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著者紹介
恩田 陸
- 略歴
- 〈恩田陸〉1964年宮城県生まれ。早稲田大学卒業。「六番目の小夜子」でデビュー。「夜のピクニック」で吉川英治文学新人賞、第2回本屋大賞を受賞。
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紙の本
長女と意見が一致したのは、これは『ドミノ』を別格にすれば、恩田の最高傑作ではないかということ。語り口も見事だけれど、ラストの歴史観が最高
2005/07/15 21:17
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は恩田陸のファンではありますけれど、気分で読みますので、読み落としがかなりあります。例えば『光の帝国 常野物語』も未読です。にも関わらず、私は『蒲公英草子』を恩田のベスト作品と断言します。『ドミノ』はジャンル違いなので、比較できませんけど。
ああ、恩田陸は楽しんでいるな、と思うのは語り口です。主人公の、如何にも時代を感じさせる、丁寧で、どこか纏わりつくような口調は、戦前の古き良き時代の探偵小説を思わせます。ジャンル的には、思い切って「お屋敷もの」と呼びましょう。地方の名家となれば、それだけで一つのスタイルができてしまいます。古い洋館、美しい両親と子供たち、運命といった世界、恩田はそこから一歩も出ようとはしません、むしろ、その中を愉しげに散策している、というのが正しいでしょう。
そして、「お屋敷もの」には絶対にこの語りが必要なのです。そう、あれはいつのことだったでしょうか、今でこそ名家の多くが広大な敷地を切り売りし、名前こそ昔のままですが、建物はおろか街並まで変わってしまった川沿いにある高台の一角、そこに私の家はありました。
といった文章だけが、時代を遡り、昔へと通じる扉を開けることができるのです。
【装画図案】菊寿堂いせ辰、【装幀】中島かほる。ブックデザインでいうと、集英社というのは、どちらかというと安っぽい装幀をつけてしまう傾向があります。その中で、今回の本は立派です。菊寿堂いせ辰の図案の力でしょうか、カバー中央の黒い帯びと白抜きのタイトルも効いて、集英社らしからぬ装幀となっています。
話は回想録の形を取っていて、時代は20世紀を迎える前後、日清戦争後で舞台は福島の阿武隈川沿いの平野という漠としたもの。主人公は中島峰子で、彼女は隣の槙村家に出入することになりますが、その原因となったのは、槙村家の聡子です。槙村家といえば、この一帯が槙村家の集落とも呼ばれ県内では有名であったといいます。
当主である槙村は十七代目、奥様は若松の商家出身の、夫より10歳年下で、五人の子供がいます。長女は当時、女学校に通っていた貴子、近所で憧れの的である長男の清隆、峰子の兄の友だちで乱暴者の次男廣隆、おっとりした三男の光隆、最後が病弱で20歳までは生きられないだろうといわれる聡子です。その聡子の話し相手に、と選ばれたのが峰子でした。そして、姿を見せた聡子は、同性の峰子ですら胸をときめかすような美少女だったのです。まさに、「お屋敷もの」です。
中島家は槙村家の土地を代々借りているかつての藩医で、祖父の代から医院を開き、槙村家のかのかりつけ医師でもあります。峰子には、家を継ぐことになるだろう今は東京の医学校に行っている雅彦と、勉強嫌いでひそかに文学者を志す秀彦という二人の兄がいます。そして蒲公英草子とは、峰子が自身の日記につけた名前でした。
他にお屋敷には、発明狂の池端先生、洋画を学んだ椎名、若き仏師の永慶などがいます。そしてお屋敷の中にある天聴館に住むことになるのが春田葉太郎と彼の妻、それに光比古、紀代子という二人の子供の4人です。『光の帝国 常野物語』を読んだ人は、ここで肯くかもしれませんが、未読の私でも何の違和感もなく話を楽しむことが出来ます。
この本の素晴らしいのは、どちらかというと閉じられた世界で、社会の動きなどに無関係な濃密な人間関係を楽しむ「お屋敷もの」の決め事を、回想ということで見事に破る、それがラストなわけなのですが、この社会性がいいです。恩田の作品の多くは、社会性を喪失しています。耽美、までは行きませんが、閉鎖的な環境を好んで取り上げます。それは島であり、地下であり、学園であり、宿舎であり、お屋敷です。そこをすり抜ける、この作品の凄さですし、私が最高作と評する所以です。
紙の本
常野一族との再会が嬉しい!
