文明の生態史観 改版 (中公文庫)
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- 税込価格:780円(22pt)
- 発行年月:2002.5
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ユーザーレビュー- 「文明の生態史観 改版」
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2009/11/10 18:21
予言の書
投稿者:塩津計(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画「20世紀少年」に「予言の書」というのが出てくる。数十年前に遊び半分で書いた「予言の書」が現実となって世界を震撼とさせるという話だ。片や子どもの遊びの話であり、学術書である本書の書評に結び付けるには、相当程度の話の飛躍が必要かも知れないが、私的には両者は全く素直に結びついてしまうのだ。
本書の白眉は「旧世界の構造」なる分析で、ユーラシア大陸の中央部を斜めに横切る乾燥地帯の存在だ。梅棹氏は、この乾燥地帯の存在こそが歴史を回天させてきた中核的存在だというのである。曰く「旧世界の生態学的構造をみると、たいへんいちじるしいことは、(ユーラシア)大陸を斜めに横切って、東北から西南にはしる大乾燥地帯の存在である。歴史にとって、これが重大な役割をはたす。乾燥地帯は悪魔の巣である。暴力と破壊の源泉である。ここから古来くりかえし遊牧民そのほかのメチャクチャな暴力があらわれて、その周辺の文明世界(中国、インド、ロシア、イスラム)を破壊した。これで(中国、インド、ロシア、イスラムの)文明社会は、しばしば回復できないほどの打撃をうける」というのである。
これをはじめて読んだのは中学生の頃だったが、何を言っているのか全く理解できなかった。だって中央アジアの乾燥地帯といえばシルクロードでありアフガニスタンで、当時は中国共産党と組んだNHKが司馬遼太郎も巻き込んでシルクロードの大宣伝をやっていて、シルクロードといえば温和なウイグル人の爺さんがロバにまたがってニコニコしながらオアシス都市周辺を漫遊しているというイメージしかなかったからだ。アフガニスタンといえばバーミヤンの大仏があって、アレクサンダー大王の遠征軍の末裔が住む貧しいながらも平和でロマンチックな異郷の地というイメージしかなかったからだ。久保田早紀が歌う「異邦人」が大ヒットしたのもこの頃だ。だから平和でエキゾチックな中央アジアが破壊と殺戮の源泉であり悪魔の巣だなんていわれても「ウメサオ~、吹いてんじゃねーぞ、コラッ」という感じにしか受け止められなかったのである。匈奴や突厥は遥か歴史上の民族であり、今やみんなニコニコ平和に毎日を暮らしている地にしか見えなかったのである。
それがどうであろう。今やアフガニスタンはタリバンの本拠であり「テロとの戦い」の主戦場である。血に飢えた悪魔の手先たるタリバンによってバーミヤンの大仏はとっくの昔に破壊しつくされたが、大仏破壊はただの序曲に過ぎず、悪魔タリバンはあろうことか旅客機を乗っ取ってニューヨークのワールドトレードセンタービルに突っ込み数千人の無辜の民を殺傷するという暴挙に出たのだ。それだけでない。温和でニコニコ顔の老人が住むシルクロードには今や中国共産党の大軍が常駐し、日に日に悪化する新疆ウイグル自治区の治安維持に備えている始末だ。ウイグル人の爺さんがNHKカメラに向かってニコニコしていたのはオオウソで、彼らの心中には弾圧を繰り返すシナ人への怒りが渦巻いていたのだ。チベットもそうである。今やインド軍はチベット国境に大軍を派遣し、シナ人の侵略に備えている。正に中央アジアの乾燥地帯は、梅棹が指摘したとおり「悪魔の巣」であったのである。この乾燥地帯に端を発する破壊のエネルギーで中国の文明は繰り返し繰り返し滅んでいる。インド文明もカイバル峠から侵入してくる蛮族によって何度も滅ぼされている。今こそ梅棹教授が書いた「予言の書」を皆で味読再読しようではないか!
