紙の本
栗林忠道も読んだ名著(たぶん)
2017/02/17 00:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山川菊栄の母、千世は幕末期の水戸藩士(水戸藩校弘道館教授も務めた儒学者・青山延寿)の娘であった。瓦解後一家で上京し、千世はお茶の水女子大学の前身・東京女子師範学校の第一期生となった。高い教育を受けた千世が、娘・菊栄に及ぼした感化とはどんなものだっただろう?そんな想像を逞しくさせるのが本書である。
まず、水戸家中の武家の婦女に関わる日常、慣習、文化、歳時などについて、平易な語り口をもってその雰囲気をよく伝えている。歴史的資料として一級の価値がある。例えば、千世が稽古に通ったお裁縫の師匠の旦那である石川という老藩士は、サービス精神旺盛で、少女たちを楽しませるために、夜具を着て関寺小町を踊ったり、興が乗って人物評を始めれば、「何のあの古着屋が」などと吐き捨て、権勢を誇った藤田東湖も形無しの陰口を叩いたり。非常に魅力に満ちた人柄が伝わっている。このような巷の人々の息吹が伝わる例は、本書において枚挙がない。時代の空気を伝える意義深い証言でもある。
しかし、この聞き書きの中で特筆すべきは、やはり幕末の水戸藩の特殊な立場にあるといえるであろう。常府とされ参勤交代の負担はなかったものの表高に比べ低かったと思われる実高を背景とする逼迫した藩財政、幕政に対し江戸表で良くも悪くも強烈な個性を発揮した藩主斉昭、藩主不在の中で進められる国許の政治。国許の実権を佐幕・開国派の諸生党が握り、追い落としを食った攘夷派が筑波で挙兵した事件は、天狗党騒動と呼ばれる他藩を巻き込む大事件に発展した。慶喜への嘆願空しく天狗党は福井で降参、科刑は苛烈を極めた。その後、時代の波は、攘夷運動より倒幕運動へと転換、維新に際し負け組となった諸政党藩政は、今度は天狗党残党たちの復讐の餌食となった。この復讐の連鎖は、人材を磨滅させた。攘夷の震源地だったにもかかわらず、水戸出身者は国家の要職を得ることがなかった。最も悲劇的な側面は、男たちの争いの巻き添えを食った政治には無縁だったはずの女性たちだった。例えば、武田耕雲斎の一門は、女まで首を刎ねられた。その後、諸政党の家の女も同様に暴力の餌食になった。この書には、耕雲斎の妻の辞世の歌が添えられている。
かねてみは なしと思へど 山吹の 花もにほはで 散るぞかなしき
これは、太田道灌にまつわる逸話が書かれた常山紀談にある歌
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
を本歌としている可能性が高い。水戸藩では女性の教育に冷淡な家風であったが、なかなかどうして、耕雲斎の妻女は立派な教養人であったことがこの一事からも判る。この歌の採録を決めたのは、千世の話を聞いた菊栄である。このあたりからも、母千世の感化が、娘菊栄の婦人運動への目を開かせる素地にあったような気がしてならない。
ところで余談だが、この「散るぞかなしき」、太平洋戦争の硫黄島守備の軍司令官・栗林忠道の辞世の歌
国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
に不思議に呼応している。この歌が女々しいと判断されたためであろう、大本営発表は、「散るぞ口惜し」と改竄した。梯久美子氏の著書「散るぞ悲しき」では耕雲斎の妻の辞世には言及していない。しかし私は、刊行が昭和18年であることと合わせ、栗林忠道は本書を読んでいた可能性が高い、と考えたい。菊栄と夫は社会主義者だったが、本書執筆に際しては柳田國男の薫陶も受けており、反社会的な書物とはみなされなかった。栗林は、幕末の水戸藩家老の妻女が味わった無常をわが身に引き寄せたのだ。
紙の本
明治維新が起こった遠因もわかる
2023/05/28 13:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
水戸藩の儒者青山延寿を祖父に持つ山川菊栄が、祖父が残したものなどの資料を基に下級武士の日常生活を描く。水戸藩特有の状況もあるが、多くの藩に共通するところも多い。武士という存在への先入観から逃れるためにも貴重であるし、下級武士が主導した明治維新がなぜ起こったかの遠因の一つもわかるものとなっている。
紙の本
女性の視点で武家の生活を垣間見る
2021/11/03 20:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末の水戸藩に生まれ育った女性を
母に持った著者による、聞き書きを
まとめたものです。
