紙の本
食べられるものと、食べるものの違い
2008/01/20 11:21
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
文庫版は2001年だが、刊行は1988年。もし文中のデータに年代がとくに書かれていないものがあれば、頭の中で20年くらい差し引いて考えて読むのが無難かと思う。
生物学的観点からは人間の食用にできるものの多くを、伝統や文化的な考えから拒絶して食事の幅をせばめている人間についてまず考察し、なぜ人間は肉を好むか、ヒンドゥー教徒にとって牛はどう神様なのか、豚はおぞましいか、馬は乗るものか食べるものか…といったことを章に分けて書き進める。
牛に関しては他の文化圏が想像しがちな「神様としてあがめる」といった単純な面ではなく、牽引動物として使役し、病没後または不要になった場合は宗教や法的に問題のないルート(他宗教)を通じて市場に出ること、そしてそれらのサイクルがインドの現状(少なくとも執筆当時)に適合していることなどがあげられている。
アメリカとイギリスには馬肉食の文化が定着したことはなく、ヨーロッパの国々ではその流行に浮き沈みがあった。このあたりは別の章で語られるペットか食欲かの問題も大きくからんでいる。
ほかに、牛肉の章、乳糖不耐症について書かれた章と、昆虫栄養学、人肉食の原価計算などの構成。
食べるものと食べられるものは異なる。頭ではわかっていても、実践はおろか考えることすら拒否したくなる場合もある。だが、ほんの少しでも相手のことを知りたいと思うなら、食文化は人間の根源であり、避けてはならない問題だと感じる。
日本の調査捕鯨船に環境団体の人が乗りこんだというニュースがあった。どんな事情があっても勝手に乗りこんだら犯罪だが、自分たちに正義があり相手が野蛮人だと思っている側には理屈はなかなか通用しない。相手に鯨を食べろと強制するわけにはいかないが、鯨の味を知っている人たちは別に野蛮人ではない。その可能性だけでも知ってもらえたら争いは減るように思う。
わたしが見たテレビ番組で、日本の女優さんが、どこかの国で土から掘り出したばかりの芋虫(現地の人にとってはタンパク源)を、談笑しながら笑顔で食べていた。別番組の同じようなシチュエーションで、別の女優さんは口に入れてからキャーとふざけ、返してしまった。口に入れられるだけでもすごいと思うが、前者の方をほんとうに尊敬した。
食文化に関しては、言語についで(または同等に近く)、支配的な力関係の影響が出やすい。押しつけや排除のないよう、おたがいに尊重しあっていくことができたらよいと考える。
良書ではあるが、やはり昆虫栄養学や人肉食など、読むのがつらい面があったことを付記し、☆4つ。
投稿元:
レビューを見る
なぜ牛を食べてはいけないのか、なぜ豚を食べてはいけないのか
その理由は「宗教で決められているから」というあいまいなものではなく、「その地域の気候や文化にとって効率が悪いから」というひどく合理的な理由に基づくものであった。
目から鱗の一作
投稿元:
レビューを見る
食べる食べないを決めるのは、その土地に合うか合わないか、効率がいいか悪いか、そんなもんだってことよね。
投稿元:
レビューを見る
様々な食文化を合理性・経済性という観点から捉え直す。
文化人類学の書物としては異色らしいが、その論理にあまり
無理は感じられなかったと思う。
『人肉食の原価計算』という章は刺激的であり、アステカ文明でのカニバリズムが質の高い動物性蛋白の欠乏が原因であると論じている。
生きる為なら、僕らは何でもしてしまうということか。それが本来の人間的な姿なのか、人間的なものというのは一個人のように姿を変えてしまうものなのか。
※仏教では動物の殺生は禁止されているが、自分が殺した動物でなければ、食べることは許されている 何だかんだ抜け道がある。
投稿元:
レビューを見る
今や世界中で見られる食肉への憧れと、変わらずに続く宗教による禁忌。
