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呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談

  • 出版社:平凡社
  • サイズ:21cm/287p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-582-83121-4

呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談

白川 静 (著), 梅原 猛 (著)

  • 全体の評価 53件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:1,89054pt
  • 発行年月:2002.9
  • 発送可能日:1~3日

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商品説明- 「呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談」

白川静92歳、梅原猛77歳。2人の学問の巨人が語る世紀の対談。人が神と心を交わす手段であった甲骨・金文文字を読み解く白川に、梅原が古代人の心を尋ね、東洋の精神を語り合う。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介- 「呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談」

白川 静

略歴
〈白川〉1910年生まれ。立命館大学名誉教授。99年勲二等瑞宝章を受ける。
〈梅原〉1925年生まれ。国際日本文化研究センター顧問。「隠された十字架」で毎日出版文化賞を受賞。

関連キーワード- 「呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談」

ユーザーレビュー- 「呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談」

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6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/03/24 21:47

対談、というせいもありますが、私が初めて読み通した白川静の著作です。話題は硬軟をとわず縦横無尽、広大無辺。知識人とはこういう人々をいうのでしょう

投稿者:みーちゃん(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

「立命館で若き日を過ごした二人の碩学が語る漢字、古代史、大学、高橋和巳」対談集。
91歳、76歳という現役の二人の元気そうな写真が印象的です。梅原猛の側からの懇願によって成り立った対談とありますが、それにふさわしく、内容の深遠なこと・・・。
告白してしまいますが、今まで何冊か白川静の著作集に手を出しては、全く歯が立たずに途中で投げ出してばかりいました。途中どころか、冒頭の10頁くらいで降参なのです。それでも手を出したくなる、それは白川の高名も一因ですが、やはり漢字というものの放つ光芒でもあります。その輝きは迂闊に近寄るものを焼き尽くすほど強烈なもの。本当に難しい本です。
タイトルに「呪」という一文字を見て、勝手に今流行の安陪清明や菅原道真などの話を、もっと奥深いところから説き起こす本だろうと気楽に手を出した私は、内容の余りの高さに驚いてしまいました。ただし、対談であるせいでしょうか、語り口は決して難しくありません。梅原猛の案内のお陰でしょうか、初めて白川静に関する本を最後まで読んでしまいました。
全体は3部構成。対談1「ト文・金文 漢字の呪術」ではお二方の立命館大学での出会いと高橋和巳のことなどが語られます。対談2「孔子 狂狷の人の行方」は1969年に『孔子』を著した白川が、孔子を愛する理由を述べます。対談3「詩経 興の精神」は『詩経』という書物に籠められた「興の精神」について語ります。ちなみに、興とは、人が神へ捧げる呪的行為のことだそうです。
これらの対談は、2001/5/6、2001/8/30、2002/2/5の三回、ホテルや白川静の自邸で行なわれた対談を纏めたものだそうです。機器や祭礼の道具などの豊富な写真、図版、年表などが効果的に配されて読者の理解を助けてくれます。編集部の適切な質問からは、担当者の知識の深さが、梅原の発言からは、師に対する尊敬の念が溢れ出ています。
しかし、91歳と76歳には思えないほどお元気そうなお姿です。しかも、会話がかなり厳密な歴史・文学的な内容に入っていっても少しもに乱れがありません。知りたくなるのは、話す内容が決まっていてそのためにかなり準備をしてお二人が対談に望んだのか、果たしてメモやノートはあったのかなど、その場の様子です。ともかく驚くべき知識量と記憶力。
TVも見る二人の現代感覚も楽しいのですが、中国の民族論、日本古代史、文字の発生と絶対王朝の存在、神聖王朝の支配手段、神と交通する為の手段としての文字、甲骨文の意味、玉器談、漢字の日本的変容、『詩経』と『万葉集』比較と記紀神話、などから学校紛争、高橋和巳の『捨子物語』『わが解体』『悲の器』、最高作『邪宗門』、六朝期の文学を扱った論文への評価など、豊富な話題も魅力的です。
また孔子を好きな理由に、彼が流浪の民であり、葬送を司る者で、巫女の私生児と言う点を上げている点。数年前ですが、10年以上に亘って酒見賢一によって書かれてきた『陋巷にあり』が完結しましたが、そこに白川の影響があるのかと興味を持って読みました。「孔子は、殺されてもね、仕方のない存在であった」という言葉が、心にのしかかってきます。
最後に梅原が「今日のような解りやすい講義はないんじゃないかな」と言っていますが、同感です。
気になる点が二つ。冒頭に白川静と梅原猛の略歴が出ていますが年号表示しかなくて、西暦が書いていません。これは余りに不親切。それから巻末で、多分対談の編集者であろう西川照子の「白川、梅原には師弟がいない」という発言がありますが、これは余りに見方が狭いでしょう。大学という場での師弟はいなくとも、彼らの考えは読者へと引き継がれていることを忘れては困ります。

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4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2003/03/15 23:02

古代思想への扉

投稿者:北祭(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 いつも何気なく使う身近な「漢字」に「呪の思想」が込められているという...

