四季 秋 (講談社ノベルス)
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- 税込価格:924円(26pt)
- 発行年月:2004.1
- 発送可能日:7~21日
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商品説明- 「四季 秋」
大学院生となった西之園萌絵と、彼女の指導教官犀川創平は、真賀田四季博士が残したメッセージをついに読み解き、未だ姿を消したままの四季の真意を探ろうとする。「すべてがFになる」の真の動機を語る衝撃作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介- 「四季 秋」
森 博嗣
- 略歴
- 〈森博嗣〉1957年愛知県生まれ。著書に「すべてがFになる」「冷たい密室と博士たち」「笑わない数学者」など。
ユーザーレビュー- 「四季 秋」
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2004/07/17 18:18
すでに大満足
投稿者:郁江(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は四季〔春 夏 秋 冬〕4部作の3作目に位置する物語で、結末ではないこの秋で 作品を評価し書評を書くのはどうかと思われるかもしれないが、あえて言いたい。私はこの本が好きだと…たとえ全ての謎はとけてなくても 私としてはすでに秋で明らかにされた 物語の構成。同作者の NシリーズとVシリーズの接点 時代設定 これだけで正直驚き 満足している。勿論 冬もこれから読むつもりだけと 秋を越える衝撃を作者はきっと用意していてくれると私は信じている。
作者 森氏の言葉は 一言でいうと 整っていて すごく綺麗だといえる
ミステリーという分野 だけでなく エッセイなどを読んでいても良く分かる 言葉一つ 一つに 彼のこだわりが透けて見える。
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2004/01/11 15:55
読み進めるうちに「をいをいをいをい!」と思わずにはいられないのでありました。
投稿者:のらねこ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
っつうか、ここまでS&MシリーズとVシリーズとがクロスオーバーするとは思わなかったもんで、ちょっと意表を突かれたというか。両シリーズの主役格の「あの人」と「あの人」の関係が「アア」であるとは!(正直、ネタバレ承知でぶちまけたいという気持ちはいっぱいあるのだが、これから読む人のために、ここではやはり伏せたママにしておきましょう)
「四季」シリーズの三冊目ということですが、肝心の真賀田四季自身は登場しません。かわりに、真賀田四季に少なからぬ関心を持ち続ける人々の動向や心理を描いています。
「不在のままの中心人物に撹拌される周辺の人々」といった感じで、たぶん、次の巻の「冬」で完結すると予想できる「四季」シリーズのなかで、最終巻前の箸休め的というかインターミッションというか、今までの関連シリーズでずーっと敷いてきた伏線とか情報とかを丁寧に整理するようなおもむきもあります。
S&MシリーズとVシリーズ、どちらかしか読んでいない方も、これを機会に全巻読破して予習しておくと、「四季」シリーズの完結が、よりいっそう楽しめるかと思います。
酩酊亭亭主
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2004/01/20 22:34
森ファミリーは全員「四季」に注目している。
投稿者:綾瀬良太(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
森博嗣という作家は、ミステリーという手法を駆使しながら、「アウトサイド」と「インサイド」を自由に行き交う作家だ。S&Mシリーズ10作とVシリーズ10作は、本作をもって完全に融合した。デビュー作「すべてがFになる」でスタートし、途中「捩れ屋敷の利鈍」や「赤緑黒白」でクロスオーバーを見せたが、接点は両シリーズで活躍する登場人物が一緒に「物語」を彩るったに過ぎなかった。
しかし、「四季」シリーズを読み始めると、すべてが布石であったことが明確になった。あの顔、あの名前がどんどん登場する。彼らは「四季」の物語、つまり春と夏と秋と、自作の冬を紡ぐためにいくつかの事件を解決してきたかのように映る。大河ドラマが同時進行していたこに、読者はやっと気づく。
それを証明するかのように、「四季 秋」に描かれる主要な登場人物は皆、不在の「四季」のことを思い浮かべる。「不在」という登場のあり方を描きながら、誰よりも存在感があるのが、天才たる由縁だ。犀川も萌絵も保呂草も世津子も亜樹良も、シリーズを横断して、全員が「四季」の物語を読みたいと願っている。そう、それは森ファミリーというべき人々の願望なのである。森博嗣は物語の中に複数の物語を生み出し、どこまでも内側と外側の物語を交錯させる。夏の終わりに初秋が生まれ、秋の最終章に冬の始まりがある。森博嗣は「四季」にいろんな季節があることを知っている。読者は幸せなことに、それを探す楽しみを与えられている。
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2004/01/19 14:27
S&MとVをつなぐもの
投稿者:一石(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
四季シリーズ第三弾。秋。
主要な森作品は、ひとつの体系をなしている。
