紙の本
考える端緒となる
2001/01/20 18:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
いま話題の「銃、病原菌、鉄」13章でもこの本の要旨は取り上げられているが、「武器」という技術の性質を鑑みてみれば、単純に技術が後退した例としてだけ考えるのが適当であるのかどうかはかなりの疑問。
要旨としては、鉄砲は1543年に、日本に漂着した最初のヨーロッパ人がもたらし、それはたちどころに採用され、それから百年間広く使用された。ところがそれを過ぎると、徐々にではあるが、鉄砲は放棄されていった歴史上の事実を描き、現代の「技術の進歩は決して止められない」という神話への挑戦となっている。詳しくは
紙の本
データは粗いが、面白い本。
2013/09/12 00:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人が江戸時代になって本当に意図して軍縮(ここでは火縄銃の放棄)を行ったかは、刀狩などを扱った研究書などを見ても疑問だが、結果として鉄砲の需要が減り、技術が忘れられていあった面はあると思う。また著者は、そうした軍事面での技術力の停滞が、かえって江戸の文化や非軍事面での技術向上に及んだとまとめる。この結論にもいくつかの誤謬が見られるが、この切り口で江戸時代を再評価する試みは、日本国内だけでなく、世界史的にも面白い。
投稿元:
レビューを見る
1543年に鉄砲は種子島から伝来した。以後読み(1543)やすく鉄砲伝来、と中学時代に覚えたものの考えてみれば江戸時代の歴史に鉄砲のことあまり出てこなかった。
鉄砲は日本刀の距離を超え、鍛え抜かれた武士の体を簡単に貫き、それまでの武士道にあった倫理観まで壊そうとした。そういった道具を手にしてしまった人々に対して江戸幕府は、技術の規制によって鉄砲の広がりを押さえたのではなく倫理感によって刀の地位を保ち続けたのである。これは現代の核放棄にも軍縮にも、置き換えることができるのではないか。
というややアクロバティックな読みを展開だがおれ、日本のことなんも知らんなーと思いながら楽しめました。最近の著作権とか違法コピーとかもこの延長にありそう。
投稿元:
レビューを見る
鉄砲は1543年に種子島に伝来した。織田信長と徳川家康の連合軍は、3000丁の鉄砲を使って武田の騎馬隊を殲滅した。16世紀末は日本が鉄砲を最も使っていた時代である。当時、日本ほど大量の鉄砲を保有していた国はほかになかったと言われる。その後、徳川幕府は250年間、鉄砲の量産・改良を停止させた。一方で徳川時代には、ゆっくりとではあったが、農機具などの開発は進められた。筆者によると、日本における鉄砲の歴史は、技術を選択してそれぞれについて開発を進めるか、廃棄するかをコントロールすることが可能であることを示していると言う。
投稿元:
レビューを見る
軍事的・破壊的イノベーションを持つ銃器・原子力を放棄した、日本の価値観や道徳観(ただし今の日本ではなく、江戸幕府なのだが)に世界はもっと学ぶべきだ、という著者のイデオロギー。
鉄砲は、武士の魂である刀に対し、大した修練を積むことなく強力な殺傷力を持つことが可能となり、権力者にとって士農工商という支配階級・ヒエラルキーを根底から覆す諸刃の剣だったということ。
なるほど。既存のパラダイムを壊す、という意味で、鉄砲を受け入れた欧米では支配階級間の衝突・革命、反乱が起き、一方受け入れなかった江戸幕府は封建的な天下泰平が維持されたという見方も可能と言える。
投稿元:
レビューを見る
17世紀初頭、日本は鉄砲(火縄銃)や大砲を捨て、古い武器(刀)の時代に逆戻りした。ヨーロッパではその後も武器の開発に余念がない中、200年を超える平和の時代を築いた。なぜ日本は武器を捨てられたのか?その謎に迫るところが、歴史のなぜ?の旅に出るようで、面白かった。このような時代を遡る(本書では、時計を逆に回すという言い方をしている)ようなことができた国は稀だという。そして、すべて戻ったわけではなく、鉄砲だけで、それ以外の技術、例えば、農具や農業、建築、土木の技術、文化は進化を遂げた。
