紙の本
大學って筆名じゃなかったのね。
2021/06/07 15:31
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ボリュームのある本。その父を語り、みずからを語り出す。外交官となった父と赴任地に呼び寄せられる形で、やっと青年期に入る頃に主人公は同居をし始めた。その地は遠いメキシコ。
明治維新を記憶する父の世代。
詩文の世界に惹かれる主人公大學。
しかし父子の対立よりも中米の情勢が物語の起伏となる。
著名な詩人の、知られざる青春の記。
紙の本
堀口大學のことを学校で教わったとき、彼がメキシコ革命の現場というか、その後のメキシコにいたなんてえ話は一言も出ませんでした。でね、この小説、むしろ堀口大學を出さない方が自然だったかなって
2006/04/09 22:26
11人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
素晴らしい装画はクロード・モネ「日傘の女」です。数年前に西洋美術館のオルセー美術館展で実物を見たんですが、この作品て大きいんです。畳三枚分くらいのサイズじゃないでしょうか。教科書なんかの写真からごく普通の大きさ、具体的に言えば50*70センチくらいの大きさを考えていたんですが、実物を見て腰抜かしましたです、はい。
巻頭のオクタビオ・パスのメキシコ革命に関する短いコメントの後半を引用しておくと
「メキシコ革命に思想などない。それは現実の破裂である。言わば回天と交感であり、眠れる実体を引っかき回すことであり、そうなることを恐れるあまり隠してあったいくつもの凶暴やさまざまな情愛、そして気高さの解放なのだ。」
いやあ、参りますね。一体誰の訳文なんでしょう、それとも矢作の創作?まず「回天と交感」てえのがわかりませんね。しかもです、この小説を読めば分かるんですがメキシコ革命ってえのが何だったか、極めて分かり難い。ただし、その破綻にアメリカが手を貸していた、っていうことがわかる。
で、その現場にいたのが若き堀口大學、っていうのがこの小説のミソなわけです。で、とまあ、「で」が続いてしまうんですが、詩というものを全く理解できない私は、堀口大學の名前くらいは知っているものの、その詩作一つ読んだこともなければ、彼の生涯などというものにも全く興味がなく、「なら読まなくていいか」って思ってたんですね。そこをご理解いただきたいんです。
で、です。話は一気にメキシコに飛ぶわけではありません。まず、明治45年、20歳になった堀口大學が公使としてメキシコに赴任していた父に、呼び寄せられるようになった経緯が語られます。長岡藩の戦争未亡人に女手一つ育てられた父親、この人が凄い。
まず、頭が抜群にいい。14歳で受業生として学びながら、年下の生徒に教える、これは分からないでもありません。でも16歳で乙種試験に合格、正規の教員に採用、18歳で長岡の岡野町の学校の校長、となると想像を超えてしまいます。そしてその職を捨て上京、東大に一番で合格し、外交官となり領事官補として朝鮮に赴任、そこで日本に楯突く王妃を殺す事件に関係までします。
要するに、単に頭がいいだけではなくて身体も強ければ度胸もある、だから女性との艶聞も絶えない、ま、今の日本の東大出の人間には殆どいないであろうというようなタイプの好漢で、そのせいか家庭を顧みる余裕もありません。で、その家をまもるべき母親は三歳の大學と赤ん坊であった妹を残し23歳でなくなってしまう。
父親は海外生活、主人公は日本でのんびり過ごします。だから成績も悪い。東大なんてとても無理、慶応にだって裏口入学に近い形で入ってしまう。で、父親に内緒で詩人になろうとして与謝野晶子のところに出入りし、晶子先生に恋してしまう。ま軟弱なお坊ちゃんの典型です。
で、それを見かねた父親がメキシコに息子を呼び寄せるわけです。父親の職業柄、出入りするのは彼の地の上流階級が主で、武官から乗馬の手ほどきを受けたり、先生から言葉をならったり、メキシコ革命の立役者であるマデロ大統領、その実弟で上院議員のグスタヴォ、姪のフエセラ・ポラドーラ、あるいは有名なパンチョ・ビリャ、サパタといった面々。
読後感なんですが、堀口の日記も、彼についての評論も読んだことのない私には「リアリティー、ねぇー」って言う感じなんです。まず日本人の有名な詩人が、他国の革命の最中にいる、っていうのが造り物めいちゃう。ましてメキシコ大統領の姪と恋仲になっちゃう、なんて読まされると、そんなの学校で教わってないぞ、って。
これって、堀口大學の名前を使わなくたって出来たじゃない、むしろ有名人を使わないほうが逆にリアリティあったんじゃない、なんて思うんですね。
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メキシコの動乱、異国の娘との恋、そして父子の静かな葛藤。読みどころ満載の長編小説
2006/02/04 20:53
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
後の仏文学者・堀口大學は明治45年二十歳の時、公使として赴任している父を頼ってメキシコへと渡る。前政権が倒れ、マデロ新大統領のもと法治国家を目指すメキシコだが、やがてその政権をも打倒せんとする勢力が台頭し始め…。
この600頁近い物語の中で若き大學は、照りつける太陽の国メキシコの動乱の渦中でその多感な時期を過ごすことになります。
アメリカはその地政学的見地からメキシコの時の政権を意のままに操ろうとします。アメリカの言動に、大學は若さゆえの義侠心をたぎらせます。
