春にして君を離れ (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫)
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- 税込価格:714円(20pt)
- 発行年月:2004.4
- 発送可能日:24時間
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ユーザーレビュー- 「春にして君を離れ」
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/05/28 17:21
人間に巣食う自己満足、独占欲がもたらす罪
投稿者:ろこのすけ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦がはじまる少し前の話である。
主人公ジョーン・スカダモアは中年の美しい主婦。夫は弁護士。子ども三人を立派に育て上げ、自分たち夫婦ほど幸福な者はいないと思っていた。それはひとえに自分が夫や子どものためにがんばってきたおかげだと自負するのであった。
末娘の嫁ぎ先のバグダッドへ娘の病気見舞いに行き、ロンドンへと帰路につく途中、テル・アブ・ハミドの砂漠地帯で長雨のため足止めを食う。
足止めを食っている宿泊所で退屈な日々を過ごすうち、来し方のあれやこれやを思い起こす。自分がどれだけ理想の家庭を築いてきたか、夫のためにつくしてきたことや、子どもたちの為に良かれとしてきたことを邂逅するうち、徐々にそれらが本物だったのだろうかと疑念を抱く。
夫の愛情の真偽、子どもが自分に抱く感情にはじめて気がつくのだった。
自分の顔は自分で見ることが出来ない。
どんな概容をしているのかを知るためには鏡でみると分かる。では鏡を見ることが出来なかったらどうだろうか?家族や、友人、周囲の反応が如実に物語ってくれる。
しかし、彼らが発する言葉や態度を正しく読み取れず、自分の都合の良いように解釈したとしたら、「自分」を正しくみることはできない。
人は己を直視することは少ない。自分の醜さの部分ならば、さらに直視しようとはしないものだ。自分を正しいと思いこみ、他者の人生までも自分の思い通りにしようとする。しかも、それが愛するが故の強制であったなら思い通りにされた者の人生はどうなるのだろうか?しかも「愛」と思い込んでいたものは、実は自己満足以外の何ものでもなかったとしたら。
愛するがゆえに赦されないものは何だろう?
幸福とは何だろうか?自己満足と云う愚かしさ、独占欲がもたらす罪。
それらが織りなす物語。
虚構の世界ではあるけれど、現実にどこにでもあるあの人やこの人の人生がここにはある。いや、これは私のことかもしれないと思ったとたんぞっと過去を振り返るのだった。
そして何よりも一番怖かったのは最後に夫のロドニーがつぶやいた言葉である。
人間に巣食う自己満足や、独占欲、幸福のあやうさを、淡々としかし深遠にえぐってみせたメアリ・ウエストマコットの最高傑作である!
実は何を隠そうメアリ・ウエストマコット!というのはアガサ・クリスティーの別名である。
アガサ・クリスティーが殺人も、探偵も出てこない小説を6篇だけ書いた。
そのうちの一つがこの本。
アガサ・クリスティーは長い間アガサの名を隠してメアリ・ウエストマコットの名のままこの作品を出していた。
アガサ・クリスティーはこの本の構想を長年練ってきたそうだけれど、書き始めたら1週間で書き上げたのだった。そして完成したときは性も根も尽き果ててすぐベッドにもぐりこんで、一語も訂正せず、そのまま出版したという。
アガサの名をなぜ長い間秘して本書を出版したのか?その謎を推理してみるのも面白い。
言葉の泉
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/05/03 23:43
主観と客観の大きなズレが生む恐怖
投稿者:カフェイン中毒(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
推理小説ではない、クリスティー作品です。
ところが並みの殺人事件よりも恐ろしい。
一人の平凡な主婦の独白が、次から次へと恐怖を提供してくれます。
結婚して遠方に住む娘の見舞いに出掛けたジョーン。
母親としての役目を無事に終えた充実感を胸に、帰路へつきます。
鉄道宿泊所の食堂で、学友の女性とばったり顔を合わせるのですが、
若さを保ち、品の良い弁護士夫人である自分とは対照的に、
