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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:1995/03/01
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま学芸文庫
  • サイズ:15cm/590,12p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-480-08190-9
文庫

紙の本

ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)

著者 ミハイル・バフチン (著),望月 哲男 (訳),鈴木 淳一 (訳)

ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)

税込 1,650 15pt

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評価内訳

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紙の本

ドストエフスキー論の、小説論の傑作

2003/12/23 11:58

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

ロシアの文芸理論家ミハイル・バフチンの代表作にして、ドストエフスキー論の白眉とされる傑作文芸評論。
ここで論じられているのは、ドストエフスキーの「形式」であり「方法」である。ために、ドストエフスキー作品のなかでの登場人物たちの思想、言動の「内容」は、とりあえず等閑に付される。

「ごく最近まで、ドストエフスキーに関する批評は、彼の主人公たちの声に対するあまりにも直接的なイデオロギー上の反応であったために、その新しい小説構造の芸術的な特性を客観的に捉えることができなかった」と従来の解釈を批判し、個々の登場人物との哲学論議にふける、「作品を哲学的モノローグとして扱う」やり方を否定する。そこでは、本来分裂したものとして存在する複数の意識を、無理に体系的な統一された思想として把握しようとするために、それが小説として構成された一個の芸術である、という点がないがしろにされてきたのだ、とバフチンは見る。(小林秀雄の「悪霊」論が途絶したのは、スタヴローギンのみを注視してしまい、「悪霊」という小説の構造が忘れられたからだ、と後藤明生が言っているのも、同じ事態といえる)
複数の意識をモノローグ的に統一せず、分裂したままに作品として構築された小説を、バフチンは「ポリフォニー」小説と呼ぶのである。そして、ドストエフスキーが現在までにおける、ポリフォニー小説を書いた唯一の作者であるとする。もちろん、これまでにも数多ある作品のなかで、ポリフォニー「的」小説はあり、そのジャンル的伝統の上でドストエフスキーの作品が書かれたのは間違いないのだが、そのうえで、ドストエフスキーの作品を、唯一の「ポリフォニー」小説だと規定するのである。

カーニバルやポリフォニーといった興味深い概念もそうだが、もうひとつこの本の軸としては「対話」も決して軽視できないだろうと思う。そもそも「ポリフォニー」なる概念は、対話の積み重ねのなかから生まれてくるものではないだろうか。
ドストエフスキーの登場人物たちが、モノローグであっても非常に対話的な問答、内省をしていることはその小説を一読すれば明らかである。本書でも分析されているように「貧しき人々」の書簡体は、対話的言語の見やすい例だが、「地下室の手記」でも徹底して対話的な文章が綴られている。それは、相手の反応を考慮した思考であり、誰かに語りかけるような文章なのである。ドストエフスキー特有の「読みやすさ」やスピード感はここから来ていると思う。
対話的関係というのはドストエフスキーの小説の根本的構造であり、そこでは作者にとっての登場人物そのものが、作者が生み出した物言わぬ「客体」なのではなく、積極的に作者と対話を行う存在でもあると分析される。

「存在すると言うこと—それは対話的に接触交流すると言うことなのだ」528頁

とあるように、存在の対話的な関係というものが、ドストエフスキー、ひいてはバフチンの世界観であろう(散文における「言語的多様性(ラズノレーチェ)」の根底にあるのはこの考えなのだろう)。

では、何故対話的にならなければならないか? それは自己自身の内で分裂を抱えているからである。後半において「分身」(現行では「二重人格」岩波文庫)の分析でも明らかにしているように、自己自身の内での軋轢が、内省での劇的な内的対話を生み出している。揺れ動く両端のあいだでのダイナミズムが、対話の原動力となっているのである。分裂ということ、対話ということ、それを小説的に描く方法としての「ポリフォニー」。ここでは「カーニバル」には触れなかったが、四章での小説ジャンルを総ざらいする壮大な分析はかなり面白い。そのカーニバル的世界観もまた、対話、ポリフォニーの重要な構成要素である。

