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文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版

  • 出版社:青土社
  • サイズ:20cm/427p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7917-5871-4

文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版

斎藤 環 (著)

  • 全体の評価 4.54件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:2,73078pt
  • 発行年月:2001.3
  • 発送可能日:1~3日

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商品説明- 「文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版」

ベイトソン、フロイト−ラカン、マトゥラーナの理論を分裂病や神経症の臨床経験などと重ね合わせ新釈を展開。さらに吉田戦車、D.リンチ等の特異な作家達の描く顔に、人間の本質と文化の現在を読み解く。98年刊の新装版。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介- 「文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版」

斎藤 環

略歴
〈斎藤環〉1961年岩手県生まれ。筑波大学医学専門群環境生態学卒業。医学博士。爽風会佐々木病院医師。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。著書に「社会的ひきこもり」など。

関連キーワード- 「文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版」

ユーザーレビュー- 「文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ 新装版」

全体の評価
4.5
評価内訳 全て(4件)
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3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/02/17 23:38

「記述」の問題

投稿者:nanako17girls(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本を読んで衝撃を受けた。「なんじゃ、こりゃ〜〜〜!!!」という感じだ(松田優作ふうに言うと)例えていうなら、高橋源一郎の「さようならギャングたち」を読んだ感じに似ている。とにかく「あたらしい」という感じだ。何があたらしいかって、そりゃ決まっている。そう、「記述」がだ。「観察対象と理論とが同時多発的に生成する記述」筆者は記述に関してこんなことを書いている。MacOS「ラプソディー」で採用されるはずだった「オープンドッグ」というシステムは、データ処理の作業の重点を、アプリケーションから文書中心のものに近づける。文書中のデータの性質を識別していくものだ。具体的には画像データなら画像ソフト、文書データならワープロソフト。そんな感じだ。つまり、最小限の機能によりPCを起動するのだ。かれが目指した記述はこんな感じだ。これを読んで「あ〜、この人は『理系オタク』だな」と感じた。そして、それは間違いではなかった。本書は「エヴァ」「吉田戦車」「バロウズ」「西原理恵子」「リンチ」「ベイトソン」「ダーガー」etcなど、多岐に渡っている。それをかれ独自の理論で展開している。かれの理論、それは「ラカン」「ベイトソン」「マトゥラーナ」の精神分析を援用して行われる。
 「メルヘン人格」「ファリックガール」「ウイルス性唯物論者」など、どこの専門書にも載っていない用語がバンバン飛び出す。はっきりいって読みやすくない。でも、面白い。これを読んで「ラカン萌え」ならぬ「環萌え」になってしまった。まあ、あたらしもの好きな日本人にはいいのかも?そんなことない?フランスだったらもっと売れる!どうでもいいね、そんなことは。

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2004/01/10 01:26

「顔」とは何か?

投稿者:さいとうゆう(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「単なる人間の頭部」でも、「コミュニケーションのインターフェイス」でもないとすれば、「顔」とはいったい何か。またそれはいったい何を伝達しているのか。

 自分の知己の「顔」は、時間が経てもすぐに認識することができる。その人のもつ〈固有性〉を、われわれはその「顔」を通して手に入れることができる。だがしかし、そこで手に入れられている「顔」の〈固有性〉とはいったいどのようなものか。

《「顔」の認識とは、いかなる意味でも「表象の再現前」ではありえず、むしろその都度一回性を刻印された、生成の過程であるほかはない。》(p.17)

 「顔」による伝達がその〈固有性〉である限り、その顔はパターン化することができない。「似ている顔」というのはありえても、「似ている」がゆえに決定的に埋まらない異質性がそれぞれの「顔」にはっきりと刻印されてしまっている。

《指紋の固有性は、厳密に数量化可能なパターンとして扱いうるが、「顔」の固有性の根拠はパターンにはない。(中略)「顔」の固有性は照合ではなく、直接的な肯定、すなわち確信によってもたらされるからだ。》(p.20)

 われわれは知己の顔がまさしくその人の「顔」であることを、「どんなイメージも介さずに」把握する。それは、ある言語の意味が、まさにある言語〈として〉無媒介に理解されてしまうことに等しく、その意味で「顔」は言語に等しいと言うことができる。

《「顔」に一義的な「意味」はない。それはちょうど、固有名の無意味さに似ている。一切の意味を可能にする、起源としての無意味さ。(中略)個と普遍を媒介する還元不可能な記号、それこそが固有名であり、また「顔」なのである。》(p.24)

 われわれは「名もない顔」に出会うときも、その「顔」の固有性を信じることができる。「顔」は固有名と同様に、あるいはそれ以上の強度で〈固有性〉を伝達する。

《「顔」は「固有性のコンテクスト」を伝達しつつ、みずからは言語のように機能する、きわめて特殊な記号なのである。》(p.27)

 「固有性のコンテクスト」すなわち〈文脈〉は、その存在の「実在性」を保証する連続性である。いま目の前にしている「顔」という一瞬のイメージを、かけがえのない知己の「顔」として同定することを可能にする連続性である。