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2011/12/24 13:02
健康な歴史観
投稿者:kc1027(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
進化というコンセプトはなんでもかんでも最終的には同じところに辿り着くというモデルを作りがちであるが、世界はそれほど一様ではない。一様になりそうに見えて本当に一様になってしまうことなどない。動植物の世界で系統を探る試みとして発展した生態学を、人間に当てはめてみたらどうなるのか、それが梅棹氏の大仕事の出発点で、動物化するポストモダン社会において文明の生態史観は益々輝きを増してきた。
北半球の世界を大陸周縁で先進国化した第一地域と、いまだ近代化されない大陸中央部の第二地域に分けて、それぞれの文明の系譜を地域の気候的地理的制約に則して読み解く理論が最初に発表されたのは1957年。日本文明が極東の第一世界で独自の近世を歩んだ末に、自らの系譜に基づいて近代化を成し遂げたという理論は、敗戦から復興への道を歩み始めた当時の人々にとってどれだけ勇気づけられる理論だったことか、想像に難くない。
そして進化史観に基づく西欧の第一世界が袋小路に入り、第二世界の近代化に道筋が付き、理論の範疇にさえなかった南米やアフリカも急速に発展する中で、地球という生態系をこれからも維持し、その中で人間がかろうじて生きていくために、文明の生態史観は最早欠かせない視点になったと言ってもいいだろう。
そして世界は生態史観に則った歴史を歩みつつある。文明の破壊力の源泉とされた乾燥地帯では、SNSという技術をテコに体制転覆の動きが相次ぎ、大震災による原発事故は、エネルギー資本主義に根底から疑問符を突きつけた。
これからの生態史観を考える上で、本書の中で最も刺激的な指摘は、宗教やイデオロギーの伝播と、病気の流行の系譜の一致という箇所だ。生態史観に則れば、病気を克服する医療技術が進めば、宗教の役割は軽くなる。これからイデオロギー的対立を越えて、世界人類が共同社会を築く鍵は、医療技術にあるのかもしれず、宗教の役割が弱まれば、貨幣という集団妄想もグローバル世界では力を失い、それぞれの地域に戻っていくのかもしれない。
気候的に恵まれた地域にある第一地域の我々は、外圧を受けつつも自成的な遷移によって歴史を刻んできた。これから共同体の内部からの力による展開のためには、何度かの脱皮が必要になる。思えばトップがコロコロ変わる様は脱皮に見えなくもない。梅棹氏はこう断言もしている。「必要なのは精神ではない。技術である。」技術を発展させるために必要なものは、やっぱりまずは健康体ですかね。
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2004/07/08 22:54
梅棹忠夫の流儀
投稿者:北祭(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
1955年、梅棹氏はアフガニスタン、パキスタン、およびインドを旅した。わが国における戦後最初の総合学術調査隊であったといわれる。本書には、その調査をもとにした初々しい論考やエッセイが十一篇収められている。
「東と西のあいだ」というエッセイのはじめ、梅棹氏はインドから日本に帰ってきたときの印象を次のように書いた。
「それにしても、日本はなんとさむいところなのだろう」
梅棹氏自らがアジアの国々に身をおき、その温度差を肌身に感じたそのままの言葉である。ここに梅棹理論の骨法をみることができる。梅棹氏の比較文明論の要諦はフィールドワークを身上とした「実感」にある。
このエッセイは、日本人から見たインド観と、インド人自身のインド観の違いを明確にする。インドの歴史、宗教、人種をみるなかで、インドという国の本質に踏み込んで行く。すなわち、インドとは「東洋」でも「西洋」でもない。そこは「中洋」であるのだという。「中洋」とはインドおよびイスラーム諸国を含む広大な面積をしめる。「とくにわれわれ日本人は(「中洋」諸国についての)知識が不足している」と梅棹氏は指摘する。それから50年経た今、はたして状況は変ったであろうか。それは否であろう。「中洋」諸国における混迷は今やいや増すばかりである。本書が長く読み継がれる理由はその卓見ぶりにあるといえよう。
さらに続く本書の読みどころは「文明の生態史観」という一篇の論考である。先の「中洋」理論からも分かるとおり、梅棹氏は世界を「東洋と西洋とに類別する」のも、日本を「東洋」の国と指定するのもナンセンスだという。それではどう分類するのか。
梅棹氏は旧世界をバッサリふたつの地域にわけた。(ちなみに、南北アメリカなどの新世界はひとまず措かれる。これは梅棹氏らしい。その時点で行ったことのない国については知ったかぶりをしない。)
「それぞれを第一地域、第二地域と名づけよう。旧世界を横長の長円にたとえると、第一地域は、その、東と西の端に、ちょっぴりくっついている。とくに、東の部分はちいさいようだ。第二地域は、長円の、あとのすべての部分をしめる」
この分類は、人間の営みと環境との相互作用の結果、その生活様式が変化してゆく様を「生態学でいうところの遷移」と同質のものであると捉え、その法則をつかむ試論への第一歩となる。第一地域とは日本と西ヨーロッパのことであり、この両方面の歴史にある共通点が描き出される。また第二地域についても、その地域特有の歴史が語られる。梅棹氏は、この分類によって説明される文化の発展とその「歴史の見かた」を「生態史観」として世に問うたのである。
本書には梅棹氏ならではの「ある特徴」が色濃くあらわれている。それは「ひらがな」の多用である。梅棹氏は自称ローマジストであった。ローマ字運動という「ローマ字を日本の国語にしよう」との志のもと、手紙からなにからすべてをローマ字タイプライターで打ち出していたほどの人であった。梅棹氏の場合はその国語実験を見事プラスにしたようである。その「ことばの選択」は洗練されていて、学者の文章としては群をぬいた分かり易さなのである。ただし、当時の歴史学者たちはそれが肌に合わなかったのかこの史観に対する反論を避けてしまったようである。







