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続編。印象派以降。抽象画って難しいと思っていたけれど、もしかしたら、色が素敵とか、なんだか棘々した形だなとか、そういうことを感じるだけでも十分鑑賞になるのかもしれない。だめかな。(070702)
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(2004.12.13読了)(2000.11.10購入)
正編では、ルネッサンスからマネまででした。この本では、モネからモンドリアンまで、即ち印象派からフォーヴィスム、キュビスムを経て抽象絵画にいたる近代絵画の巨匠14人の作品14点を紹介しています。
14人とは、モネ、ルノワール、セザンヌ、ヴァン・ゴッホ、ゴーガン、スーラ、ロートレック、ルソー、ムンク、マティス、ピカソ、シャガール、カンディンスキー、モンドリアンです。
●モネ
「従来の絵画技法では、中間色を出すためにいろいろな種類の絵具を混ぜ合わせるというのは、いわば常識であった。自然の世界は、そう都合よく出来合いの絵具の色だけを見せてはくれない。出来合いの絵具にない色を実現するためには、パレットの上でその色を作り出さなければならないのである。ところが、印象派の画家たちは、絵具を混ぜ合わせると明るさが失われることに気がついた。なるべく絵具を混ぜないで、純粋なまま使うことを考えたのも、当然といってよい。混ぜるべき色を別々に小さなタッチで画面に並列するという解決法を考え出した。少し離れた所から見れば、個々のタッチは見えず、全体が混ざって見える。ひとつひとつの絵具は別々に置かれているから、明るさが失われる事はない。絵具が混ぜ合わされるのではなくて、それぞれの絵具から発する光が、眼の中で混ぜ合わされるのである。印象派の画家たちは、これを「視覚混合」と呼んだ。」
●ルノワール
ルノワールは、「私の好きな絵画は、風景ならばその中を散歩したくなるような絵、裸婦ならばその胸や腰を愛撫したくなるような絵だ」と語った。
「印象は時代には、モネやシスレーにならって、人物の全くいない風景画ももちろん描いているが、艶やかな肌の下に暖かい生命の流れの脈打っている女性美をこよなく愛したルノワールは、彼自身後に告白しているように、本質的に人物画家であった。」
ルノワールは、友人の画商ヴォラールに向かって、「1883年頃、私の仕事に一つの断絶が訪れた。印象主義をとことんまで追い詰めていった結果、自分はもう絵を描くこともデッサンすることもできないのではないかという結論に達した。」と語っている。
「この危機をもたらしたものは、人物画家としての彼の本質と、印象主義の技法との矛盾にほかならなかった。印象主義の「色彩分割」は、すべてを光の輝きに還元することによって、描き出す対象の実質的な重みや形態を犠牲にしてしまった。」
(ルノワールは、人物画を描き続けるために印象派に別れを告げた。)
●セザンヌ
「セザンヌが求めたものは、眼の前の対象を形作る本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界の中から、対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。」
「若い画家たちに常に自然を見つめることを教えたセザンヌは、「自然に即して描くという事は、決して対象をそのまま写し出すことではなく、自己の感覚を実現することだ」と語っている」「彼の言う「感覚」というのは、視覚を通して行われる精神の認識作用に他ならなかった」(言っていることがいまいち理解できない)
「セザンヌの目指したものは、色彩とデッサ���の統一による新しい絵画空間の確立であった。新しい絵画空間の確立とは、カンヴァスの平面性と表現されたものの立体性というお互いに相矛盾したものを同時に成立させようという離れ業である。」「そのためにセザンヌが用いた方法は、色彩による造形である。」「例えば、顔の凹凸は、寒色と暖色の対比によって表現される。即ち、影に当たる部分は青みがかった色に塗られ、膨らんでいる部分には、赤やオレンジが用いられる。われわれの感覚にとっては、寒色は奥に引っ込んで見えるし、暖色は前に飛び出して見えるから、それによって「肉付け」が生じてくるわけである。」
