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紙の本

虫師(アフタヌーンKC) 10巻セット

著者 漆原 友紀 (著)

虫師(アフタヌーンKC) 10巻セット

税込 6,930 63pt

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みんなのレビュー9件

みんなの評価4.6

評価内訳

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紙の本

痛み分けのやさしさ

2005/10/23 15:06

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯シリル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 物語が「もののけのかたり」であるならば、言葉どおりの意味で、この『蟲師』のテーマは物語それ自体である。時代も定かでなく、場所もいずことも知れない。まさに「むかしむかしあるところ」であり、この設定は実に絶妙だ。
 夢とも現実ともつかぬ「あるところ」で、もののけたちが物語を紡ぎ出す。彼らは異変をもたらすものたちであり、大異変だろうと小異変だろうと、それなしに物語は成立しえないことを思うと、これもまた物語の王道を行っている。
 もののけには「蟲」という名が与えれ、それらは、妖怪、精霊、山神、宿霊、病菌、生命、何とでも解釈可能なオールマイティな異類であり、物語の生成装置である。
 こうして作者は無限に物語を生み出すことも可能な「場」と「装置」を手に入れたにもかかわらず、それを乱用しようとしない。
 物語の骨子は明瞭だ。「共生」である。
 もののけの討伐ではなく、ひとえに共生のみが描かれる。「むかしむかしあるところ」に暮らす人々は、ときに禁忌を犯し、ときに運命ゆえに、蟲とかかわり、病苦や不遇や喪失を引き受けるのだが、その調停者として登場するのが「蟲師」である。
 蟲師はもののけの討伐者ではない。蟲を壊滅させるまでの力はなく、それを望んでもいないようだ。あくまで調停者として、人と蟲との「痛み分け」へと持っていくだけである。蟲もいくらか痛み、人もいくらか痛む。共生とはそういうことであり、そこには勝者も敗者もなく、ハッピーエンドもないのだが、それでもこの物語がほのかに明るいのは、痛みを甘受する蟲と人のやさしさが全巻の底辺に流れているからだろう。
 一方の痛みのぶん、他方の居場所が生まれる。ならば、痛みはやむをえまい。そういうやさしさを描いた物語は現代には少ない。読んでほしい。

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紙の本

まどろむ村々を経巡って

2007/05/07 11:36

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「鋼の錬金術師」はアニメしかみたことないのだけれど、この作品で構築される架空世界と現実世界のずれ方、それにも関わらずその架空世界にしっかりとにじむ現実感は共通のものがあるかもしれない。作者は付録で「鎖国し続けている日本」あるいは「江戸と明治の間にもうひと時代ある感じ」と述べている。たしかに登場する男たちの髪型はみないわゆる「ざんぎり頭」で、しばらく前は何か別な髪型をしていたのかもしれない。村人たちは和服、虫師ギンコは戦前の書生のような洋服だ。
 自然の中に潜む精霊のような虫たち。人間に敵対する意識はないが、様々な形で害をなすことが生じる。それとつきあい、村々を経巡り、トラブルを解決していく虫師ギンコの物語。丁寧な参考取材のあとが一つ一つの家具、器具を描く絵柄に現れている。
 ちなみにギンコの片目には何かあるようだ。鬼太郎と違ってお父さんが住んでるということはないと思うけど。

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紙の本

永遠に止まった時間の中で

2005/01/10 02:56

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まさぴゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

昨今のマンガではかなりの傑作だと思います。この作者は、何者なのでしょうか。民俗学や日本の古い説話などの深い教養に裏付けられているように感じます。まるで柳田邦夫の遠野物語や村落社会のフォークロアを読んだり聞いたりしているような不思議な世界に、引きずり込まれます。

この不思議な感覚を、話自体だけではなく、絵や構成などの表現力によって成り立たせています。並々ならぬ力量です。一枚の絵にこめられた情報量や、色彩やトーンの質感など、はっきり云ってそこいらの凡百のクリエイターには到底なしえない業です。既に1巻にはほぼ完成形態であるというのが凄い。それに、このようなマイナー色が強いと思われる作品が、メジャーとして売れているというのももっと不思議です。そもそも昔話、民話やフォークロアのような物語に需要があること自体が不思議ですし、なによりも、そんなに00年代に入って、こういう50年以上昔の日本の田舎ならよくあったかもしれない感受性が、エンターテイメントとなることが不思議です。

