紙の本
文豪・夏目漱石の傑作です!
2021/02/04 09:50
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、明治期の文豪として知られる夏目漱石氏の長編小説です。初出は「東京朝日新聞」及び「大阪朝日新聞」で、「三四郎」の後に書かれ、次の「門」とあわせて三部作とされています。夏目漱石氏自身の予告によれば「三四郎には大学生の事を描たが、この小説にはそれから先の事を書いたからそれからである」ということだそうです。同書では、主人公の代助が30歳を過ぎても親からの仕送りを受けて優雅に暮らしている知識人「高等遊民」として描かれています。かつて親友に譲った三千代と再会して、人妻である彼女との愛を貫く決心をします。愛を代償に社会から葬られる夫婦はどうなるのかといったところが読みどころです。
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漱石は40才を過ぎてから
2020/01/26 17:59
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投稿者:ひさ - この投稿者のレビュー一覧を見る
漱石の面白さに気付いたのは、40才を過ぎてから。急に坊ちゃんを読みたくなって、読んでみたら、声を出して笑ってる自分がいた。
漱石作品は、10才前後でふれたと思うが、そのくらいの年で、漱石の面白さなんか分かるわけなかったのだ。
坊ちゃんを読んで以来、漱石作品をまた読むようになった。そして、今回読んだのは「それから」だった。描写のひとつに登場人物の言葉ひとつに、再度読む喜びがある。
「なぜそれからいらっしゃらなかったの」三千代の言葉に漱石がこめた面白さを見つけた。漱石作品が今なお読まれる理由だろう。
電子書籍
超えてはならない一線を超えた
2019/09/10 19:26
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投稿者:トコトコくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
アバンチュールとは違うかもしれない。夜に駅前の喫茶店で読み終えた。読み終えた瞬間、周囲の音が蘇って、喫茶店にいたことを思い出した。
没頭して読めます。
当時の時代背景や常識感覚が今とは違うとしても、超えてはいけない一線を越えるということがどれだけ凄まじいことなのか、強く迫られるものを感じてしまった。
『こころ』に並ぶ名作中の名作。夏目漱石という人の凄さを改めて感じました。
読み終えたのが夜で良かった。今日は何も手がつかなくなりそうです。疲れました。
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不決断の苦しみ
2002/07/26 22:43
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投稿者:HRKN - この投稿者のレビュー一覧を見る
全く他人事ではない。「不義」の部分ではなく「高等遊民」的な部分が、だ。私も身に覚えがある。現代と、本作が書かれた当時の時代背景とは違うにしろ、世の流れは大して変っていないようで愕然とする。代助の心情に近いものを持つ若者は、今も多いのではないか。結末は全く“それから?”だったが、私も代助の心情は理解できてしまった。ある意味つらい事実だ。
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二転三転するパワーバランス
2021/06/12 00:18
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代は優秀だったはずの代助が、なぜ高等遊民になったのか気になります。エリート街道から転げ落ちた平岡との再会から、終盤での逆転劇も痛快でした。
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今以上に不倫がタブー視されていた時代、親の援助によって優雅に暮らす青年が、旧友の妻に惹かれていく。話が進むにつれ主人公の気持ちは大きく揺れ動き、そして結末には何ともいえない空虚感に苛まれてしまった。また、「三四郎」「それから」「門」と三部作になっているうちの一つ。
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主人公の代助は友人の妻と不倫関係になってしまうという話。おまけに代助の父親、兄貴は実業家で金持ちなものだから、代助は、働きもせずに、身内の者に生活の援助をしてもらっている。
現実の社会から一歩ひいた位置から自分の持論を展開しているが、いざ、現実の社会に出てしまったら、なにもできない。客観的に見て、全然ダメ人間。
