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ユーザーレビュー- 「赤い高粱」
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2003/12/20 21:55
現代社会という狭い通風口のなかを這って前進している。時にうずくまりつつ…。突然、背後から襲ってきた爆風に吹き飛ばされ、出口から外に出されてしまう。莫言の文学とは、そのようなものだ。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー)(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
国際映画祭で高い評価を受けた「紅いコーリャン」の原作である。本書と続編の2冊が他の出版社の現代中国文学選集シリーズに所収されていたが、絶版になっていた。名作の誉れ高かったものの、巻末に添えられた訳者あとがきがどうも気乗りしないで書かれている風で、図書館で何回か手にとっては読まずにいた。
本書には、稿が改められたあとがきが添えられた。ここ20年ほどの作家の歩みと内外の評価について分かり易い解説がされ、莫言文学の特徴について興味深い分析がなされている。さらに、張競氏による充実した解説も付けられ、作品を堪能したあと、改めてこの作家が描いているものの偉大さを確認できるようになっていた。
訳者による興味深い分析とは、莫言の史観である。「わたしの心には、歴史などというものはない、伝奇があるだけです」という作家の言葉を引き、普通に言われるところの「歴史」は、莫言にとっては祖父母や両親、村人たちに語られ、記憶のなかに根づいている「民間の伝奇」の集成ということになると指摘している。
カバーや帯の紹介を参考に書けば、この物語は、赤い高粱畑が炎のようにゆらめく高密県東北郷に生きた血と土に彩られた一族の凄烈な、それゆえに荒唐無稽なサーガである。
1939年の抗日戦争から始まる。語り手である「わたし」の父が少年ゲリラとして参戦する日から、山積みの死体、犬やロバへのリンチ、そして人間へのリンチといったむごい場面が展開し、それと並行して「わたし」の父の特異な血の交配の背景が明らかにされていく。
今、荒唐無稽という言葉を使ったが、おそらく物語の多くは実際にあったことに基づいている。鬼子兵と呼ばれていた日本兵に対し「わたし」の祖父が行った死体への陵辱について、わざわざ註が設けられている。その部分が醜悪でリョサの小説に類似があると指摘した友人に、「祖先のやった事は、功績も過ちも消したり、隠したりしてはならないのだ」と作者は答えたという(248P)。
解説者である張競氏の解説で再確認できた偉大さとは次のようなものである。
「『赤い高粱』が人々を驚かせたのは、自然人のような生である。それも、現代人にとって眩暈するような強烈な生き方だ。目の前に展開されているのは、近代的な意味体系によって支配された世界ではなく、自然な意志のもとでの、素朴な村落共同体の中での生と死である」(322-323P)
短篇集『白い犬とブランコ』の感想を書いたとき、最後に「生の区切られた時間だけが、小説的真実として、ただ生き生きとうごめいている」と私は書いた。本書で犬猫のごとく野合し、切り刻まれイナゴのように体液を垂れ流し、落下した果実のように朽ちていく——赤い高粱畑のなかで——そのような人びとの「爆風」を思わせる荒々しい言動と猛々しい激情にも、理性や品位、倫理にコントロールされるものはほとんどない。
人間が人間として自分を認める時の、あるいは人間らしいプライドをもつための道具であるそれら理性、品位、倫理から人間を描くのをやめたとき、無統制や暴力に対する不安や畏れが多少なりとも作家にはあったはずである。それを飛び越え、自然の一部にしかすぎない人と家族の営みを書く勇気をもって初めて、可能になる表現の美しさがある。そう教えられながらこの小説を読み通すと、現代という息苦しい通風口の外に出て、新鮮な空気を胸一杯吸わせてもらえるのである。