話の中には、烈公こと徳川斉昭を始め、
藤田東湖や武田耕雲といった著名な
人物が頻出します。
他にも、妾も出身が武家と町家とでは
扱いが異なった、といったような逸話が
満載です。
紙の本
幕末の武家の女性。
2002/07/31 12:15
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末の水戸藩の下級武士の家に生まれ育った母、千世の思い出話から、当時の武士の家庭の女性の姿を優しく描き出している。
武家の娘というとキリっとした印象があるが、やはり家に従順でいる為に、利口過ぎるのは歓ばれなかったようだ。自分の屋敷の住所も分からない位が好かったという。ほんの十三・四のうちに親は嫁入り相手を探す。幼いうちに嫁入りさせられるのは、その家の姑に従順でいさせる為だ。姑も嫁を軽く離別したりする。やはりそういう世界だったのだ。
とはいえ、全ての女性が悲惨だったわけではなく、勉強させてもらえずとも幸せに暮らしていた女性が多かっただろうと著者は言う。だが、現代(書かれたのは戦時中)になって女性の権利が拡張されたのは、やはり喜ばしいことであると。
当時の頭髪が薄い武士は付け髷をして頭を固めたとか、そうした風俗も分かって非常に貴重な本だ。私は背景となる幕末の世にあまり詳しくないので、勉強してからもう一度読もうと思う。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代の武家がどのような環境で育ったのかがよくわかる。明治期に回顧されたものであることが重要で時代の変化にどのように対応してくかの糧となる。
投稿元:
レビューを見る
筆者の山川菊栄は女性解放運動を行った人物として有名である。
女性解放運動家と聞いて強い女性のイメージを持ってしまったが、本書を読むと優しくて丸い性格の女性像が浮かんだ。
彼女の母や祖母から伝わった武家社会の女性像の話を読んで、男尊女卑というが当時の女性もそれなりに楽しく生きていたのではないかな、と考えさせてくれる。
投稿元:
レビューを見る
安政4年、水戸藩の下級武士の家に生まれた青山千世の一代記を、娘にあたる山川菊栄が聞き書きを作成した一代記として知られている。
江戸時代はリサイクルの時代といわれ、木綿の循環利用や形見分けの習慣が伝えられるけれども、根底には木綿や衣服が貴重品であった時代を物語る。 しかしそうした内向きの出来事とは別に、元治元念に発生した水戸藩騒動や、明治維新によって没落の激しかった階層が上級武士か下級武士であったか。時代をこまかく記憶して記録化したことも重要であろう。家からでることには制限があったであろうが、細かく伝えていることは、藩にとって重要事件と解され、うわさの話のなかからそれなりに正確に事態を把握しようとした姿が見えてくる。
投稿元:
レビューを見る
左翼思想家、山川菊栄が母の語る、水戸藩の武士の家庭にあった話を淡々と綴った一冊。何となくきいていることも、こうやってきちんと書き留めていくことで後にものすごい重要な資料になるのよね。山川菊栄の筆が親族の話を書いているにもかかわらず、からっとした、客観性があるのは彼女の教育の高さと比例しているのだろう。読みやすい。さすが柳田國男、いい人に頼んでいる。(2007.12.30)
投稿元:
レビューを見る
別の本を探していた棚で、ふと見かけたもんで手にとりました。
幕末期水戸藩の下級武士の家庭はどんなんだったか、著者のお母様からの聞き書きです。
「よほどの上級の人はともかく、お武家様は町家の人間とは比べものにならないくらい貧しいんだけども、規律を守り節を乱さない毅然としたその姿勢を、自分達とは違うものとして町民は敬っていました」みたいな話を聞いたことがあります。それを裏付けられた気が。
うーん。あんたらすげーわ。偉いわ。そりゃー私ら敵いませんわ。
そんな気する。
投稿元:
レビューを見る
武家の女性は女性としてのレベルが高そうなイメージがあり、手に取った
何となく、岩波文庫にはハズレが無いような気がしている
寺子屋などの様子も描き出されていて、おもしろい
投稿元:
レビューを見る
藤原正彦の「名著講義」で題材になっていたのを見てから、ずっと半年ほど積読になっていたものをようやく読むことができた。
女性解放運動家山川菊栄が、自分の母の思い出話から、封建制度の時代から明治維新へと移り変わっていく、激動の時代を生きた武家の女性たちの日常を描いた本書。
倹しい当時の暮らしを、でも悲壮感に浸ることなく、女性や子供たちの生活に根ざした視点でいきいきと描いている。
