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フェミニズムの実践書といっていいだろうか。
発言できないのではなく、発言が意味あるものとして聞き届けられない立場から声を発し、聞き取ることの困難は、想像を絶する。
そして、著者がとんでもなくこの困難な道を、逃げずに歩もうとしていることを、まず称賛しておきたい。
言われているように、フェミニズムも、ジェンダー論も、もはや大学で学ぶものになった。
私の世代でさえ、すでにそうだ。
そうして、アカデミズムの制度の中に位置づけられたとたん、切れ味鋭く言葉を操れる優等生のためのものになる。
居場所がなくなっていくような思いをした。
「女は愚かだ(だから軽んじていい)」という古典的な差別に対して、「女だから愚かという括りはおかしい」という話はわかるが、そもそも「愚かだから軽んじていい」という発想に対してこそ、最も怒るべきなのではないか?(p146)
愚かさ、弱さを認めることは、大事なことだと思う。
けれど、この大事なことが貫けていないのが現実だ。
また、弱さ自慢になってもいけない。
どうやっていくか、というと、難しいと思わざるを得ないわけだ。
ただ、こういう立場からのフェミニズムには、きっと攻撃を受けやすいだろうとも想像される。
自分の弱さを売り物にしているなどとバッシングされそうだ。
こういう人を応援するにはどうしたらいいのだろう?
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シューカツをめぐる、周りの欲望の指摘とmee, too.運動についての記述が冴えている。
著者が感じられた違和感、戸惑いはラディカルさに根差している。残念ながら、あとがきにあるようにそれらの解決のための政策が書かれてなかったのが、残念だった。
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初めてのフェミニズムの本。
少しずつ勉強したい、感覚を変えたいと思い手に取った。
50過ぎている自分にとっての家庭や社会は、男のためのものだったなーと今 思うから。
難しくはないけれど、考えてこなかった事なので読むのに時間がかかってしまった。
著者の栗田隆子さんは一瞬で先々まで考えが及ぶお人なのだと思う。
将棋の凄い人みたいな。
納得できたかなと思うとその斜め先を行くように広がる。
追いつかない、あたしには。諦めないけどな。
あたしはまだしばらくは「教わる」を第一にフェミニズムなどに触れていきます。←宣言?
( )多めが親切で良かったと思ったけれど、
パラパラと見返すとあんまりない。何故だ?
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ジェンダー平等だけじゃなくて、生活水準のボトムアップについてもすごく考えた一冊。
社会問題としては認知度が高くてもその社会問題の中でさらにマイノリティな立場っていうのには目が届きにくいってことだったりも、ああ、やっぱりいろんな情報に目を向けられるようになりたいと思った。
偏りのあった社会に入り込めていった女性って"優秀"な人だけなんじゃ?っていうのに実際共感できた部分がある
そもそもの前提に大学進学があったり。
ジェンダー平等本当に望んでることだけど、なんかたまに、女性への待遇もちゃんとしてるよ!って言うのをゴリ押しというか、、
不平等を気にしすぎて男性が嫌な思いすることもあるってことを忘れないようにしないと
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結婚したくない「反婚」の著者。単身、非正規で、生活保護受給中のフェミニストが本当の「弱くある自由」を探求する。
自分に起こった出来事、そこで考えたことを「なかったこと」にしないぼそぼそとした「証言」は、あまりに「なかったことにしやすい」隙間に入り込み、読者の思索を助けれくれる。
あとがきに「つぶやきは一人でできても答えは関係の中にある」とあるとおり、手紙のように書かれた文章に思わず返事を書きたくなり、私にしては珍しく読者カードを送った。
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2020.10.8
『ぼそぼそ声のフェミニズム』
栗田隆子
作品社
本屋B&Bでのトークイベントがおもしろかったので読んでみました。
「ぼそぼそ声の」とあるように、声高でなく、つぶやくように語られるフェミニズム。
フェミニズムというと、パワハラ、セクハラがあるので、若い女性や働く女性、子供を育てている女性の問題とつい考えてしまうのだけど、私のように、非正規雇用(っていうとすごく難しい感じがする!)で、結婚してなくて、子供もいない女性にも必要なことなんだとあらためて感じました。
「フェミニズムはみんなのもの」だからね。
トークイベントでも話題沸騰していた、労働運動の中でも、あるいは中だからこそ、ハラスメントが発生してしまう問題は根深い。
「差別と戦ってきた女性たちが、なぜ差別する側に立ってしまうのか」
以下、引用。