とはいえ、現代の作品だという感じも逆にします。この作品の核心は、「現実と異世界の狭間にあるはずの境界線の輪郭が曖昧」であることです。日常と非日常、ハレとケでもいい。その境界線がバッチリ定まっている(いなければならない)のが、私たちの住む「退屈な日常」を作り上げる「近代社会」というやつです。近代社会は、計量可能で、制御可能なもので出来上がって「いなければならない」ので、不定形なものや、コントロールの効かないもの、境界が不明確なものを嫌います。この蟲師の世界観は、それに真っ向から対立しますね。時間が止まってしまったかのような「永遠の日常」みたいな感覚。東アジアやインドでは親和的な世界観なので強いノスタルジーを喚起します。僕のような田舎で育ったこともない近代社会が極まってから生まれてきた世代でも、ノスタルジーを感じるということは、まだまだこの感覚は消えていないということでしょうね。

全然違う作品だが、小説では桜井亜美、マンガでは三宅乱丈「ペット」さそうあきら「トトの世界」や古谷実「ヒミズ」、それに映画では黒沢清「CURE」や岩井俊二「リリィシュシュのすべて」、それに「アメリカンビューティー」などを連想させる。どれも現実と非現実のボーダーを踏み越えて、基準が分からなくなった昨今を表していると思う。ただ、社会で生きる意味がありません、がんばって働く必要はありません、と宣言する感覚だから、道徳的には世間から強烈なバッシングが来そうな感覚ではあるが。この感覚をベースにすると、理解困難な少年少女の犯罪や集団自殺や新興宗教に入信する動機が、理解しやすい。ただ、蟲師の面白いところは、その他の作品は対幻想で閉じてしまったり、死によって全てを消し去ってしまったり、世界を滅ぼすとしたり、と非常に反社会的もしくは脱社会的な反応を見せるに対して、蟲というボーダーの存在を個人も社会も全体が全て受け入れて、安定している社会を描いている点です。いや、蟲はコミュニケーションできないから、「世界」と「社会」が混ざっている「社会」という感じかな。つまり、永遠に止まったような一つの完成された世界を描いている。言い換えれば、それはユートピアなのかもしれない。もしかして、アジア的停滞か? こういう近代社会に失われた、全体性へと回帰して戻ってくる日常感覚は、今の社会ではモデルとなりにくいが、ノスタルジーを持って描かれるということは、社会がそれを欲している証拠でしょう。

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紙の本

漫画表現の新たな領域開拓の予感

2002/03/30 22:58

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:朱鷺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 漫画誌アフタヌーンで現在も連載中の「蟲師」。アフタヌーンの中で、その才能は抜きん出ているように思う。まず、絵がうまい。誰の絵に似ているのか、と聞かれると誰にも似ていない、と応えたくなるような個性的な絵である。トーンとベタを多用し、全体的に暗めなのだが、それが作者の意図どおりの雰囲気作りへとつながっている。

 さて、読んだことがない人は「蟲」とは、「蟲師」とは何ぞや? と思われることだろう。1巻の冒頭には「蟲」について、「およそ遠しとされしもの 下等で奇怪 見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達 それら異形の一群をヒトは古くから恐れを含み いつしか総じて「蟲」と呼んだ」と説明されている。うまく説明ができないのだが、あくまでも「昆虫」ではなく「蟲」なのである。神聖なものというわけでもいなく、だからといって邪悪なものでもない。しかし時として蟲は人に無意識的に危害を加えることもある。そこで登場するのが「蟲師」である。職業の一種らしく、蟲に関する膨大な知識と対処法を身に付けており、蟲におかされた人々の治療・予防にあたるのである。

 主人公の蟲師・ギンコは旅人である。彼がなぜ旅をしているのか、なぜどんな時も煙草を吸っているのか、などは読み進めるうちに分かってくる。このギンコがなかなか庶民的なやつで、おごったところもなく、ほどよくカッコいいので読者の共感を得ているのだと思う。彼の人となりが見所であろう。

 ところで、この「蟲師」全体を見たとき、私は「(コミックの)ナウシカ」や「シュナの旅」を連想した。分類すればそういったファンタジーだし、共通いたテーマとして「命」が描かれている。しかし、「命」に対するとらえ方は前述の宮崎作品とはまた違い、あくまでも仏教的(この作品が仏教思想を基盤としている、と言うことではない)である用に思う。分かり易く、若者に受け入れられやすい思想だという気がする。
 氏はまだ新人と言える漫画家であるが、今後、漫画表現の新たな領域を切り開いてゆくのではないかと私はひそかに期待し、心から応援している。