物質的にも社会の制度的にも辛かったであろう時代を、ひょっとすると現代のわれわれよりも幸せだったのではと思わせるほど、人々のぬくもりの中で日々暮らしている彼らを美しく描き出していた。
子どもたちが、近くの藩士の奥方に裁縫を習いに行ったりお塾へ手習いに行ったりするその様は本当に微笑ましく、時代がいつであれ、日々の暮らしのその大もとにあるものは変わらないんだなと、しみじみと感じた。
ただ、「子年のお騒ぎ」「受難の時代」では、水戸藩の内紛のかどで、その本人のみならず、家族や幼い子供までが斬罪や永牢に処されたことが書かれていた。そういう時代があったという歴史の一部としてしか認識していなかった事実を、著者の語りから改めて知らされると、私たちと同じ、ごくごく普通に生きていた人々に本当にあったことなんだと強く思い知らされて、背筋が凍る思いだった。
終章で著者が、平凡な家庭の女たちこそが、力強く明るく、辛い時代を生き抜く土台を作ったのだとまとめていたのにすごく救われた気がした。
投稿元:
レビューを見る
昭和18年に書かれた本。著者の母きくは存命中だったが、彼女は水戸藩士の娘だった。子供の頃の思い出話が綴られている。
冒頭の写真を見て驚く。庭で掃除をしている老婆きくは箒をなぎなたのように構えて持っている。
下級武士の家では、農家から買った綿で主婦が糸を紡ぎ、機織りで織、縫った。広い敷地の藩邸で野菜を作り、衣食住すべてを藩領の中で賄う自給自足だった。
武士は家の中でも外でも人に会う時は刀を差すのが礼儀だった。子どもも元服までは脇差しを必ず差して塾に通った。興味深いのは、男の子は父親、女の子は母親が家庭教育をしたこと。礼儀作法など厳しくしつけられたそうだ。
お嫁に行くと、姑は30代、その上に50歳くらいの姑、更に70代の姑と3人いることもあったらしい。
それにしても江戸時代の武士は貧しくしきたりに縛られて不自由だ。町人の方が自由で豊かで楽しそう。
投稿元:
レビューを見る
幕末の水戸藩の下級武士で生まれ育った著者の母千世の、武士の女性としての生きざまを書き下した名著。
お塾の朝夕、お縫い子、身だしなみ、遊びごとなど本当に当時の日常生活を描いた非常に素朴な本ですが、当時の日本人の本当に勤勉でまじめだった姿が浮かび上がってきます。特に、当時は儒学の影響が強かったため、男性は論語を素読するなど手習いに相当力が入っていたようです。
また、女性は女性で、「家庭は教室でもあり、職場でもあり、保育所でもあり、養老院でもあり、いっさいを意味していた」という背景から女性の立ち位置と、家庭のごたごたを起こさない、家庭を収める女性の凛とした女性像が浮かび上がります。
男女の役割はそれぞれこうあるべきだということでは当然ないですし、むしろ時代は私たちに新しく変化することを求められていますが、「変わるものと変わらないもの」を見極め、それこそ江戸時代から、そして50年後、100年後も変わらない日本人の良さこそ、今最も見直すべきなのかも知れないとこの一冊を読んで感じました。
投稿元:
レビューを見る
幕末水戸藩の下級武士の家庭で育った母の話~塾の朝夕、お縫い子、身だしなみ、遊びごとなど~当時の日常生活を描いた非常に素朴な本。日本人が勤勉でまじめだった姿が浮かび上がってきます。
アイロンの代わりに、口に含んだ水を吹きかけて重石の板を乗せて皺を伸ばすなど(大変だなぁ・・・)、男性視点での歴史本では決して出てない武家の暮らしぶりが描かれてます。
武家といってもよほどの上流でない限り、暮らしぶりは貧しいです。
しきたりが厳しくて自由の少ない生活を送りつつ、規律と守り節を乱さない姿勢はやっぱり凛々しい。清貧。
幕末の受難の時代には、当人のみならず、家族や幼い子供までが斬罪や永牢に処されたことも書かれています。自決した主人の首を刈ろうとする賊の前に「それをお渡しするわけには行きません。この姿になっておりますものを、それ以上なさることはございますまい。強いてと仰るならまず私から御成敗願いましょう。」と立ちはだかった新妻に、天誅組も思わず「おみごと!」と首を刈らずに去った話と、牢獄で殺される断首される直前まで5歳の息子に論語を教え続けた女性のエピソードが印象的。
完全な男尊女卑の社会で女性に入る情報もほとんど無かった中、男系が断絶された家が女系の手で再興されたり、明治初期に教育界で活躍したのは辛苦を重ねた下級士族の女性が多かったりという維新後の話は、怠け身の耳には痛いです(^^;引き締まる!
投稿元:
レビューを見る
当時の幸せを今の価値観では計ることができないとした考え方は当時の人のものとしては新しく、その考えを持っていた著者の聡明さが素晴らしいと思った。
昔のことといわず、年配の方から話を聞くことの大切さを感じた。