会社という場所に身体と精神のかなりのところを差し出さなければならないという恐怖もある。風邪を引いても無理矢理会社に行き、転勤を命じられたらさっと動く身体。そのように(会社にとっての)他人の身体を思うように動かす「会社」という権力。「暴力」とは決して意識されず振るわれている力ー。
「キャリア」とみなされない労働に従事していないと、なぜ「生きていけない」社会なのか。
人間が成長して、社会から一人前と見なされるためには、仕事をもち、結婚することが必要です。仕事の内容や結婚形態は変わっても、「仕事をもって結婚して一人前」ということ自体は、有志以来、変わっていません。
(山田昌弘『「婚活」時代』)
“Personal is political “「個人的なことは政治的なこと」
一見物分かり良く、社会の諸問題に敏感で、フェミニズムさえ「理解」していそうな男性が、いざというときに発露させる支配欲と、それを目撃してしまったときに感じる「気持ち悪さ」について書いた。
頭を上から殴るのも、頭を撫でるのも、拳がグーかパーの違いはあるものの、どちらも頭の上に手があることに変わりはない。
生存運動と労働運動のあるべき結びつき、さらにフェミニズムが絡むとすれば、一人の女で子どもがいてもいなくても、パートナーがいてもいなくても、どんな生き方をしても生き延びられるあり方をこそ考えるべきだし、私は考えたい。
必要に応じて、暗い出来事を書くことは、とても明るいことなのではないかと私は考えている。
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わかりやすい活動を必ずしもしていなくとも、フェミニストとしてひっそり生きていくことができるのだなとしみじみ。
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フェミニズムから?この人から?みたme tooの話が印象的だった。立ち止まって考えること。その人にとっての問題とそれを近くで引き受けること。恋愛が運動にも!入ってきてしんどくなると女の側がしんどさを引き受ける羽目になりがちなこと。ひしひしと重たくて、わかるわかると思って。すごい言語化能力。涙が出るほど的確にもやもやしていたものをことばにしてもらった。
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国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→
https://winet.nwec.jp/bunken/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=BB11439461&opkey=B160888327684960&start=1&totalnum=45&listnum=0&place=&list_disp=100&list_sort=0&cmode=0&chk_st=0&check=000000000000000000000000000000000000000000000
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これまで読んだフェミ系の本は読後、後悔や絶望が襲ってきて日常が辛くなるものが多かった。でもこの本は読んだ後気持ちが楽になった。
今、自分が会社のパワハラ闘争に疲れて休職してるせいかどの章も響いた。強くて賢くないと社会で勝利はおさめられないのは分かってても、それについていけない人を貶めたり叩いていいとはどうしても私は思えない。批判の声をあげているうちに自分が病んでしまった。
>女性たちの真剣さ、真面目さ、誠実さ、世の中の理不尽を何とかしたいという意欲は、こうした組織の中で男たちのエネルギーを維持するために吸い取られていった
という本文が突き刺さる。批判するたびニヤニヤしていた上司の顔が浮かんで吐き気。
この本を読んで、強くて賢くて絶えず努力できないといけないと思い込んでる自分に気づけた。弱くても賢くなくても、人並みの生活ができる社会がいいなぁ。
筆者の本を他も読んでみようと思った。
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ハッとすることの多かった本。
「『愚かさ』『弱さ』を帯びていても最低限の尊重を求めて生きていけるにはどうしたらいいのか」という言葉。世の中うまく立ち回らなければ生き辛いっていうのは、確かにしんどい。ちょっと足踏みしたり、踏み外したりしたら一貫の終わり…じゃない世界が欲しい。
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専門的に勉強したわけでも、たくさん本を読んだわけでもない自分をフェミニストと呼んでもいいものか…と思っていたときに出会った本。著者のスタンスにとても救われた。言葉が易しくとっつきやすい。
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誰に対しても平等に「努力すれば変われるよ!」と背中をガンガン押してくれるリベラルフェミニズムに対して、どの目線から言ってます?の違和感を言語化してくれる。
