紙の本
解説に依る洞察の素晴らしさ
2024/03/20 12:17
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の本篇を一読してみて、成程こういう作品かぁ、という感じでした。印象としては端正な詩をイメージしました。戯曲である為、小説とはまた違った感覚があります。ところが小説を読んでいる時のように舞台情景が浮かび上がってきました。と、ここ迄は本書巻末の解説を読んでいない時点です。
巻末の解説を読了しました。解説は本作の訳者である木下順二氏でした。木下順二―――国語の教科書で『夕鶴』があった事を思い出しました。生涯独身を貫き、2006年に92歳で亡くなった劇作家の木下順二氏です。
本作に関し、私が拾う事の出来ていなかった様々な意味や深掘りを氏の解説が見事に挙げており、驚きの連続でした。勿論、氏が大学でシェイクスピアを研究論題にしていたからこそという点もあります。ですが、それにしてもこれはまさに改めて読み直す必要があります。
この解説がなければ冒頭のような感想に終始してしまっていた事は間違いありません。訳語に於いても大変な辛苦が窺われ、言葉のニュアンスを如何に汲み取るか、その難しさを痛感しました。更に言えばシェイクスピアが生きた時代の世情を情報としてインプットしておくと、何故シェイクスピアがそのような表現を用いたのかも気付くと思います。
紙の本
翻訳がすばらしい
2015/08/13 03:58
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投稿者:takobi - この投稿者のレビュー一覧を見る
木下順二氏の名は「夕鶴」で知っていたが、ご本人も劇作家であり、その演出経験も踏まえ、かつ、マクベスの台詞の背景にある意図・肝を十分に踏まえての翻訳は、読む者を一気に引きずり込んで、臨場感あふれ、すばらしいと感激しました。解説文は公開講座での講義を転載されているが、まさに翻訳の種明かしをみているようで、これも興味深い。
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投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
《【予言】未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また、その言葉。》
魔女によって発せられた予言、すなわち《めでたいよのう、マクベス! グラームズの領主殿よのう! めでたいよのう、マクベス! コードーの領主殿よのう! めでたいよのう、マクベス! やがては王になるお人よのう!》という言葉が、マクベスの悲劇を生んだ。もし魔女の予言が無かったら、このドラマはどうなっていたのだろうか。そんな疑問が湧き起こる。
というのも、マクベスは魔女の予言を聞いたために、自ら王になるためにダンカンを殺害してしまったのでは、と思う。たとえば、もし魔女の予言を聞かなかったならば、マクベスはどうなっていたのだろう。やはり何らかの形で王になっていたのだろうか。それともやはり王にはなれなかったのだろうか。
予言というのは、辞書によると、未来の出来事を前もって言うことなのだから、たとえ魔女の予言をマクベスが聞かなくても、やはり王になっていたのではないか。なんてことを読み終えて考えていた。劇としては、かなり退屈になるかもしれないだろうけれど…。
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ずっと以前に読んだ作品。
このなかの、夫人が死んだときのマクベスの台詞が大好き。
それに強く惹かれた。
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意外とロックな台詞やシーンが多くて楽しいです。「飢え死にするまで木に吊るしてやろうか」とか。マクベスは疑心暗鬼になってガンガン人を殺し、妻は精神錯乱して夜中に徘徊。人を呪わば穴2つ的結末です。個人的に勧善懲悪ものだと思います。でも悲劇なんですよね・・まあ人はバタバタと死にますが。「生きるべきか死ぬべきか」の台詞はどこだー?と思ってよんでましたが、それは「ハムレット」であったと読み終えてから気づきました。w
★追記★
2回目読みました。上から目線で見ると「勧善懲悪」ですが、この本のタイトルは「マクベス」。悲劇って、「マクベスにとっての悲劇」てことなんだ、と判りました。魔女の予言をきっかけに、自分の欲望に抗いきれなくなっていくマクベス。人間の傲慢の愚かしさ、それにっよって引き起こる悲劇。読めば読むほど味がでてくるように思います。脚注もちゃんと読むと、時代背景やセリフの裏の意味が良く分かって楽しい。
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演劇を見て興味を持ったので、後追いで読んでみました。
舞台を見ていたので、大まかなストーリーは分かっていたのですが、あらためて文学として(戯曲として)読むと、淡白な感じがします。
シェイクスピアの四大悲劇のひとつということで、登場人物たちは嘆きまくりますが、描写は簡潔すぎます。やはり、演じられて初めて作品として完成すると言うことなのでしょう。
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マクベス夫人が誰より恐ろしい・・・。
夫の上司殺しをたきつけるは、おびえる夫を「いくじなし!」と罵るわ、この人は一体・・・。
