紙の本
努力するということ
2004/12/03 00:09
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投稿者:胸騒ぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人が生まれながら背負う宿命に翻弄されているとしたら、努力はたったひとつだけ運命に対抗しうる事の出来る方法ではないでしょうか。その努力するという事すら運命といってしまえばそれまでかもしれません。けれど、私は努力にそれ以上の価値も込められていると思います。
生きるという事実だけで、人は生きてはいけません。特に今は「生きる意味とは何か…」という問いの答えに渇いているように思います。その答えは誰一人として合致する物ではありませんし、決して本から得られる物ではありません。
幸田露伴の努力論はかなり意義のある一石を投じた人ではないかと思えます。特に「運命と人力と」という章は目から鱗ものです。
文体は現代からみると若干難しい仮名使いという事はありますが、理解できる所だけかいつまんでも伝えたい内容は染みてくるように思います。現に私がそうですし。これは日本語の職人、幸田露伴の真骨頂なのではないでしょうか。
努力なんて堅苦しくて、誰もが知っている言葉だからこそ、その持っている価値や意味をもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
紙の本
序文だけでも
2023/03/30 17:45
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
意に染まないことをしたがらない
自分の気持ちを無理やり捻じ伏せて
頑張っているようなのヮ、大露伴によると、
努力のあるべき姿でヮないそうです。
じゃあどんなのが努力なのかというと、
頑張っているとも、もっと頑張ろうとも、
思っていないのに、自分のやっていることが
既に努力になっている、という境地こそが
目指すべき努力の在り方なのだと。
ううむ。
何とか目指したいですねえ。
紙の本
『こっくべんれい』は、いいこと!
2018/09/17 16:54
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文字通り、努力する事の大切さを様々な視点から論じた本です。明治文語体の文章と比較的難解な漢字に幾らかは辟易としますが、何とかこらえて読み切りましょう!読後感の満足は得られます。
幸田露伴って、こんな論述書も著していたんですね。自分の浅学さを思い知りました。
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06/4/13L 4/14〜4/22
「惜福、分福、植福」や「修学の四標的」などはいいこと言っているなぁと感じた。最後のほうはちょっと難しかった。
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努力:直接の努力(当面の努力)、間接の努力(準備の努力)/ 努力という事が人の進んで止むことを知らぬ性の本然 / 努力の結果が佳良ならざると
き:努力の方向が悪い、間接の努力が欠けている / 努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の良いものである。⇒愛か捨の体得が必要 / 進んで自ら運命を造るべきのみである。是の如き気象を英雄的気象といい、是の如きの気象を有して、終にこれを事実になし得るものを英雄という / 成功者は自己の力として運命を解釈し、失敗者は運命の力として自己を解釈して居る。…両様の見解を併合する時は全部の真となるのではなかろうか。…成功者は運命の側を忘れ、失敗者は個人の側を忘れ、各一方に偏した観察をなして居るのである / 時計の針の進行が即ち運命である / 自らを責める⇒自己の欠陥を補い行く⇒成功者の資格を得る、自らを責める⇒他の同情を惹く⇒自己の事業を成功に近づける / 自己の掌より紅血を滴らすか、滑沢柔軟のもののみを握るか。この二つは、明らかに人力と運命との関係の良否を語る所の目安である / 教には着手の処の不明なものなぞがあるべき訳はない。(高邁な教でも着手の処が不明なら、教える側が「ある程度に達していない」ということ)/ 教が一場の座談になる傾向がないか。聞く側も籠耳で終わる傾向にないか。/ 着手の処、着手の処と逼り詰めて学ぶのでなくては、百日過ぎてもまだ講堂の内に入らぬのである、一年経ても実践の域に進まぬのである。…着手の処、着手の処と逼り詰めて、人々各自がその志す所の道程においてある点を認め出した方が妙味があるであろう。汝、脚あり、汝、歩むべし、汝、手あり、汝、捉るべしである。/ 新しい自己を造り得ない道理があってではなくて、新しい好い自己を造るに適しないことを為して歳月を送ったから / 同じ貨幣は同じ価値を有するの道理である / 同一の自己=同一の運命=同一の状態=繰り返しで活力が減る=幸福を得ざるのみならず、幸福を得べき予想さえ為し能わざるに至ってしまう / 他によって自己を新にする方が、自己によって自己を新にする難行よりやり易い。