●ヴァン・ゴッホ
ゴーガンたちの色彩についての考え方
「色彩というのは、単に光に照らし出された外の世界をカンヴァスの上に再現するためだけのものではなく、それ自身ある精神的、心理的内容を表現する」
「ゴッホも、アルル時代の手紙の中で繰り返し同じ考えを述べている。「青と赤によって人間の恐ろしい情念を表現したい」とか、「二人の恋人たちの愛を二つの補色の組み合わせによって表現すること」とか、「色彩は熱烈な気質の持つある種の感動を暗示する」といったようなしばしば引用される言葉は、いずれも色彩の表現力についてのゴッホのこの考えを物語るものに他ならない。」
●ピカソ「アヴィニョンの娘たち」
「題名に言う「アヴィニョン」とは、かつて一時は教皇庁まであった南フランスのあの由緒ある古都ではなく、実はピカソが少年時代を過ごしたバルセロナの下町の通りの名で、そこは、船員たちを相手とする夜の「娘たち」の家が並んでいる場所だった」「初めピカソが考えたのは、画面の中央に水夫が一人いて、その周りを「娘たち」が取り囲み、あたりに花や果物が置かれているという普通の室内情景であった。そして、画面の左の方から、手に髑髏を捧げ持った異様な人物が今まさに部屋に入ろうとしていた。「アヴィニョンの娘たち」と花束や果物籠によって現世の快楽を象徴すると同時に、左手の人物の手にした髑髏によって、その快楽もいつかは死の世界に取って代わられてしまうことを暗示している。」
●カンディンスキー
カンディンスキーが抽象絵画を目指すきっかけになった体験。
「ある日、物思いにふけりながらスケッチから帰ってきてアトリエの扉を開けた途端、私は突然そこに、なんとも言われぬ不思議な美しさに光り輝く一枚の絵を見出した。私は吃驚して足を止め、その絵をじっと見つめた。それは全く主題のない絵で、一見何だか分からない対象を描いており、全体が明るい色彩の斑点で出来上がっていた。だが、もっと近くによって見て、ようやくそれが何であるか分かった。それは、画架の上に横倒しに立ててあった私自身に絵だったのである」
「カンディンスキーは、この体験から、「自分の絵にとっては、客観性とか、何かある対象の描写ということは、不必要であるばかりか、むしろ邪魔になるものだ」ということに気付いた。」
「「対象の描写は絵画の美しさの邪魔になる」ということに気がついたにしても、それではその邪魔な対象を画面から消し去るにはどうしたらよいか、対象を消し去った後で画面に何を描けばよいのかという問題に対して、カンディンスキーがすぐには��えを出せなかった」
「1908年から10年までの時期は、対象を消し去るためのいわば模索と苦闘の時期であった。」
「セザンヌ物語」ⅠⅡ、吉田秀和著、中央公論社、1986.06.20
「セザンヌは何を描いたか」吉田秀和著、白水社、1988.03.25
「ゴッホの手紙」上中下、ゴッホ著、硲伊之助訳、岩波文庫、1955.01.05
「ゴッホの手紙」小林秀雄著、角川文庫、1957.10.30
「ファン・ゴッホ」大久保泰著、日動出版、1976.08.25
「ゴッホ 星への旅」上下、藤村信著、岩波新書、1989.05.22
「ノア・ノア」ゴーガン著、前川堅市訳、岩波文庫、1932.03.25
「ロートレックの謎を解く」高津道昭著、新潮選書、1994.04.15
「マティス」グザヴィエ・ジラール著、田辺希久子訳、創元社、1995.06.10
「人間ピカソ」瀬木慎一著、日本放送出版協会、1973.04.20
「ピカソを考える」坂崎乙郎著、講談社、1979.11.26
「カンディンスキー」針生一郎著、みすず書房、1964.05.25
「マネの肖像」吉田秀和著、白水社、1992.09.04
内容紹介(amazon)
西洋美術鑑賞の懇切な手引として好評の『名画を見る眼』の続篇。本書では、モネ以後の近代絵画の名作をとりあげて、その題材、表現方法、技術、歴史的・思想的背景などを解説する。印象派・後期印象派をはじめ、素朴派、立体派、表現主義などの諸潮流から抽象絵画まで、その精華を紹介しつつ、豊かな美術の世界へと読者を導く。