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ふかかいないきもの

2003/09/11 13:16

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:とわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

「蟲」…。見える者と見えない者のある,ヒトとは在り方の異なる生命。
限りなく原始の生命に近いそれらは時にヒトに災いをなすこともあるが,彼らとて皆,ただそれぞれがあるようにあるだけ。
逃れらるものからは,知恵あるヒトが逃れればいい。蟲師とは,はるか古来からその術を探してきた者達のこと。
これは「蟲」と「ヒト」との世をつなぐ隻眼の蟲師・ギンコの物語。

時に切なく時に背筋が寒くなる,時代背景すら判然としない画風も,お話も超独特。でもかっこいいSFちっくな話じゃありません。いちばん近いのは「遠野物語」でしょうか。本書で描かれているのは、「蟲」の話ではありますが、同時に「ヒトが抱える業(ごう)」の話でもあるような気がします。

現在第三巻まで出ていますが、三巻を読んで第一巻を見直してみるとまた感慨深いものがあると思いますので、ぜひどうぞ。ちなみにギンコは「銀蟲」と書くのです。

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紙の本

原初の生命の力

2003/06/12 17:21

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:清華 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 彼らと交わる時、私たちは様々な感情を受け入れる強さを持っていたことに、驚くだろう。原初の生命力の悲しいほどに、あきれるほどに、笑い出すほどに強く逞しいことに。

「蟲」:小さきものの集まり。動物の総称。生命すべての本質を表す名。
    生きる形に対する名。 
 虫ではなく、「蟲」。
 この物語に出てくる、私たちとは異なる体系を持つ生命に付けられたこの呼び名は、非常に的を射たものである。
 原初に近くさまざまな形をした、小さい者たちの塊は、私たちと少し違った体系を形成しただけの私たちと変わらないもの。私たちだって、バクテリアという「蟲」が共生というつながりで塊になっているに過ぎない。植物だとて動物だとて同じこと。

 小さい者たちが集まって作った広く大きな生命体系、それは私たちと重なりながらも交わることの少ない、世界の一部である。
 重なり合いながら偶に交わる。その時に物語りは形を成す。
 
 原初に近い純朴な蟲は、ただ生きているだけなのである。
 しかし、ヒトの側は蟲とは違い複雑に編まれた社会がある。
 蟲は、ヒトの社会においては其の都度判断が変わる。都合というものがヒトにはある。
 よきもの・あしきもの、それだけでは括れないさまざまな感情。ヒトの都合はそのまま蟲に映される。
 悲しみ・痛み・喜び。それだけでは括れないヒトの心。蟲を通して交わった人に返る。

 終わりを選びそうになる。返ってきた答えは耐え難いこともある。
 けれど、受け入れ切れないまでも前を見て、笑う。ヒトの儚く強い生命力が見える。
 きっちりと《強い》、そうではない。ただ、それでも生きなくてはならない、先を見なくてはならないと思い、ヒトは生命力を思い出す。それは、見ていてこちらが悲しくなる程に、だけど、こちらも強くなれる程に、強い強い心となる。
 
 きっと根源でつながっているもの。私たちもすべてを含め「蟲」として。
彼ら・蟲は、ヒトである我々の心など知りはしないで生きるだろう。けれど我々も、生きるしかないのだと、そう思い知るのに、強さと清々しさを感じる。そういう作品だ。
 生きよう。
 

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紙の本

日本に生まれてよかったかも、と感じる

2003/10/22 18:11

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:紅豆 - この投稿者のレビュー一覧を見る

こたつや布団の中でうとうととしながら、おばあちゃんに話してもらった昔話。
そんな印象をもっています。
話の内容よりも、「話してもらう」ということ自体がうれしい、そんな優しい世界を感じました。

不思議で、得体が知れなくて、少し恐ろしくて、
でも受け入れる。
だからといって博愛主義なわけではない。

主人公のギンコは、「人の子を殺す蟲」を殺そうとした時、「お前たちは悪くない。俺だって悪くない。生きていくためだ」というようなことを言います。
蟲も「なら、仕方ない」と応えました。

「殺す」ということに悩みまくったり、逆に暴力性を過剰にアピールする漫画や映画が多い中、このドライさはかえって新鮮でした。
そしてそれがかえって、「生きる」ことを表しているような気がしました。
違うものたちが同じ場所で生きるのは、難しい。
でも、それでも生きていく。

