紙の本
『ぼくのともだち』を読んで
2011/04/13 10:49
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ぼくのともだち』を読んだ。
エマニュエル・ボーヴは『のけ者』がすばらしかったので、
また同じ作者の小説を読んでみた。
「ぼく」は戦争で傷を負い、年金で暮らしている。
一人暮らしで友だちがいない。
この小説はそんな「ぼく」が必死に友だちを
求めようとしながら、そのたびに失敗していく話だ。
文体は陰惨な感じはなく、ユーモアがただよっている感じ。
「ぼく」は自意識過剰でそのために「友だち」になりかけた人
と別れてしまったり、あるいは女好きのせいで、うまくいかなかくなったりする。
身体障害者や「黒人」の人に対する視線には気になる部分も感じるが、
それは、1920年代の小説だから仕方ないのかな。
完成度としては『のけ者』の方が上だと思うし、
個人的には『のけ者』の救いのなさが好きだが、
この小説も十分に楽しめた。
それにしても、フランスの作家ってパリを描くのが好きだな、と思う。
ゾラの『パリ』をついこの間、読んだばかりだから、余計に、
そう思う。
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作者ボーヴの初邦訳。友達が作れない主人公の話。これは結構好きだ。ユーモアと訳者はまとめたが、ユーモアは言葉足らずで、メタレベルで見ればロマン派アイロニーみたいに解釈すべきでは?(分かりもしない言葉を適当に使ってみた)あと、登場人物の簡潔さに関しては今まで最高レベル。こんなに頭使わない小説はなかなかないです。最初に出てきた人がまた出てくるというようなこともほとんどなく、中上健次の正反対。あとたぶん主人公は中年くらいなのに一人称を「ぼく」にしたところが気になる。これだと、なんか白痴っぽく聞こえる。それはやりすぎでは?原文はおそらくJeなんだろうと思うけど、もしあえて「ぼく」を選んだとすればこれはある意味翻訳者の越権行為だと思うんだけど、どうでしょうか?
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フランス文学ってこうもアンニュイな感じなのかと感じる一冊。とはいえ、友達にはなりたくないな。主人公は全くの交際べた、人間との距離のとり方を完全に誤っている、勘違い男なのである。でも、何か憎みきれない。某週刊ブックレビューの評者の言葉に乗っかって買った。評者の言うとおり、今の時代でこそこの本を翻訳する意味があったのだ。50年以上たっても人間の本質的な精神というのは変わらないのですね…。
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主人公はとにかく観察眼が鋭く、相手の短所をどんどん見つけてひとりで絶望しまくる。
そのわり相手や自分の気持ちにはめっぽう鈍感で、「誠意を尽くす僕に誠意を尽くさなければいけない」という固定観念からはずして考えることがない。
それが終わりなき、どうしようもなきディスコミュニケーションを生み続ける。
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「孤独がぼくを押し潰す。ともだちが欲しい!」 パリ郊外、孤独な日々
を送る青年ヴィクトールは、すれ違う人々となんとか心を通わせよう
とするのだが…。世にも悲しいユーモアを漂わせた、パリでもっとも
不器用な男の話。
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パリでもっとも不器用な男の話。孤独がぼくを押し潰す。ともだちが欲しい。本当のともだちが!…実際、友情を示してくれる人には、ぼくはとことん優しくなれる。年金もベッドも独り占めしない。逆らったりなんか絶対にしない。ぼくの望みは、その人の望みを叶えることだけだ。犬みたいにどこにだってついていく。その人が冗談を言ったら、ぼくはきっと声をあげて笑うだろう。もしも誰かがその人を悲しませたら、ぼくは涙を流すだろう。
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わたしは翻訳小説はあまり読まないのですが、マイミクさんがお二人読まれていてレビューを書かれ、図書館で見つけたので、読んでみました。
孤独な元軍人の年金生活者の独身男性の主人公は第一次世界大戦で片目を失っています。
「ともだち」を求めつつも不器用な性格からうまくいかないという話です。
1924年の作品ですが、日本語訳は2005年に出ているというのは奇妙です。
85年前の作品ですから、時代的には志賀直哉、井伏鱒二、梶井基次郎、川端康成、芥川龍之介、谷崎潤一郎、堀辰雄、小林多喜二の頃になります。
翻訳のせいか、視点は現代的な感じがしました。
他人との間の取り方という視点で、悲しいやるせない作品です。
あれこれ考えさせられ、身につまされました。
パリの地名が色々出てきて、憧れます。
モンルージュ、バイロン卿通り、ヴィクトワール通りなどフランス映画を見てみたいという気分になります。