本書の中で指摘されている歴史学者アーノルド・トインビーの言葉はとても印象深い。引用すると、「もし過去300年の技術進歩を後戻りさせることの是非について、、多数決が可能ならば、多くのものが賛成票を投じるであろう。社会道徳が今日のごとく立ち遅れた状態にある中で、人類の生存を守りぬくために」。
今の日本の状況を言い表しているではないか。原発の問題、ビッグデータ活用におけるプライバシーの考えなど、技術が先行してそれに見合った人々の心、倫理観が培われていない。江戸時代は決して技術が停滞していたのではなく、往々にして培われるのに時間のかかる倫理観に見合った速度で進化したという指摘は面白かった。あぁ、江戸時代はやはり素晴らしい。
投稿元:
レビューを見る
Webコラムを読んでいてこの本のことに触れていた記事があり、おもしろそうだったので買って読んでみました。朝鮮戦争の従軍経験のあるアメリカ人学者で日本にも造詣の深い著者が、戦国時代から安土桃山時代にかけて質量とも世界最高レベルに達した日本の鉄砲技術が、江戸時代にほぼ完全に失われてしまったことに非常な興味を覚えて日本史を研究し、その考察の結果を現代の核軍縮にも活かすことができるのではないかとまとめられたものです。
核軍縮に活かすことができるのかどうかは正直よくわかりませんが、種子島への鉄砲伝来は日本史の教科書に必ずといってもいいほど載っているのに、江戸時代に日本が鉄砲を「捨てた」経緯は日本史の記述としては見たことはなく、まさに目から鱗の話でした。平和のために殺傷力の強すぎる武器の保有と技術開発を意図的に捨てた日本の特異性というのは、たしかに実に興味深いものです。
この本の原著の発刊当時、アメリカでもかなり話題になったもののようですが、日本人として、この視点はぜひ持っておきたいものだと思いました。短い本ですし、一読されることを強くおすすめします。
投稿元:
レビューを見る
素直な気持からすっと読める本。日本史の研究家ではないことから、容易な言葉で分かりやすく日本の歴史などを紹介しているので、大変読みやすいし、すっと心に入ってくる。
鉄砲伝来以来日本ではもちろん鉄砲を使っていただろうと勝手に思い込んでいる自分がいたことに気付く。言われてみれば江戸時代日本は空前の泰平の世を築きあげ、そこにはもちろん強力な武力などなかったのだ。だからこそペリー来航以来慌てて西洋列強の技術導入へと走ったのだ。当たり前のことが、日本人の視点では気付きにくい。外国から見ればこれが大変希有なことがよく分かる。
さらに本書では日本人らしさを再発見できる。日本は鎖国をし、文明国から遅れを取った印象を受けるが決してそうではない。日本の技術レベルというのはいかなる時代でも最先端だったことが伺える。手先の器用さ、勤勉さはやはり世界一なんだということを改めて実感し、日本人としての自信を呼び起こされる。そして日本人の美徳として鉄砲を捨てるという行為に、筆者同様世界平和のための鍵を感じるのである。
是非多くの人に読んでもらいたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
また、日本礼賛の書かと訝しく思っていたが、一度進んだ技術を捨てて平和にしかも 他の技術文化は進めながら暮らして行くことができた例として、鎖国後の日本が示されていた。訳者は、核爆弾の放棄が可能であるという主張として、本書を挙げているが、アメリカ人の著者であるのなら、むしろアメリカの銃社会とその放棄の議論の論拠としての方が、説得力があると思われるが、いかがであろう。
投稿元:
レビューを見る
歴史の復習にはなった。でもまあ、日本の事例から現代の軍縮につなげる知恵を見出すのは無理っぽいよな。せいぜい一つの象徴として語ることができるくらいで。
投稿元:
レビューを見る
