紙の本
翻訳書マニアであればまた面白いがこれをきっかけに読むのもよし
2023/02/04 21:31
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sakuraんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本語の本であり、翻訳の本であり、仕事本であり、作家の本でもあり
そして「四十年」というのがキモで、時の移り変わりによって、世間の価値観も著者の意識も、そしてネットの登場で環境も激変していった結果、いまこうして振り返ります、という一冊。
登場する作品を知っていればいるほど面白いが、本書を手に未読の海に漕ぎ出だす人も幸多かれと思う。本読むのは楽しいよね。
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CL 2021.4.21-2021.4.25
マット・スカダーをけっこう読んでいるので田口俊樹氏の訳書はもっとたくさん読んでいるつもりだったけど、本書に登場する作品を意外と読んでないのは残念だった。
でも、翻訳の裏話とっても面白かった。
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田口俊樹翻訳作品で自分の読んだ本を数えてみたら54作であった。特に翻訳者で本を選んでいるわけではないのだけれど、ぼくの好きな傾向の作家を、たまたま多く和訳して頂いているのが田口俊樹さんということであったのだと思う。特に、完読しているローレンス・ブロック作品は、ほぼ全作田口さん訳なので、ぼくのように読書歴にブロックのあの時代があったミステリー・ファンは、少なからず田口俊樹訳で読んでいることになるのです。
他に田口訳作品でお世話になったところでは、フィリップ・マーゴリン、トム・ロブ・スミス、最近の(パーカーBOOK版になってからの)ドン・ウィンズロウ。いずれも大変な作家揃い。
最近では、ポーランドのジグムント・ミウォシェフスキ、スウェーデンのガード・スウェン『最後の巡礼者』など、東欧や北欧の原語→英語→日本語、といった英語経由翻訳作品でも、田口さんの名は見られるようになった。いずれにせよ、気づいてみれば、ものすごく日頃からお世話になっていた翻訳者である。
ぼくはブロックの、特に殺し屋ケラー・シリーズの訳がとても好きで、疑問符の「?」で終わるブロック独特の軽妙な文章などは、毎度笑いを噛み殺して安心しているような気がする。
また、現在自分が読書会でお世話になっている翻訳ミステリーネットワークを立ち上げたのも、田口さんであったのですね? 本書あとがきを読むまでこれを知らず、当の田口さんご本人を迎えて今月開催される本書の読書会には図々しくも参加申し込みをしているという次第。失礼致しました。
さて本書。翻訳の舞台裏や、翻訳という仕事の特性など、楽しく読んでいるうちにわかるという内容なのであるが、翻訳スクールの学生向けの文章ということもあり、専門的な部分もあるが、殊更翻訳に関わらない人でも本が好きであれば十分に楽しめる。
特に驚いたのは出版社を通じて翻訳者が作家に文章の意味を問い合わせることがあるという点である。親切な作家(特にマイケル・Z・リューイン)は、自分の作品のみならず、わかることについては英語の微妙なニュアンスまで教えてくれるらしい。とても優しい方らしいから、改めてもっと読まねばならないかも。
さて翻訳という作業に関わるエピソードは、実はぼくにもある。獨協大学外国語学部フランス語学科で留年を繰り返しながら山に登っていた頃、黎明山の会の先輩である間座女史が岳(ヌプリ)書房という山岳専門出版社を立ち上げた。ぼくはアルバイトで始終神保町の事務所に通っていたのだが、その頃ヨーロッパアルプスの写真集に、山岳小説家ロジェ・フリゾン=ロッシュが文叢を書いているので翻訳してみないか? と言われたのである。量的には問題があまりないが、非常に高価そうな写真集の翻訳を指示されたのだ。学生だし、フランス語の成績が良いわけでもないけれど、その頃は山が何よりも好きだったから、一応身を乗り出して原書と格闘しました。そのまま出版に漕ぎ着けず、出版社とも諸事情により、疎遠になってしまった。ぼくの下宿には電話すらなかったから、岳書房から急な仕事の連絡は電報で来ていたという時代。せっ��く手掛けた和訳原稿は、もったいないので大学で立ち上げた山岳同人・稜線の光の会報にガリ版刷りで掲載しました。40年前の話。人生唯一の超マイナーな翻訳機会。