これらの成り立ちには、“宗教”ではなく“環境”が深く関っていた。人間は今いる環境で生き残るため、その為に禁忌をつくり宗教をつくり、そして生きてきたのだ。
投稿元:
レビューを見る
異端の文化人類学者ハリス。
食文化をコストとベネフィットから読み解いていく本書は、とても新鮮な内容であった。
投稿元:
レビューを見る
初めて読むと顔をしかめたくなる部分もあるかもしれないが、偏見やプライドを捨てて読むとなるほどと思える本。
投稿元:
レビューを見る
人肉を食べてみたくなる小説・・・などと書いたら猟奇犯罪予備軍のように扱われてしまうだろう。○川○政のようなことをするつもりは毛頭ない。単に、様々な食文化に触れてみたいと思っただけだ。
食べることは、人間の三大欲求などと言われる「食欲・睡眠欲・性欲」の一つを占める基本的なもの。物覚えがついた時から空気のごとく存在する「食べる」ということに疑問を抱くことはそうそうないし、各国の食文化についても同様だった。
宗教上の理由で牛なり豚が食べられないと聞けば「俺には我慢できないなxあ」としか思わないし、虫や犬を食べると聞けば「勇気出して食ったらおいしいかも」としか思わない。人肉は流石に御免蒙るが、餓死か食うかという窮地に立たされたらどうするだろうか。
もちろん、世界中にある、見る人が見れば奇妙に映る食文化や食のタブーは、多くは実際上の理由から生まれたものだろう。この各地の食文化の根底にある理由を解き明かしていくのが、この本のテーマとなっている。
論拠に多くの推測が入っていたり、訳者あとがきが異様に宗教(悪い意味で)臭かったりと、胡散臭さ満載の本ではあるが、各地で長い年月をかけて、その風土・気候に合った合理的な食文化が形成されてきたことには深く感動した。
今は過度な贅沢さえしなければ大抵のものを腹いっぱい詰めることができる環境に身を置いている。(もちろん、国によっては最低限の栄養すら摂取できない人が多くいるような国・地域もある。インドでは国民の三分の一が1日100円以下の生活をしており、富裕層は逆に残飯が多すぎて社会問題となっているのだとか。でも、それはそれとして。 )地球規模の環境問題にでも眼を向けない限り、牛を控えよう豚を控えようなどとはそうそう思わない。せいぜい、野菜もしっかり採ろう!程度しか考えていなかった。
漠然とあるものをバクバク食べるよりも、食の合理性という視点から食べるものを吟味した方が案外楽しくなるのかもしれない。
なお、一章からしばらく肉を絶賛してる感はあるが、こんなんだから米国は肥満が社会問題になってんじゃねえかと疑いの目を向けてしまうし、イスラム教に書かれている文からは、こんなんだから飛行機ぶち込まれるんじゃないかと思ってしまう。先に書いた通り、「これ本当なの?」という疑問が浮かばざるを得ない本ではあるが、それはそれで面白かった。
投稿元:
レビューを見る
読了せず。
読み始めたところから、なんというか学問的ではない見地のような違和感があり……。
あくまでも個人的な感想だけど、非常に著者の主観が強い気がする。なので文化の多様性を楽しむという本ではなかったように思う。
肉のハレの日っぷりとか、地域による適した動物の扱いなど面白い点は多々あれど、読み終わらなかった。
著者は1927年生まれ。書かれた時代もあるんだろうなぁ……。
投稿元:
レビューを見る
異端の文化人類学者だということだが、食文化は、感性の問題ではなく、コストとベネフィットで説明できるものであるとの姿勢で古今東西の食文化を解説していく様は刺激的で好奇心をくすぐるし、納得できる。つまりは、優劣とかセンスの問題ではなく、環境による選択の結果なのである。
投稿元:
レビューを見る
実際は途中で読むのを断念してしまった…。
タイトルを見て購入したのだが、目次がこんな内容:
・肉がほしい
・牛は神様
・おぞましき豚
・馬は乗るものか、食べるものか
・牛肉出世物語