戦国時代たけなわの1543年に伝来した鉄砲。この新奇な武器につき急速なキャッチアップを実現し、鉄砲を大量生産・保持した。ところが、江戸期に入り、これらの技術面での退歩の一方、他の民生技術(冶金・採鉱・水道設備等)は進歩を実現。西洋文明史から見て、余りに異質なこの江戸期の在りようを欧米社会に紹介する主意を持つ著作。まあ、戦争に明け暮れた17~18C欧米に比して、当時、日本に戦争しかけそうな国家群がなかったという地政学的事情を等閑視するゆえ、江戸期を現代核軍縮のモデルケースと見る本書の視座にはやや躊躇を。
しかし、江戸期封建制を西欧社会との対比を念頭に置いて分析した議論は、なかなか面白い。というより、なかなか気づきにくい要素を拾い上げたという意味で有益。1991年(底本1984年)刊行。著者はダートマス大学英米文学教授。
投稿元:
レビューを見る
若かりし頃、朝鮮戦争に従軍することにより、たまたま日本という国を横浜から佐世保までの鉄道の旅で知った著者。
その時の日本の素晴らしい景色に魅入られた。
そして、若い頃に経験した朝鮮戦争での思い、その後の場とナム戦争でのアメリカのやり方。
また、ベトナム戦争の頃には、世界史上類礼を見ない17世紀の日本における鉄砲の放棄という事実を知ってた著者が書いた著作である。
第1話 日本に鉄砲が伝来した
第2話 鉄砲はどのように広まったか
第3話 鉄砲の全盛時代
第4話 日本はなぜ鉄砲を放棄したのか
第5話 鉄砲から刀へ
第6話 近代兵器の再来
結び 日本史に学ぶ軍縮
という内容です。
種子島に鉄砲が伝来した当時の日本社会、そしてその当時の西欧社会、その後の徳川時代の到来、その中で西欧社会との比較も交えながら、徳川日本が世界史に稀に見る独自の文明社会を創造していったのか、アメリカの英米文学者が見た、鉄砲を放棄した日本人の分析、短い作品ですが、面白く読むことが出来ました。
投稿元:
レビューを見る
好きなアメリカのインディーロックバンド「Vampire Weekend」の楽曲「Giving up the Gun」が本書に触発されたものと知り、購読。
訳者あとがきにも記載されていたように、明言はされていませんが、反戦・反核の書でもあります。鉄砲の伝来に関しては歴史の教科書でよく見かけましたが、放棄に関して知る良い機会になりました。
本書では、刀と鉄砲の持つ倫理的な違いが語られていました。自分としては、アメリカの銃社会やそれに関する事件を見ると、どうして銃を捨てないのだろうと思ってしまいます。けれども彼らにとってある意味では切っても切れない、深く魂と繋がっているものが「銃」という存在かもしれない、という認識でした。それなら刀も持つことのなくなった日本人は、と思わなくもないのですが、この2020年に色々と考えさせる書物でした。
単行本発行は1984年。
投稿元:
レビューを見る
武士の美学が鉄砲を斥(しりぞ)けたとすれば、鉄砲での殺傷を彼らは「卑怯」と憎んだのだろう。そこにあるのはフェア(公正)の精神だ。銃を持てば中学生でも宮本武蔵に勝つ可能性がある。どう考えておかしい。何がおかしいかを考えるのも厭(いや)になるほどおかしい。
https://sessendo.blogspot.com/2020/02/blog-post_90.html
投稿元:
レビューを見る
イエズス会やフランシスコ会が日本の植民地化も視野に入れたカトリックの伝教を行っていて、秀吉や家康がそれにどう対応したか、という本はいくつか読んできた
そこから「16世紀に伝わった鉄砲は、日本が戦国時代であったことも影響して大量生産され、にほんは世界最大の鉄砲輸出国になっていた」という事実は知っていた
この本はその先にある、日本人はなぜ鉄砲を捨て、刀文化に戻ったのかという事実に目を向ける。それは秀吉や家康が大航海時代の世界潮流から日本を守ったことで必然的に江戸時代の鎖国に繋がり、それが結果的に日本文化を形成したことに繋がる。
渡辺京二の名著「逝きし世の面影」にも繋がる、外国人が日本という稀有な存在を考察した本。
念の為言えば、この「稀有な国日本」というのは、渡辺京二が言うようにすでに失われてしまっており、決して過度な愛国心に基づいてはいない。ただ、自分の国が昔こうであったという事実は、やはり知っておくべきだと思うのだ。