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誰かあわただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎板下駄が空から、ぶら下がっていた。けれども、その俎板下駄は、足音の遠のくのに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして目がさめた。
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三部作の中では一番刺激が強いように思う。あと内容的に古く感じ無いのは主人公がニートだからだと思った。人の心はいつの時代も一緒?女のほうが度胸があるよね。
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最後の赤の描写が印象的。
結婚やら家やら不倫やら。この時代の観念は今に通じている。
漱石は不倫をどう考えていたのだろう。最後の主人公の境遇を考えたら憎んでいたのだろうか。
それともこれは必然なのだろうか。
なんにせよ読みごたえありました。めっちゃ時間がかかった一冊でした。
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社会の掟に背いて友人の妻に恋慕をよせる主人公の苦悶は、明治40年代の知識人の肖像でもある。三角関係を通して追求したのは、分裂と破綻を約束された愛の運命というテーマであった。
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とても漱石らしい感じのした話でした。
主人公の代助が颯爽と登場する冒頭は、なんとも滑稽でちょっと微笑んでしまうような感じだったのに、三千代に対する思いを自分で改めて認識してからは、とても痛々しくて哀れだった。
まぁ、金持ちの坊ちゃんで、その割に変な理屈を捏ねるちょっと変わった人物ですが、この小説を読むと、無職の主人公でも好感がもてる。
家族に勘当され、友人とも絶交されてでも、愛を貫き通そうとするには、昔も今も変わらないんだな~って思う。
二人がやっとお互いの気持ちを分かり合えたのに、3年の間で作り上げた障害はとても大きすぎるだけに、二人の愛は昔以上に深まってるような気がする。
3年前、平岡に本当の代助の気持ちを言って三千代と結婚してたら、そうではなかったかもしれないんじゃないか。とも思うけど。。。
この二人は、その後どうなるのだろう。。。。
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何度目の読了になるかなぁ?
漱石好きの当方ですが、結果的に中でもお気に入りの一冊ということかも。
非常に抑制の効いた文章でもって所謂姦通を描いている。
エンディングや途中の水差しの水を飲む場面など、そこかしこで揺らぐ場面が満載。
今の作家では書けなく、かつ、今でも十二分に読み応えある作品。
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主人公の代助は、当時の知識人を反映した姿である。自分を見失って血眼になって金を稼ぐ事業家を馬鹿にする、高尚な趣味を嗜む学のある人間だ。平岡夫婦ともども仲の通じあっている代助は夫婦の仲違いを機に、親が奨める結婚相手を断り、家族や友人の縁を切ってまでも、彼は平岡から三千代を貰おうと談判する。
前作の『三四郎』の主人公と美禰子(みねこ)の関係は、いまだそれぞれが観察・注意しあう間接的当事者ともいうべき関係に終始していたので深刻な色は帯びてない。しかしこれが『それから』になると、「家=父=世間」を背にして、登場人物が恋仲を推し進めるような関係になる。その極まった人間が後期三部作の「こころ」に登場する、他人をも自分をも信じることができずに苦悩する先生であり、自由を求める心が行き着いた先は、エゴイズムによる不信に陥っての自死だった。
男女の在り方の理想像へと歩む恋愛観と、封建的な世界との葛藤を、縮図として作品化したものが「それから」である。これは西欧から輸入した、男女の「自由恋愛」と、日本の家父長的な「強制結婚」や「血縁主義」との対立とその葛藤を普遍化した構図だが、正直、登場人物たちが背負っている伝統的しがらみは、「自由恋愛」が当たり前のようになった今日の人間からすると実感しにくい。また当時は、反動的なシガラミに圧倒されていただろうから、同時代の読者はどのように受けとめたのだろう。
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漱石らしいとても歯切れのいい文体が気持ちよくて、主人公の代助の、現代で言えばニートな身分でありながらインテリで偉そうな思考回路がおかしくてところどころ笑いながら読みました。前半は。
後半は、代助がどんどん追いつめられていく様子がちょっと痛々しい。自業自得なんだけど。
どんなに頭がよくても感情(特に恋愛感情)はなかなか制御できない。それなのにそこに理屈をくっつけようとして余計苦しんで…漱石の重い小説にはこういう主人公が多い気がします。
ぼんやりした終わり方がかえって印象的でした。
漱石の比喩表現は見事ですね。さすが文豪、と惚れ惚れしました。