舞台なので台詞回しが印象的やけど、サロメの「おまえに口づけするよ、ヨカナーン」には勝てないな。
09.04.27
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こんなにあっさりだったかと。少々拍子抜け。しかし、マクベス夫人怖いなー。野望をもった女の怖さ、独特の凄みってなんだろう。ジェンダー的な固定イメージがあるためのギャップだろうか。
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後ろめたい重たい悪いことをすると、それを隠すためにさらに嘘をついて悪いことを重ねなければいけなくなる。
途中でいやになったとしても、「逃げる」という選択肢を選ぶ限り、その連鎖は続き、後ろめたさは雪だるま式に大きくなる。
また、何か自分以外の大勢からみて誤ったことをするとき、自分の側に少しでも迷いがあるならば、それはするべきではない。
大きな決心と覚悟、それは正しいのだという確固たる信念がなければやりきることはできないし、自分で自分の心を苦しめて、双方が苦しむだけで終わるという結果になる。
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マクベスの栄光、反逆、転落の人生。
つまらない野心を焚き付けられて分を超えた悪事をしでかして、それを恐れてビクビク生きる人生にどんな意味があろうか。実際英語で読んでみたらまた違うんだろうなとも思う。
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細々とオペラの原作を読む計画進行中です
マクベスのお芝居
高校の芸術鑑賞会の校外学習日に
埼玉会館で観たことを思い出します
そのときの魔女のセリフは
「きれいは汚い、汚いはきれい」でしたが
木下順二訳では
「輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ」
でありました
解説を読むと
Fair is foul,foul is fair:
人間と魔女とでは価値観が逆だ
ということを魔女が呪文のようにいうシーンなのでした
ハムレット、オセロー、リア王、マクベスで
四大悲劇
血なまぐさい話です
一度上司殺しをしたら敵討ちにあう前に
関係する人々をどんどん始末せずにはいられない
気違いになって殺されるまで…
という、どうしようもない話
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ヴェニスの商人より面白かった。魔女とか出てくるファンタジックな内容の話が好きだからか。魔女たちの予言に翻弄されて滅ぶ者、戦う者、巻き込まれるもの。魔女を色んなものに置き換えれば、どこにでもありそうな話になるんじゃなかろうか。
それよりも、マクベスが、「何者だ貴様は」と訊かれて「聞けば身の毛がよだつ名前だ」って応える場面で一つ思った。「マクベスを演劇でやる際、役者は公演中「マクベス」という単語を口にしてはならない。口にしちゃったら公園会場を悪態をつきながら何周かしなきゃいけない」というジンクスがあるらしいのだけど、もしかしてこのセリフが起源なんだろうか。
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これは舞台で見た方が面白いと思う。
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やったなら、やってしまえばおしまいになるのなら早くやってしまうことだ。この暗殺で総てが締め括れて、彼の息の根を止めてしまえばそれでよしというのなら、ただこの一撃がこの世での--永遠の時の流れの中の小さな浅瀬に過ぎんこの世での総てであってそれで総てが済むのなら、来世がどうなろうと構うものか。
だが――こういうことは、必ずこの世で裁きを受ける。血なまぐさい仕事をそそのかしてやらせてみても、結局は当人にはね返ってくるものだ。正義の神は公平で、こちらが毒を盛れば結局こちらの唇に毒杯を押しつけてくる。
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カニグズバーグの『魔女ジェニファとわたし』をいっそう楽しく読むための古典。謎賭けが楽しい。なお、この版では定番「きれいはきたない きたないはきれい」に一家言持った訳者が粋な翻訳をされている。
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おもしろかった。
日本の現代の舞台向けの戯曲としては、小田島さんの翻訳の方がすぐれているとは思うが、やはり、大御所である木下さんの翻訳は美しい。
マクベスは今のこどもたちには難解な芝居であるとは思う。
そこをしゃちこばった脚注・巻末注ではなく、随所に散りばめられた象徴的亡霊・幻影たちに括弧つきで簡単な注を入れているのも理解の助けになる。
著者が岩波ブックレットで著した「マクベスを読む」が巻末に収載されているのもうれしい。岩波文庫という一見お堅いメディアで、これだけていねいに初心者にマクベスを解説した本はないのではないか。廉価であることもお得感を増している。
しかし、マクベスのような「ことばのクラスタ」にさらされる芝居を今の子どもたちは本で読むしかないのだろうか。わたしのマクベス諸体験は「俳優座」の神戸文化ホールでの公演であった。やはり、戯曲はまず芝居を観てから読むものであって欲しいのだが、古典のストレートプレイの公演が少なくなっている地方都市では望むべくもない夢なのかもしれないのが残念だ。