我流で碁が強くなる望みはうすい / 他力によって自己を造る道の最も重要な点は、自分は自分の身を寄せて居るところの人の一部分同様であるという感じを常に存する事なのであって、決して生賢しい智慧やなんぞを出したり、自己のために小利益を私しせんとする意を起こしたりなんぞしてはならぬのである。他人によって自己を新になそうとしたらば、昨日の自己は捨ててしまわねばならぬ / 化石的自己、蓬的自己 / 自己を新たにする方法は、新にせねばならぬと信ずるところの旧いものを一刀の下に斬って捨てて、余ゲツを存せしめざること / 今までの習慣でも思想でも何でも悪い旧いものは総べて棄てなければならぬ / 従来と反対な結果が得たくば、従来と反対な原因を播くがよい / 太上は徳を立て、その次は功を立て、またその次は言を立つる / 惜福:福を使い尽し取り尽してしまわない。倹約ではなく、冥々たり茫々たる運命に預け置き積み置く / 幸運の調子に乗ってしまうのは、福を惜まぬこと / 分福:自己の得るところの福を他人に分かち与える / 動物になく人にのみあり得ること「物に��らざるも心に足りて、慾に充たざるも情に充ちて甘んずる」 / 福を惜しむ工夫をしない人は、人の下で愛重されず、福を分つ工夫が乏しい人は、人の上として信頼されない / 分福の工夫の欠けた人は自己の手脚のみを頼るわけで、人の力によって福を得ることは少ない / 植福:我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や知識を寄与する / 有福は祖先の庇陰=尊むべきところなし、惜福=やや尚ぶべし、分福=いよいよ尚ぶべし、福を植うる=真に敬愛すべき人たり / 福を有する人はあるいは福を失うことあらん。福を惜しむひとはけだし福を保つを得ん。能く福を分つ人はけだし福を致すを得ん。福を植うる人に至っては即ち福を造るのである / 奮闘=仮想の敵、努力=自己の最良を尽くすことで、より高大、中正、明白 / 嗜好=苦しいことを忘れ、厭う感情もなく、意思と感情が平行線的、同一線上に働く、努力=意思と感情が対立する場合も意識の火を燃え立たせて感情の水に負けぬように為し、そして熱して熱して已まぬをいう⇒意識が感情を上回るのが努力 / 努力の堆積 / 努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。/ 教育の標的:1)正=中正公明、学問の道もおのずから大門があり正道がある。書を読んでいまだ万巻に達せず、識いまだ古今を照らすに及ばざるほどの力量分際。反対は「人の知らざるを知り得、人の思わざるに思い至り、人の為さざるを為し了せんとする傾」。2)大=力めて限界を拡大し、心境を開拓し、智を広くし識を多くし、自ら自己を大になさんことを欲せなければならぬ。人学べば即ち漸く大、学ばざれば即ち永く小。大は広の意味を含む。眼も大、胆も大ならねばならぬ。3)精=粗の対照。ゾンザイならざるもの。一事が万事。4)深=人力に限りある故に、深を標的とする場合は自ら限られたる場合でなければならぬ。専攻部面にのみこれを求むべき。人々個々によりて予め考えねばならぬ。予め自ら選択するところがなければならぬ。「ただ大なるを勉めて深きを勉めなければ、浅薄となる嫌がある。ただ精なるを勉めて深きを勉めなければ、渋滞拘泥のおそれがある。ただ正なるを勉めて深なるを勉めなければ、迂闊にして奇奥なるところなきに至る。」/ 志はまず高く、それから固く / 性格がその志に適応しなければ駄目 / 性格には高い人、中位、低い人がある / むやみに最大範囲における最高級に達することを欲せず、比較的狭い範囲内において志を立てて最高位を得んことを欲したならば、平凡の人でも知らず識らず世に対して深大なる貢献をなし得るであろう / 性癖は如何とも為し難いにせよ、人はなるべく「やわらかみ」と「あたたかみ」とを有したいものである。助長の作用を為して剋殺の作用を為したくないものである / 気が凝ったり気が散ったり過ごすのが凡人 / 少年は純気⇒長ずるにつれ凝り出す⇒内慾盛ん、外物外境を追随するに至る。駁気 / 駁雑不純が凡庸の常 / 散る気の習の付いて居る人は、瞳がその舎を守らない(チラチラ動くか、沈んで動きが鈍くなり気のみ忙しく動く)、耳がその円を保たない(聴きはずす)、血行がよろしくない / 気が凝れば脳に充血し、気が散れば脳は��血する / 心を治め意を固くして、思うべきところを思い、為すべきところを為さんと決定し決行する / 詰らぬ事さえ全気全念を以て打対わるる健全純善の気の習 / 血を以て気を率いる勿れ、気を以て血を率いよ、気を以て心を率いる勿れ、心を以て気を率いよ、心を以て神を率いる勿れ、神を以て心を率いよ / 世に「時間」というものの存在する以上は、同一の物というものは実は存在せぬ / 努力は「力めて気を張る」のであり、気の張りは「おのずからに努力を生ずる」。不自然と自然の差、結果を求めるのと原因となるのとの差。