こんなアマチュアの想い出話をしたところで、多くの名作を手掛けてきた敬愛する翻訳家・田口さんの本エッセイ集のレビューとは全く関係ないよね? ただ、自分が出版に漕ぎ着けるかもしれない翻訳をしたことがあったというあの経験については、今の今まで忘れていたので(間座社長、ごめんなさい)、それを思い出させて頂いた本書には実はとても感謝をしたい気分だったのです。
翻訳という作業の機微、面白さ、難しさ、言葉そのものの面白さ、何よりも外国の本が出版され読者の手に渡るまでの、神秘的な作業の魅力とその多様な訳文(具体例が示されたりしています)など、興味深いことでいっぱいの本書。とりわけ翻訳小説の好きな方はメイキング本として是非手に取って頂きたい、面白興味惹かれまくりの一冊であります。翻訳って素晴らしい。
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私は読み手でしかないので、翻訳者の苦労は想像するしかないが、裏話はやはり面白い。三川さんの翻訳にもお世話になりました。
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大好きなブロックやウィンズロウの訳者につき即購入。やっぱり翻訳って大変やなーって感じつつ誤訳なんかもあるんやと知る。文中のお勧めや翻訳ミステリー大賞をチェックしてみよう。
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海外ミステリー翻訳家の道を歩んできた著者が、その40年にわたる翻訳家人生を振り返りながら、翻訳の在り方についての考察、「は」と「が」の使い分け、主語の訳し方、現在形文の表現方法といった翻訳技術についての留意点、自らの誤訳を晒しての反省、そして原作者とのやり取りに関する舞台裏などを綴ったものである。
今であればインターネット検索で分かりそうなものについて、とんでもない訳をしてしまったところなどを読むと、時代を感じさせられる。
ジョン・ル・カレに不用意なメールを送ってしまい機嫌を損ねた話など、著者には申し訳ないが笑ってしまった。
チャンドラー『待っている』には、名だたる翻訳者の既訳があるのだが、著者は新しく訳した際に"新発見"をする。『待っている』は読んだこともあるのだが、その部分は読み飛ばしてしまっていたようだ。チャンドラーが好きだった著者の熱量が感じられる。
翻訳ミステリーがいろいろな版元から次々と刊行されていた時代の作品が紹介されているのだが、自分の好きなジャンルとは違うので、読んだことのあるものは、残念ながらあまり多くない。
それでも、こうした翻訳家の皆さんの努力によって、楽しく楽に読めることに、感謝の気持ちを贈りたい。
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「翻訳ミステリ-大賞」の創設者であり、エンタメ小説翻訳歴40余年の田口俊樹氏が、翻訳家の苦労と名作との出会いに纏わる悲喜こもごもの思惑を披露した自称懺悔緑。「同じ作品を10人が訳せば、10通りの訳が出来上がるように、同じ人間が同じものを10回訳しても10通りの訳になる。翻訳とはつくづく一過性であり、〝生木のようにくすぶり続ける〟ことを宿命づけられている・・」この例として8人の邦訳『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のセリフひとつで雰囲気の異なりを解説。筆者お薦めの『黒い薔薇』にも食指が蠢いて収まらない。
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ミステリー翻訳家の田口さんが自身の翻訳作品を振り返りつつ、よもやま話を聞かせてくれるエッセイ集。長年の経験で培った翻訳手法に加え、失敗談の数々も明け透けに公開してくれるのが実に清々しい。印象的だったのは日本的な解釈に傾向し過ぎると西洋文化への憧憬が失われてしまうという件で、思わず大きく頷いた。<殺し屋>シリーズのケラーとドットの掛け合いなんて、あの調子でないと面白さが半減しそう。しかし、チャンドラーの悪文については同業者間の共通認識なのですね。差し当たって、私は「オルタード・カーボン」を漁ってみようかと。
