「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
戦前・戦中・戦後の87年間、一貫して「悪人」として日本と対峙してきた哲学者が、日本の戦後思想のいくつかについて言及しながら、自らの思索の道すじを語る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
鶴見 俊輔
- 略歴
- 〈鶴見俊輔〉1922年東京生まれ。ハーヴァード大学哲学科卒業。哲学者。丸山眞男らと『思想の科学』を創刊。同志社大学教授等を務めた。著書に「鶴見俊輔集」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
普通の市民が自由に柔軟に、強靭に自分を持ち続ける
2010/10/14 15:33
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「九条の会」で何度か話を聞き、一度は会のあと喫茶店での座談会ですぐ間近でじかに声を聞く機会もあったのに、なんとなくというか、哲学者の本だから難しそうだと思って著書を読まなかった。
今回初めて『言い残しておくこと』と『思い出袋』(岩波新書)を読んだ。
読んでよかった。この二冊は難しくなかった。
哲学するというのは、この本のように普通の言葉で考え、普通の文章であらわすことでいいのだなと思った。
『言い残しておくこと』は3回のインタビューから成る。3回それぞれ、現在の発言であるインタビューの内容に沿って、過去の鶴見さんの著作から引用がつくという独特の構成だ。わたしのような鶴見さん初めてという読者には、理解が助けられ、親切な本の作りだった。たくさん読んできた読者ならいっそう理解が深まるのだろう。大量の引用は掲載誌紙、掲載本一覧で索引できて、もっと深く読みたい場合に便利だと思う。
第一部は、生い立ち、幼年時代、15歳で渡米、開戦で捕虜交換船で帰国、徴兵されてジャワへ。環境の中で独自の眼をもち、抵抗し思考し、自分を作りあげていく少年時代から青年時代への過程はみごとだ。第二部でベ平連と『思想の科学』を語る。第三部は「原爆から始める戦後史」というタイトルで、原爆投下から、人を殺すということなどの考えが展開される。
今回、わたしがとくに惹かれたのは、「まちがい主義の効用」ということだった。既成の思想や組織によらない普通の市民の自由なつながりで社会に向かい合い、行動を続けていく。まちがえても、いいのだ。
本書から引用する。
「まちがいからエネルギーを得てどんどん進めていく、まちがえることによって、その都度先へ進む、それが何段階かのロケットにもなっていくわけです。こういう運動の形というのは日本では明治以降の百数十年間起こらなかった。それまで日本にあった反権力の形というのはほとんどが東大新人会の型になってしまうんですよ。」「しかし、思想の力というのはそうではなくて、これはまちがっていたと思って、膝をつく。そこから始まるんだ。」
「(ベ平連に関して)ベトナム反戦の問題になると、これは日本の人民がいいと思っていない戦争を、日本の国家が支持しているわけですね。この問題は戦争中の反戦運動のように直接明確なかたちで国家権力との対決の道を開かないけれども、大衆の想像力は、日本国家が加担しているこのベトナム戦争はよくないととらえている。ここから、日本の国家権力を批判する道は開ける。」
「人を殺してはいけない」ということの根拠は、次のように語られる。
「人間には状況の最終的な計算をする能力がないのだから、他の人間を存在としてなくしてしまうだけの十分の根拠をもちえないということだ。殺人に反対するという自分の根拠は、懐疑主義の中にある。だから、私はあらゆる死刑に反対であり、――まして戦争という方式で、国家の命令でつれだされて、自分の知らない人を殺すために活動することには強く反対したい。」
最後に『思い出袋』の方からだが、国と自分との間柄について――というか国に対する自分の立ち位置についての文章を引用しておきたい。
「(1942年、19歳の時、米国の日本人戦時捕虜収容所にいて)まず、自分が日本国籍をもつから日本政府の決断に従わなければならないとは思わなかった。」「法律上その国籍をもっているからといって、どうしてその国家の考え方を自分の考え方とし、国家の権力の言うままに人を殺さなくてはならないのか。」「同時に、この国家は正しくもないし、かならず負ける。負けは「くに」を踏みにじる。そのときに「くに」とともに自分も負ける側にいたい、と思った。」
「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない、しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける。」
わたしはこの考え方に同意します。
紙の本
I am wrong. 悪人で結構だ!