優しいのに、心にゆっくり響く、そんなお話です。

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配慮すべき静かな隣人

2008/12/14 17:41

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:potman - この投稿者のレビュー一覧を見る

髪型や服装からすると、大正あたりだろうか。まあ、現実世界という訳でもないから、時代を決める意味もないだろうけど。
「人間を筆頭とする物理世界と、自然の理とか集合無意識とでも言うような霊的世界を繋ぐ半精半生物の蟲に関わる蟲師であるギンコの旅の物語」結構壮大だよ、な。

良いなあ、と思ったのは、この文明化に突き進む現代社会に対する警鐘を感じさせる押しつけがましさがほとんど感じられないこと。個人レベルで、踏み込みすぎるとヤバイという話はあるけど、自然をないがしろにするといつかしっぺ返しを食らうぜ、というような説教臭さがない。
配慮すべき隣人という感じで、そのおかげで、蟲たちに俗っぽさが出ずに神秘を湛えていさせられたのではないかと思う。
気分良く心を遊ばせることの出来る、良い物語でございました。

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“生きて”いるお伽話

2002/03/01 23:46

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yam-cha - この投稿者のレビュー一覧を見る

 柔らかい有機的な線で描かれた、人物、着衣、家屋、木々、生活風景、そうした「日常」の情景の的確な描写。その中に蠢く異形の「蟲」たちの造型。何処から来て何処に行くのかも知れぬ「蟲師」ギンコ(おそらく銀狐の音)の拾い歩く「蟲」の物語。
 「蟲」とは、生命の大元に近いモノ、昆虫でもなく植物でもなく、もっと、根源に近い、ナニカ。それはそこにいる、確かにいるが、それを見る事が出来る者とそうでない者がある。本当は、皆、それを見る力を持っているはずのもの—それが、「蟲」。採り様によっては自然そのものとも受け取れるのかも知れない、が、その解釈はあまりしたくない。「蟲」は「蟲」として存在するもの、なのである。
 「蟲師」とは「蟲」に取り憑かれた人のもとを訪れ、その災いを取り除く事を生業とする者たち。だが、ギンコは蟲師の中でも異端の存在のようだ。彼は、蟲と共存する事を望んでいるように見受けられる。取り憑いた蟲の所為で、恐ろしい事態を引き起こしてしまった男に、ギンコは呟く。
 「お前に罪などないさ。蟲にも罪などない。互いにその生を遂行していただけだ。誰にも罪などないんだ」
 少し変わった味付けの昔話のようなストーリィと、蟲の造型や設定、ギンコの立場は…こ、この喩えは極力使いたくはなかったのだがッ…某宮崎駿作品のような色合いです。
 が、宮崎作品とは決定的に違う。何が違うって、ギンコはなにも「目的」を持っていない。なにも「拠り所」を持っていない。ただ「己」が在るだけ、の存在。だからこそ、彼はリベラルでニュートラルに成り得る。
 淡々とした語り口ながら、物語はかなり深いところを抉ってくる。“人”の幸せとは何なのか、今自分が“そう”と信じているものは、本当に“そう”なのか、“行って”しまった方が幸せなのか“留まって”苦しむのが人間なのか。ギンコは「留まれ」と呼び掛ける。だが無理矢理にそうさせはしない。選ぶのは、自分自身、なんだから。
 ギンコのヌケた態度がいい。銜え煙草(本当は煙草ではないのだが)もシケモクっぽいのがイカす。全ての登場人物が各々に生きていて各々に闇を抱えている、その生々しさがきちんと伝わってくる。最初にも書いたが、日常風景の描写の的確さと、それらの登場人物の所為で、「日常に投げ込まれた“非日常”」もしくは「日常の裏側に在る“真実”」の怖さが引き立つ。
 「柔らかい角」の、“聞こえぬはずの音”の絵が秀逸。「筆の海」の蟲封じも奇抜で面白い。非常に怖い話もある、あまりにも哀しい話もある。激情さえも淡々とした筆致で描かれる、その所為でそれはより一層こちらの心に入り込んでくる。物語自体は荒唐無稽なのにも関わらず、すんなりとその中に入って行っている自分に驚いたくらいだ。この物語自体が、作者の生み出した「蟲」なんではなかろうか、と思う程である。

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