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おもしろくてイッキ読み。
過去のご自身が訳されたものを再読して、それについて徒然なるままに語る、という趣旨の本なのだけれど、いろんな「やらかした」エピソードが告白されていて、その正直さ、飾らなさに驚くと同時に、すごく好感を持ってしまった。
私はミステリはあまり好んでは読まないので、著者の訳された本はほとんど読んでいないのだけど、この本はちょっと変わった読書案内にもなっていて、いくつかは読んでみたいと思った。
やっぱり本の解説はその本の翻訳者が書いたものが他を圧倒して秀逸だなと思う。翻訳って、精読中の精読だものね。
トピックは翻訳技術よりも、その本を翻訳していた時の裏エピソードが多い。編集者はじめ、他の翻訳者や作家たちとのやりとりなど、読んでいてとても楽しかった。この著者の率直なお人柄が反映された明るくちょっとユルい感じの語りがとても良いです。
そして、けっこう驚かされました。
たとえば、依頼されて、原書を初めて読むとき、「犯人が分からなかったらどうしよう」と心配されるというところ。
私は、プロの翻訳者ともなると日本語の本と同じように原書をスラスラ読むんだろうと思ってたから、えええ? さすがにそれは分かるんじゃないの?! とビックリ。
もうイッキに親近感です。
英語に興味ない人や、ビジネスで英語を使っているけど小説は読まない、なんて人にはピンと来ないかもしれないけど、小説読むのって、ものによってはビジネス文書や新聞とか評論なんかよりはるかに難しいのよね。結末分からなかったらどうしよう、だなんて、プロの方もそんな心配するんだーと、とてもとても興味深かった。(そこは嬉しがるところじゃないのかもしれないけど)
あと、日→英は全く自信がないです、とはっきり書いているのも驚きだった。その正直さに超好感度アップ。(いや、そこも喜ぶとこじゃないんだけど)
質問などを書いた手紙がル・カレを怒らせたエピソードとか、もうおもしろすぎて、傑作だった。その後の「ダメージ対策会議」とやらに出ているところを想像するともう、笑っ・・・いや、気の毒で涙が出そうに・・・・
そうか、プロの翻訳者も英作文は苦手なんだなぁ、いや、分かるなぁ、としみじみした。相手は自分の著作を翻訳する人、という目で見るのだから、それはそれはハードルが高くなっていると思う。
依頼文での微妙な気の使い方って、私には調べれば調べるほど分からなくなってきているので、(T.D.ミントン先生の著書を読んで震え上がった)ことさらこのエピソードは染みた。
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ミステリー小説好きなら、田口俊樹さんの翻訳にはお世話になったことがあるはず。本に綴られているのは、誤訳へのざんげと、過去の自分への激励です。
翻訳の舞台裏をのぞけます。
ブログはこちら
↓
https://okusama149.blogspot.com/2021/08/755.html
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ミステリ・ハードボイルド小説のベテラン翻訳家が告白する舞台裏のあれこれが楽しく読めると同時に絶版になっている名作を発掘する(@図書館)二重の楽しみが得られた。
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かなり以前の話であるが、ハードボイルド小説を多く読んでいた時期があった。好きな作家は多かったが、ローレンス・ブロックのマット・スタガーシリーズ、マイクル・Z・リューインのアルバート・サムスンシリーズと、リーロイ・パウダー警部補シリーズは特に好きなシリーズで、その多くの翻訳を担当していたのが、本書の著者である、田口俊樹さんであった。
もちろん、誰が翻訳を担当していたかは、それらの作品を読んでいた当時は気にしていたわけではなく、ただ、田口俊樹さんという名前の翻訳家がいるということを、ローレンス・ブロックやマイクル・Z・リューインの本を多く読むことによって知っていたという程度の話であった。