2010/04/18 17:36
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、インタビュー(2007~2008年)をまとめた面白い構成の本です。
まず5~6ページの鶴見俊輔氏の話があり、そのあとに、その話に登場する人物や事件に関する事柄を、ほかならぬ、鶴見俊輔氏の本のなかから、選んで項目別に引用してある。そして、次の話へとすすむ。その項目別引用はあとで「メモラビリア初出一覧」として、7ページほどの掲載誌および単行本の紹介も載っております。そして最後には人名索引もついております。そんなこんなで、本は全315ページ。
というわけで、項目別引用をはしょって飛ばして読めば、それだけでも楽しめますし、読むのが簡単です。さてっと、鶴見俊輔氏は哲学者という肩書きが、ございます。う~ん。ひとつの言葉をさまざまに反転させながら、語っているのが、そういう哲学者の哲学者たるゆえんでしょうか。そう思えば、ここでのお話の筋道がみえてくるように思えるのでした。たとえば、こんな具合。
「これは都留重人さんからのまた聞きですけど、シュンペーターが、日本の知識人の文化をずっと見て、『これは輸入とか模倣というんじゃなくて、ブランダー(blunder)だ』といったんだそうです。・・・ブランダーというのは、英和辞典で引くと、『へま』と書いてある。つまり間違いだね。ふつう日本の近代文化・思想というのは、ヨーロッパ文化・思想のイミテーションといわれるでしょう。ところがシュンペーターは、いやイミテーションじゃないといって、あえてブランダーという言葉を使った。つまり真似ではなく、西洋文化を間違って訳している、これはへまだ、と。」(p37~38)
このあとエリートという言葉の使い方を教示しておられます。
まあ、それは読んでもらうとして、ここでは、「メモラビリア」という鶴見氏の本からの引用にある『まちがい主義』をそのままに引用。
「記号論理学をつくったラッセルとホワイトヘッドの共著に『プリンピキア・マセマティカ』っていう大きな本がある。私は1940年に、ラッセルの12回の講義を聞いた。ラッセルはこう言うんです。壇上に立って、『ああ自分の考えていることは、全部間違いだ、と感じるときがある』。これは記号論理学の話としては、成りたたないんだ。矛盾しているから、そういうことは言えないんです。だけど、そういう一瞬の感情を自分は押えられない。それは記号論理学の創始者として語っているのではなく、人間として自分の存念を語っている。だから、この講義を彼が本にしたとき、このフレーズはそこに残していませんけどね。」
そのあとには、ホワイトヘッドの大学付属教会での講義の最終講演の話が続きます。こちらも引用しないとおかしいですね。
「彼はよたよた出て来て、壇上に上がって話して、ぼそぼそっと最後の言葉を話して壇を降りてしまった。あれは何を言ったのかなと思って、気になったんだ。(略)私は米国にいる彼女(鶴見和子)に手紙を出してね『ホワイトヘッドの最終講演の記録があるはずだ、それのゼロックスのコピーを送ってくれ』と頼んだ。彼女は・・すぐに送ってくれたんだ。すると、ホワイトヘッドの最後の一言はね、Exactness is a fake ――精密さなんてものはつくりものだ、と言ってたんです。それが、彼の終わりの講演の、そのまた最後の一行なんですよ。記号論理学の体系をはじめてつくった二人が、一方は大学の壇上で、もう片方は教会でそういうことをいっている。」(p124~125)
このように、鶴見氏のインタビューのお話を活字におこしながら、
同時に引用として、鶴見氏の関連する本から、当のご自身の文章を引用しておりまして、87歳のおやべりと、以前のご自身の本とのセッションみたいな感じで楽しめます。
ついでですから、この本の最初の方にある言葉も引用しておきましょうか。
「私の細君はキリスト教徒ですが、私はキリスト教徒になったことはありません。私は、キリスト教の定義は、you are wrong おまえが悪い、という主張だと思っている。イスラームも you are wrong だから、両方が you are wrongとなれば決着はなかなかつかない。それに対して私の立場は、基本的に、 I am wrong なんです。私の細君がyou are wrong といって、私が I am wrongといえば、その決着はどうなるんですかね(笑)。」(p14~15)
この言葉が、さまざまな角度から87年間の鶴見俊輔氏の人生を交差させながら、むすびついてゆく一冊となっております。その結びつく具合はというと、それは読んでのお楽しみ(笑)。