- 出版社:冬弓舎
- サイズ:19cm/237p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-925220-06-3
大人は愉しい メル友おじさん交換日記
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- 税込価格:1,890円(54pt)
- 発行年月:2002.6
- 発送可能日:購入できません
- 本
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商品説明- 「大人は愉しい メル友おじさん交換日記」
メル友になった大学教授ふたり。交換日記まで始めちゃった! 全身豆知識のおじさんふたりがその蘊蓄を傾けて、映画、文学、家族、大学教育、インターネット、国家、天皇制から在日問題までを熱く論じる。大人の日本人文化論!【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介- 「大人は愉しい メル友おじさん交換日記」
内田 樹
- 略歴
- 〈内田〉1950年生まれ。神戸女学院大学文学部教授。著書に「寝ながら学べる構造主義」など。
〈鈴木〉1952年生まれ。法政大学国際文化学部教授。著書に「バレエへの勧誘」など。
ユーザーレビュー- 「大人は愉しい メル友おじさん交換日記」
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2003/04/18 11:32
リアルとヴァーチャルの間で。
投稿者:ソネアキラ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
サブタイトルにあるようにおじさん二人のメールによる交換日記。ただし、両者とも大学教授なんでふつうのおじさんよりは、ちと中味がアカデミっぽかったり、サブカルしてたり、小津の映画で盛り上がったりもしている。
読んでいる最中も、読んでからも、なんつーか爽やかなのは、二人が「論争」ではなく「対話」というルールを決めていたからなのだろう。
メールなんで、面と向かって話すわけじゃない。書く行為により、自分の考えが話すよりも深くなる。その考えをメールで相手にぶつけることにより、リターンで修正されたり、さらに意外な方向へ発展したりもする。二人のやりとりは、ボケとツッコミが変幻自在で全盛期のやすし・きよしの漫才のようだ。
本書では、こんなとこが気になった。「日本には一貫して父がいない」「これは神がいないのと同じ」という鈴木おじさんのメールに対して、内田おじさんは返信メールで、天皇制にふれ「天皇はじつは『日本のお母さん』である」と大胆に述べている。そして「正直に言うと、たぶん私は『お母さん』になりたいのだと思います」とも。ガーン! そうか、かねがねぼくがいいたかったのは、こういうことなんだと気づかされた感じ。
父が不在。なら男は懸命に父の役割を演じているわけだ。上野千鶴子いうところの「男装した家父長制」。ぼくも上野女史はどちらかとゆーと敬遠気味なのだが、このあたりは内田おじさんの『ためらいの倫理学』により詳しく書かれているので、興味を抱かれた人は、そちらを読むように。
で、フェミニズムに理解のある男の代表というと決って「家事育児をする男」なのだが、これに対して内田は異を唱えている。「家事育児をきちんとこなす男イコールフェミニズムにも理解がある男」とはならないでしょ。西欧諸国のレディーファーストだって男性上位の大前提があって成立しているわけで。
次に惹かれたとこは、鈴木のメールで「女の子は育てる自信があるのに」男の子は育てる自信がないというとこ。偶然なのだが、両おじさんとも子どもは女子なのだ。これは常々ぼくも思っていたことで、−うちは女の子が一人いる−友人が男の子を連れ立って遊びに来ると、どうしてよいものやら扱いに困ってしまう。妻、娘、猫(メスネコ)と完全に女系家族の中では、男の子がいること自体想像できない。昭和ヒトケタ世代の父親にそれなりに厳しくしつけられたことがトラウマにでもなっていたのか、はたまた、性格にどこか欠陥があるのではないかと密かに不安がっていたのだが、ちょっとだけ安心した。
にしても、Eメールの文体って何なんだろう。話し言葉でもないし、ましてや書き言葉でもない。電話ほどダイレクトな反応は得られないし、手紙のようにまどろっこしくもない。画面越しに読むのと、出力して読むのとでは、また、印象も違うし。
いわゆるウェブ日記なるものをしこしこ書いている内田おじさん曰くネット上の自分の方(ヴァーチャル自分)がリアル自分より「断然いい」。「だからインターネットは『人間関係のあり方を変える』というよりは、『人間のあり方を変えている』」と。
さて、同様に、ウェブ日記をせっせと日々更新しているあなたは、ネット使用前・使用後とでは、やはり、どこかしら変わったのでしょうか。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2003/01/25 22:31
ちょっと難しいおじさんたちの会話
投稿者:s@ひつじ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
