紙の本
碁のルールさえ知らない私も楽しめました
2019/05/12 22:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
碁の世界を全く知らず、ましてプロの棋士の世界のことなど知る由もない私ではあるが、「名人」は名作であるという評価に全く持って異論はない。まさしく、名作だ。この話の主人公、本因坊秀哉というひとは実在の人で終身名人制の最後の名人、本因坊の名跡を譲渡し世襲制ではなく選手権戦によって本因坊を決める本因坊戦が誕生させたいう人だ。引退碁の対戦相手となった七段の名前や作者の名前は変えられてはいるが、ほぼ事実を忠実に小説という形で発表しているようだ。封じ手という言葉については、昔、「古畑任三郎」に登場したことのある言葉だったので記憶にあった、その程度の知識しか私は持ち合わせていないのだ
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
囲碁の名人を川端康成は精緻な描写で描く。川端康成は名人の眉毛まで精緻に描く。
川端康成は名人に取材を申し込む。名人は快く受け入れる。しかし、名人は衰え死んでゆく。
静かである。
紙の本
本因坊秀哉名人の引退碁を川端康成が描く
2001/07/15 22:41
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本因坊秀哉名人が引退するとき、予選を勝ち抜いた木谷實七段(本では、大竹七段)と引退碁を打った。実際に著者はこの碁の観戦記者として選ばれ、その一部始終を新聞に書いたのであるが、この本はそれを小説にしたてたものである。ほとんど実名で登場するのだが、相手の木谷と当の著者(川端)が仮名になっている。川端はここでは浦上という名前になっている。なぜなのだろうか。
持ち時間が40時間という当時としてもとんでもなく長い碁である。しかも、途中で名人が病気になり、長い打ち掛けがあるため、昭和13年の6月から12月までという約半年もの間、一局の碁を打った。途中の入院期間を除けば、休みの日も家に帰ることを許されず、旅館に缶詰になって打つわけで、凄まじい精神力であろう。
私は棋譜が巻末にあることに気づかず、読み終わってまとめて並べたのだが、読みながら一手一手並べていくと、凄まじい精神の闘いがもっとよく伝わってきたのだろうと思う。名人はこの碁でほとんど生命力を使い果たし、その約1年後には亡くなってしまうのだ。
黒の手で打ち掛けにするのが、上手に対する礼儀として昔は決まっていたというのは初めて知る。しかし、この碁の頃は封じ手という公平な手段がすでに使われている。もっとも、この封じ手を汚いやりかたで大竹の側が使ったと問題にもなり、また、名人の方もこの手に敗着を誘われたというドラマが起きたのだが、このあたり、まだ、封じ手というものに皆慣れていなかった、ということなのか。
P.21の『帰ったり来たり』という表現が面白い。たしかに、ある場所に来ている側からの表現としてはこの方が適切だが、今の我々なら、『行ったり来たり』と書いて何の違和感もないところ。
投稿元:
レビューを見る
古い時代の話ですが、囲碁を取り扱っているという事で興味深く読めました。川端の筆が、思ったより気遣いのある優しい感じです。
投稿元:
レビューを見る
平成20年12月12日購入
そんな打ち方をしていた時代があったのか、
などと感心しつつ
面白く読んだ。
できれば観戦記も加えて一冊にしてほしかったが
なんにしても囲碁にある程度興味のある人なら
かなり面白く読めると思う。
投稿元:
レビューを見る
囲碁最高位、本因坊名人の引退碁。
持ち時間40時間。打ち掛け14度。半年に及ぶ、世紀の一局を川端康成が観戦記者として描いた作品。
両者へのインタビューは無い、ひたすら第三者の川端の視点から描かれた。
インタビューを用い、競技者の心境を描くことが第一と考えられている現代。
作者の場面場面を切り取った描写の連続は、「本」というより写真展にいるかのよう。
こういうノンフィクションの描き方もあるのだなと感じさせられる。
○名人引退碁…名人の病気、衝突する現代と前近代、紛糾するルール、敗着。
1つのノンフィクション・ドラマとして。
○場面場面を目に浮かぶように切り取る筆者の描写。
○囲碁を「芸術」とする名人。と「ゲーム」「競技」として勝負に拘る挑戦者
前近代と現代のぶつかり合い、時代の移り変わり
囲碁。歴史モノ、ノンフィクション、人間ドラマ…どのジャンルとして見ても引きずり込まれます。
☆☆☆☆。
投稿元:
レビューを見る
本因坊秀哉名人と、木谷実七段との引退碁を取材したノンフィクション。囲碁観戦記だが、その微に入り祭に穿った描写はさすが。名人が死ぬ二日前、夕食を一緒にと強く勧められて振り切って帰ったことが、実は川端さん、相当心にあったんじゃないかな。それがこの本の出来に寄与している部分もあるのでは。
