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凍

  • 出版社:新潮社
  • サイズ:20cm/300p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-327512-X

沢木 耕太郎 (著)

  • 全体の評価 55件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:1,68048pt
  • 発行年月:2005.9
  • 発送可能日:24時間

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商品説明- 「凍」

【講談社ノンフィクション賞(第28回)】最強のクライマー・山野井夫妻を襲った一瞬の魔。生きて帰るために、宙吊りになった妻の頭上で迫られた究極の決断とは。フィクション、ノンフィクションの枠を超え、圧倒的存在感で屹立する、ある登山の物語。【「TRC MARC」の商品解説】

ユーザーレビュー- 「凍」

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6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/01/10 16:30

過酷な登頂に挑むクライマー…山野井夫婦

投稿者:佐々木 なおこ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ギャチュンカン、世界最高峰のエベレスト近くにある7952メートルの山。この山にクライマーの山野井泰史と妙子夫婦が挑戦した。
この命がけのドキュメンタリーを沢木耕太郎が克明に記す。
 以前、山野井泰史著の「垂直の記憶」を読んだが、
また違った感動が胸に押し寄せた。
「食後のコーヒーを、これが最後かもしれないと味わって飲み始めるが、また上の空の状態になっている」
明日アタックする時、このような状態にまで緊張は頂点に達するものなのだ。
 泰史はアタック前に、いつも寡黙になり、不機嫌になり、我がままになる。妙子の前なので、その不機嫌さを安心して出している。妙子には、そうすることで、登る前の集中力を高めているのだということがわかっている。
 今回は夫婦でアタックする事になった。
単独登頂とは、また違う緊張感がある。
夫は妻をぜひとも山頂に立たせたいと思う。
そして妻も同じ思いであった。
 経験を積んだクライマーの二人も今回の登頂では、相当てこずり、生死にかかわるような過酷な時間を体験した。
山頂へは泰史のみが立ち、妙子はおよばなかった。
しかし、結果的にはそのおかげで妙子の体力が回復して、ベースキャンプまで無事帰還することへの約束切符を手に入れることとなる。
 ベースキャンプへあと少しという場所で寝袋で寝る妙子は
〜これまでの人生でいちばん幸せかもしれない〜と感じる。
この余裕はなんだろう…。
 今回の登頂で、泰史は右足の指五本と左右の手の薬指と小指を失う。そして妙子は両手の指をすべて失った。
「もう、山はいいのかな」
泰史は山一筋の人生だった自分を振り返って、山を諦めようとしていた。しかし妙子は違った。
「一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。
しかし、18本の指を失ったことは、妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。
戻らないものは仕方がない。
大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけだ」
 泰史の山への強い想いに、そして妙子の精神力の強さに、ただただ感動した。
 そして、夫婦の価値観が一緒であること、夫婦の信頼感がなせるわざがこれほどまでに尊いのだと思い知った。これからの2人の生きてゆく道も見守り続けたいと思った。

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3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007/03/05 22:15

想像を絶する過酷な自然、標高7000mからの生還

投稿者:よし(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

ギャチュンカン北壁、それは世界的なクライマー山野井泰史、妙子夫妻にとって、一つの通過点にすぎなかった。登るべくして登る山だった。たった二人だけの登頂に雪崩が襲う。不測の事態に二人はどうやって生還したのか。壮絶に過酷な山から生還する夫婦を描く、ノンフィクション。
凄い作品でした。これがノンフィクションだけに、余計にその描写、特に山で雪崩にあう場面から緊張感が押し寄せてきます。た。
雪崩に遭い、滑落。二人を支えていたロープ(?)に宙吊りになったときに妙子が迷いなく行った決断。度重なる雪崩に、10cmの棚にまたはブランコ状態の中、ビバークせざる終えない状況に陥った二人。決してあきらめることなく、生きるため、生還するため、その経験から最善の方法を見つけ出していきます。
幾多の山を経験している夫婦にとっても、このギャチュンカンは過酷なものだったのです。今や7千mの登山では、酸素ボンベは使わないんですね。そうした条件がさらに二人を追い込んでいきます。
生還後、妙子は凍傷により、足も手の指も失われている。泰史も、幾らかの指を残して失ってしまう。クライマーとしてはもはや絶望的ですよね。生活すらも難しく、絶望でしかなくなります。しかし、妙子さんはそんなことは関係ないというように、前向きに今までの生活と変わりなく、やりとげていきます。「たかが指じゃないの」「何とかなる」。この前向きな気持ちが、泰史にとってものすごい財産であり、勇気なんですね。
二人はこの遭難により、重症を負いますが、再びギャチュンカンに向かいます。今度は登頂ではありません。忘れたものを取りにいくんです。
夫婦の支えが再び二人を山に向かわせます。今も二人は登頂しています。
「人生は山、登って、下りて、また登る」
そんなことを教えてもらいました。夫婦の絆も感動します。
いやー、凄い作品です。

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2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/11/17 22:08

自分にとっての「山」とは何なのか?