2005/06/27 12:58
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヨシノ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人より長く生きられたり、遠くのものが見えたり、未来のことがわかったりする不思議な一族“常野”。小さな村の名家に彼らがやってきたことで、人々は“宝石のような一夏”を体験する。
既刊の“光の帝国”に比べ、より洗練された文体とパワーアップした筆力によって描かれた本作品は、恩田陸の世界を十分に味わえる贅沢な一作だ。近年の恩田作品は凄みを増していて、何気ない1文にずっしりと重みを感じる。読んでいると舞台の情景や人々の不安・恐怖心がひっそりと襲いかかってくるようだ。
“光の帝国”の続編と言うより、独立した物語として楽しめた。“光の帝国”ファンにも安心してお薦めできる一冊です。
紙の本
恩田陸らしいノスタルジーと、私たちへの問い
2006/03/18 15:06
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kou - この投稿者のレビュー一覧を見る
「いつも世も、新しいものは船の漕ぎだす海原に似ているように思います。」という一文で始まるこの物語。
列強各国が押し寄せて、次々と新しいものが吹き寄せてきた日本。日清戦争が起き、露西亜との間にもきなくさい空気が漂い、坂道を転げ落ちるような勢いで、何処とも知れぬ場所へ皆が駆けていこうとしていた時代。
東北の一集落の医師である父親を持つ峰子は、土地の名士である槇村家の病弱な娘・聡子の話し相手をすることになる。
そして様々な人が集まる槇村のお屋敷で、峰子は奇跡のような幸せな、幾つかの季節を経験することになった。
重い……。読了後、最初に出てきた言葉はこれでした。
美しい物語です。背景に据えられているのは、開国した日本が列強に追いつこうと躍起になっていた時代、戦争に向かって走り出していた時代のざわざわとした、どこか不安な空気。
そしてそれが未だ気配としてしか届かない静かな土地で暮らす人々の、穏やかさと誇り、幸と不幸、不安、焦燥や、そこに現れた常野の一族である春田家の4人との交流、槇村家の娘・聡子との友情を、まだ幼い少女・峰子の視点から、静かに描いています。
春田家は『光の帝国』収録の『大きな引き出し』に登場する常野一族で、人々の記憶・想いをそのまま自分たちの内に「しまう」という能力を持っています。彼等の能力の意味や、彼等と、峰子たち普通の人間たちとの関係などは、読んでいけば分かります。
淡々と、静かに、きれいに語られるこの物語は郷愁にも彩られていて(そもそも年老いた峰子が幸せだった少女時代を振り返って語るという設定なので)、恩田さんらしいノスタルジー的なお話かと思い読み進めていきました。実際、ほとんど最後までそれで読んでいけます。不穏な空気はそこここに挿入されているものの、語り手は峰子ですから。
ところが最後、物語の結末で、とんでもない問いを手渡されてしまいました。
太平洋戦争が終わり、玉音放送が流された8月15日が物語の終わりです。そこであの一文で物語を閉じられた日にはもう………
この問いへの答えは、私たちが考えていかなければならないことなのでしょう。
こんな風に問いやテーマを投げられた作品は、恩田さんのものでは初めてのような気がします。そういう意味でも、読んで損はない作品です。
紙の本
家の教えを守った少女の悲話、そして「常野」の力が持つ意味
2008/10/29 11:46
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YO-SHI - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、泣かせる本だった。実を言うと、いよいよクライマックスというところで、ちょっと気になった場面があって、一旦は気持ちが落ち着いてしまった。それにも関わらす、気がつけば涙。ふいに目から涙がこぼれた。
本書は、不思議な力を持つ「常野」の一族の人々や歴史を表した短編集「光の帝国」の続編、いや関連本と言った方が良いかもしれない。主人公というか、語り手は宮城県の山村に住む少女の峰子で、彼女は「常野」の者ではない。
今は年を取って娘と孫と一緒に東京に住んでいる峰子が、少女時代を述懐する形で物語が綴られている。「蒲公英草紙」は、峰子が自分の日記に付けた名前だ。家の窓から見える丘に群れ咲くタンポポが、峰子の故郷の原風景なのだ。
物語の時代は、「新しい世紀を迎える」とあるから明治の中ごろか。峰子は、村の名前になっているほどの名家「槙村」の末娘の聡子のお話し相手としてお屋敷に上がる。そこには、様々な人が出入りし、中には長期に渡って逗留している人もいる。東京で洋画を学んだ画家、傷心の仏師、なんの役に立っているのかわからない発明家など。
そんな槙村の家を「常野」の春田の親子4人が訪れる。短編集「光の帝国」の「大きな引き出し」で登場した、人の記憶や思いを丸ごと「しまう」能力を持つあの一族だ。もちろん彼らの能力は、物語で重要な役割を担う。
彼らの力は今回も、大きく世の中を救ったり導いたりすることはないけれども、普通の人々の心を救うために使われる。「その力はこういう使い方をするのか」と、私は「常野」の力が持つ意味を得心した。
本書は、峰子の視点で槙村の人々を描き、「常に村のために」という「槙村の教え」を守った槙村家の悲話だ。そこに感動の、もっと言えば涙腺を刺激するツボがある。これだけでも本書の紹介として十分なのだが、蛇足と知りつつ、もう少し広い目で見て感じたことをいくつか述べる。
槙村は、水害に会いやすい土地らしい。現在でもそうだが、100年前ではなおのこと、自然災害の前には人々は無力だ。大きな水害に合うと、村が1つ壊滅してしまう。この時代はこんなにも人々の生活が危ういものだったのだ。未来を見ることのできる「遠目」の能力は、こんな時代には至宝とも言えるだろう。
しかし、その能力を以てしても時代のうねりには抗えない。語っている峰子の「今」は太平洋戦争の終戦の日なのだが、20世紀の前半分がどのような時代であったのかは知っての通り、戦乱の時代だ。「常野」の人々にはその予見はあったはずだが、どうしようもなかったのだ。
いや、そんな「時代のうねり」などという大げさなものを持ち出さなくても、「常野」の力が及ばないことがある。本書の悲劇もその1つだ。
紙の本
壮大な少女小説
2016/11/11 06:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひややっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
登場人物がとても魅力的。というのは恩田さんならではかと思います。
少女が、少女の・・・というフレーズがとてもピッタリなこのお話し。少女小説としても読めるのではないかと思うのでした。
ちなみにこの本の装丁がイメージをよりよく喚起してくれます!!