ビヤールに貸した50フランをそのままにしてしまったところ、ラカーズ嬢を待ち伏せしたことがもとで、罵られ、「いつかきっと警察沙汰になる」と言われてしまうところなど、悲しいですが共感できるところもあります。
女性での失敗が主人公は多いようです。
翻訳は基本的には原文を尊重すべきなのでしょうが、人権上問題があると見られる用語や外国人に対する見方など首を傾げる記述もいくつか見られました。
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大都会パリで孤立する不器用な主人公の一人称で描くユーモアとペーソスに溢れた物語。
「ぼくのともだち」とはなんとも皮肉なタイトル。
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こういうヤツが近くにいたらすごく嫌だなと思うけど、気づいてみたら『あ、自分に似てるじゃん』みたいな。ともだちができない人、必読。
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なんとも暗いひもじい話。主人公は、慎ましやかに見せかけて内心すごくプライドが高く傲慢。しかしすごくよくわかる心理描写でもある。皆、ああいうひん曲がった目線とか考え方を少なからず持っているのだろう。自分の腹の内を見せ付けられているような、自分に対して恥を感じてしまうような表現。・・・しかし決して面白い話ではなかった。
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図書館。
昼休みに一章ずつ読んでたんだけど、好きなタイプの
作品ではない。でも印象には残る、といった感じ。
昔書かれたものとは思えないほど現代に通じるものがあります。
こういう人いそうだもんなぁ。なりたくないけど。
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わたしはこれを大好きです。
繊細で不器用でどこかかわいらしい男。ユーモアがあってちょっぴり切ない。
チャップリンや、ライ麦のホールデンをおもいだした。
たぶん、ずっと憶えている本。
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豊崎由美さんの推薦により。
第一次世界大戦後のパリ。働きもせず、わずかな傷痍軍人年金でをもらいながら孤独に暮らす若い男がともだちを求めて町をさまよう姿を描く苦い味わいユーモア溢れた一人称小説です。
主人公は心がすぐ折れるし、繊細なようで図々しいところもあり、結局他人のことより自分が大事な、結構どうしようもない男です。
たとえば、ある四十男と知り合い、一度食事を共にしただけでもう親友になったと思い込みますが、その四十男に若い恋人がいると知った途端、嫉妬に狂って裏切られたという思いに囚われます。四十男が女と同棲するアパートに招待された主人公は、彼女はブスだ彼女はブスだ彼女はブスだ、とマントラを唱えながら階段を登り部屋の扉を開けますがそこにいるのは若く美しい女で、なんであんな四十男に若い恋人がいるのにもっと若くて背も高い俺には恋人がいないのかと落胆しすぐに帰ろうとします。しかし、女がビッコであることに気付くと、なーんだビッコの女かーとホッとして、四十男の肩を叩かんばかりにテンションが上がって陽気に酒を飲み出します。ほんとに最低な男で、色々やらかしますが、最終的にはそのダメさ含めて愛おしくなるのは、行動は愚かにせよ一途にともだちを求めている純真なところが感じられるから。ダメさと純真さの絶妙なバランスで読者にぎりぎりのところで主人公に共感をもたせるやり方がうまいなぁと思いました。
貧乏と孤独がいかに人の心を苛んでいくかを、笑いにくるんで提示する芸風は、町田康の初期作品や古谷実のヒミズ以降の一連のマンガと通じるところがあり、およそ百年前の小説とは思えないフレッシュさ。主人公のキャラクターを的確に表現している表紙のしょぼくれた犬の絵が素敵です。
まあ、でもともだちにはなりたくないかな。
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しょぼくさい表紙絵とひらがなのタイトルでナルシスティックな若者が書いた本かと敬遠していたのだけど、読んでみたら、結構良かった。
作者は1898年生まれで、もう死んでるし。書いた時は確かに若者で、ナルシスティックでもあるし、自意識過剰でもあって、「友達がほしい」といいつつ、本気で自分を曝け出したり、相手のために行動することはない。
でも若いころの孤独感ってこんな感じよね。客観的に見れば非常に身勝手ながら、その寂しさは本物。
若い時に読めばもっと共感したかもしれない。
永遠の若者の書。
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読んでみると想像とは全く違って大変におかしみ溢れる
独特なユーモア小説でした。面白い。
ただし読むタイミングによっては駄目な人は駄目かもしれません。
一言でいえば、「1920年代のパリに住む福満しげゆき」です。
訳者の渋谷豊さんのセンスもあって、古典とはとても思えない!
とにかく度々主人公をどつきたくなりますが、愛さずにはいられない。
ぜひ「僕の小規模な〜」シリーズの横に平積みして頂きたいです。
駄目萌え。