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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.1
- 出版社: ポプラ社
- サイズ:20cm/487p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-591-09090-6
紙の本
八本脚の蝶
著者 二階堂 奥歯 (著)
私という一冊の本を、私が破棄してはいけない? いけない。そんなことをしてはいけない。私は、物語をまもる者だから。今も、そして死の最後の瞬間にも。若き女性編集者の、深遠で切...
八本脚の蝶
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商品説明
私という一冊の本を、私が破棄してはいけない? いけない。そんなことをしてはいけない。私は、物語をまもる者だから。今も、そして死の最後の瞬間にも。若き女性編集者の、深遠で切実な心の記録。伝説のウェブ日記を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
二階堂 奥歯
- 略歴
- 〈二階堂奥歯〉1977〜2003年。早稲田大学第一文学部哲学科卒。編集者、レビュアー。
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紙の本
過剰なる蝶
2007/04/26 05:39
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙人掌きのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
かけがえのない人の永遠の不在は、悲しみではなく巨大なストレスである。
二階堂奥歯「八本脚の蝶」…最初この本を書店で手にした時、私はそっと棚に戻した。プロフィールに「自らの意志でこの世を去る」とあったからだ。数年前、私は続けざまに近しい存在を失った。10年以上ともに暮らした愛犬、文学・絵画観に多大な影響を受けた恩師、そして「右腕」ではなく「半身」として仕事を支えてくれた私よりずっと若い友人。これ以上のストレスに耐える自信がなかったからである。
その後、奇縁あって再びその本は私の前に現れた。これは避けては通れない本なのだ、と覚悟を決めてページをめくり…いきなり冒頭で釘付けになった。紹介されているのはミロ・マナラと朝山蜻一。私が10代最後の頃に知り、今でも愛しているエロティックでリリカルな作家たちだ。メジャーではない、だからこそ「かけがえのない」存在である。なにか共犯者めいた笑みを見せられたような気がした。もちろん、その後の彼女の世界は私の貧弱な読書経験など軽々と飛び越えて、深く広く鋭くひろがっていく。私は最初のページで受けた衝撃を引きずったまま彼女の内宇宙へと潜っていった。
私はネット上での彼女を知らない。今回の読書が初めてだ。ブログと書物では決定的な違いがある。「本」は視覚や触覚によって「残り」がわかってしまうのだ。センチメンタリズムは排除するべきだと頭で理解していても、徐々に息苦しくなっていく。酸素が足りないのではなく、過剰だから感じる息苦しさ。過剰な書物、過剰な思考、過剰な探求、過剰な祈り……。息を吸い続け肺が膨らみきって限界…というところで最後のページに辿り着き、私はおおきく息を吐く。
その時、私はストレスを感じただろうか。いや。私が感じたのは聡明でオシャベリ好きな少女(なぜか成人女性という気がしない)と楽しい時間を過ごしたという想いだった。冒頭の私と同じ理由でこの本を手に取るのを躊躇する人がいるかもしれないが、ぜひ読んでみて欲しい。彼女の残した「ものがたり」は透明で繊細で硬質な光をたたえたオブジェにも似て、じっくりと鑑賞するに足るものだと思うのだ。
ありがとう、二階堂奥歯さん。
紙の本
ずっと心の中に
2012/02/23 20:57
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が出版された時に、自分で命を絶った編集者の女性が死の直前まで更新していたブログの日記と聞いて、興味がわき、ネットでそのブログ(今もネットでブログのコピー版が読めるようになっています)を観たことがありました。その時は、彼女の膨大な読書量に興味を持ったものの、自身の死のお知らせまでも公開した、予告死のすさまじさに、本を読もうとまでは思いませんでした。
最近読んだ、津原泰水さんの「琉璃玉の耳輪」のあとがきでこの本のことが触れられていて、そういえば、と思い出し、絶版でしたので図書館で取り寄せをして読みました。
圧倒されました。彼女の読書量に。万華鏡のように言葉がきらめいて流れ落ちる言葉の饒舌さに。そして巻末の追悼文で語られる、魅力的な奥歯さんのキャラクター。
大学受験の模試で全国一位をとったりするぐらい聡明で、なまはんかではない本好きで、そしてコスメやファッションが大好きで美しく魅力的な奥歯さん。何より印象的なのが、彼女の「本読みの師」である雪雪さんとの出会い。
書店に勤務する雪雪さんのもとに、当時高校生の奥歯さんが突然訪れます。書店おすすめのポップがとてもセンスが良いので書いたご本人に会いにきたのでした。それから雪雪さんおすすめの本のリストを次々と読破する奥歯さん。このリストの中に、自分の好きな作家の本が何冊かあったので、そうそう、この本いいよね、と嬉しくなりました。もちろん知らない本もあり、雪雪さんの博識ぶりに、初対面なのに長々と話し込んだ、という奥歯さんの姿が想像できるような気がしました。