このシリーズは、その中で最も謎に包まれ、(ある意味)最も重要な人物である真賀田四季という天才のストーリーである。森作品の体系が徐々に明かされていくのが、とても面白い。
同シリーズの前二作(春、夏)では、真賀田四季の幼年時代、および、「すべてがFになる」で述べられていた四季による(といっていいのかどうか)両親殺害までの経緯が書かれていた。そのため、生まれながらに桁外れの天才だった彼女の言動、思考が中心となっており、大人でさえついていけないほどの高速度な論理展開に翻弄された。もちろん、それもまた一興だ。
今作は、前二作とは異なり、主に登場するのはS&Mシリーズの西之園萌絵と犀川創平の二人だ。バックボーンに真賀田四季博士の影があるものの、ほとんどS&Mシリーズのその後、といった内容である。特に、「すべてがFになる」では明かされなかった本当の真相も明らかにされる。
そして、S&MシリーズとVシリーズをつなぐという意味合いも強い。
些事として明かされていなかったいくつかの謎も、ここで解明する。「100人の森博嗣」の中で森氏ご自身がVシリーズ最後の作品に対するコメントで提示している謎。犀川の妹である儀同世津子が彼を呼ぶとき、なぜ「創平君」と呼ぶのか。犀川の友人、喜多助教授は儀同世津子を見て「似ていない」と言ったが、それはなぜか。などなど。それらの謎に解答を与えてくれる。
メインストーリーよりそちらのほうが面白かったが、そもそもはそちらがメインなのかもしれない。
いずれにせよ、前二作のような難解さはかなり薄れている。
今回のテーマはなんだろう。全編を通して、ある概念が浮かび上がってくる。
難しく言うなら、人のもつエゴとでも言うべきもの。そして、そんな自分を許すということ。
ああ、難しい。
どうせ全てを理解することは不可能なのだから、自分なりに感じたことを、自分なりに解釈すればいいのかもしれない。
できることなら、S&MシリーズとVシリーズをひととおり読了した後に本シリーズを読むことを強くオススメする。が、本シリーズを先に読んだ方が後でS&MシリーズとVシリーズを紐解くというのも、乙な読み方かもしれない。
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2004/04/11 21:17
この本は、あくまで春から冬まで読んで評価すべきなんだろうね、はっきり言って全く面白くないのは、よしもとばなな『王国2』と同じで、そういう地味な巻構成なんだよね
投稿者:みーちゃん(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎回、カバーの話で申し訳ないけれど、このシリーズのデザインのキレの良さは、やはり辰巳四郎の力に負うところが大きいのだろうなあと思う。紅葉と銀杏の葉の配し方といい、その色合いといい、秋という字とのバランス、銀色の「秋」と右側の「四季」のグレーの対比といい、英文字の字体といい、脱帽である。しかも、「秋」の左に
「時間と空間を克服できるのは、
私たちの思想以外にありません。
生きていることは、
すべての価値の根元です。」
とある。クーッ!である。
で、今回は背の「四季 秋」の下に「精緻の美、森ミステリィ」と金色で書かれているではないか。京極夏彦のときは、ただぶっきらぼうに「長編小説」とだけあるのに。ハハァ! 森様、である。
「手がかりは孤島の研究所の事件ですでに提示されていた! 大学院生となった西之園萌絵と、彼女の指導教官、犀川創平は、真賀田四季博士が残したメッセージをついに読み解き、未だ姿を消したままの四季の真意を探ろうとする。彼らが辿り着いた天才の真実とは? 『すべてがFになる』の真の動機を語る衝撃作。」
以上が本の裏の紹介。
で、この本を単独で語ることはあまり意味がないだろう。前作『夏』がよかったせいで、期待したけれど、どちらかというと『春』に近く、無論それはガキの天才ぶりが嫌だといった意味ではなくて、この本の中では話が収束しない、どちらかというと通過点のような物語だからだ。
少なくとも言えるのは、この本における真賀田四季は、『春』の嫌味な6歳の天才ガキモドキではなく、『夏』の思春期の憂鬱を抱えた14歳の天才少女でもなく、天才ゆえに人より先に秋を感じる33歳の女性となっている。その間に横たわるのは、20年を越える歳月だけではなく、二つの死体というのが凄い。
しかも、森の文章のタイポグラフィックなセンスは、夢枕獏ほどではないまでもリズミカルに研ぎ澄まされる。たとえば
「数々の時間、
数々の場所、
数々の人生、
数々の生命、
その組合わせを試す、パラメトリック・スタディ。
可能性の道、
道筋の確率、
確率の数値、
数値の集積、」
このような文章が、ここまで整然とはしないまでも随所に見ることができる。
西之園萌絵の小児的な(これもまた、森のロリコン趣味なのだろうが、ある意味女性蔑視に近いだろうなあ)心理描写から、このS&MシリーズとVシリーズとの関係が浮き上がってくる。彼らの年齢設定が予想外の形で示され、その複雑な、ある意味天才家族ですのよ、と誇示するような爛れた閉じられた系図が見えてくる。
もしかすると、森はこの両シリーズの幕引きを図っているのかもしれない。それにしても、私には二つの別の似通った話だと思っていたものが、こういう形でウロボロスとなってしまうとは、驚きである。しかし、そうなると私のような鳥頭には、それらの時代設定が腑に落ちなくなってしまう。そして、天才という嫌味な女たちは、四季も紅子もただの嫌味なオバサンに近づいてくる。
最後に、章のタイトルだけを挙げておく。「漸近し収束した曲線」「発散手前の極解」「収斂の末のゼロ・デバイド」「時間変化率の不連続性」「祈りと願いの外積」、それらをプロローグ、エピローグが挟む。
このシリーズは『冬』を迎えて初めて評価が可能となるのだろう。