/ わが打対うところにわが心の一ぱいになる気合 / 全幅の精神を以て事に当り務を執ることの大敵は散る気、弛む気の習癖 / たかぶる気も張る気の子気として生ずる / 張る=心が一ぱいに充ちて居る、凝る=気が注潜埋没してしまう / 張る気の起って来るところ:1)「我と我が信との一致の自覚」。信は意と情と智との融和の上に立つの信を上品とする、2)意の料簡、3)情の感激、4)智の光輝、5)美術、音楽等からの共鳴作用 / 真面目に張る気を積み積みして、終に澄む気を保つに至る。澄む気を養い得て已まざれば、終に冴ゆる気に至る。/ 凝る気は、ただ熟するという事があって更に進むという事がない / 人の朝の気は実に張っている。天地の陽性の気に影響されて然る / 昧爽より午に至るまでの気象、人須らくその気象を体得して生を遂ぐべしである。世界は生々の気に張られて居るのである。天数、人事、人寿、この三者を考察して、張る気を持続せよ。ただそれ能く日において張り得よ、夜において善く弛まん。ただそれ生において張り得よ、死において善く弛まん。進潮退潮、潮よく動いて海長えに清く、春季秋季、季よく移って年永く豊かならんである。
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人生で初めて、2万字の論文を書いた本。しかも大学一年で。PCのどこかにデータで残っていると思うのだが、絶対に読み返したくない。気持ちが「張る」と「凝る」では、全然違うのだ、というお話だったと思う。
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読了出来ず・・
わからない語句や漢字が出てくると、
その都度調べてまた読み始めるので時間がかかる。
今回は途中で諦めたけど、余裕が出来たらまた必ず挑戦しよう☆
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齋藤孝の現代語訳『幸田露伴『努力論』小さな努力で「人生の幸福」を増やす方法』がよかったので原文に当たってみたくなり本書を手にした。難しい四字熟語や見慣れない漢字で最初は読みづらかったが、徐々に読めるようになった。努力というよりも前向きに生きるための考え方を示している。中野孝次が解説しているように、人と社会が幸福になるための書。うつ病のどん底にいる人は読むべきではない(読めないだろうし)が、少し気持ちが上向いたら、読んでみるといいかもしれない。
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努力論という題ではあるが、その中身は修身の目標であったり自己の革新であったり、惜福分福植福の幸福論であったりと非常に多岐な話題である。
「努力している、もしくは努力せんとしている、ということを忘れていて、我がなせることをおのずからなる努力であってほしい」は納得の一言である。
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努力が徒労に思えてならないとき
POINT
努力は大事だが、目標・計画を明確にしないと意味がない
自己満足的な努力ではなく、世の中のための努力が重要
努力していることを意識せず行動することが、究極の努力である
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文語の勉強のために読んでみました。書いてある内容はそんなにむずかしいことではないのに、言葉に馴染みが無さ過ぎるので読むのに苦労した。
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他の自己啓発本で推薦させていたこともあって手にとってみたが、初めはその文章の難解さにかなり手こずった。この本に書かれている「努力していることを自ら感じない」自分になる方法は、自分が無意識にでもやってしまうこと、没頭できることを見つけ、それをやり続けることだと思うが、いかがだろうか。
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人生の明暗、幸不幸を多角的に検討し、心がけ次第で人生を肯定的に生きられるという幸田露伴の考え方。運命は自ら作るものであり、よい方向にするためには努力が必要。ただし、目標・計画を明確にしないと、単なる努力は不純なものでしかない。自らのありようを捉え直し、生きる力になる努力とは何かを知ることができる一冊。
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努力には直接の努力と間接の努力があり、「努力しても結果が出ない」のは間接の努力(準備)が足りないから。
間接の努力として、自己の革新、福の惜・分・植、着手の処、最高志望、散る気の阻害、張る気の持続が大切。
とてもよい本です。
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努力論というよりも心の持ち方について書かれている。僕の今の頭ではその内容のすべてを理解することはできない。何度も読み返したい一冊です。