 本書は、白川静氏と梅原猛氏による呪文さながらの不気味さを漂わせた対談からなり、ト文・金文・孔子・詩経と万葉集を織り交ぜつつ章はすすめられる。何やら難しそうだが、左にあらず。白川氏により、そこかしこに散りばめられた「漢字」の成立ち、これこそ本書の勘所、鬼気迫る核心なのである。
 
 漢字は遥か三千年の昔「殷」の時代の「甲骨文」に始まるといわれ、それが象形文字であるが故に「当時の現実」を知ることが出来ると白川氏はいう。さてと思いて数枚ほどページをめくれば甲骨文がひょいと現れる。その形象はアルカイティックな魅力を帯び、形の意味を知るにつれ、いい知れぬ「どろりとした呪の感覚」に満たされてゆく。
 例えば、「舞」という字には「雨かんむり」が付いており、「舞」とはもともと神に捧げる「雨請いの舞」を意味しているのだという。「舞」とは神聖なものなのである。
 では、「道」とは何を意味するのか。それは、異族の生首を持って進むの字形。もはや、「道」という漢字を見る度に生首を思い出さずには居れない。
 また「殷」では女人を葬る際、その白い肌の両乳房の所に「生命力を回復させる」ための×印(文身)を付けたのだという。これすなわち「爽」の意なり。ここに至って、言葉もない。「爽やか」などと気楽に使えなくなってしまった。
 
 古代「殷」の風習は、縄文期の風習にも見られたという。してみると、その昔、日本の人々が「漢字」を受け入れたのには、まことに深い理由があったのかもしれない。それが「殷」の如く「神と人との間の会話」にあったのだろうか。きっと、本書を一読したならば誰しも「漢字」に形ある限り、その意味を問い続けるに違いない。その「問い」そのものが「呪の思想」への扉なのである。

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2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2003/02/23 12:24

漢字の身体力、呪力

投稿者:栗山光司(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 梅原猛の「問」に白川静が「答」を出す。神と人の間の魔的な空間に座する二人の呪者は120歳まで生きるつもりらしい。このエネルギー(欲望)の過剰さに圧倒される。『字統』『字訓』『字通』(平凡社)のアカデミックな学者と思っていたのに、白川静は梅原の言によれば、ニーチェが「もの」をクリアに見るアポロン的精神でのみ理解されていたギリシャをディオニソス的精神で発見したように、白川翁はディオニソス的中国観を開いたとする。そもそも、翁は万葉集をやりたいと、思っていたらしい。ところが、津田左右吉の『文学に現われたる我が国民思想の研究』における理論があまりにも、唯物的、啓蒙主義的であって、納得出来ず、独自に古代文学を検証する方法論として、『万葉集』と『詩経』を比較検証すれば、東洋的な一番根元的な物の在りどころを探り出す事が出来るのではないかと、翁は白川字学のメスで甲骨文字、金文の解読を明晰に行う。
 呪が込められた象形文字を伝承する民の一人である誇りを感じる。我々が日常使う漢字の中に民俗が封じ込められているのだ。表音のアルファベットなら、かような文字による三千三百年の時空を遡った旅は無理である。象形の字であるが故に「字」は時空を飛ぶ不死鳥になって、古代の謎を明かしてくれる。憑代たる身体力、呪力を持った神への呪文として漢字は力を持っているのだろう。神と人とが交通する手段としての文字を失い、人と人とが交流する事で足りる文字はアルファベットで地を這って、鳥星になることを望まないのであろう。【漢文を古典にしない世代】どころか、ローマ字から漢字変換の手順で右往左往する我々は「詩経」「孔子」の世界が段々、煩わしくなってきている。
 近代が人間を発見し、内面を得た替りに神を失ったとするなら、象形たる文字は人と神が目合ひ(まぐあひ)した時代の証かもしれない。もし、文学が生き残るとするならば、内面の袋小路でなくて、呪的な言葉の身体力を奮い立たせて、政治詩、社会詩を歌う、体制も反体制も相対化するポジションで発信するしかない。金は何を生むか、言葉は何を生むか。言葉に賭ける人はある覚悟が必要なのであろう。
 
 1964年、ー学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。(略)しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変るという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。/たった一人の偉丈夫の存在がその大学の、いや少なくともその学部の思想的次元を上におしあげるということもありうる。ー高橋和己著『わが解体』より。その教授は白川静である。翁の語り口をせめて本文で引用抜粋したい。
 ……「賦」というのは、例えば山の美しい姿を見て、そして山の茂み、あそこの谷の具合、あそこの森の深さ、とかいう風にね、色々山の美しい姿を描写的に、数え上げるようにして歌ってゆく。これが「賦」なんです。その歌うことによってね、単に歌うのが目的ではなくて、歌うことによってその対象の持っている内的な生命力というものを、自分と共通のものにする、自分の中に取り入れる。(略)これが「賦」の文学。色んなものを歌い上げてね、歌い上げた言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力が生まれて、それがこっちの方に作用して、病気が治るというね。そういうものが本来の「賦」なんです。ー(205頁)
 
 言葉は身体(神)という衣を脱ぎ去って、倒錯した裸体(意識)を不様に曝け出す。一番、猥褻なものは我々の『こころ』かもしれない。白川呪家は歌う。身体という衣を纏って我々も歌いたい。一部の知者の言うように、漢字変換しない日本語のローマ字化は日本が世界の中で生き残るために避けて通れないとしたら、NIPPONとは何であろうか?

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