落ち着きのない薄汚れた中年女になった友人の姿。
幸せになる努力もしないで、好き勝手に生きてきた彼女の自堕落さを、
憐みつつも、ジョーンは優越感にひたります。
その後、思うように運ばない陸路での旅で時間を持て余すジョーンは、
この学友の言葉に導かれるように、愛する夫や子供たちとの会話を、
じっくりと思い返すことになってしまいます。
いわゆる「何を言っても、聞く耳を持たない人」というのがいますが、
じつはジョーンがそうなのです。
それがどう家庭に、生き方に影響しているのか、薄皮を剥ぐように少しずつあきらかになっていきます。
彼女の回想は、かなりはっきりと客観的事実をこちらに伝えてくれます。
ここまで気づいているのなら、なぜ自分の家庭が順風満帆だと思えるのか、逆に不思議でたまらないくらいに。
そこにこの物語の、本当の恐ろしさがあると思うのです。
同じ事実を前にしたときの、ジョーンとそれ以外の人たち(読者も含む)のとらえ方のあまりの違い。
主婦として懸命に働き、家族のことに心を砕いて努力を怠らないで生きてきたと言い切るジョーン。
しかし彼女は、いちばん大切であるはずの「目の前の事実を受け入れる」ということに対して、
恐ろしいほどに怠惰だったのです。
ジョーンが、そして彼女に不満を持ちながらも逃げるか諦めるかしてやり過ごしてきた家族が、
気の毒ではなく恐ろしく感じる、そういう物語だと思います。
殺人も命を脅かす出来事も起こらないのに、終始ゾクゾクして一気に読んでしまいました。
ジョーンに救いはあるのか、未読ならばぜひ確かめてみてください。
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2008/12/15 12:37
誰も死なない、そして何より恐ろしいミステリー
投稿者:空蝉(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
良妻賢母の主人公ジョーンが、単身旅行の帰り道、かつての学友と偶然会い、一抹の不安を掻き立てられたことからすべてのものがひっくり返っていく。自分の信じてきた夫、子供達、家庭、落ち度の無いはずの自分の人生・・・自分の築き上げてきた過去すべてが、だ。
だれも死なない、事件もおきないこの物語は、しかし殺人事件以上に恐ろしいミステリーである。
人は己が培ってきた経験や築き上げてきた人間関係、環境など様々な過去を土台に今を生きている。信じられないものが多いこの世界の中で唯一最も信じられるモノは何か。自分が今生きていて、生きてきた過去があるということだ。しかしこの唯一頼れる過去とその自分が、実は信じていたものではなかった、としたらどうか。
この作品の主人公ジョーンはまさにそういう恐怖に崩れ落ちていく。真実であると思い込んでいた過去が崩壊し、家族や友、ついには自分自身の『本当の』姿が次々と現れる。
根底から覆されるという恐怖がいかほどのものか、読者は知ることになるだろう。
最終的に彼女が選んだ道は・・・ラストを読んでもらえば判ること。ひとついえるのは、彼女はひとつの彼女を殺し、ひとつの彼女を選んだ。血を流すことの無い、殺人の起きないアガサ・クリスティの作品。しかし、ここにひとつの立派な殺人が、起こっていたのである。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2005/10/24 12:03
あなたが見ているのは真実の世界ですか?
投稿者:つな(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
良き夫、子供に恵まれ、有能な主婦であると自認する、ジョーン・スカダモア。彼女はこれまでの努力の成果により、満足すべき充実した生活を送っていた。いつまでも若々しく、朗らかなまま・・・。
末の娘バーバラの病気見舞いに行ったバクダッドからイギリスに帰る途中、ジョーンは学生時代の旧友ブランチ・ハガードに会う。その時から、世界は少しずつ違った様相を見せ始める・・・。
バクダッドからイギリスへの帰路は遠い。テル・アブ・ハミドで汽車の不通のために、足止めを食ったジョーン。これまで「忙しさ」にかまけて、気付かないふりをしていた物事が、彼女の他に人もいない砂漠で頭の中に溢れ出す。何を聞いても何を話しても傷つかない、つるつるのプラスチックだったような彼女の心が動き出す。
「常識的」で「現実的」、「有能な」彼女は、周囲の人々にどう接していたか?そしてそれは、どう影響していたのか?
