紙の本
友だち100人できるかな
2019/11/01 07:49
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
10月7日に83歳で亡くなった和田誠さんはイラストレーターという職業を持っているが、その活動はそれだけでなく、映画監督、翻訳、絵本作家、そしてこの作品のようなエッセイストと多岐にわたる。
しかもその分野において評価が高いのだから、すごいというしかない。
例えば、この作品で第9回講談社エッセイ賞を受賞しているように。
そんな和田さんだが、生まれてすぐに才能が開花したわけではない。
このエッセイは和田さんがどんなふうにたくさんの才能を持った和田誠になっていったかを描いた(と自身は思っていないだろうが)作品になっている。
和田さんは1936年生まれ。1959年に多摩美術大学を卒業して、西銀座にあったデザイン会社ライト・パブリシティに就職をする。
タイトルに「銀座界隈」とあるのは、この会社で働いていた9年間を描いたものだからだ。
ここで働きながら、和田さんの名前を一躍有名にする「ハイライト」という煙草のパッケージを生み出すことになったりする。
そして、そんな業績以上に和田さんを和田誠に成長させたのは交友関係の広さだろう。
このエッセイにどれだけの有名無名に関わらず人の名前が登場するかわからないが、例えば寺山修司であったり横尾忠則であったり谷川俊太郎であったり篠山紀信であったり田島征三であったり、枚挙にいとまがない。
ただ残念なのは、まだここには妻となる平野レミさんは登場しない。
交友関係だけでなく、NHK「みんなのうた」の第1回めの歌のアニメーションを担当したり、森山良子さんの名曲「この広い野原いっぱい」の作詞にまつわるエピソードなど、昭和30年代から40年代にかけての歴史の証言としても、この本は面白い。
紙の本
和田誠のできるまで
2003/12/06 02:15
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投稿者:味噌まめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
多彩な仕事振りで知られ、また平野レミの旦那さんでもある著者がデザイン会社に入って、独立するまでを描いたエッセイ集です。
60年代の銀座が舞台です。
似顔絵を描くのが好きだった著者は、高校時代に見た外国のポスターによりグラフィックデザインの道に進もうと思ったそうです。
昭和34年(1959)に多摩美を卒業し、西銀座にある新進のデザイン会社、ライト・パブリシティに入社します。
在学中に日本宣伝美術会(通称日宣美)のコンテストに出品して一等賞をとります。
ここで入賞すれば、デザイン界で名が知れ渡るというくらい権威があったそうです。
その頃の広告デザインは自社の宣伝部または広告代理店がやる業務だったので、ライトのようなデザイン専門の会社はまだ珍しかったようです。
たとえば、サントリー(当時は寿屋)なら、あの「すんずまった」トリスの人を描いたのは寿屋に勤務していた柳原良平氏。
デザインの世界はまだ黎明期で、大家と呼ばれる人でも30代であったようです。
著者の周りには、のちに有名となる人がどんどん現れます。
会社の同僚の中には田中一光、のちに入社する篠山紀信。
デザイン関係の人間では、矢吹申彦、田島征三、真鍋博、横尾忠則など。
他にも、立川談志、植草甚一、寺山修二、立木義浩、小松左京など、有名人(当時は知られていない人も)がどんどん出てきます。
そういう所でも面白い作品です。
毎日が出会いの連続だったのでは?
