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紙の本
神と自然の科学史 (講談社選書メチエ)
著者 川崎 謙 (著)
先人が工業化のために受け入れた西欧自然科学は、私たちが母語で思考する力を奪ってしまった? 西欧の「nature」と私たちの「自然」。彼我の自然観を互いに相対化することで初...
神と自然の科学史 (講談社選書メチエ)
神と自然の科学史
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商品説明
先人が工業化のために受け入れた西欧自然科学は、私たちが母語で思考する力を奪ってしまった? 西欧の「nature」と私たちの「自然」。彼我の自然観を互いに相対化することで初めて見えてくる、本当の「科学」の歴史。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
川崎 謙
- 略歴
- 〈川崎謙〉1947年愛媛県生まれ。広島大学大学院理学研究科博士課程修了。高知大学教育学部理科教育講座教授。
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紙の本
絡まった糸を解く作業
2006/01/05 07:29
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萩原非出来 - この投稿者のレビュー一覧を見る
柳父章が指摘しているとおり、この日本においては元々の自然(じねん)と西洋科学として輸入された自然を対象とするひとつの言葉の中で二つの異質な考えが混在している。混在している現在の状況として、小学校高学年、中学生の理科離れが激しい状況にある。
この混在してしまった言葉を正統に紐解こうとしているのが、本著である。
文教伝来から日本では、輸入される言葉を、現時点の言葉の上に置くと言うことを繰り返してきた。少々長いスパンで言うと、本書はこの日本人の外来語の取り込み方の問題に対して大きな疑問を打ち立てている。
科学は決して万能薬ではない。ましてや、自然の摂理を探求する学問であるのだが、我々日本人にとっては、とても矛盾を孕んでいるのだ。これは、著者の言葉であるが、「Study nature、 not the book.」を日本人は的確に訳すことができない。
本意は「自然を学べ、バイブルではなく」であるが、日本人の誤読は「自然に学べ、本からではなく」となってしまう。
いま、自然という言葉に立ち返って、この混在した状況を打破しようとしているのが、本著である。
大風呂敷を広げさせていただくなら、本著は愛の物語だ。自分(日本人の自然観)のことを知るために相手のことを知る。この鏡は、相手(西欧自然観)から見ても、また違った自然に対する態度を読み取ることができるだろう。西洋自然観に我々が触れたときに感じる違和感を明らかにして、そこから理科教育がはじまるのだ。
いま、日本の理科教育は、ようやくこの立つことができたのである。本著は著者が二十年間感じ続けてきた違和感をわかりやすく解説した書籍であり、ぜひ、現役の理科教師に読んで貰いたい。
紙の本
アヒル文化という鏡がなければ見えなかったウサギ文化
2005/12/31 00:00
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「アヒル‐ウサギ図」というものがある。ゲシュタルト心理学者のJ・ジャストローが考案した図で、左を向いたアヒルと右を向いたウサギが合成されてできている。アヒル文化人(古代ギリシャ人の方法で考える西洋人)はこれをアヒル(ネイチャー=神の被造物)と言い、ウサギ文化人(「ことあげせぬ国」の日本人)はこれをウサギ(自然=無上仏)と見る。
それ自体はインクのしみにすぎない無意味な素材が、言語のなかに織り込まれた世界観を通じて二つの秩序に分岐する。ネイチャーという書物に隠された神の創造の秘密を読み解き、自然「を」学ぶアヒル文化人。「われわれに隠されているものはなにも存在しない」と考え、自然「に」学ぶウサギ文化人。後者にとって実験とはエクスペリメントではなくエクスペリエントであり、観察するとはオブザーブではなくコンテンプレートである。「源信の説く念仏は仏のすがた(色相)を観察することであった」(中村元『日本人の思惟方法』)。
いま、任意にとりだした話題は、本書で展開される議論のほんの一例にすぎない。
第Ⅰ部で、ロゴス(言葉=神)の枠組みの中で展開された西洋形而上学と西洋自然科学(自然哲学)の歴史が簡潔的確に叙述される。これと対比させながら第Ⅱ部では、道元によって日本的に変容された諸法実相の枠組み(五感にふれる万物にカミの霊性の「活らき」をみる神道的心情)における自然の実質があますところなく摘出される。
漱石の作品から安藤昌益『刊本・自然真営道』序へ、親鸞「自然法爾書簡」、道元『正法眼蔵』第四三「諸法実相」、『臨済録』といった仏教書、はては吉田兼倶『唯一神道名要集』、山脇東洋『蔵志』、杉田玄白『蘭学事始』へと、原典を参照しながら、西洋的世界観という鏡がなければたぶん見えなかっただろう「日本自然科学」(著者がそういう言葉を使っているわけではない)の過去とそのありうべき未来への見通しを描く後半部が素晴らしい。
こういう本を読みたかった。