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著者紹介
森巣 博
- 略歴
- 〈森巣博〉1948年生まれ。雑誌編集者、記者を経て、75年よりロンドンでカシノ賭博の「常打ち賭人」を目指す。現在オーストラリアを拠点にして、世界中のカシノを巡っている。
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紙の本
楽しめる本ではあるが・・
2010/07/29 00:49
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
(現在は集英社文庫に収められている。)
著者は、「ウィキペディア」によると「1966年都立豊多摩高校卒業後、漫画雑誌編集者や記者を経て、1971年競輪でつくった資金をもとに渡米、1973年帰国、イギリス人の妻と結婚して1975年英国移住。主夫として子育てをしつつカジノで生活費を稼ぐ。博士号取得後にオーストラリアの大学に赴任した妻とともに移住。現在はオーストラリアを本拠地に執筆活動を行っている。」
著者は、「あとがき」において、「話が難しい方向に外れそうである。そしてそれはわたしの本意ではない。まぁ難しいことは言わずに、この本は楽しめた、と読者が思ってくださったら、それは著者の幸甚とするところだ」と述べている。
評者としては「まぁ難しいことは言わずに、この本は楽しめた」とは思ったが、「難しい方向に外れた話」は、整理不足であり、論究が足りないように思う。
著者の貴重な体験をもとに、さらに、「日本人論」「民族論」「日本文化論」についての考究を深められることを期待したい。
紙の本
さまざまな顔を持つ一冊
2001/01/24 21:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちーたま - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説なのかエッセイなのかはたまた文化論か、この書物をどう判断するかは読者それぞれだが、だれもが手放しに面白いという感想を持つだろう。小説として読めばカラフルな登場人物が魅力だし、エッセイとして読めば説得力あるギャンブル論が展開されている。根底に流れ続けて繰り返しあらわれる、国家とはなにか、文化とはなにかという問いかけは、その部分だけ取り出しても著者独自の思想が論理的で小気味良い。あやしげな光を放つ非日常の世界に圧倒されることは間違いない。
紙の本
当たり前の素朴な疑問を毒に感じさせる
2001/05/30 03:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:菅野 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あたりまえの「日本民族という民族はないんだ」というのが、自分的には納得できた。日本にはアイヌ民族とか朝鮮民族とかいるけど、日本民族というものはないという当たり前のことが、これまで、そうは思っていてもあたりまえとは思っていなかったということなのか、当たり前だと思うことが憚られていたのだろうか。
「日本人とは何か」という問いに明確に答えられる人はそんなにいないんじゃないかな。日本人とは何なのかということを定義すること棚上げしたまま語られる日本人論に対しては強烈なカウンターになると思う。
誰もが楽しめるものを「毒にも薬にもならない」と評する場合があるけど、毒は誰にでも効くようにできているもんです。酒とか麻薬とかギャンブルとか、毒が好きな人には面白いんじゃないでしょうか。
紙の本
フィフティ/フィフティ
2001/05/12 01:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石塚雅人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
微妙だ。私には、おもしろいところと、おもしろくないところが合い混ぜになった変な本だった。bk1の本書内容説明に「縦軸にギャンブル、横軸に否〈日本人論〉。オーストラリアの荒野を舞台に乾坤一擲の大勝負がはじまる」とあるが、私がおもしろかったのは「縦軸のギャンブル」で、おもしろくなかったのは「横軸の否〈日本人論〉」だった。
ことに、誰でも知っていることについて、さも自分だけが知っているふうに書くくだりとか(パンドラの箱など)、自分が考えたことじゃないものを、さも自分の発明品のように書くくだり(「乳房=擬尻」説など)は、こんな文章を出していいのか?との感慨は持つよな、普通。もっとも「乳房=擬尻説」は、この人、名前が「モリス」だからなあ。確信的にギャグでやっているということもあるな。とにかく、日本人論みたいなところは底が浅い。つまらない。
逆にギャンブル系の話はすごくいい。知られていない世界を開示してもらうおもしろさをすごく感じるし、話もおもしろい。この話だけでまとめればよかったのに、という残念な本だ。
紙の本
中途半端な日本人論の考察は不要
2001/06/17 06:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:淳 - この投稿者のレビュー一覧を見る
麻雀放浪記に代表される博打物のひとつとして本書を読めば、十分に面白いストーリーが展開されている。本書を通じて著者と運命を供にするヤッちゃん、エム、敵対するギリシャ系の二人組、裏社会に通じ著者の博打の師匠たる中国系のサミーなど登場するキャラクターがユニークで、物語も、小博打を繰り返しながら最後に大勝負、という基本的な路線を踏襲しており、素直に楽しめた。
ところがどうも本書の意図するところはそれほど単純なものではないらしい。適所に「日本人」とは何か? といったずいぶん大上段に構えた命題に対する考察が加えられており、しかもその中身といえば「日本人」論を唱えている研究者に対するツッコミないしはいちゃもんに終始。それほど極端な意見を述べているわけでも無いのだが、このあたりは残念ながら読んでいてあまり共感できる部分は無かった。著者の論理展開も屁理屈の積み重ねとしか読めず、いまひとつ説得力に欠ける。
本書も、よけいなごたくを並べずストレートな博打文学にしてしまえば、もっと評価が高かったのではなかろうか。「話が難しい方向に外れそうである。そしてそれは私の本意ではない。」と著者もあとがきで述べている。読者としての私も同感だ。繰り返しになるが、全編を貫く人生勝負のストーリーに関しては、楽しく読むことができた。
紙の本
このつまらないバリア(境界)が必要なのはいったい誰なのか?
2001/04/08 16:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Joaquin Machos - この投稿者のレビュー一覧を見る
オーストラリアを中心に博打で生計をたてている「日本人」が、「日本人」のヤクザとの出会いをきっかけにして起こるいくつかの型破りな出来事を経験しながら、「日本人とは何か」について考えていくという、読みながらおそろしく元気の出る本。
私たちは普段気づいていないが、日本国内にいる限り、「日本人のように見える」ということは、温かい毛布のようにやさしく守ってくれるバリアに包まれていることだ。しかしそれは、国内にいる「日本人のようには見えない」人を排除する空気を醸成することにつながっている。そしてその空気は、特定しようのない「日本人」という暗黙の了解の幻想を強化し、鋼鉄のバリアとなっている。
著者のように、国家に守られる必要のない者は、そのバリアは非常に息苦しいものでしかない。だから、日本に戻ってきても数日でやることがなくなってしまい、結局すぐに外に出ることになる。このつまらないバリア(境界)が必要なのはいったい誰なのか?
それを著者は、博打に勝つための方法論とカルチュラル・スタディーズの裏事情などを共存させながら説いていく。酒井直樹や西川長夫やベネディクト・アンダーソンらを賞賛とともに引用し、小林紀晴のダメさ加減によって笑いを取る。その他、何人かの知識人がこの野人のような人物に料理されていくのは圧巻だ。
しかし、博打に興味がなくても、「カルチュラル・スタディーズって何?」という人でもまったく問題ない。著者の「無境界」な行動と豪快なウィットに必ず満足することができるだろう。