- 出版社:新潮社
- サイズ:16cm/707p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-209704-X
嵐が丘 (新潮文庫)
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(3件のユーザーレビュー)
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- 税込価格:740円(21pt)
- 発行年月:2003.7
- 発送可能日:24時間
- 本
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ユーザーレビュー- 「嵐が丘」
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2010/07/09 17:12
多くの人々が、取りつかれてしまう理由。少しわかった気がします。
投稿者:きゃべつちょうちょ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後のページを読み終えたときに、鳥肌が立った。
もう一度読みたい、と思った。
そして、とても後悔した。
なんでもっと早く読まなかったのか、と。
出会ったのは、ずいぶん前だったというのに。
「嵐が丘」を読んでいたこの一週間というもの、
他のことをしていても、続きが気になって仕方がなかった。
読み始めたころは、時代があまりにも違いすぎて
小説の世界に入り込むのに少し手間取ったが、
「ディーンおばさん」が登場し、語り始めるところから
がぜん、面白くなってきた。
しばらくは、これは完璧なエンタメなのだと理解していた。
昼メロと犯罪系2時間ドラマを足して、2で割ったような。
しかし、読み進めていくうちに、
物語に徐々に深みが増していった。
これは単なるメロドラマじゃない。
復讐の狂気を描いているだけの話じゃない。
「人間が本来持っているもの」が書かれている。
そして、それらを際立たせるために色んな工夫がしてあるのだ。
二世代間をとおし、ふたつの対立する「名家」をめぐって、
人間の持つ、崇高な美しさと醜い獣性が語られていく。
孤児で蔑まれてきたヒースクリフの
心の一番の拠り所は、キャサリンだった。
しかし愛するキャサリンはエドガーと結婚してしまう。
ヒースクリフは、失望してしばらくの間姿を消す。
そして、富と成功を手にしてから復讐の鬼と化し
悪魔のような行動に出る。
ここでわたしが思い浮かべたのは
タロットカードの「悪魔」という札である。
ヤギのような角を生やし、コウモリのような羽をひろげた悪魔と、
鎖で繋がれた恋人たちの絵。
解釈は色々あるが、「囚われる」というのが大きなキーワードである。
ヒースクリフは、じぶんの支配欲の赴くままに、
復讐劇を繰り広げていくが、
他人を抑圧すればするほど、じぶんのことも苦しめることになるのだ。
「捕えよう」とすれば「囚われて」しまうパラドックス。
復讐するために、社会という枠組みの中で、
力をつけ財を得るという戦いを開始したその時点で、
ヒースクリフは、すでに囚われの身になっているのだ。
現代ではおそらく(小説とか、実生活以外のところでも)、
ここまで人生のすべてをかけて復讐に燃える人物など、
めったに見当たらないのではないだろうか。
(現代人には)そこまで暇も余裕もないというのは承知した上で、
ヒースクリフの、「相手を倒す前にじぶんに力をつける」という
スタンスは、評価したい。それはひとつの美学だと思う。
ヒースクリフのように、ここまで極端ではなくても、
悔しさが、何かを開花させるというのはよく聞く話である。
「嵐が丘」は、たしかに復讐譚であることは間違いないし、
いやな気分になるような残酷シーンもあった。
しかし、わたしには、泥くさいまでの人間劇に映った。
そこまでやるかと思わせる、あの執念。
それは、
徹底的な「生への姿勢」ということではないか、と。
相手をすぐに殺害したり、じぶんが(あてつけに)自殺したりといった
安易な方法ではなく、
両方とも生きたまま復讐をつづけるには
ものすごい根気と熱意と労力がいる。
とにかく相当なエネルギーを要するだろう。
最後に。
新訳の鴻巣さんのアイディアで
「嵐が丘」に対抗する「スラッシュクロス屋敷」が
「鶫の辻」という、なんとも絶妙な呼び名に変わった。
名訳だと、記しておきたい。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2011/02/12 23:24
コントラストとシンメトリーが悲劇を生み、そして、未来への希望も残した。
投稿者:wildcat(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初にこの作品のことを知ったのは、有名少女漫画の劇中劇としてだったから、小学校の高学年の頃だった。
だが、『ジェーン・エア』は、世界の少女文学として出会って、中学生の頃に読んでハマったのに対し、
この『嵐が丘』を通して読んだのは今回が初めてだった。
読む前から話はなんとなくは知っていて、
少ない登場人物で濃密な愛憎劇を繰り広げるというイメージがあった。
きちんと読んでみようと思ったのは、多読用にリライトされた本を読んで、気になるセリフがあったから。
そして、以前読んだのよりももう少し長めのリライト英語版を読んでみようと思ったので、その準備のためもあった。
「エドガーがハンサムで若くて明るくてお金持ちで自分を愛してるから」、
そして、「ヒースクリフを愛しているけれど、ヒンドリーに格下げされたヒースクリフと結婚すると落ちぶれることになるから」
という理由で、エドガーを選ぶキャサリン。
そして、その結婚で、ヒースクリフの立場をどうにかしてあげようと無邪気にも思っていたキャサリン。
まるで子供のような見解なのだが、その選択をする瞬間、彼女は本当は気づいていた。
その選択が良い結果を生まないことに本能的に気づいていたのだ。
そして、自分が何者で、ヒースクリフが何者かを知ってもいた。
「ここよ、それから、ここ!」キャサリンはそう云いながら、片手でひたいを叩き、もう片方の手で胸を叩きました。
「魂はどっちに住まうものか知らないけど、魂のなかでは、心のなかでは、これは絶対にいけないことだとわかってるの!」
(p.165)
あの子には、どんなに愛しているか打ち明けずにおくの。
どうして愛しているかというと、ハンサムだからじゃなくてね、ネリー、あの子がわたし以上にわたしだからよ。
人間の魂がなにで出来ていようと、ヒースクリフとわたしの魂はおなじもの。
リントンの魂とは、稲妻が月明かりと違うぐらい、炎が氷と違うぐらい、かけ離れているの
(p.169)
ネリ―もみんなも、自分を超えたところにも自分がいる、いるはずだって、きっと感じているでしょう。
もし、わたしがこの体の中だけにすっかりおさまるんなら、せっかく神に創られてきたのに、なんになるというの?
