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商品説明
明治に生を享け、21世紀の今なお詠み続ける歌人・斎藤史が、新聞連載した幻の長編小説。半世紀の時を超え、初の単行本化。表題作のほか「太鼓」を収録。俵万智、水原紫苑のエッセイも収録する。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
過ぎて行く歌 | 5-182 | |
---|---|---|
太鼓 | 183-197 |
著者紹介
斎藤 史
- 略歴
- 〈斎藤史〉1909年東京都生まれ。
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紙の本
力強い生の律動をきざむ小説
2001/03/15 18:15
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投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「三十数年来しばしば私は、この歌人の作から『万葉集』の遺響を聞き取ってきたのである。」かつて大西巨人は『斎藤史全歌集』(大和書房、1977年)の付録栞にこう書いた。
史の歌は、折口信夫の称揚した「女歌」、たとえば、
乳房押え神秘のとばりそと蹴りぬここなる花の紅ぞ濃き(晶子)
のごときいわゆる「たをやめぶり」とはたしかに懸隔する。「ますらをぶり」と、それを称すべきか否か私には不明だが、史の歌に雄渾なひびき、力強い生の律動を、私もまた積年聞き取ってきた。とはいえ、
定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジョルカの花
といったサンボリスム風の作品を鍾愛することにかけては人後に落ちぬつもりである。つまるところ、史の歌の比類ないその振幅に私は惹かれてきたというべきか。だがそれにしても、と思う。
山坂を髪乱れつつ来しからにわれも信濃の願人(ぐわんにん)の姥
この背筋をぴんと伸ばした、凛とした佇まいはどうだろう。私にとってそれは一箇の謎であった。
このたび発掘された史の小説『過ぎて行く歌』を卒読して、その謎に幾分かは得心が行ったような思いがした。戦後間もなくの時期、新聞の小説公募に入選を果たした、この決して器用とはいえない小説にあって、私の心を勁く捉えて離さないのは、史の歌に通底する、ある雄渾なひびき、力強い生の律動にほかならない。
「今の日本の、私達の着物なんて、上着はどうやら形を調えているにしても、下着は人前に出せないものばかり。とても人目にさらせるようなもんじゃない」
主人公・阿佐子の科白に、「今の日本の」という修飾語をあえて書き込まずにいられなかった史の意図が奈辺にあるかは明白だろう。「洗うとすぐ破けちゃう」継ぎ接ぎだらけのスフの下着を恥じることはない。阿佐子は明るく言い放つ。「今度のボーナスにはねえ、ヤミのキャラコか天竺木綿でも二人でねだりましょうよ」
現実をひたむきに見据え、慨嘆でもなく慷慨でもなく、なお前向きに生きて行こうとする阿佐子の姿は、敗戦直後の混乱した社会に生きる人々に向けた史の祷りの象徴でもあったのではないだろうか。
ちなみに斎藤史へのインタビュー集『ひたくれなゐに生きて』(河出書房新社、1998年)に、以下のくだりがある。俵万智の「その後は小説はお書きにならなかったんですか」との問いかけに——
「大西巨人さんが若くて、まだ九州にいた頃に手紙をよこして、林檎小屋にいたときに何か書け、書けと言うのよ。それで短いものをちょっと出したことがある。(略)」
当時、大西巨人が編集に携わっていた雑誌『文化展望』に掲載されたものだろう。その頃、大西さんは処女作『精神の氷点』の執筆に意を傾注していられたはずだ。ふたつの<幻の作品>の、半世紀の時を隔てた、踵を接しての上木を、お二人の作品の多年の愛読者として言祝ぎたい。
なお、本書の担当編集者へのインタビューが、本サイトの<家庭>欄に掲載されている。併せてお読みいただきたい。(bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者 2001.03.16)