構成もおもしろい。冒頭に名人の死んだ時の話から引退碁の観戦記者をした話。そこから引退碁の最後の場面で名人が五目で負けた瞬間の記述。大竹七段の人となり、家族のことなどの説明。
次に打ち初め式からうち次がれる間のいざこざ。死に顔の写真を撮る話。そこから打ち初め式に戻り、名人の一本だけ長いまゆ毛の話。観戦記が順番に続く。最後に亡くなる直前の最後の逢瀬の描写が切ない。
投稿元:
レビューを見る
囲碁がまだ芸術だった時代の最後の名人の引退試合を追った短編小説
囲碁は本来、名人が見ていたもので間違いないのだろう。
それは芸術であり、神聖なものなのである。
投稿元:
レビューを見る
最後の世襲制名人、本因坊秀哉の引退碁を描いた川端康成の作品。碁好きで知られる川端が、東京日日新聞で観戦記を書いた後にまとめたもの。秀哉名人の人となりはもちろん、引退碁の相手となった大竹七段(木谷實)の性質や、戦前の囲碁を取り巻く環境などがよくわかる作品。
投稿元:
レビューを見る
平野啓一郎の『葬送』に、「創作とはもっとも死に近づく行為である」というようなことが書いてあったのだけど、ここで言う「創作」という言葉を「芸術」と置き換えても差し支えないだろうと思う。芸術はおしなべて俗な人間の生活を離れた行為だ。名人もまさにそういう人だったのだと思う。この引退碁は文字通り命がけの勝負だったし、対戦相手の大竹七段が家庭人であったのとは対照的に、名人夫妻には子供もいなかった。
名人が敗れたとき、囲碁が芸道だった時代は終わりを告げた。剣道も柔道も、武道からたんなる競技の一種目になってしまったように。川端は文学の人だけど、それももともと芸道にちかいものだっただろう。ほかにも音楽や演劇なんかもそうかもしれない。「道」と呼ばれるものが商業化または大衆化していくと、みんなで楽しめるものになるかわりに、そこにあった崇高な精神は失われていくのだろう。良し悪しだよな。
しかし川端先生すばらしい。仕事帰りの電車の中で読んでいると、電車が最寄駅に着くのが腹立たしいほどだった。私の三昧境を邪魔しないで~。いや、どっぷりはまって降りないでいると、終点の埼玉県まで行ってしまうわけですが……。
ちなみに私は囲碁超弱いです。ちょーう弱いです。
投稿元:
レビューを見る
実際にあった本因坊秀哉名人の引退碁試合をベースに描かれた小説とのこと。名人の死を微細に描く始まりから、時間を引退碁興業試合時点にまで戻し、その死に至る試合をなぞることで、碁の盤面上の世界を無機質に表現している。
ここで描かれる秀哉名人は、物腰が柔らかい半面、囲碁・将棋・連珠・競馬といった勝負事に狂う餓鬼道一直線の人物である。いにしえの芸道の頂点としての「碁名人」として、そのクライマックスを賭けて戦う姿は、勝負と芸能美が一体となった前近代の達人そのものだ。
これに対する大竹七段は、現代碁の試合を生きる繊細で研究肌の人物として描かれ、名人最後の試合相手として対称となっている。
半年にわたって継がれた一局の対戦を、秀哉名人の前近代名人の発想と死と隣り合わせの病気、そして試合の申し合わせを簡単に反故にすることの憤りから対戦停止を言い張る大竹七段という図式の中で、とにもかくにも進んでいく。
あまり囲碁を知らなくても読めるかなと思ったのですが、終盤は試合内容の細かい描写が続くので、やっぱり囲碁を知っていないと少し苦しかったです。(笑)
死を賭けた無機質な勝負の世界を、人間世界の思わくに彩られながら、筆者自身が仮託した人物の目を通して硬質な文章で描く。ところどころに挿入される色彩感覚も見事です。
投稿元:
レビューを見る
高校時代、囲碁部だったころに何かの参考になると思って読んで、別に実践書じゃなかったことが自分自身恥ずかしかった。名人が病身をおして最後の戦いに向き合う姿勢にプロの極みを見た心地だ。側で見届けた川端康成はより強く受け取ったのだろうなぁ。
投稿元:
レビューを見る
本因坊秀哉名人の引退試合の模様を綴る。もちろん棋譜より、対局者の鬼気迫る勝負に対峙する姿と描写。無駄をそぎ落としたような文章。14.2.23
投稿元:
レビューを見る
川端康成を読んだのは十数年ぶり。名人の死に顔を写真に撮る場面の静謐さ。名人と挑戦者の心理を追う緊迫感。全体を通じた描写の丹念さに、安心して身を委ねることができる読書であった。
投稿元:
レビューを見る
【出会い】
美術館でこの本からインスピレーションを受けた作品を見た
【感想】
私は碁を知らない。
そのため、筆者が伝えたかったことの10分の1もわかっていないのだと思う。
それでも、昔風の名人と現代風の7段との相違点を感じることはできる。
最近のマンガでもこのような描写はあるが、この本はそれらのベースとなっているのだろうか。