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紙の本

ドストエフスキーは究極の小説を書いたのか

2003/12/21 20:45

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書のなかでバフチンが用いるふたつの重要な用語(「ポリフォニー」「カーニバル」)についての引用から始めよう。

「ドストエフスキーのポリフォニー小説において重要なのは、単一の具象的世界の確固たる背景において対象をモノローグ的に認識し、その枠内で展開してみせるという意味での、ありきたりの対話形式ではない。問題は究極の対話性、すなわち究極的な全体にわたる対話性である。劇の全体はその意味では、すでに述べたごとくモノローグ的であり、一方ドストエフスキーの小説は対話的である。彼の小説は、複数の他者の意識を客観的に自らに受け入れる単一な意識の全体像として構築されているのではなく、いくつかの意識の相互作用の全体としてあるのであり、その際複数の意識のどれ一つとして、すっかり別の意識の客体となってしまうことはないのである」(p37)

「カーニバルとはフットライトもなければ役者と観客の区別もない見せ物である。カーニバルでは全員が主役であり、全員がカーニバルという劇の登場人物である。カーニバルは観賞するものでもないし、厳密に言って演ずるものでさえなく、生きられるものである。カーニバルの法則が効力を持つ間、人々はそれに従って生きる、つまりカーニバル的生を生きるのである。カーニバル的生とは通常の軌道を逸脱した生であり、何らかの意味で<裏返しにされた生><あべこべの世界>(monde a l'envers)である」(p248)

 たとえば「カラマーゾフの兄弟」を読みながら、僕(たち)はちょっと背伸びをしてイワンに肩入れしてみたり、ピュアなふりをしてアリョーシャに擦り寄ってみたり、偽悪家ぶって大審問官の苦悩に同情してみたり、偽善家ふうにゾシマ長老の「お話」に胸を打たれてみたりする。でも、そんな読み方をしていたのでは、ドストエフスキーの小説を読んだことにはならない。あえて乱暴な言い方をすれば、そんな読み方をするぐらいならドストエフスキーなんて読まないほうがいい。彼の小説には猛烈な毒が含まれているから。
 ドストエフスキーが絶えず仕掛ける「感情移入」という罠を回避し、その「誘惑」に耐えながら読まなければ「ポリフォニー」は聴こえてこない。
(残念ながら、まだ僕には「ポリフォニー」が聴こえていない。かすかな予感があるだけである、なんとも無責任な言い草だけど。)

 本書の解説で、訳者の望月哲男さんは書いている。「作者は……主人公と<我>-<汝>の関係にあって、小説という<大きな対話>を現在形で展開してゆく、一つの声の主体である」。
 最近(でもないけど)埴谷雄高さんの「死霊」が文庫化されて、それなりに話題になったりした。埴谷さんはドストエフスキーの決定的な影響のもとに独自の小説世界を作り上げた人で、ついこの間電車に乗っていたら、隣に坐ったちょっとくたびれた感じのおじさん(五十過ぎぐらいの感じ)が「死霊」の文庫本を読んでいて、なんだか頬が緩んでしまった。

「カーニバル」について書こうと思ったら、なんだかまとまりがつかなくなってきた。そこらへんは、あなたに任せることにしよう。で、もし「小説」を書こうと思っているのなら、読んでみて損はしない本である。最後にちょっとした希望の言葉を……

「世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう」(p333)

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ポリフォニーとはなにか

2001/08/22 13:51

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゲップ3号 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 あまりに有名な書である。ミハイル・バフチンがドストエフスキーを論じたことで彼の新たな魅力が引き出されたのである。この書にはそのような画期的な論文が収められている。ドストエフスキーをより深く理解するとともに文学理論も学べる一石二鳥の本。

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2004/12/31 03:53

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2006/04/09 15:46

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