投稿者:くにたち蟄居日記(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 読みながら何度もため息をついた。


 僕は登山家でも何でもないので 命を懸けて山に登るという行為がどうしても理解できない。いや「懸けて」ではなくて「賭けて」という漢字のほうがふさわしい。


 「そこに山があるからだ」というのが 有名な人が言った「答え」とも聞くが それにしても この「凍」という本で描かれる夫婦の挑戦は凄まじいものがある。


 阿部謹也という中世史家がいた。先日惜しいことに亡くなったが 彼は史学を選ぶに際し「それをやっていなかったら生きていけないというテーマを探しなさい」と教師に言われたという。
 それと正しく同じ事を 山野井夫妻は 山に登るということで表現している。彼らは山が無かったら生きてはいけないという点が ひしひしと感じられる。


 自分を振りかえる。自分にとっての「山」は何なのか。「それをやっていなかったら生きてはいけないもの」は 果たして自分にあるのか。
 そんな厳しい問いかけを迫られる。それが本書だ。

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4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/05/14 19:48

山に登るために生まれてきた人がそこにいる

投稿者:JOEL(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 沢木耕太郎という作家についていまさら論じる必要もないであろうが、『深夜特急』を始めとするノンフィクションを中心とした作品群で世の読書家をうならせてきたことで、あまりにも有名な作家である。
 若き頃の自分の旅行体験を綴った『深夜特急』に触発されて、世界旅行に出た人も多いことであろう。あるいは、ボクシングの才能に恵まれながらも、ボクサーとしては優しすぎるがために、世に名を馳せるに至らなかった人物を描いた『一瞬の夏』を読んで、そのような人物に自分を重ね合わせた人も多いことと思う。
 近年の沢木耕太郎は、新聞紙上で映画評を書くなど、活動範囲はとても広がっているが、もともとは、自分自身の体験や、主人公に寄り添うようにして見聞きしたものをもとにして、本を書き上げていく作家としての印象が強い。沢木耕太郎の作品を、バイブルのようにして手元に置いておく読者は、そのような沢木の手法にしびれてしまっているのだ。
 この『凍』という作品は、山野井夫妻という世界的なクライマーがヒマラヤの難壁に挑み、夫は頂を極めるものの、山を下るときに悪天候におそわれ、夫婦共々、氷点下で斜度60度、70度という壁に食らいつきながら壮絶な生還を果たす実話を、本人たちに聞き取りして作品に仕上げたものである。さすがにこの極限状況に共感を覚える人は少ないであろう。むしろ、7000mを超える山の難壁を極めるという特別な世界を、沢木の筆力でのぞかせてくれているという点で興味深い。
 自分の経験を資本にして作品を書き上げる、という初期の沢木からは大きく変わっているわけだが、山野井夫妻が日本に帰国し、凍傷治療を受けるシーンや、そのときの夫妻の心境の描きぶりには、変わらぬ沢木の筆致を感じさせてくれる。
 古くからの沢木ファンは、夫妻が壁を降りきってベースキャンプにまで戻ってくるというこの作品の本当のクライマックスよりも、帰国後の夫妻のあくなき山への思いを書き上げるシーンに酔うのではなかろうか。
 ただ者ではない登山家夫妻と、凡百の作家が束になってもかなわない沢木という作家の幸運な出会いから生まれた作品。
 「なぜ山に登るのかと問われれば、そこに山があるからだ」という有名な登山家の台詞をわれわれは聞き慣れてしまっているが、その本当の理由を、本書の最終場面に至って、沢木ならではの筆致から深く知ることになる。ここに至って、読者はヒマラヤ登山を経験したわけではないにも関わらず、一種のカタルシスを感じて読み終えることとなる。

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2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/02/09 23:56

「アマチュアリズム」という生き方

投稿者:nanako17girls(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

沢木耕太郎はいわずと知れた伝説的(まだ生きてるが)ノンフィクション・ライターである。かつて「ニュージャーナリズムの旗手」と呼ばれ、ノンフィクションという事実の細かい断片を集め「物語」をつくるという手法を確立した人物である。そして「SWITCH」「Number」などの雑誌作りに関わった人物でもある。また「スタイルの方法」について様々な角度から新しいものを提案した。その代表格が「深夜特急」であり「一瞬の夏」である。ギョーカイ的にいうとカリスマである。彼のスタイルの魅力的なことは「好きなものについて書く」ということだろう。彼は「旅人」だった。「だった」と書くにはいくつかの理由がある。ひとつには「年齢」であり、作家のゴールともいうべき「全集」を作り終えてしまったからだ。しかし、この「凍」を読んで、それが間違いだったことに気がついた。
本書は日本ではマイナーな「クライミング」をテーマにしている。世界的なクライマーである(日本では知られていないが)山野井夫妻の伝記としても読める。山野井夫妻はスポンサーを付けずに自費でクライミングをしている。いわば「アマチュア」である。しかし、彼らの行為はプロフェショナルなものだ。趣味が高じてそれが彼らの生活の中心になっている。それは書き手の著者にもいえる。仕事はプロだが「プロセス」に重きを置くアマチュアなのだ。「なぜ自分は山に登るのか?」「なぜ自分は文章を書くのか?」そんな疑問を抱きつつ「かれら」は日々を過ごしている。そんな言葉が双方向にリンクしている。だからこそ、かれらは「トップ・ランナー」なのだ!そしていまだに沢木耕太郎を超えるノンフィクション・ライターが存在しないのはどういうことか?そんな日を楽しみにしている一読者である。

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