- 出版社:新潮社
- サイズ:16cm/283p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-112801-4
パニック・裸の王様 改版 (新潮文庫)
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(3件のユーザーレビュー)
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- 税込価格:540円(15pt)
- 発行年月:1988
- 発送可能日:7~21日
- 本
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商品説明- 「パニック・裸の王様 改版」
【芥川賞(38(1957下半期))】【「TRC MARC」の商品解説】
ユーザーレビュー- 「パニック・裸の王様 改版」
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2004/01/05 02:39
感動の一言。『パニック』
投稿者:noriaky(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者はこの作品をつくるときに最後のシーンがまず最初にうかんだのではないかなぁ。勝手な推測ですが。自然が人間にはわからない何らかの理由で放った強大な力が、一方向に向う凄まじさをただ描きたかったんじゃないかなと。僕も読んでいて本当にそのシーンが頭に描かれて、なんというか壮観やなぁと少し興奮してしまいました。鼠の異常発生に翻弄されて人間社会のさまざまな綻びが露呈されていく話の作りは秀逸。主人公のシニカルでありながら情熱的で、正義漢な一方で計算高さも匂わせる複雑なキャラも見事に描き切れていて不自然じゃない。どこか破滅願望を抱いているようなところがあり、組織やシステムに反発を感じながらもそれに対して正面からぶつかっていくとつぶされるだけなので、なんかうまい手を使って乗り切ってやろうみたいな、そんなズル賢さみたいなのがあって、実はそれは現代人に共通してある根底的な性質のような気もする。この作品は一気に読み進んじゃいました。エガッたよ〜。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2001/03/10 13:16
パニック・裸の王様
投稿者:55555(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
開高健のデビュー作「パニック」と芥川賞受賞作品「裸の王様」のほか「巨人と玩具」と「流亡記」をおさめた作品集。
「パニック」はねずみが溢れ出した町を俊介の心理描写とともに異様なエネルギーの収斂を鮮やかに描き出す。
「裸の王様」は大田太郎の孤独とペーソスを裸の王様にみたてエゴイスチックな大人達に恥をかかせる。
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2008/02/09 15:06
途上にて
投稿者:SlowBird(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
120年に一度の笹の開花にともなう鼠の大発生「パニック」、広告業界の栄枯盛衰「巨人と玩具」、児童画を巡る若手教師の情熱「裸の王様」、一農民の視点で描く秦の始皇帝の治世「流亡記」の四騙。いずれも題材が斬新で、人間とそれを取り巻く社会が不可分であるという着眼点が窺われる。
「パニック」では、荒れ狂う自然の驚異を目の当たりにしながら、主人公の関心は、組織内での地位、人間関係、矛盾などにばかり向けられる。その場にある人間の心理に想像力が及ばないのか、表現するスタイルを持たないのかは分からないが、この題材を得ながらもったいないことをした。鼠によって農作物が壊滅し、子供が食い殺される事件が起きても、自己保身だけに気を配る官僚的な人間の卑小さを嘲う物語だろうか。それを強要する社会制度の閉塞感を訴えようとしているのだろうか。本作の20年後に書かれた、西村寿行「滅びの笛」の完成度と破壊力からすれば嘆息しかない。
「巨人と玩具」では菓子業界内での宣伝競争の中で、モデルとしてスカウトされた少女の予期しない変貌はさらっと流されて、結局は競争に敗れ去る男の悲哀だけが注目される。その展開自体も素人には説得力があるようには見えず、狭い業界の中で自家中毒している人々という以上のものは感じられない。
ウチの子が絵画教室に通っていたこともあって国際児童画展なぞも何度か見に行ったことがあり、「裸の王様」の設定はよく理解できた。そこの先生が本作主人公のモデルかと思ったぐらいだ。若い美術教師が、理想を追いながらも結局はあっさりと自尊心を守り、業界内でのポジション争奪戦に加わることを選ぶという、ユメもチボーも無い、ただそれだけの話になってしまった。
「流亡記」は厚みのある作品だが、辺境の地の平凡な農民によって、まるで二十世紀人のような清冽な制度批判が独白されるのは、構成としての破綻だろう。それでも万里の長城建設の使役に駆り出される過程はスケールが大きく、読み応えはある。ただやはり結末は突飛で、取って付けた感が拭えない。『アフリカに行きたい』(大江健三郎)ぐらいの不条理さがあれば、現実に接点が生れもするのだろうが。
文章は下手だ。気の効いた修辞を使おうとしてどんどん辻褄が合わなくなっていくのが気持ち悪い。悪達者とでも言うのだろうか。あるいは、こういったテーマを描く方法論がまだこの昭和30年代には完成途上であったのか。当時の文学とか文壇というものに作者が押されてしまっているとしたら、文壇そのものが個人を抑圧する存在であったことになるが。







