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狂乱 新装版

  • 出版社:新潮社
  • サイズ:16cm/349p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-115738-3

狂乱 新装版 (新潮文庫 剣客商売)

池波 正太郎 (著)

  • 全体の評価 4.53件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:54015pt
  • 発行年月:2002.12
  • 発送可能日:24時間

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ユーザーレビュー- 「狂乱 新装版」

全体の評価
4.5
評価内訳 全て(3件)
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3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2003/07/05 23:46

影法師〈レクイエム〉

投稿者:流花(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

「これだけ世間から見捨てられた俺だ。このままいつまでも、こんな暮らしをしていられるか。こうなれば…狂い死にに死んでくれるぞ!!」
 石山甚市、35歳。両親に先立たれ、不遇な生い立ちの中で、剣を頼りに生きてきた。しかし、身分の低い石山が、身分の高い者たちをうち負かしてしまった時、すべての歯車が狂いだしたのである。『遠ざけられ、疎まれて…青春は踏みにじられ…いつも孤独…こういう若者が、どのように変形していくことか?…』誰もが、自分を蔑み、まともに扱ってくれない。…たった一人、まともに接してくれた豊田でさえ、周囲の圧力に耐えきれず、「出て行け!」と言う。そしてとうとう、そんな彼の姿を見て笑いを漏らした者から始まって…爆発したのである。小兵衛の差し延べた手も、あと一歩のところで届かなかった。
 自分が親切を踏みにじっているのはわかっている。挫折したり、狂ったりするのは、自分に責任があるはずだ。それもわかっている。しかし、それに耐えられない人間の弱さ。また、耐えていかなければならない運命の重さ。人は“平凡な人生”と簡単に言う。しかし、その“平凡な人生”を歩むことが許されなかった者たちの、悲痛な叫び声が聞こえてこないか?
 かつて、小兵衛も牛堀九万之助と勝負をしたことがある。勝った方が土井家の剣術指南役に、ということを二人とも知らずにである。『双方とも下段の構えで、睨み合うこと一刻に及んだ』とあり、結果は引き分けであった。九万之助曰く、「小兵衛どのが、引き分けにしてくれた」。二人とも指南役は辞退したということである。まかり間違えば、九万之助も、この手の犠牲者になってしまったかもしれなかったのだ。九万之助は、今でも道場を構え、弟子たちに“剣の道”を教えている。無用な立ち合いをせず、礼儀や心を大切にして…。
 挫折した人間、歯車を狂わされた人間が、いかにまともに生きることができないか。小兵衛は、そういう男を何人も見ている。しかも、己の手によって、その世界に突き落としてしまった男もいるのだ。彼らは、所詮、弱い人間なのか。やはり世の中、強い者が勝ち、弱い者は淘汰されていくのか。悪いのは彼らか? それとも、勝負、勝負と簡単に口にし、人を試すことを何とも思わない輩か? それとも、これぞと思った男を、徹底的に馬鹿にし、いじめ抜くことによって、己の保身を図る奴らか?
 “平凡な人生”を歩むことが許されなかった者たち。身の置き所を失くし、恨みをぶつけるところもなく、人生の歯車を狂わされた者たち。彼らへの鎮魂歌を歌い続けること…それが剣客の使命なのかもしれない。

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1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2012/01/08 15:29

曼珠沙華、散る

投稿者:saihikarunogo(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

第一話『毒婦』で、小兵衛が羽織を頭からかぶって、暴れる酔っ払いを取り鎮める。それだけならただの気の利いた爺さんだが、気を失った酔っ払いを鐘ヶ淵まで連れてきて、知らぬ顔で介抱してしゃあしゃあと親切ごかしに身の上話を聞き出すところが、さすがのいたずら小僧的狸爺いである。

ところで、タイトルの毒婦とは、どんな女か。

>「……あの女の、どこがよかったのかのう。何人もの男が現(うつつ)をぬかすほどの美形でもなし、陰気で無口で、酒の相手にもなるまいし、抱いて寝たところで、つまらぬような……」
>「ですから、その陰気なところが、たまらねえのでございますよ、男には……」