植草さんがやたら長いタイトルを付ける事になったいきさつも書かれています。
篠山さんは、当時からハッタリが強かったのか助手をやらずにいきなりカメラマンとして一本立ちします。
当時の上司は「むずかしぃねぇ。お主やるな、という感じだったけど説明できないね」
当の氏はどうだったかというと五木寛之の『真夜中対談』(文藝春秋)の中で「僕はアシスタントになるのが嫌で、カメラマンにいきなりしてくれと申し込んだんです(略)ところが出来ないんです(略)基本的なことだけでも大変な知識がいるわけで、それをそれなりに使わないと(略)それを知るための時間ってのは相当いるわけですね」
水谷良重(現八重子)さんに胸の飽いた服を着させて、その谷間に猫を置いた写真を撮ろうとしたとき、なかなか頼めなかったというのは今の氏では考えられない(笑)。
本書は篠山さんの「貴重な一瞬」を描いています。
煙草のハイライトのデザインは氏が書いたというのにはちょっと驚きました。
しかも入社してすぐプレゼンを勝ち抜いたというのはすごい。
アルバイトで『アサヒ芸能』での「吉行淳之介軽薄対談」における似顔絵や『映画の友』に連載エッセイなど、今の和田氏を形作るような仕事もやっています。
広告デザイン界も変化していきます。
デザイナーの裁量に任せず、顧客が口を突っ込んでくるようになります。
的外れな注文でも妥協せざるを得なくなります。
著者自身、広告デザインの仕事から離れようかと思っていきます
時代は「昭和元禄」、高度経済成長の只中でした。
エッセイというよりも青春小説に近いです。
著者の手がけた、イラストや自費出版の絵本の写真が載っていますが、今の絵に近いもの、そうでないもの、見ていておもしろかったです。
日本がどんどん経済成長していた時代の話なので、明るい基調になっています。
文章がすごくなめらかできれいです。
じっくり読むとその味わいがわかります。
講談社エッセイ大賞(この賞は小説のようなエッセイに与えられる事が多い)を受賞というのも納得。
「〜じゃん」という言葉遣いが珍しかった(湘南の方言だった)という事に時代を感じさせます。
一つ訂正があって、談志が真打になったあと、志ん朝が真打に昇進したと書いてありましたが、これは逆で志ん朝 (37年3月)の方が先。談志は38年4月。
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和田さんはこの時代の最先端にいた。時代の先を見て、時代をつくっていたともいえる。そういう人ってなんでも豪語するビジネスライクな印象があるのだけど(これも時代のせいかな)、和田さんの文章はあくまでのんびりゆったりしている。そして知的さもまとってる。それは、高度経済成長がおとずれ物事の効率化が進んでく前の60年代前半の空気そのもののように思えた。そんな和田さんの文章をとても魅力的で好きだなと思う。
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和田誠さんのエッセイ。
大学を卒業してライトパブリシティへ就職、その後独立するまでの10年間の青春エッセイ。
和田さんの性格と周りの著名人との関わり、読んでいて楽しくハッピーなサクセスストーリー。
また独立してからの和田さんも言わずもかなイラストレーター、監督、そしてこのエッセイの講談社エッセイ賞受賞など大活躍。
クリエイターにオススメ。
特にデザイナー、イラストレーターが読めば作品のヒント、人との関わり方が非常に勉強になる。
物を作ることの楽しさを学ぶことができる素敵な一冊。
説教臭くないことも重要。
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和田誠さん装填の本って、ユーモアあってなんか読みやすそうだなっていつも感じます。もちろん著者色々ですけど。
この本は和田誠さんが多摩美からデザイン会社ライトパブリシティに入社し広告デザイナーとして10年間働き、退社するまでの仕事録、交遊録がユーモアあって読みやすく描かれています。
和田青年は先達から「達観してる」、「生意気」と言われます。読んで感じたのは和田さんって「負けず嫌い」で「頑固」だけど「客観的に自分を観る」ことができる人だなってことです。人の話を素直に聞けるし自分の気持に素直になれるので、チャンスを拡げてるのかなと感じました。
それにしてもやはり何でも草創期って楽しそうです。
人が決めたやり方に縛られるのって苦痛です。
ま、それはまた別の話。
しかしなかなかスゴイですよ。この方。
「hi-light」のパッケージデザイン、「社会党のシンボル」デザイン、「麻雀放浪記」の監督、「ゴールデン洋画劇場」のオープニングタイトル。