そして奥歯さんのお父さんが、雪雪さんに言ったひとこと。あの子は多分、長く人生を生きてはいけないように思っていた。そしてそれを親である自分は止められないと思うと。
どれだけのことが、奥歯さんの心のなかであったのか、奥歯さんは家族のことをとても大事に思って愛していたことが文面からも、お父さんの言葉からも伝わるのに、それでも埋められない。
私には奥歯さんの自殺の原因はわからないけれど、すごくしんどかったんだろうな、というのは文面からも想像できるし、感受性が鋭すぎて、疲れてしまうこともあるんだろうな、とは思います。
そして部外者ながらも、雪雪さんがおりにふれて勇気付け、はげましてくれるメールの文章に共感しました。
やっぱり、もうちょっと生きていて欲しかった。(部外者が余計なお世話かもしれませんが)
この本を読み終わって、しばらく奥歯さんのことを考え続けている自分がいて、うまく文章にできないのがもどかしいのですが、あとふたつだけ。もし、彼女にメッセージを贈れるとしたら・・・。
奥歯さん、前にちょこっとつぶやくように触れていた「氷の海のガレオン」の作者、木地雅映子さんは、当時はまだ執筆をお休みされていましたが、その後、たくさんの本を出版されています。ぜひ奥歯さんにも読んで、感想をブログに書いていただきたかった。
もうひとつ。
あまりにも奥歯さんのことを考えていたせいか、読んで一週間後ぐらいに、生まれて初めてものをかじって、歯を折る体験をしてしまった。奥歯ではなく前歯ですが・・・。驚きました。いや、まったく奥歯さんとは無関係ですけど。もちろんペンネームだし。
でも人生何が起きるかわからないです。それでもどうにかこうにか生きております。
紙の本
伝説のウェブ日記、待望の書籍化!
2005/12/15 18:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポプラ社 - この投稿者のレビュー一覧を見る
圧倒的な感性。驚くべき思考の世界。
若き女性編集者の、深遠で切実な心の記録。
こよなく本を愛し、物語を愛した一人の女性がウェブ上に綴っていた日々の観想。
ファッションやコスメ、お気に入りの絵画や書物、映画、ぬいぐるみたちのことまで、生き生きと語る文章から、彼女が対峙していた壮大な世界が次第に姿をあらわす。
その明晰さゆえに引き受けざるをえなかった矛盾や絶望と闘いながら、彼女は多くの美しいものに出逢い、その感動を言葉に託して発信しつづけた。
才智の煌めきとチャーミングな人柄で多くの人に鮮烈な印象を残して逝った、若き編集者の魂の軌跡。
作家、書店員、恩師、友人、恋人……生前近しかった13人による書き下ろしコラムと、雑誌「幻想文学」に掲載されたブックレビュー7篇も特別収録。
【コラム執筆者】
高原英理、津原泰水、中野翠、西崎憲、東雅夫、穂村弘ほか
【著者プロフィール】
二階堂奥歯(にかいどう・おくば)
1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒。編集者、レビュアー。
2003年4月26日、自らの意志でこの世を去る。
本書の原文は2001年6月から死の当日までインターネット上に発表された。
ウェブサイト「八本脚の蝶」は今も存続し、深く静かに反響の環を拡げている。
→特別対談「二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)ができるまで」
紙の本
二階堂奥歯は物語になったか
2006/05/30 00:53
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中乃造 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語とはなんだろうと考える。
著者である二階堂奥歯は、かつて自身を、物語は書けないがまもるものでありたいと言った。そして自ら命を絶った後、残された日記はこうして一冊の書物になっている。
『八本脚の蝶』は果たして物語と言えるのだろうか。
私の答えは否だ。
物語と言うにはあまりにも破綻している。終盤、つまり著者があきらかに死に向かっていくようになって以降。あまりにも支離滅裂で、もし物語であると定義したとしても読むに絶えないそれである。
人生はそれ自体物語だ、というお決まりの概念は、甘い幻想だと知らされる。二階堂奥歯は物語になりきれず死んだ。そうと知っていたから、物語を愛したのだろうか? 物でありたいと、特に誰かの所有物のようにありたいと願い続けた彼女は、人間の生が辿り着くことのない美しい世界に憧れていたのかもしれない。
あるいは、彼女自身が読まれることを拒んだ結果がここにあるのかもしれない。しかし読者のいない物語が物語でいられないこともまた、真実のように思えるのだ。
二階堂奥歯は非常識なまでの読書家である。日記を読み進めるだけでもそうと知れるが、知人のコラムによれば「生まれてから過ごした日数をはるかに越える冊数を読んでいた」ということだ。この本の中には多くの書物に対する感想や、それらからの引用がある。こういう言い方は不謹慎かもしれないが、ありがたくも、読者はそれに触れて数多の物語への扉を開くことが出来る。
上記したような著者への感慨は、人によって是非があろうが、『八本脚の蝶』が見事な読書案内であることは疑いないだろう。