ふむふむ。いるいる。よく、後宮もののドラマや小説に、いかにも寵愛を受けて当然と思える才色兼備の女性と、こういう、どこがいいのだかわからない女性とが登場し、しかも、最後には、どこがいいのだかわからない方が、最高の権力と財力を手にしたりする。この小説に登場する弁慶草は、ウェブで調べたところ、生命力が強いことからその名が付いたそうだ。だが、『毒婦』のヒロインは、とうとう、小兵衛に生きている姿を見せることなく終わってしまった。

小兵衛が、もはや、いつもの、といってもいい、述懐をする。おはるでさえ、肚の中で何を考えているのかわからないことがあると……。私としては、やっぱり、十七歳の娘に手を出したことに罪悪感があるのね、と突っ込みたいところだが、小兵衛に応えて、板前の長次もまた、妻のおもとに対して、同じ気持ちを抱くことがあるという。

>「女の嘘は男の嘘と、まったくちがうものらしいのう」
>「嘘を嘘ともおもわないのでございますからね」

そうかもしれないが、男を惑わすのは女の嘘じゃなくて、男自身の欲望じゃないの? と、私などは思うのだが……。

第二話『狐雨』はとても楽しくて大好きな話だ。『鬼平犯科帳』にも同じ題の話があり、両方とも、狐憑きが出て来る。どちらの作品でも、池波正太郎はなんて狐憑きを表現するのが上手なんだ、と思う。別に、ほんものをみたことがあるわけではないが、『剣客商売』の白狐のしゃべり方といい、狐が憑いたときの杉本又太郎の振舞いといい、絶妙である。弱い侍が急に強くなって悪者をやっつけるくだりが、小兵衛もまっさおの人間離れしたダイナミックさと漫画のような滑稽さで、胸がすき、抱腹絶倒だ。

現代の日本にこんな白狐がいてくれたら、オリンピックで金メダルがとれるぞ。それにしても、小兵衛が、道場の隅に何かいる、と気づくのは、さすがの狸爺いだ。ただに鋭いだけでなく、「両手に茶碗を抱くようにしながら、目を閉じ」て考えたあと、なんかわからないけど、又太郎が強くなればよいのだと、微笑んで受け入れる、この優しさと知恵。

そして、第三話『狂乱』も、小兵衛の優しさと知恵が発揮されるのだが、これは対照的に、とても悲しい話である。この話に出て来る、甚市と小兵衛との関係は、よく小説やドラマにある、幕末の人斬り以蔵と勝海舟との関係に、似ている気がする。武士としては一番低い身分で、剣術が抜群に強く、教養がなく、内面はとても傷つきやすく寂しい男が、周囲から軽んじられ嫌われ怖れられ、相手を斬るつもりで出かけて行ったところが、かえって、暖かい心と聡明な精神に触れて感化され、明るい道へ踏み出せそうになったのに、結局は、暗く悲惨な最期を迎えてしまう。ただ、甚市は小兵衛によって、おだやかで美しく、「童児(こども)のような」相貌にもどっただけ、幸せだったのだろうか。小兵衛が甚市に出会う前に語られる、皆から嫌われる曼珠沙華(彼岸花)を、小兵衛だけは何とも思わなかった、という話は、後から見れば、暗示的だった。

第四話『仁三郎の顔』は、傘徳こと傘屋の徳次郎や四谷の弥七が知っている仁三郎の顔と、秋山大治郎の見る喜三郎こと実は仁三郎の顔とが、正反対なのだ。大治郎に命を救われた喜三郎は、まったく善良な商人(あきんど)そのものだ。そして、大治郎が「仁三郎」の顔を見る直前に著者は筆を止めている。とても気になる終わり方だ。

第五話『女と男』には、第一話の『毒婦』ほどではないが、悪女に分類される女性が登場する。少なくとも、おはるにとっては悪女だ。なにしろ、小兵衛が彼女の色香に迷いそうになる、いや、おはるにはそう見えたのだ。事件が解決してから約一年後、彼女に再会したときの、おはるの態度。

>「あの女の首を切っちまうんですか?」
>おはるが目をかがやかせた。

一方、小兵衛のために袖無羽織を縫って持って来た三冬に対しては、

>「あれまあ、よく出来ましたよう」

この違い。かつての三冬への嫉妬は影も形も無い。そして、鐘ヶ淵の隠宅の奥の間で、小兵衛は、瀕死の床についている愛弟子を、おはるとともに看取り、庭先では三冬が、六人の曲者を迎え討つ。三冬が凄い。かっこいい。