・ミルクゴクゴク派と飲むとゴロゴロ派
・昆虫栄養学
・ペットに食欲を感じるとき
・人肉食の原価計算
牛乳等の乳製品に関しては、アジア系はそもそも接種する必要がないのだ、という内容を以前別の本で読んだことがあり、そんなものかなぁとも思ったり。その辺まで読んで、ちょっとギブアップです。
投稿元:
レビューを見る
イスラム教徒がなぜ豚を食べないか、ヒンドゥー教徒はなぜ牛を食べないのか、昆虫食がなぜあるのか、をコストとベネフィットから解いていく。豚は乾燥した地域では生きられない、牛はその肉を得るのに10倍ものカロリーを必要とし、人口密度の高いインドでは肉として養うことができず、むしろ労働力として価値があるため、食べないのだ、というのはなんとなく納得。筆者の考えであって、検証を伴っているわけではなさそうだが、なるほど、と思えることも多数あり、面白かった。
投稿元:
レビューを見る
日本にいると食の禁忌とは無縁だと思いがちだが、そうではない。人前で昆虫や幼虫を食べようものなら距離を取られることは間違いないし、犬猫だったら止められるかもしれない。例え自分の身体の一部であったとしても、人肉だとしたら通報されるだろう。
それらを何故食べないかという問いに対する一番簡単な答えは「食べるのに適していないから」となるが、この考え方をちょっと広げてみるだけで、世の中の見え方は変えられる。
すなわち、牛や豚が食べられない文化ではそれが「食べるのに適していないから」であり、虫や人肉が食べられる文化ではそれが「食べるのに適していたから」ということだ。
『ヤバい経済学』で学んだように語ると、食の選択はそれぞれの文化におけるインセンティブの結果ということになる。
具体的には、栽培土壌、人口密度、哺乳類分布、栄養価、採取コスト、生活様式などなど。社会に関わる全ての要素を計算に含める必要がある。
例えばヒンズー教における牛の神性。湿潤な泥濘地帯でも乾燥した草原地帯でも生活でき、馬より低燃費で人が食べない草やワラで成長し、ミルクまで生産可能な牛はインドに限らず多くの地域において飼育される。
だが、ことインドにおいては食用としての数を維持するだけの環境に不足した。相次ぐ戦争、旱魃、飢饉と人口密度の増加により、危機的状況にあった状況において牛の重要性を市井に響かせる必要に迫られ、それは宗教の力をつかうことで成功した。
そして、それが貿易・運搬の力が増した今日においても維持されているのは、なにも伝統の教義に従うためだけではない。長年の牛肉食の規制により、ヒンズー教社会はすでに牛肉を食べない方向で最適化されている。
食用とされないことで維持される穀物、牛乳、羊肉の価格、牛の世話をすることで成り立つ職業、牛を処理するカーストの存在。
これら現状維持のインセンティブの構造に大きな変化が訪れない限り、牛肉食禁止の教義が見直されることはないだろう。
本書では、他にも中東における豚の堕性、アメリカでの牛肉食の発展、牛乳を消化可能な人種、昆虫食、ペット食、人肉食について、食と文化の謎をインセンティブの面から考察する。
このような事実は、ヒト一人が生きていく上ではあまり重要でないかもしれない。
だが、他人の食に立ち入ろうとする場合。食と文化、食と社会が、主義主張や趣味嗜好以上のもので強く結びついているということを理解しなければならない。
うまいかまずいかは試しに食べてみればわかるが、「食べるのに適しているか」は深い洞察を経ないとわからない。
それが本書が語る、食と文化の謎の答えだ。
投稿元:
レビューを見る
キチン質は人間には消化できない。しかし、エビなども、同じ。
幼虫や蛹の段階は食べやすい。
キチン質は腸のぜん動刺激材として働き、ほかの種類の中には不足しているもの。
最善採餌理論 optimal foraging theory
捕獲採集する時間に対して、獲得できるカロリーの比率が最も高い種類のものだけをつかまえたり、集めているというもの。