そんな田口さんの処女翻訳は、「ミステリマガジン」1978年4月号の「賢い子供」という作品、それ以来、40年以上に渡ってミステリーを中心に翻訳を続けてこられた。本書は、その40年間の翻訳家体験を、ご自身の誤訳を含む多くの失敗談を交えながら振り返ったものである。ミステリー好き、翻訳小説好きには、あるいは、外国の小説を読まない読書好きの方は少ないだろうので、言えば、読書好きの方には、とても興味深いものだと思う。
私自身も、田口さんが、ご自身の作品以外の翻訳一般的なことについて、マイクル・Z・リューインに、しばしばメールで問い合わせをされている話や、ご自身の失敗談、あるいは、翻訳にまつわる色々な裏話を、とても楽しく読むことが出来た。
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2021年2月刊。筆者の単著を読むのは初めて。筆者は英米ミステリを中心に訳し続けて40年余りのキャリアを持つ翻訳家。その筆者が、過去に自分が翻訳を手掛けた書籍を俎上に上げて、当時の苦労などを回顧したエッセイ。筆者の訳書を、私は『刑事の誇り』『卵をめぐる祖父の戦争』、(筆者が金銭的に困窮して訳した)とある自己啓発本の計3冊だけしか読んでいないし、筆者の名前を、訳者として特に意識したこともないのだが、書名に惹かれて、本書を手に取った。
一番印象的だったのは、スパイ小説の大家ジョン・ル・カレの『パナマの仕立屋』の翻訳を担当した際、ル・カレへの質問と共に、個人的なメッセージを拙い英文で送ったら(翻訳家だから、英文を書くのも得意というわけではないそうだ)、その稚拙な英文が気難しいル・カレの逆鱗に触れたらしく、訳者降板の危機にさらされた話。やはり人の失敗談は面白いよね(オイオイ)。
怒りを買った作家もいる一方で、著書の翻訳を通して、友好的な関係を結べた英米の作家もおり、他の著者の本の翻訳で分からないことがあったら、その作家に相談しているというエピソードは微笑ましかった。筆者が翻訳した本が、その後、映画化され、その映像を観て初めて、誤訳に気づいたという話も面白かった。
筆者も翻訳を手掛けた『郵便配達は二度ベルを鳴らす』には、現時点で、8種類の邦訳が存在しており、同じ英文をそれぞれがどう翻訳したかを比較した趣向にも、興をそそられた。筆者は自分が手掛けた訳書についての失敗談や誤訳を包み隠さず、明かしており、翻訳家という仕事の苦労の一端を垣間見られて、非常に興味深かった一冊。(終)
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日々翻訳ざんげ
エンタメ翻訳この四十年
著者:田口俊樹
発行:2021年2月20日
本の雑誌社
翻訳家についてとくに意識したことがなかった。それでも、昔のレイモンド・チャンドラーなどのミステリーものの訳者として記憶している有名な翻訳家など、何人も知っている名前が出てきた。小鷹信光、田中小実昌・・・
著者は1950年生まれで、翻訳歴40年。ミステリーなどエンターテインメントものを中心とした翻訳を手がけているが、上記にあげた有名翻訳家は彼の大先輩となる。なお、ロバート・B・パーカー(僕は多くの作品を読んでいる)の翻訳をしている菊池光も先輩翻訳家だが、著者はよく書いていない。
僕たち素人からすると、翻訳家は英語のことは知り尽くし、背景となる文化などにも精通し、100%理解した上で日本語にしていると思いがちだが、この本を読む限りそうではないらしい。過去、出版されて評価されている翻訳本ですら、いまだに理解できていないところがたくさんある、というようなことが何度も書かれている。驚いた。それどころか、同じものを訳している先輩翻訳家たちも、自分と同じところが理解できずに全員が省略している、などと言ったことも披露している。
どうしても理解しがたいところは、著者に手紙を出して質問するが、その質問の英文が稚拙だからと激怒されたこともあるらしい。「こんな英語を書くやつが俺の本を翻訳しているのか!」と。
いまではインターネットで固有名詞(団体名や地名など)もすぐに出てくるが、昔はまとめて図書館で調べまくったり、人に聞きまくったり、それでも最新情報はなかなか出てこなかったことが想像できる。