第六話『秋の炬燵』で、そのときの三冬を見せたかったと、小兵衛が大治郎に言うと……。

>「見なくとも、わかります」

だいたい、大治郎は、第四話『仁三郎の顔』でも、三冬の好きなお菓子を買うために遠回りしたので、喜三郎こと仁三郎に会ったのだし、三冬が結婚してから髪が伸びて来ても女髷を結わずに垂らし髪を紫縮緬で包んでいるのを、三冬らしくていいと言ったりして、すっかり愛妻家だが、更に、この『秋の炬燵』では、三冬の料理の腕を小兵衛から尋ねられて……。

>「母上のお仕込みにて……」
>にやりと笑った大治郎へ、
>「こいつめ」
>と、小兵衛が睨んだ。

単に、「母上のお仕込みにて」と答えるだけでなく、「にやりと笑った」、この「にやり」が何よ、かつて、三冬が彼女より腕の立つ武士と試合をすることになり、今度こそ負けて嫁いでしまうと心配し落ち込み小兵衛にさんざんどやされた、あの意気地なしの内気な草食男子の童貞のウブな男が!!小兵衛でなくても睨むわ。

『秋の炬燵』では、手裏剣お秀が、第七巻第六話『越後屋騒ぎ』の小兵衛を彷彿とさせる活躍を見せる。だが、この話も、あの越後屋の事件と同じく、解決した後、関係者の子供たちがかわいそうだった。小兵衛も、秋なのに炬燵を出してくれとおはるに言うほど、寒さを感じる。不機嫌になった小兵衛に、黙って煙草を銀煙管につめて差し出す弥七。

小説の時間はゆっくり進んでいる。この第八巻は、安永十年改め天明元年(1781年)夏から秋までの出来事の話だった。『狂乱』と『女と男』で、小兵衛は、不運な男に、せめて満足のいく最期を迎えさせた。助産ならぬ、助死とでもいえようか。

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2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2011/09/07 16:56

人は絶えず狂気と正気のバランスを取りながら生きている。

投稿者:toku(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

【狂乱】で、狂犬のような石山甚市について、このように語っている。
「あのときの石山の、あの狂暴な所行。狼のごとく光っていた両眼。全身から噴き出す凄烈の殺気。心身の均衡が、いったん破れたときの人間の恐ろしさを、小兵衛は何度も見てきている」

 この「心身の均衡が破れたとき」というは、正気を失っているときということだろう。言ってみれば、正気の対義語である狂気ということ。
 この心身の均衡が破れた狂気というものに着目して、本書を読んでみると、実にさまざまな狂気があるものだと驚かされる。魔が差して……というのも、この状態ではないだろうか。

【毒婦】では、ウツボカズラに引き寄せられる昆虫のごとく、おきよに惹かれ、いったん情事を持ってしまうと、おきよから強請られる男たちが描かれている。おきよの、妙に湿っぽく打ち明ける過去の不幸と、凝と見つめる哀れっぽい目つきが、男たちの心身の均衡を崩してしまうのだ。

 こういう狂気の他に、
 人でないものの力によって、剣才のない男が、襲いかかる刺客たちを、やすやすと撃退してしまう状態になる【狐雨】
 身分が低いにもかかわらず、強すぎたがために、上司からにらまれ、近づく同僚もいなくなり、狂暴になった男【狂乱】
 紅顔の少年だった秋山小兵衛道場の元門人が、同僚の人妻と姦通したあげく、その夫を殺害してしまう【女と男】
 など、心身の均衡を失った男たちの顛末を見ることができる。

 彼らを見ていると、人間は誰でも、ふとしたことで心身の均衡を崩してしまうものだ、という気がしてくる。正気とは意外と脆いもの。だから、人は、そうならないように、絶えず狂気と正気のバランスを取りながら生きている。
 小兵衛は狂気とは縁遠い。それは、剣の道を極め、さまざまな経験を積み、おのれの心を操ることができるからこそ。小兵衛を見ていると、妙に落ち着くのは、狂気と正気の天秤が微動だにしないからではないだろうか。

 もっとも、そんな小兵衛も、自分の孫ほどのおはるに手をつけてしまったときには、心身の均衡が破れていたように思えるが。

【収録作品】
 毒婦、狐雨、狂乱、仁三郎の顔、女と男、秋の炬燵。

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