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商品説明
日本思想の根本は助詞「は」にある。「場所格」を中心に格助詞について論考し、日本の思想家がどのように母語で思考することを実践したかの例を提示するなど、日本語と日本思想の関係を問う。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
浅利 誠
- 略歴
- 〈浅利誠〉1948年青森市生まれ。パリ第三大学博士課程(フランス文学専攻)修了。フランス国立東洋言語文化大学日本学部助教授。専門は、哲学・日本現代思想。共著に「文化解体の想像力」など。
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紙の本
西欧文化・思想の流入のなかでの日本語による思考の限界と可能性
2008/05/13 16:01
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トンカトンカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「はじめに」でニーチェの「善悪の彼岸」の一節をヒントに、西欧語と系統の異なる日本語で思考せざるをえないという日本人がおかれた制約の(西欧人とくらべた)特殊性を、日本人は独自なものとうぬぼれることなく、あくまで相対的な特殊性であるとの自覚のもとに、日本語で思考することの限界と可能性を見据えるべきである、と述べている。この本を貫く著者の基本的視点である。この視点から、近代と現代の日本で、西欧の思想と文化の流入の中で日本語の問題と格闘せざるをえなかった思想家たちが取り上げられている。評者はたまたまハイデガーの「存在と時間」を読み始め、日本語訳の日本語ともいえない日本語の羅列に悩まされていたところであったので、朝日新聞にのった野口武彦氏の書評に興味を惹かれ買い求めたのであったが、和辻哲郎、西田幾多郎、木村敏などの思想家、時枝誠記、三上章などの日本語学者、柄谷行人といった文芸評論家など多彩な顔ぶれが取り上げられ、彼らの日本語論が俎上に載せられており、一読興味が尽きることがなかった。ただ疑問なしとしない点もいくつかある。和辻哲郎が「人間の学としての倫理学」の「「存在」という言葉の意味」の説で述べたことについて、著者は、和辻がハイデガーをまともに読まずにドイツ語の「ザイン」と日本語の「存在」の比較論を行ったとして批判を加えて(噛み付いて)いるが、和辻がそこで意図したのは、「ザイン」というドイツ語の訳語として、当時流布していた「存在」という日本語をあてると、繋辞として用いられるザインに対応させることができないので、「あり」を訳語として使うほうがよいのではないか、さらに「存在」は、「実存」と訳されたExixtenzの訳語にあてる方がいいのではないか、ということではないかと思う。ここの議論で、2箇所Seindesとあるが、Seiendesのタイプミスであろう。また、柄谷の「ハイデガーのいう「存在者と存在との差異」は要すれば主語・述語などの概念になりうるものと繋辞などの概念になりえないものの差異に過ぎない」という所説を紹介しているが、ハイデガーは、存在をあらわすザインを中心に据えて議論しているのであり、繋辞のザインは(前存在了解を示すものとして)とりあげているのすぎないことに注意を払うべきであろう。