「殴るのも撫でるのも手は頭の上にある」って部分は支配という構造をなんて上手に表してくれたんだ!と嬉しくなった。
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某東大教授フェミニストより遥かに理性的な文章。攻撃的でなく、冷静に読める。違和感をうまく言語化されており、興味深い、納得できる考え方も多かった。
―「正社員」になって「結婚」をした個人に対して、どうこう言いたいわけではない。この社会制度が、とりわけ男性が「正社員」となり、そこから「結婚」をし、「子ども」を持つということを社会保障制度や税制でも「モデル」としている、ということを問題にしたいのだ。
―たいていは「舐められないために、一人前になって頑張って、見返してやりなさい」となるだろうけれど、「一人前」にはなれないからといって「トップにならずにサブのままでいて、常に補助的な位置にいなさい」と決めつけられるのもうんざりであるということ…
―しかし今の日本の少子化対策というのも「結婚」ありきで仕組まれている。むしろどんな家族形態であっても「出産」できる体制を整えるほうが、よっぽど「少子化対策」としては合理的だろう。
―(※生活保護に関して)そもそも「努力ができるのか、できないのかはっきり判断できないままで、行為としてはできていない状態」をそのまま受け止めたらどうだろう。
―社会的強者の立場に立ったときは誰でも気持ち悪くなる可能性が高くなるわけだが、それならば、どうやったら「気持ち悪く」ならないで済むかということだ。…もし、強者の立場に立った際に、支配欲を克服するためには、性差別に対して気の利いたことを言うよりも、それこそ言葉や振る舞いによって相手を萎縮させない方法についてまず考えるべきだ…
もちろん突っ込みどころはあったが、これも反論しない練習。と言いつつ…
・性別役割分業を否定する講座を聞いて「家と仕事を両立できるような女性になろうと毛ほどにも思わずに済んだ」という筆者は、「家と仕事を両立できる男がアタリマエ」とされている現状をどう考えるのかは気になった。筆者の思考に沿うと、「男だって毛ほどにも気にしなくて良い」か?
・「女は愚かだから軽んじてよい」という差別は括りがおかしいのはもちろんだが、「愚かだから軽んじていい」という発想に対して怒るべきという。「愚かさ」「弱さ」を帯びていても最低限の尊重を求めて生きていけるのが良い、というものの、「気持ち悪さ」を帯びているせいで最低限の尊重すら得られていない男と対比させたくなってしまった。最低限の尊重とはなんだ?気持ち悪い男も得られてるものか?では自分のこの苦しみはなんだ?
こういうことを考える男は絶滅したほうが良いですね。ところでこういう責任の矛先を自分だけではなく社会にも向けるためには、まず心身の披露が癒やされることが重要だとも書いてあった。自分が癒やされた結果、矛先を向ける「社会」とはどこだろうか。
自分は死んだほうが良いという呪いを取り去ってくれるヒントは得られた気がする。これが”弱者男性のためもなるフェミニズム”か?
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「私にとっての『勉強』とは、
自分のキャリアを積み上げるための
ものではなく、大げさに言えば、
『自分と社会を知り、その両方を必要に
従い変えていく』ものとして捉えていた」
(P18)
冒頭「はじめに」にある穏やかな語り口
とは裏腹にかなりハードでラディカルで
骨のある、辛辣な内容だった。
こんな指摘は初めてだ、と唸ったのは
「シューカツを巡る〈大人〉の欲望の
まなざし」(P63)と
「『気持ち悪い』男・『気持ち悪い
出来事』(P167)。
前者の「就職活動」と「シューカツ」の違い。
後者の「人をバカにするような、エラそうに
振る舞いたくなる自分自身に向き合わず、
運動をやって社会を変えようとするなんて
ありうるのだろうか」(P168)
「持ち出しでやった上で威張られるなんて、
奇怪以上の何物でもない」(P168)
は鋭いと思った。
「そもそも、『結婚したい』とは何を
望んでいることなのだろうか?
子ども?
いざというときに養ってくれる人?
老後に面倒みてくれる人?
性的なパートナー?
これらの欲望を『パッケージ』にして
『どうぞ』と言っているのが
結婚(制度)なのだろうか。逆に言えば
これらすべての欲求を『一人の人間』が
担えと言っているのが、結婚なのだ、と
私は理解した。だからこそ、
私は無理だと思った」(P122)
「そもそも結婚が自分の選択だけで
できるものなのか」(P122)
「なぜ結婚制度を疑うことなく
『婚活』は語られるのか」(P123)
「婚活という言葉は家族社会学者の
山口昌弘氏が作ったものだ」(P123)
「私は彼に向かって『あなたの造語のせいで
どれだけの人が苦しんだかわかるか』
と発言した記憶がある」(P124)
「私と現実の複雑さを複雑なままで、
存在しているすべてをも『ないこと』
として否定するのでなく、『存在している』
こととして言葉にするために、
私は言葉を発し、文章を書いている」(P49)