広告、音楽、演劇の各界の著名人と交際し、世に出る前から横尾忠則、篠山紀信と交際し、お父上はラジオの神様、奥様は平野レミさん、息子さんはトライセラトプス。
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会社にいたいろんな人たちのこと、失意や激励や友人たちとの活動、当時の作品など、こちらもドキドキで読みました。和田誠さんが、こんな風に若いころを過ごしていたということが、とてもリアルに感じられました。
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初出は「銀座百点」連載。
ちくま文庫新刊『井上ひさしベスト・エッセイ』に収録されている文庫解説からの芋づるで手に入れた。
美大を出て、銀座にあるデザイン事務所に職を得たところから始まり(1959年)、フリーになるまで(1968年)の10年弱を回想した自伝的エッセイ。有名無名さまざまな人との出会い(のちの巨匠や大御所もかけだしの頃)、職場で、あるいは手弁当で手掛けた仕事などが当時の銀座の景色とともに語られる。仕事からつながる人脈で自分のやりたい仕事をすこしずつ開拓しつつ、広告の仕事は自分に合わないと見極めたこの下積みの時期があってこその、あの和田誠だったのだな、と理解した。
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和田誠が多摩美大を卒業後、デザイナーの道に進んだ当時のことを回想するエッセイ集。気楽な感じで読もうと思ったら、意外と読みどころが多い。
それは和田誠という若き才能がどのように自らの道を切り開いていくかという道のりが面白いだけではなく、デザイナーという職業が日本でビジネスとして成立する歴史がつぶさに語られているからである。デザイナーという職業が成立するには、その需要にあたる広告・マーケティングという世界が花開く必要がある。本書は黎明期の広告・マーケティングの世界のワクワクさを追体験できる点で読み応えがあった。
また、和田誠自身の交友関係も改めて読むと凄い。寺山修司、武満徹、谷川俊太郎らとの仕事や、良きデザイナー同士としての横尾忠則、デビューしたばかりの篠山紀信との協働など、こんな交友関係が、と改めて驚かされる。
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惜しくも2019年に亡くなった著者の、社会人デビューのころのことをつづったエッセイ。
キャリアのスタートはグラフィックデザイナーとして、イラストだけではなくレイアウトを含めたデザイン全般を手掛けていた著者だが、グラフィックだけでなく、作詞作曲もやっていたことを本書を読んで初めて知った。
また、タバコのハイライトのパッケージデザインが著者であったことは有名だが、それが採用されるまでのいきさつが本書に書かれていて興味深かった。
一方、今は亡き社会党のマークも著者がデザインしたことは本書を読んで初めて知った次第。
そして、本書をさらに魅力的にしているのは登場する人物たちである。
田中一光、横尾忠則、高橋悠治、宇野亜喜良、篠山紀信、立木義浩、三宅一生等々、今となっては錚々たるメンバー。
田中を除き、いずれも当時はまだ若手で、全く無名だった人もいて、ヤングXXX的なエピソードわかって面白かった。
続巻あるいは、後の時代のことをつづったエッセイ集があるのか、ものすごく気になる。ちょっと探してみよっと。
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読みやすく、それでいて日本語がとても良いものだと思わせるような文章だった。絵だけでなく言葉遣いも上手いのかと驚く。
和田誠さんは最近他界されて間もない。近頃、生きているうちに知ることのできなかった素晴らしい方々の名前を訃報で知るたびに「生きているうちに知らなければ意味がない」とつくづく思い知る。それだけ、「まだ生きている」ことが貴重なのだ。
綴られた著者の銀座の思い出にはたくさんの人の名前が載っている。今となっては当たり前なものが、まだ当たり前でなかった時代だったようで、時代が変わるということはいろんなものを得る代わりに失うことなんだろうか。少し未来が不安になった。
良い本だったと思う。
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先日亡くなった和田誠さんのエッセイ。
好きを仕事にしてるのが伝わってきて羨ましい。
キラキラした昭和のデザイナーの世界が描かれていて、錚々たる顔ぶれの交流している人々が登場して楽しい。
