太郎。年齢は不詳だけれど、元気な様子からは60代がいいところだろう。そのおじいちゃんに「目ん玉、忘れものー!」と声をかけて追いかけるの新子の姿は、どこか目玉のオヤジと一緒に冒険をするゲゲゲの鬼太郎を思わせる。そう、そのマイマイ、新子の気分を微妙に反映して立ったりするところも鬼太郎に似ている。
小説は、戦後日本のゆったりとした復興の足音を遠くに聞く地方の変化を、子供の眼を通しながら穏やかに描いていくもの。時代を見るといっても、例えば灰谷健次郎や今江智祥といった一時代前の児童文学者が描く、怪物のような子供が見るのではない。そう、新子の視野は、いかにも九歳らしく、狭いのである。
だから、少女は大人の心の裏を読む、あるいは自然と人の心が見えてしまうといった超能力者ぶりを見せることは無い。友人たちと見た映画の、ジェームス・ディーンのキスに頭の中は真っ白になり、祖父からおこずかいをもらえば、お釣りを返すより甘いものが欲しくなってしまう。病院のレイアンシツをレンアイシツだと叫んでしまう、そんな子供の姿に、自分を重ねればいい。
周囲では、祖父から土地を得た農家は、お金を得るために田畑を捨てる。学校の先生は、結婚して東京に出て行く。幼馴染の転校もあれば、喧嘩しての家出も、密かな冒険、秘密の場所もある。地方としでも、外食をする人が出始める。そして、まだ社宅というものが大手を振っていた時代でもある。
そんな中で、決して新子は成長しない。化ける、わけではないのである。九歳の子供らしく、ほんの少しだけ視野が広まる。でも、すぐに忘れる。アラレちゃんみたいである。そんな自然さが新鮮なのは、児童文学者たちが天才、神のような子供ばかり描くからに他ならない。冗談ではない、大人だって失敗ばかりの人生を送っているのだ。まして、子供が世の中の流れを大人より先に読み、さらに分析までして、堂々と生きる、そんな化け物であるはずがない。
そう、私は久しぶりの子供らしい子供、草の中を駆け回る少女の姿に、昔の自分を、泥だらけになり泣いてばかりいた、そして高校生や中学生になってもバカばっかりやっている娘たちを、役にも立たないものを集めては悦に入っている夫をみつけ、心をなぐませるのである。初めて高樹のぶ子の小説を褒めることができた。
紙の本
新子のアンテナは、なんでも感じてしまう。
2004/12/09 00:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花の舟 - この投稿者のレビュー一覧を見る
“マイマイ”って、あれのこと?と思って手にしました。私の故郷でもこう言っていたので、違和感がないのですが、マイマイとはつむじのこと。どんなマイマイかというと、アンテナのような…とだけいっておきましょう。
昭和30年、9歳の新子の目を通して見た世界が語られていきます。美しい麦畑の風景、戦争の影をひきずった大人、こっそり見た映画、学校の先生、年中行事等々が、みずみずしい感性と言葉で描かれています。
昭和30年代の空気を吸って大きくなった私には、記憶の片鱗が重なるところも多く、面白く読みました。例えば、“水玉子”。こんな言い方さえ、今はもう通用しないのではないかと思いつつ、懐かしさでいっぱいになりました。食べる分には問題ないのですが、殻がうまくできずに白いような、ちょっと透明なような薄い膜の、ぷよぷよした玉子。安くわけてもらっていました。
戦後の、時代が音たてて走りださんばかりの勢い、世の中が変わろうとする息吹、そういったものが、新子がまわりの大人と交わす会話からも、充分窺えます。しかしながら、子供と大人の世界がくっきりと別れていた時代でもありました。しつけも世間体も、口やかましい大人がたくさんいました。地主と小作の立場なども、まだ、水面下で厳然としてあった頃でもあります。
そんななかで、新子とおじいちゃんの小太郎のやりとりが、心温まるものでした。二人だけの秘密のハンモックを作ったり、“千年の川”の由来や、大陸で匪賊と戦った話をしてくれたり、新子と小太郎はまったくいいコンビです。
新子は、おじいちゃんからはそうしたゆったりとした愛情を受け、遠い大学で先生をしている父の東介からは、「なんでも自分の目で確かめる」ことの大切さを教えられます。 正義感の強さから、新子は“確かめる”こと優先で、大人に怒られるようなことも、いっぱいしでかしてしまうのですが。怒られて、意地になって、ご飯を食べなかったり、裸足で家出をしたり、簡単に大人の意のままには動かされない新子が、頼もしく思えました。 マイマイをアンテナにして、感じることを、心いっぱいで受け止める新子の忙しい毎日が、懐かしくもあり、それでいて新鮮な物語でした。
高樹さん自身の「日本版『赤毛のアン』を書きたい」という思いが、のびのびと物語のなかで躍動していて、気持ちよく読むことができました。
カバーのイラストの場面は、第4章にありますよ。