- 出版社:朝日新聞社
- サイズ:19cm/213p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-02-257667-7
小説修業
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- 税込価格:1,680円(48pt)
- 発行年月:2001.10
- 発送可能日:7~21日
- 本
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商品説明- 「小説修業」
いま、なにを考え、どのように小説を書けばいいのだろう? ふたりの現役作家が生と死、科学と哲学、百年前の小説とこれからの小説をとことん問いかけ合う往復書簡。『一冊の本』連載をまとめる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介- 「小説修業」
小島 信夫
- 略歴
- 〈小島〉1915年岐阜県生まれ。東京大学文学部英文学科卒業。作家。著書に「抱擁家族」など。
〈保坂〉1956年山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。作家。著書に「この人の閾」など。
関連キーワード- 「小説修業」
ユーザーレビュー- 「小説修業」
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/06/08 02:45
小説に未来はある−−と信じたい。
投稿者:悠々楽園(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
面白かった。面白すぎてあっという間に読んでしまって、快感という点では、たとえば村上春樹のエッセイを読んでいる時間の幸福感に似ていた。
この本は、保坂和志と、保坂が「先生」と呼ぶ小島信夫との往復書簡という体裁の小説論であり、小島信夫論にほかならない。小説家・保坂和志がなぜ小島と小島作品を敬愛するのか、その理由を丁寧に説明することを軸に「小説の危機と可能性」を明らかにしようとしている。読者はまた、小島信夫という作家の特異性と重要性に(おそらく初めて)気づかされることにもなる。逆のやりとりもあるが、元々これは保坂のたくらみだったし、小島信夫にはそうした頓着はいつもあまりないのだ。
自作品に対しても放任主義的な距離感を持つ小島は、かなり一方的な保坂の話にも丁寧に耳を傾け、「小島信夫」を材料に、むしろ生徒のような態度で小説についての考えを披瀝してはいる。
というわけで、題名どおり、小説に対しては二人とも修業者である。二人の関係は対等だと何度も書かれているが、やはり小島が師もしくは兄弟子ということではあるのだろう。小島には修業を重ねた末に高みに到達した高僧のような自由さが感じられる。一方、保坂はこれから書く未来の小説に向けた意気込みやもがきがある。昨年(2006年)12月に小島信夫が亡くなった時には保坂も弔辞を読んだはずだが、ショックは大きかったろうと思う。私もこの本を読んで小島という作家が一気に身近に感じられて、ひどく残念な思いが募っている。謹んでご冥福をお祈りします。
この二人の作家−−小島信夫と保坂和志−−の小説を、ただ「面白いか?」と問われれば、「村上春樹の小説を読むことに比べれば、はるかに面白くないと思う」と答えるだろう。しかしながら、小説はただ単に読者を面白がらせるためにだけ書かれるのでも、幸福な時間を読者に提供するためだけに書かれるのでもない。面白さにも色々ある。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2008/03/09 22:33
その都度、立ち現れる
投稿者:kc1027(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「私が生まれる前から宇宙はあり、私が死んだ後も時間は流れ続ける」
これは保坂さんが自然科学の本を読むようになってからはじめて
考えたことらしい。小島信夫さんが亡くなられた後も時間は流れ続けて
いて、この往復書簡は読まれるたびにどこかで響き合っている。
二人の人間がいて、それぞれがそれぞれの脳で言葉を紡ぎ合っているのが
この本で、だからといって「巨大な知性が激突」しているわけでもなく、
「柔らかな感性が融合」しているとも言い切れず、解き放たれる言葉が
お互いの世界を了解する能力で持って響き合っている、ただそれだけで
それ以上でも以下でもなく、意味づけすることが出来ないのできっと
もう1回読んだらまたそれなりに楽しめるだろう。
楽しめるだろう、という感覚が残っているだけで、実は何が書いて
あったのかどっちがどういうことを言っていたのかそれなりのフレーズも
覚えていないのだけれど、作者がこの世にいてもあの世にいても、
このテキストは読まれるたびに読者を含めた三者間で響き合うことと思う。
それは常に、どこにもない世界がその都度立ち現れてくるということで、
そういうことが起こるのは、小説という枠組みはなかなか死なないことの
示唆のようで、冒頭の保坂さんの文章の、宇宙とか時間という部分と
小説というものは並列的に語られてもそれほど傲慢ではないような
気がしています。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2004/02/28 17:56
いったんツボに嵌ると小島さんの文章は、もうダメだ。べつに人前でニヤけててもいいと思うのだが、それは社会が許さない。別に許してもらわなくてもいいのだが、まあ、やめておくことにする。
投稿者:すなねずみ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
折に触れて、どこか適当なページをあけてみて、そこから、ほんのちょっとだけ読んでみる、というようなことをしてみるのに適した本なのかもしれない。脈絡が欠けている、といったりすると、それはそれで「システム」のようなものに絡め取られてしまっていて、それがつまり「資本主義」という「システム」のことなのだと、きっとドゥルーズとガタリが書いていることを俗流お手軽流に思い込んでしまっている僕は思う。自閉している、というふうに言われるかもしれないけれども、この方向(方向感覚はないのだが)にこそ、「自由」としか呼ぶことのできないようなものがあると、言ってしまいたい。あとで後悔するのかもしれないが。それでもいい。
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たとえば、岡崎京子さんは『ぼくたちは何だかすべてを忘れてしまうね』のなかで『恋愛のディスクール』のなかの<待機>のフィギュールについての文章を引用しているけれども、同じく『恋愛のディスクール』のなかにある老子の言葉を引用してみるなら「この闇を暗くすること、そこに、あらゆる奇跡への入口がある」(道徳経)ということに近いような事態か。
かつてこんなふうな方向に進んでいたような気配が記憶のなかに微かに残っていて、それはもちろん今とは違うはずだが、小島さんの文章に力を与えられて、それは保坂さんの文章から受けたものとは違っているから、ある種の「閾値」のようなものを越えることができかけているように思わせるものが、小島さんの文章のなかにはあるように思う。
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高橋源一郎さんの文章は、ある意味でとても「子ども」を感じさせるもので、小島信夫さんの文章は、ある意味でとても「老人(ボケた)」を感じさせるものだけれど(今の僕にとって)、しかし、「人は年をとるに連れて子どもに戻っていく」などというのはいかにもウソくさくてやっていられないし、そもそも作家にとって文章というのは「大人」でなくてはならないのだと思う。それは「現実」と言い換えてもいいもののようにも思える。そんなふうに思えばこそ、ブロンテの『嵐が丘』を読むことが、辛くなくなってきている自分を発見して、一喝くらわされたような心持である。最後に保坂さんの文章を。
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2002/07/01 20:51
『戦争と平和』と『特性のない男』
投稿者:白井道也(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
もともと特異な小説を書くふたりだから、交わされる小説談義もまともなものではないだろう、とは予想していたけど、何と言うか、師弟が仲良く駄弁ってるって感じだね。これを読んだからといって“小説”の何たるかについてのヒントが与えられるわけではないけれど、とりあえず『戦争と平和』と『特性のない男』は読もうかな、という気にはなった。保坂と小島の小説をまったく読んだことが無い、という人にはなにも訴えない本だと思う。



