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商品説明
二人の男性への愛と思いに、揺れ動き、引き裂かれる自分の姿を赤裸々に、しかし哀しみをたたえた写真と文章で捉えていく。自分と二人の男との関係を見つめ続ける私写真作品。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
神蔵 美子
- 略歴
- 〈神蔵美子〉東京生まれ。慶応義塾大学文学部国文学科卒業。日本写真協会新人賞受賞。著書に「ナチュリタ」「たまゆら」がある。
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紙の本
とんこつラーメンを毎日食べることは僕には不可能なのだ
2007/02/12 11:52
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
住んでいる街の図書館で借りてきて読んだ。かような写真集を置く図書館というのも 見識というべきかもしれない。
写真家の女性と文筆を生業とする二人の男の 三角関係の物語である。アラーキーが出てきたりと舞台装置には「文化」の香りが匂い立っているが 要は ドロドロの男女の物語と言ってよい。「私小説」という 聞こえの良い言葉があるが それに近い写真集である。写真集を私小説にしたのは 先述の荒木が嚆矢だと思っているが 神蔵も正しく 荒木の弟子である。
僕にとって 全く関係の無い三人の男女の物語である。自分に関係が無い人の話は えてして面白いのが 人間の業の深さである。すっかり読み耽ってしまったものだ。
このように自分が生きることに貪欲な人たちが居る。そういうことなのだと思う。僕にしても どう逆立ちしても かような濃厚な人生は ちょっと送れないのではないかと思う。それはそれで羨ましい反面、やはり 人間は自分の消化能力に見合ったもので満足するしかないのかとも思った。
僕には やはり 豚骨ラーメンを毎日食べる胃と胃液は無いのだ。
そう考えることは やはり一つの諦めなのだろうか。
紙の本
立ち読みですむような内容ではありません!!!
2002/07/24 19:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:水素 - この投稿者のレビュー一覧を見る
写真集ってどんなに素晴らしくっても値が張るので、買おうかな〜、どうしようかなあ〜って迷ってしまうんです。これも最初は立ち読みしていたんですが、すぐに、立ち読みですむような内容ではないことに気付いて購入決定。
映画のような写真集です。
著者と前夫と現夫のどろどろの三角関係を描いた、写真と文章の本。
実はこの写真集を知ったのは、高橋源一郎の新書「一億三万人のための小説教室」にこの「たまもの」の文章が引用されていたからです。
小説とも散文とも詩とも違う不思議な文章。でも、あまりなく気持ちを伝える、心にぐっとくる文章。ほんとうにぐうっとくるんです。
写真のほうも、表紙にこのマジ泣き写真を持ってくるあたり素晴らしい。やられた〜と思いました。みていて、「わ〜〜どうしよう…」と言うような、怖いような淋しすぎるような感じの写真もあるのですが、すべてに未来への希望の欠片のようなものが感じられました。素晴らしい!!!
紙の本
通りすぎたもの、忘れなかったこと
2003/01/26 00:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KANAKANA - この投稿者のレビュー一覧を見る
つくづく、勝手な女(ひと)である。だけどそれが、いとおしくて素敵だ。
坪ちゃんと恋愛して、結婚して、末井さんに恋をして、家をでて、離婚して、結婚して…でもそれからも末井さんのことを坪ちゃんに相談し続けたり、『Uの真相』対策会議と称して三人で顔合わせしたり、一つ前の作品集『たまゆら』の企画でチアガールに女装してもらった二人を撮影したり、一緒になるか・離れるかしか恋愛の選択肢はないはずなのに、「特別な関係」でいるために、神蔵さんは、走る・撮る・話す。
1997年。ひとり寝の坪ちゃんを撮って家に戻ると、台所ではエプロン姿の末井さんが一人、料理をしていた。
2000年12月11日。「この頃は環七をクルマで方南町(坪内祐三さんの家)と三軒茶屋(末井昭さんと暮らす家)をいったり来たりして、夕食を二度食べたことも」あった。
それでも、時間は確実に流れていく。坪ちゃんには新しい恋人ができ気鋭の評論家として活躍を始めるし、「ぼくには家庭というもののはっきりしたかたちがよく解らない」という末井さんとの生活は、ときどきひどく困難になる。
だって愛しちゃったんだもん、と恋愛至上主義でいられるなら、ヒトはどんなに楽に生きられるだろう。でも自分がおかれている世界の中で正直にいたいから、この『たまもの』の中に棲む三人は、うろうろ・オタオタする。その姿は、写真にも文章にも、そのまま写しこまれている。ヘヴィだけど、おかしい。
すべてをプリントして残せる写真家という職業が、うらやましく思えた。
そして、坪内祐三さんの本を読みたくなった。『靖国』や『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲がり』は、こういう生活の中から産まれたのかぁ。
紙の本
著者コメント
2002/06/10 13:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「朝日新聞」書評欄(大竹昭子さん、2002年4月28日付)でも評判!
写真集『たまもの』の著者で写真家の神蔵美子さんからコメントをいただきました。<bk1>
◆『たまもの』(筑摩書房)という写真集を刊行することになりました。
『たまもの』は、前の夫の(坪内祐三)と現夫(末井昭)の登場する、私小説ドキュメントという内容で、メソメソしている自分も写っていて少し恥ずかしいのですが……御覧いただければうれしいです。
◇(bk1)写真集としては多めの部数を刷るそうで、「プレッシャーです」と神蔵さん。
「写真集というより、写真と文章の本です」が、見せた方がたにはとても評判がよいとのこと。
ずっしりした造本ですが、定価は破格なほど抑えています。
写真を見、文章を読むに連れて、心うたれました。
本の冒頭の写真に、神蔵さんはこのような文章を寄せています。
◆「一九九八年の暮れ、泣いているわたし」
このときどうしてこんなに淋しい気持ちに襲われたのか、悲しくなったのか、自分でもわからなかった。「だから、感情というものはどうにもならない時がある。」とノートに書いてある。以後一九九九年と二〇〇〇年の二年間は手帳を持たないで過ごした。アポイントを書き付けたり、先々の計画に必要なプラクティカルな手帳が全く持てないほどつねに焦燥感にかられて、時に必要な電話番号の書かれた過去三年間、一九九六年、一九九七年、一九九八年の古い手帳を三冊も持ってあるいていた。切れ切れに残っている日記をめくり、過去の写真をみつめながら、この写真集を作ろうとして作れない、という時間を過ごしてきた。
◇切迫した、けれどもかけがえのない時間。
ギリギリの状況とは裏腹に、時に写真はユーモラスな、
ゆったりした時間を醸し出してくれています。
おすすめの一冊です。