生きるうえで大きな悲しみはなんだったかといえば、それはヒースクリフの悲しみよ。
わたしはその悲しみを最初からひとつひとつ見て、この身に感じてきた。
生きていくなかでなにより大切に思っているのは、ずばりヒースクリフなのよ。
ほかのなにもかもが消え失せても、あの子だけは残る。彼が残れば、わたしも存在しつづける。
けど、ほかのすべてが残っても、あの子が消えてしまえば、宇宙は赤の他人になりはてるでしょうね。
わたし、自分がその一部だなんて思えっこない。
(p.172)
また、リントンへの愛が、森の木の葉のように時が変えていくとわかると理解しており、
対して、ヒースクリフに対する愛情についてはこのように言っている。
ヒースクリフへの愛は地の中にあって変わらない巌にも似ている
―そこから出ずる喜びは、目に見えるか見えないかだけど、なくてはならないの。ネリー、わたしはヒースクリフとひとつなのよ―
あの子はどんな時でも、いつまでも、わたしの心のなかにいる
―そんなに楽しいものではないわよ。ときには自分で自分が好きになれないのといっしょでね―
だけど、まるで自分自身みたいなの。
自分自身のように愛する相手との関係は、決して楽なだけではないことも分かっていたのである。
だが、彼女は自分の心に気づいていながら、エドガーを選ぶことになる。
そして、彼女の本心は、ヒースクリフに届くことはなかった。
彼は、キャサリンのことばを、ヒースクリフと結婚したら落ちぶれてしまうというところまでしか聞いておらず、
失意のうちに嵐が丘を出ていくのである。
それがのちのち悲劇を生みだして行くことになる。
彼らは、その魂の本質のところであまりにも似ていたのである。
激しい刃は、自分に向かうときも他人に向かうときもあまりに鋭かった。
嵐が丘(Wuthering Heights)・アーンショウ家と鶫の辻(Thrushcross Grange)・リントン家、および、
キャサリン、ヒースクリフ、エドガーと次の代のキャサリン、リントン、ヘアトンの対照性(コントラスト)と対称性(シンメトリー)については、
本書の解説にも詳しいが、そのコントラストとシンメトリーが悲劇を生み、そして、未来への希望も残したのだと思う。
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2003/08/01 00:18
幻の名場面と、ネリー再発見。
投稿者:こたにりこ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋愛も虐待も復讐も、すべてが恐るべき執念でできている。強烈な印象をもたらす古典作品の新訳が誕生した。
有名な古典になればなるほどイメージが固まりやすく、「読んだつもり」になってしまうことがある。新訳という良いきっかけを頂いて、もう一度しっかりと本を開けることを、ありがたく思う。
記憶というのはあてにはならないものだということも分かった。私の身近なところで、荒野に「キャシーー! キャシーーー!!」と、ヒースクリフの悲痛な叫びがこだまする名場面(?)があると思っていた、と言う人がいた。しかし、私は、少年時代のヒースクリフは無口で、去る時も黙って行ってしまったのだと思っていた。果たして、ヒースクリフがキャサリンを求めて叫ぶ場面はあるのか? 何度か探しているのだが、全く見つからず……。
今回特筆すべきは、ネリーの位置づけだろう。家政婦ネリー・ディーンはただの語り手として居合わせるのではなく、小説の進行にかかわる重要人物の一名に数え上げられている。
出来事の外側にいる人間の公平な目で語ったのとは違い、当事者に含まれるネリーの言い分は、絶対のものではない。語りには、彼女自身の考えや主観的な意見が溶け込んでいる。そのため、作中で起きる出来事は固定されず、常に「ぶれ」を伴っている。
また、ネリーの語りは、あくまでもロックウッドというモデルに向けて作られたケースである。小説を読んでいる者全体にまんべんなく話がふるわれることにはならない。物語の読者は、ロックウッドが受け取った情報をもとに、各々が小説『嵐が丘』の組み立て作業をおこなうことになる。
その複雑さ、多元性から、読者の理解が作品の奥まで充分に及ばない時期もあったと思う。しかし、時代が読み手の成熟を促し、行き届いた解説も増えて、現代では小説の全体像を見渡せるゆとりもできた。新しい訳文には、その「蓄え」があらわれている。語りがやわらかく、すっきりと組まれて読みやすい。訳者の鴻巣友季子は、分かりやすく、旧訳よりは少し明るめに、時には独特のユーモアをこめて、あたらしい『嵐が丘』を組み立てている。