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自分の知っている画家が多く書かれていたので、1に比べより読みやすかった。
モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ロートレック、ルソー、ムンク、マティス、ピカソ、シャガール、カンディンスキー、モンドリアン
これを読んでいるときにオルセー美術館展にいったんで、それぞれの作品の見方が少し以前と変わった。
全体をみて、細かい部分をみて、なぜこういう風に書いたんやろうかと考えるようになった。
そういうきっかけを与えてくれた本である。
また各作品の歴史的背景もかかれており、より興味がもてた。
やっぱりその作品がどういった状況で書かれたものなのか、知っているのと知らないのでは印象が全く違う。
また、再読したい一冊である。
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前著「名画を見る眼」に続いて、19世紀後半から20世紀前半までの西洋絵画の驚くべき発展をたどる、14の作品紹介。
印象派の作品群は日本でも人気が高いが、キュビズム以降、特に抽象絵画になると「自分にはわからない世界」と言って敬遠する人が、まだまだ多いのではなかろうか。この本では「抽象絵画といえども、決っして不意に生まれて来たものではない」との立場から、印象派からフォービズム、キュビズムを経て抽象に至るまでの道筋を、自然に、そしてなだらかにたどっていく。高階秀爾の筆にかかると、あのカンディンスキーやモンドリアンの抽象画が、何とも言えず魅力的なものに見えてくるから、不思議なものだ。
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[ 内容 ]
西洋美術鑑賞の懇切な手引として好評の『名画を見る眼』の続篇。
本書では、モネ以後の近代絵画の名作をとりあげて、その題材、表現方法、技術、歴史的・思想的背景などを解説する。
印象派・後期印象派をはじめm素朴派m立体派m表現主義などの諸潮流から抽象絵画まで、その精華を紹介しつつ、豊かな美術の世界へと読者を導く。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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名画を見る高階さんの眼は、前著同様本書でも、美術本にありがちなカラーかつ豊富な図版方式ではなく、言語的分析アプローチを取っている。しかし、これが難しくない。さらりと読めて、名画たるゆえんが腑に落ちてしまう。そこがすごい。
発刊から約40年が経っているが、各作家の研究が進んでいる今日でも、内容に色あせた部分がない。そこもすごい。
高階さんの著作を幾つか読んできて、その見識の身につけ方を探求したくなった。
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代表作を軸に、画家の意図や背景を解説している。
モネからモンドリアンまで、順に手法や主義を時代に沿って紹介。
好きな画家からあちこち読み出したが、歴史を踏まえた紹介順になっているので、始めから読んだ方が理解が深まったかも。
印象派からフォービズム、キュビズムを経て抽象絵画に至るまでの画家の表現への苦労や試みが、わかりやすく時に詩的な文章で書かれている。
点描画はどうしてあの手法をとったのか。
セザンヌがキュビズムに与えた影響は。
カンディンスキーが抽象画に至った理由きっかけは。
今までの漠然とした情報が具体化して理解できた。
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学生の時の授業で使用した本。
再読。
永久不滅の名盤です。
ますますニューヨークMoMAへ行きたくなった!