 精神病において失われているのは「顔」である、と筆者は言う。顔の〈顔性〉、ある「顔」を固有なものとして同定しうる〈文脈〉、ある「顔」を成り立たしめる〈生成過程〉である。

 〈文脈〉それ自体は、決してじかに取り扱うことができない。にも関わらず〈文脈〉に支えられていない「顔」や「言語」はその〈固有性〉を伝えることができない。具体的な「顔」の中には、それが「顔」という具現性を獲得するまでの「生成過程」があるはずだが、「生成過程」それ自体は、「顔」という具現性の結晶化なしには開始されない。

 「顔とは文脈である」という筆者によるテーゼは、そのどちらかが一次的であるという問いを無効にしつつ、確信の成立と文脈による分節化を繰返しながら自らの実在性を主張し続ける。(※ページ数は旧版に拠っています)

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2003/06/19 23:04

顔はコンテクストである。

投稿者:ソネアキラ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

レビューでの禁忌を犯すならば、おもしろかった、予想以上に。と、一行で済んでしまう。

本書は第1部の「文脈の分析」と第2部の「文脈の生成」からなっている。

いきなり冒頭で「世界を顔のように認識すること。より正確には、認識に似た経験を試みること。これが本性で(あるいは本書全体で)私が企画したすべてである」と述べている。そして「顔の哲学を最初に深く基礎づけたものとして」レヴィナスによる「顔論」を展開する。

「人物の名を語ること、それは顔を表現することである」(レヴィナス)

次に、D−G(ドゥルーズ=ガタリ)へ。
「シニフィアンは顔によって可能となる」(D−G)

ムズイでしょ。でも、こう言えばわかるかも。何カ月か前、教育TVで人形作家四谷シモンが人形づくりについて語っていたが、「人形は顔がすべて。顔さえ良くできたらあとはどうでもいい」といったような発言をしていた。人間だって、合致するのではないだろうか。精神科医である作者はそれを「言語の顔」と述べている。つまり「顔」は文脈(コンテクスト)なのであると。

また「顔と名前が一致しない」という言い方や意味するものに対して、コンピュータグラフィックス、モンタージュによる三億円事件の犯人の手配写真、能條純一、谷口ジローの漫画などを題材にして解釈している。

宮崎駿のアニメにも言及しているが、「多くの誤解にさらされている」宮崎アニメを実に鋭い観点から分析している。さらに、相原コージと根本敬と榎本俊二と古谷実となんと大島弓子を同じ診察台に並べて、「妄想」への文脈性を訥々と述べている。

吉田戦車には「分裂病的集大成である『伝染るんです』」は「(不条理)『文学』をやすやすと凌駕している」と絶賛している(まあ、このあたりは凡庸に思えるのだが)。

作者述べるところの「臨床的な視点から作品を記述」したサブカルチャー的楽しさに満ちた第1部から第2部に入ると、かなり難易度が高くなる。

ベイトソンのコミュニケーションの定義に基づけば、「生物種としての人間はコミュニケートしあうことが出来るが、個人としての人間には『コミュニケーション』は不可能である」と。ここでラカンのかの「女は存在しない」「性関係は存在しない」というお言葉を引きながら「ラカンにとってコミュニケーションは、本来的に隠蔽と抑圧の対象でしかありえない」と結んでいる。

前述のベイトソンの後継者的存在が「南米チリの神経生理学者マトゥラーナ」であり、彼とその弟子ヴァレラが構築した、「第三世代のオートポイエーシス(自己創出)理論」を核に第2部は展開している。

オートポイエーシスとは、生命システムのメカニズムで、マトゥラーナらは「カエルの神経システム」をモデルにした。
「(第三世代の)オートポイエーシスシステムとしての神経システムは4つの特徴を持っている。(1)自律性(2)個体性(3)境界の自己決定(4)入力も出力もない」

「『コンテクスト』は、自己言及的な自己生成の作動を通じてあたかも一個の細胞のように充実した実体性のもとに生み出される」

作者が提唱している「臨床の知」とは「理論と臨床の往還によって疲労せず、むしろ活性化される思考を意味」しており、それには「オートポイエーシスの論理」は不可欠のものであると。

コンセプチャルなCDアルバムというよりは、CDシングルを集めたような本だから、作者も書いているように、興味のありそうなところだけを拾い読みしてもいいだろう。

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2001/03/04 13:29

青土社じゃなければ……

投稿者:yuh(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 内容は面白い。視点も具体性のつけかたもシャープだ。ベイトソンの思想を、現代によみがえらせようとする仕事も立派だ。

 でも、惜しむらくは、自分の文章と思考に酔いすぎなところ。言いたいことはわかったから、少し落ち着けよ、という感じ。まあ、その熱さがあるからこそ書けた内容なのかもしれないが……。
 なんか、大学生が書きがちな、興奮して空回りしたレポートみたい(内容はさておき、論の進め方、語り口が)。ポモくさい術語も、使わなけりゃいいようなところで繰り出すのも、うへぇ、って思ってしまう。

 でも、臨床の経験と幅広い視野をもった著者が、新しい領域を切り開こうとするこの本は、一読の価値があると思う。

 編集者が、もっとクールに書かせればよかったのに……。

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