そして、テンパってしまうと稚拙な間違いをおかしてしまい、人から指摘されるという。今から思うと赤面の至りだろう。さらに、こんな言葉を知らずに誤訳していた、などという恥ずかしい話も披露している。例えば、
・Downtown。これは「市当局、警察の含み」。ミステリーで刑事が容疑者に「ダウンタウンに行こうぜ」といったら、繁華街に遊びに行こうぜ、ではなくて、署まで行こう、の意。
・バンガロー(bungalow)はもともとヒンディー語で「簡易な藁葺き家屋」。原意は「ベンガル風の」で、イギリスでは「平屋住宅」、アメリカでは通常平屋の「小さな家」だと辞書に出ている。なのに「バンガロー」と訳すとキャンプ場に建っているようなものを連想させてしまう。「ごく普通の平屋の一軒家」とすべきだった。
しかし逆に、何人もの先輩翻訳家がみんな誤訳をしていたのを見つけたという、自慢話にしたくなるような話も紹介されている。
彼自身が読者としてのめり込んだ作者や作品なども紹介されているため、それを読みたくなってくる。時間がいくらあっても足りないので困る。
なかなか面白いエッセイ本だった。
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主語につく「が」が多すぎる。翻訳文も日本の作家の文にも。大野晋の定義は、未知の主語には「が」、既知の主語には「は」がつく。井上ひさしは、「は」はやさしく提示し、「が」は鋭く提示する、と説明。
酔っ払って呂律が回らなくなり、I am sorry,sir.と言うべきところを、I am sirry,so.と言ってしまった。音位転換(メタセシス)と呼ばれる。著者はこれを「ごさんなめい」と訳した。
過去、田村義進氏の名訳にこんなのがあった。
Don’t talk Turkish.(トルコ語を話すな=わけのわからんことを言うな)をDon’t turk talkish.と言い間違えた。田村氏の訳は「何を言っトルコ」。
犯人の動機がミステリーの主眼となるものを「ホワイダニット」という。
(例えば、同時刻に同じ場所で同じ職業の人が殺された事件)
「ひとりごちる」とは言わない(原形ではない)。「ひとりごつ(ひとりごとを活用させた語)」を現代語風に言い換えたもの。「濡れそぼる」「濡れそぼった」も同様で、原形は「濡れそぼつ」。
能力以上の作業を求められると、人は本来持っている能力すら発揮できなくなる。心理学の実験でも実証されているそうで、例えば、一度に7個の数字を覚えられる人でも、一度に10個の数字を見せられると5個も覚えられなくなる。
恐怖を心に抱えると、人は不寛容にも利己的にもなりがち。9.11は、摩天楼だけでなく、宗教も文化も国籍も人種も民族も関係ない、万国共通の大切な何かが永遠に失われてしまったような気がしてならない。
チャンドラーは悪文だと他の翻訳家も言っていた。確かにチャンドラーの短編には、同じ言葉が不必要に繰り返されていたり、描写が無駄に細かすぎたり。ちゃんと推敲したのかと疑いたくなる。
「ゲームの達人」が大ベストセラーになった1988年ごろ、宣伝文句の「超訳」が物議を醸した。原著にない部分を書き加えたり、ある部分を逆に省略したりすることも含まれるので、翻訳とは言えないと多くの翻訳者が憤慨した。
この問題について「週刊文春」が渡米して著者に取材した。答えは「一向に差し支えない」だった。日本での売上は作者に著者印税として跳ね返ってくるので、聞くだけ野暮だった。
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実は著者の翻訳した作品をほとんど読んだことがなかった。それでも本書は面白く、一気に読み終えた。たぶんその理由は、著者がやらかしたエピソードや失敗エピソードが惜しげもなく書かれており、こうしたエピソードが著者と読者の距離を一気に縮めてくれるからではないだろうか。もちろん翻訳にまつわるエピソードも興味深く、なんだか翻訳本に対して肩の力を抜いて接することができるようになった気がする。
特に印象深いのは、原作者であるジョン・ル・カレにコンタクトをした際に怒らせてしまい、ダメージコントロール会議をエージェントや編集者と行ったという話。翻訳者でもこんなことあるんだなとか「ダメージコントロール」という言葉を使っているところに、なんだか翻訳者の存在がぐっと身近になった気がした。