メールのやりとりができるようになって1年ぐらいになるだろうか。電話の即時性と手紙の思考空間を兼ね備えている。そして、見たことも会ったこともない人から思いがけなく、内面的なことをうち明けられたりしてドキッとすることもある。最初、この本の題名を見たときそんなメール交換のおもしろさを書いたものだと思ったらさにあらず、お二人は文学部の教授だったのである。「無意識は他者の言語である」「補強済みのドグマティズム」「象徴的同一化の弁証法」「相対的、計量的正義論」という私には概念がつかめない言葉が飛び交う。だいたい、鈴木氏がやや社会的で問題提起し、内田氏がやや哲学的で持論を展開する形式である。現代社会の風潮、例えば子どもと父母との関係を遠く古事記から出発し、歴史を辿り、映画の世界、他の国の親子関係と比べ、哲学的に分析、一般化する。その過程がメール交換というお気楽さがなせる技なのか、ケンケンゴウゴウの議論になっていなくて快い。話題も系統性がなく、主婦の会話みたいに際限もなくずれていくのが面白い。しかし、はっきり言おう、私はここで語られていることが半分も分からない。
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2002/07/05 18:11
著者コメント
投稿者:内田樹(不明|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の題名はなかなか決まらなかった。
最初は『メル友交換日記』という仮題でプロジェクトは進んでいたのであるが、それではインパクトが足りないということで、鈴木さんと編集の内浦さんと知恵をしぼったのであるが、「これだ!」というのがなかなかみつからない。
最終的には鈴木さんの名著『翻訳は楽しい!』をぱくらせて頂いたのであるが、そこに落ち着くまで、鈴木さんは「おじさん」と「交換日記」のミスマッチのもたらす違和感がいいんじゃないかというご意見をお持ちで、ご提案の中には「元少女おじさん交換日記」という一読しただけでは事情を知らない人には何だかまるで意味がわからないものも含まれていた。
「元少女」というのはネタの一つで、私と鈴木さんは、どちらも子供のころ、女の子が大好きで、女の子とばかり遊んでいたガーリー・ボーイであったという共通の過去があることにちなんでいる。
私たちはその後「女のひと」と結婚して(ま、ふつうはそうだが)、ともに「娘」を得たので、人生の半ば以上を「女ばかり」に囲まれる環境で暮らしてきた。(私の場合は、それに加えて女子大の先生をしているので、依然として、ほとんどいつも「女の子たちの中に男が一人」の「世之介状態」が続いている。)
もしかすると、この「交換日記」というような「論争的」性格のほとんど入り込まない特殊な言説形態が気に入ったのは、私と鈴木さんが「元少女おじさん」であることにかかわりがあるのかもしれない。
しかし、よくよく考えると、そうかな・・・という気もする。
というのも、鈴木さんも私もどちらかというと、話が込み合うとあっと言う間に「袴の股だちを取る」ような「手の早い」論客であるのに、この交換日記ではなぜかふたりとも終始ニコニコしているからである。
もちろんそれは話が合ってたいへん気分がよい、ということもあるのだけれど、その一方で(少なくとも私の場合は)うかつなことを言うと鈴木さんにいきなり一刀両断にされるかも知れない、という武道家的警戒心が働いた、ということもありそうである。(ちなみに鈴木さんは高校の剣道部の主将をしていた「武道少年」で、私は大学の合気道の先生をしている「武道おじさん」である)
「元少女・武道系おじさん」ふたりが指先を鯉口にかけたまま、満面の笑顔で「交換日記」を綴っているという「二律背反的緊張感」を本書から汲んで頂けると、けっこう愉しく読めるかもしれない。
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2002/07/02 18:15
おじさんパワー炸裂!映画から教育まで縦横に語る「交換日記」
投稿者:小林浩(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
いま「おじさん」がアツい。いや、からかっているのではない。父性の復権や母性の終焉ではなく、「おじさん」的価値観が自己主張をはじめたのだ。トレンドを追いつづける「マーケティング」は「おじさん」を無視しすぎてきた。ここで言う「おじさん」に、もはやネガティヴなイメージはない。上野千鶴子は「おばさん」パワーについて語っていたが、内田樹氏はこのところの一連の著作活動で、レヴィナス研究家から一歩大きく踏み出した。共感層は厚い。鎌倉と神戸に離れて住む二人の大学教授がメル友になり、ウェブ上で交換日記をつけた。それを活字化したのが、本書である。冒頭に置かれた内田氏の「はじめに」からして、すでに「おじさん」ワールド全開だ。フランス語駄洒落天狗道場とは?! 思い切り爆笑している私はすでに「おじさん」ということか。ウェブ上のヴァーチャルな「自分」が、「生」の自分とは異なる、という議論から始まって、他者論や感情移入について語ったかと思うと、父性や母性、家族の考察に移り、教育論や大学論に発展する。「忠臣蔵とアンチ・オイディプス」というテーマは鈴木氏ならではだし、「師弟関係とタルムード」という話題は内田氏らしい。34通のやりとりのうちに、細かくは上記以外にも実に様々なことが語られるのだが、イモヅル式の連想の一貫性と言おうか、日記を読むスピード感が心地よい。「大人は愉しい」という題名は、成人たることの何たるかを洒脱に示している。「おじさん的読書」の快楽もここに創られたと宣言していいのではないか。
※内田樹の著作は→こちら、鈴木晶の著作は→こちら
※この本も侮りがたい→小谷野敦『退屈論』
人文・社会・ノンフィクションレジ前コーナー7月1日分より
(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)