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優秀なデザイナーの書く文章は優秀なデザインと同じように、読みやすくて、しかも深い、というのが持論です。和田誠のこのエッセーも、彼のデザインやイラストのようにシンプルでピュアで温かくて真っ直ぐでした。彼が多摩美を卒業して銀座にオフィスを構えるライトパブリシティという広告制作会社に入ってた頃の青春プレイバック。「銀座百点」に連載されたものとのこと。「銀座に勤めてはいたけど、銀座について詳しいわけじゃありません。自分の仕事や交友の思い出などを織りまぜて書くのでよければ…」と始まった連載でしたが、彼の青春だけでなく、広告、いや日本のクリエイティブの青春のタイムカプセルでした。「そして多摩美の図案科に入学したのであり。図案科というのも古い言葉だ。今はデザイン科と呼ぶのだろう。あのころはグラフィック・デザインなどという洒落た言葉はあまり使われず、商業美術とか応用美術などと呼ばれていた。」(P16 )「多摩美の先輩で、専売公社のデザイン部門(当時は意匠課という名前だったかもしれない)に勤める人がいた。」(P66)そんな時代。この時代からグラフィック・デザイナーが、アートディレクターが、コピーライターが、アニメーターが、イラストレーターが時代の前面に表れてくる、そんな日々の記録です。図案、意匠という漢字が捨てられデザインというカタカナが時代を引っ張っていく、そのはじまりがイキイキと描かれています。どの人、どの人もみんな伝説のクリエイターなんだもんんぁ…すごいネットワーク。だから「銀座界隈ドキドキの日々」はスーパースターたちの「銀座界隈キラキラの日々」なのです。そして広告がどんどん産業化して、ビジネスがドキドキ、キラキラを押し出し、みんなそれぞれの道を歩んでいくのも、また青春の物語なのでありました。
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和田誠のエッセイ集『銀座界隈ドキドキの日々』を読みました。
和田誠の作品を読むのは初めてだと思います。
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銀座が街の王様で、僕はデザイナー一年生だった ??
1960年代、憧れのデザイン業界に足を踏み入れた和田誠氏を、胸高鳴る毎日が待ち受けていた。
若い才能がジャンルを越えて出会い、刺激しあったあの時代を、文章と当時の懐かしいデザインを紹介しながら綴る自伝的エッセイ。
講談社エッセイ賞受賞作。
解説・井上ひさし
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銀座に店舗を持つ百店が結成した銀座百店会が発行する日本初のタウン誌『銀座百点』に掲載されたエッセイを収録して、1993年(平成5年)に刊行されたエッセイ集です。
■ご挨拶
■就職・卒業
■先生がいっぱい
■シルクスクリーン
■アニメーション
■タバコとアンポ
■ジャズ
■ベン・シャーンそして…
■21頭の象
■いろんな人たち ほか
銀座が街の王様で、僕はデザイナー1年生だった……1960年代、憧れのデザイン業界に足を踏み入れた和田誠氏を、胸高鳴る毎日が待ち受けていた、、、
若い才能がジャンルを超えて出会い、刺激しあったあの時代を、文章と当時の懐かしいデザインを紹介しながら綴る自伝的エッセイ……講談社エッセイ賞受賞作。
和田誠が1960年代に銀座でデザイナーとして働いた経験を綴った自伝的なエッセイ……軽妙でユーモラスな文章で、当時の銀座の風景や人々、デザイン業界の様子が鮮やかに描かれており興味深く読めました、、、
和田誠の個性的なデザイン作品も多数紹介されていて、愉しい気持ちになりながら読めましたね……和田誠の人柄や仕事を通して出会ったクリエイターやアーティストたちの多彩な顔ぶれが印象に残りましたね。
その一部だけでも、横尾忠則、篠山紀信、谷川俊太郎、植草甚一、寺山修司、立木義浩、三宅一生、三島由紀夫、手塚治虫、高倉健、真鍋博、長新太、小松左京 等々の錚々たる面々……その後、才能を開花した人たちばかりですからねー 凄い人たちが繋がっていたんですね、、、
ジャンルを越えた出会いの場やきっかけがあってこそ、才能は育まれるんだろうなぁ……と実感しました。
本作を読んで印象に残った言葉がありました……それは、評論家の栗田勇から和田誠が言われた
「君の仕事が痛烈に批判されたとしても、それでしょげることはない。
一人に酷評されたら、どこかで一人、君を絶賛している人がいる筈だ。
十人に褒められたら、どこかで十人がけなしていると思った方がいいよ」
ですね……良い言葉だなー 私も誰かにこの言葉を伝えてあげたいですね。