白い薔薇の淵まで (集英社文庫)
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- 税込価格:460円(13pt)
- 発行年月:2003.10
- 発送可能日:7~21日
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ユーザーレビュー- 「白い薔薇の淵まで」
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/06/06 03:05
焦りにも似た感動。目をそむけてはいけない人を恋う業。
投稿者:はりゅうみぃ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は第14回(2001年)山本周五郎賞受賞作品だが、本を閉じた今、この作品を選んでくれた選考委員の皆様に1人1人握手して回りたくてたまらない。
この本の存在を教えてくれた事に対するお礼ともう1つ、筆者に命を与えてくれたことに対しての感謝を伝えたくて。
本書はジャン・ジュネの再来と言われる新進気鋭の女流作家「塁」と、普通のOL「わたし」との激しい同性間の愛の記録だ。
この作品は多分に筆者の姿が自己投影されている。筆者は同性愛者であることを公言しており、そのカミングアウトに伴う社会的制裁とも言える偏見の中を1人戦ってきた女性だ。
彼女の自分に対する嫌悪、肯定、孤独、思慕などがある時は「塁」、ある時は「わたし」となって本書の中で激しく渦巻く。
もともと恋愛感情には生殖行為という欲望が潜んでおり、これはすべての生物が持つ子孫繁栄のための犯しがたい本能であるが、同性愛はその本能に真っ向から立ち向かう、ある意味人間でなければ成しえない恋愛の形と思う。(繁殖期にあぶれたオス同士の疑似行為もあるがそれとはもちろん違う)
もちろん同性愛をもろ手を挙げて賛成しているわけではない。肉体交渉込みで同性を恋愛対象としてしまう気持ちはやはり私にはわからないし、身内から同性愛者だと告白されたらきっとショックで取り乱してしまうと思う。場合によっては、もっとよく考えろとひどくなじるかもしれない。
しかし本書はそういった感情を通り越し、もっと根源の部分を揺り動かす。
それは恋に溺れて命を削るのではなく、命を削ることこそが恋愛だと言われているような深い業だ。
相手が異性でも同性でも、ここまで妥協も計算も許さない真摯な恋愛を本当にしたことがあるのか?と付きつけられている気がするのだ。
異性だの同性だのと区別することが本当に必要なのか。子孫を成せる愛でなければ「是」と言えないのか。ならば初めから身体的に不妊である男女の恋愛は意味ないものなのか。はっきり答えられるものがいれば教えてくれ、と筆者は作品を通じて私たちに問いかけているように思えてならない。
そしておそらく誰もこの問いに答えられない。考え始めたら今の自分が揺らぐからだ。
この本を読んで焦燥にも似た感動を覚えるのは、そのせいだ。
筆者はまさしく命を削って作品を書いている。「塁」のようにはならないと、歯を食いしばって一生懸命自分を叱咤しながら。そして、自分でもわからない、でも誰にも答えてもらえないこの問いを投げかけ続けるうちに命尽きてしまいそうだ。
だから本書に、というか筆者に賞を与えてくれた方々に感謝する。
この賞は彼女に生きる希望を与えたはずだ。これほど意義のある賞があるだろうか。私にはできなかった、筆者に答える一つの形。
おこがましいが委員の方々に握手して回りたい。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2003/11/28 10:49
ひとたび恋に落ちたら、もう二度と地球に戻って来れないような、そんな苛烈な恋愛小説です。
投稿者:高島K史(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品を読むまで中山可穂という名前も、これが山本周五郎賞受賞作というのも知らなかった。図書館だった。ふと目に付いた「白い薔薇の淵まで」というタイトルの不穏な美しさに惹かれて読み出すと止まらなかった。閉館時間も忘れ、近くのソファーに腰を下ろして耽読した。それは「耽読」という言い方がまさに相応しい。
読書経験を重ねると「感動」というものに免疫が出来てしまうようだ、と最近私は思っている。特に「感動」が売りの恋愛小説に関してすっかり「すれっからし(笑)」になってしまい、巷で話題の恋愛小説を手にとっても「ありがちじゃん」と不満を募らせ、結局、古典に帰ったりする。ところが、この「白い薔薇の淵まで」には見事に感動させられてしまった。どうしてだろう?
たぶんそれは、中山可穂の切実さに胸を打たれてしまうからだ。自分をむき出しにしてまでわかってほしい、という思いに溢れた文章の力強さ。一歩間違えればただの、芸術に昇華できない自意識過剰に過ぎないかもしれないこの力で、読まされる。
中山可穂の作品はほぼ全てが女性同士の性愛を描いたものである。この「白い薔薇の淵まで」も、ジャン・ジュネの再来と謳われる新人小説家=塁と平凡なOL=クーチの、女性同士の、苛烈な恋愛を描いたものである。
恋愛小説と言うのはおおざっぱに言ってしまえば、コミュニケーションとディスコミュニケーションに関する小説のことだが、この作品はコミュニケーションの不全が大きな問題になっている。そしてその問題は、エキセントリックな人格を持つ塁の言動によって、普遍性からは遠ざかったもののように見みえるが、結局は、誰かが誰かを好きになっている、という原始的な、それだけの問題なのだ。この小説の普遍性、小説世界と現実世界のつながりはそこに集約されるだろう。
(だから同性愛というモティーフを敬遠してこの本を手に取らないというのはちょっと残念なことだと思う、とも付け加えておこう)。
あとがきに「少数の読者に深く愛される作家であり続けたい」とある。普通、作家が「少数の読者に」などと言う時は、負け惜しみじゃないのか、と私は思ったものだが、中山可穂の場合それは実に切実な気持なのだろうと思う。中山可穂は、イコール、彼女の本、と言ってもいいのではないか、そう思ってしまうようなとてもいいあとがきであり、ちょっとこれは小説を読みはじめる前に目を通すといいのではないか、と感じた。
ところで中山可穂の今の所の最高傑作はわたし的にも客観的にも、この「白い薔薇の淵まで」と言って良いだろう。これ以降から現在までの作品は、割と大人しいというか、モラトリアム期間中というか、「白い薔薇〜」以前(主に「猫背の王子」「天使の骨」などのミチルシリーズ)ほどのあぶなっかしさがない。ともすると破綻してしまうような構成のアンバランスさと、人物のエキセントリックさ、これが中山可穂の最大の魅力であり本質であると私は思っているから、またそれを長篇でやってほしいなぁ、とひとりのファンとして勝手に期待している。