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続編ですが、この前のものは読んでいません。
印象派以降の名画14点をピックアップし、それぞれを解説。
表現・技法・画家の一生など。
作品がどれも白黒画像なのが残念。
やや古い本ですが解説は解りやすかったです。
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前作同様こちらも読みやすくて面白かった。ピカソのアヴィニョンの娘たち、モンドリアンのブロードウェイブギウギなど、全然分からないと思っていた作品も分かったような気がした。もっと続きが読みたい。シリーズで10巻ぐらい出てたら良いのに。
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やはり前作より落ちるかな、続編の定めか。
指摘のとおり印象派から100年程度の間の変化はそれまでの比ではない、その理由は画家が頭で考えに考えたゆえということが暗に仄めかされている。
でもやはり考え過ぎの嫌いがあるように思うのだが、近代の画は。頭でっかちと申しましょうかね。
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美術はそれ自体で心惹かれるものであるが、そこにはやはり、ひとの精神が息づいてゐる。
長い時間の中で、ひとは見えたもの感じたものをどのやうにつくり上げていくか、挑み続けた。写真の代わりとしての意味合いがあつた時代もあれば、力の象徴としてブランド品として愛でられたこともあつた。それでも、ここに取り上げられた画家たちはただ自らの内で叫び続ける何かを描く、それを成し遂げた。それが彼らの人生であつた。取り上げられた作品は、さうした闘ひの中でのひとつの道しるべだ。
絵を眺める。すると、ああきれいだなとか、これはなんだらうだつたり、かう見えたのだろうかだつたり、どうしてわざわざかう描かないとだつたのだらうかなど様々な印象が過ぎていく。さうした印象が絵のどういつたところから生じるのか、見つめなおす。
それはたとえば幾何学的な構図や錯視の利用、どのやうな色調かといつた描き方の観点や、そこに何が描かれてゐるのかといつた図像学的な観点、どのような社会状況や人生であつたのかといふ歴史的な観点を重ね合わせる。
絵をみてきた彼にとつては、絵を分析すること以上に、そこに描いたひとをみてゐるのだと感じられる。さうした表現に行き着き、現せるといふことが、絵画の天才が天才である所以ではないか。ピカソの絵に対して、こんなの小学生でも描けるといふが、それを他でもない描き、意図的にやつてのけるからこそ、ピカソがピカソたるものなのだ。
名画を見る眼とは、解釈の仕方ではなく、名画に出会ひ、その奥で描いたひとと出会ふことだ。確かに抽象絵画など絵の前に立つて眺めた時、これは一体なんだ、と強烈な不可解さに落とされる。しかし、そのやうに感じられる心は時代を超えていつも連続してゐる。それなら、それからわからないと目を背け、拒絶をする前に、わかるだけの努力をしなければならない。絵の社会的な意味合いが過去のものとは変はつてきてゐる以上、絵画に対する人間的な理解とその努力が絵画を目の前にした自分自身に求められてゐる。
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前編よりも個人的には親しみがある印象派から抽象画がテーマになっていておもしろい。
しかし古い本なので仕方ないとは言え、挿し絵の不明瞭さや白黒がどうしても気になってしまった。
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テンポ良く画家一人一人を解説しながら大局的に絵画の歴史を辿る。作品だけでなく、各章の末尾に画家のバックグラウンドも解説され、人間味も同時に感じさせてくれる構成は嬉しい。
いやぁ、うっとりするまでに著者の言葉遣いが繊細。
141pは鳥肌。
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私は絵を観るのが好きでよく美術館に出かけるのですが、正直言えば、絵の良さが本当にわかっているわけではありません。単に自分が好きな、あるいは自分好みの絵を見つけて、何となく満足した気分になって美術館をあとにする、という程度です。だから、美術館に滞在している時間も、かなり短い方だと思います。極端なことを言えば、好みの絵が見つからなければ、あっという間に通り過ぎて終わり、ということもあるくらいですから。
そんな私でもこの本はとても読みやすくて、名画の世界にすんなり入っていくことができました。内容ももちろん素晴らしいのですが、何より筆者の語り口がとても自然で、1971年といささか古い本ですが、全く古くささを感じさせません。「本当に頭がいい人とは、難しいことを易しく説明できる人だ」とよく言いますが、本当に名画のことがわかっている人だからこそ、その絵の良さをやさしく説明することができるのだと思いました。
名画はもちろん、例えば印象派とか、キュービズムとか、そうした当時の人たちの絵に対する考え方も、実にわかりやすく説明されています。素人の私には、写実的な絵の素晴らしさはわかっても、抽象的なものはどうしてもピンとこないものが多いのですが、この本を読むことで視点ができ、ずいぶんと解決するように思います。
p.130に、ムンクの言葉が紹介されています。「芸術は自然の対立物である。芸術作品は、人間の内部からのみ生まれるものであって、それはとりもなおさず、人間の神経、心臓、頭脳、眼を通して現われて来た形象にほかならない。芸術とは、結晶への人間の衝動なのである。」とても重い言葉ですが、これぐらいの心持ちで、これからは絵画に接したいと思います。
なお、続編から読んでしまったので、2年前に出ている『名画を見る眼』も読んでみようと思います。