ジョーンがここまで、「気付かなかった」のは、また周囲の人のせいでもある。あまりにも揺るがない人を見ると、人は「話しても無駄だ」と諦めてしまう。彼女と周囲の人間の思惑が積み重なって、彼女の世界は歪められたのだ。
そして更に怖いのが、この黙示録を味わったはずの、ジョーンの帰宅後の生活。彼女が生きていくことにした世界、あの選択は正しかったのか?
自分は周囲の人に、諦められていないだろうか、と不安に思う小説だった。自分の見ている世界は真実のものなのか?
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2005/02/23 11:09
ミステリー以上の恐怖。
投稿者:kaoru(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分は人より恵まれている、勝っていると思いこんでいた主婦が、一人旅をきっかけに自分の本質に気づいてしまう話。
本当の自分とはいかなる存在か?
自分で思うより有害、無益なのでは?と考えさせられてしまう恐い一冊。
本書はミステリー作品ではないが、さすがアガサ・クリスティーと思わせる心理的に恐ろしい話である。
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2004/07/06 11:38
自分の心はミステリー
投稿者:キャット(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年クリスティ文庫が創刊され、その中に「推理小説でない」がクリスティとしてはずせない素晴らしいこの作品が入っている、というのは実にうれしい。表紙の写真も素晴らしい。作品を読んだあとでじっと表紙を見つめると、読む前にイメージしていたものと全く違ったものが見えると思う。
内容は、ごく普通の裕福で幸せな中年の女性が、旅行先で一人になったことがきっかけで、自分の今までの人生が崩壊するような、自分の家族の中の暗闇に気付く、という作品。それもその暗闇が、全て自分から発していることが原因だと気付いたら…。「全て自分が悪いのだ」と認めるのは、とても辛いことだと思う。おまけに今の今まで「自分は完璧で、幸せだ」と思っていたのだから、その幸せを全てひっくり返してしまい、不幸のどん底に自分を落としこむのはたまらないだろう。ただ、その事に彼女が気付いたということは、心の奥底では自分の中にある家族との違和感に気付いていたはずなのだ。それを彼女は認めるのか、それとも気付いてしまった恐ろしい事柄にしっかりと蓋をして、今までどおり仮面の幸福の上で暮らしていくのか。
この本を閉じて、ふと自分を振り返ってみたとき、自分の幸せは本当に心からの幸せなんだろうか、と恐ろしい想像をしてしまった。誰の中にもある不安が表面にひょっこりと飛び出してきたような、そんな不安定な心をうまく描いた傑作心理ミステリーだと思う。
主人公の年に自分がなった時、読み返すとまた違った思いになるだろう。今後も何度も読み返したい作品だ。
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/05/15 11:23
人生、そして中流階級的価値観への皮肉
投稿者:dimple(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
裕福な中流階級の英国人中年女性が、非日常的な空間で一時的に精神的危機に直面する様を描いた作品である。
第2次世界大戦前夜の時代、主人公のジョーンは、弁護士の夫を盛り立て、3人の子供たちを立派に育て上げたことを自負しており、人生に満足していた。
そのジョーンは、娘の病気見舞いに嫁ぎ先のバグダッドを訪れた帰途、悪天候のためにイラクの砂漠地帯にある駅の宿泊所で数日間足止めをくらってしまう。
砂漠で孤独な時間を過ごす中、ジョーンは自己の半生を振り返ることになったのであるが、やがてその人生への満足は単なる思い過ごしであり、自分は家族の誰からも愛されていないのではないか、という疑念に苛まれてしまう。
作品の中では、ジョーンの疑念は正しいことが示唆される。すなわち、ジョーンの家庭への献身は、実は世間体を気にする彼女の利益に資することが最大の目的であったことを夫や子供たちは見抜いていたのである。
エピローグで提示される結末に関して、作家の栗本薫は文庫版の作品解説において、本作品の悲劇性ないし「哀しみ」と述べているのであるが、これはおそらく正しくないと思う。本作品は、英国人の控えめさと偽善、そして空気の読めない中流女性の俗物性を皮肉った、戯曲仕立ての喜劇(コメディー)と捉えるべきなのだ。