その一方、熱き内戦という時代背景を持ちながら、マデロ大統領の姪フエセラと大學との恋は奥ゆかしいものです。思いのたけをわき目もふらずにぶつけるという類いのものではありません。が、だからこそ二人の心の奥底で確かな輝きを放つその恋情は、読者の心を強く打ちます。
しかしなんといってもこの小説の一番の勘所は、若き大學と、彼を静かに見守る父との関係です。父は明治期の日本が諸外国と伍していくために欠くことのできない外交という大変複雑怪奇な世界に生きる男です。彼は朝鮮半島の閔妃(ミンビ)暗殺にもかかわり、そして今またメキシコの内戦でアメリカなど列強を相手に難しい選択を迫られます。父は言います。「西洋世界は嘘でつくられている。マデロはそれを真実で統治しようとした」。
かたや大學は正義を全うしない世界を忌み嫌います。若さゆえの純粋さと青さ。そんな息子に父は言い放つのです。「外交で正義をなそうなどとは思い上がりだ」と。
この小説の中で父は決して日和見主義の変節漢として描かれているわけではありません。幼年期にある日本を国際社会へと引き出すための尖兵として、懸命に苦渋の決断をしていく外交官。その気概が確かに彼にはあるのです。
完全に分かり合うことは決して叶わないこの父子の姿が大変印象深い物語です。
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ここんところ妙に活動が活発な矢作、どうも胡散臭くて1年以上積読にしてたけど、賞味期限が切れてもなんなので、そろそろと。
前半はいまいちピンと来ない。なんとも冗漫でぼやけているんだけど、スタイルに押されてついページが進んでしまう、そんな感じ。それが、後半、メキシコの内戦が始まると、不謹慎だけど俄然面白くなる。不謹慎な訳ないか、なにしろ「悲劇週間」なんだから。
それにしてもページ多すぎ。これだけ厚いと通勤読書に向かないし、やっぱり前半はもっと削ぐべきだろうな。それと、途中に明らかな校正漏れがあって、一瞬、興が醒めちゃいました(頼むよ、文藝春秋さま)。
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なんと、矢作俊彦が堀口大學を主人公&語り手に据えて、メキシコでの「恋と詩と革命の超大作ロマン」小説を書いた。
メキシコのあらゆる矛盾、スペインに滅ぼされた遺跡の上に建てられたメキシコ・シティ、「外交は言葉でやる戦争だ」という外交官の父、クーデタに地方の反乱、政変渦巻く政界とアメリカの陰謀が絡み合い、静かにクライマックスに向かうなか、堀口大學は熱烈な大統領の姪であるフエセラに魅せられていく。
「生ける屍であることをたえず思い出させてくれるから、メキシコの人は骸骨が好き」だとフエセラは語る。クライマックスでは、メキシコの政治、社会、そしてフエセラも含めて、今まで確かだったと思っていたものすべてが脆く崩れていく。そして死と破壊の中で、堀口大學は詩人としての生を受けるのだ。
優れた小説というのは、心に刻みつけられるシーンの多さで判断できると思う。この小説も忘れられないシーンが多い。フエセラとの会話、父との会話、いずれも強い印象を残す。
そして、何よりも文体。語り手が矢作俊彦だと感じられないくらい、堀口大學が乗り移っているとしかいいようがない。ロマンティックたっぷりに語る文体を味わうのがこの小説の楽しみ方。
しかし、あのヴァネヴァー・ブッシュらしき学者が登場してメキシコ大統領の前で「思考する機械」(コンピュータの原型となった発想)を披露するというエピソードはどこから見つけてきたのか。こういう小ネタも面白かった。
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堀口大學さんの生い立ちと幕末、明治当時の日本の状況に触れながら
その時期のメキシコの革命について描いていた。
大きく語られることのない
歴史の一ページに触れられたような気がした。
「地球をゆっくり回して頂戴。もうちょっとでいいから」
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ひさしぶりに小説を読みました。1910年代をとおして継続したメヒコ革命の一場面を,20歳の日本人青年のナレーションをとおして描いた大作です。
この小説は,同じ作者による『海から来たサムライ』に似ていなくもありません。『海から来たサムライ』は,「明治30年代に,日本に居場所のなくなったサムライと,アメリカ合衆国に居場所のなくなった西部のガンマンとが,ハワイで決闘する」というバカバカしい粗筋以外,ほとんど史実に沿って書かれています。とりわけ,アメリカ合衆国によるハワイ併合を逃れようとして,ハワイ王室が日本の皇室と縁組を持とうとした,という史実が鍵になっています。ほかに,孫文による中華民国樹立,アメリカ合衆国による真珠湾の軍事基地化などが絡んできます。
同じように,『悲劇週間』も,ほとんど史実に沿って書かれています。たわむれにユニヴェルシテ(Universite)と呼ばれる奇妙な名の主人公は,実在の詩人堀口大學の足跡を正確に辿っていきます。メヒコ革命に登場する人物名も史実どおりです。ひとりのアメリカ人ジャーナリストがスペイン語風に「ファン・リード」と表記されていますが,作者も人間が丸くなったようで,小説の末尾で,このジャーナリストがのちに『世界を揺るがした十日間』の著者ジョン・リードとなることが示唆されています。この小説の登場人物たちは,目前で起こっているメヒコ革命のほかに,自分たちが体験したさまざまな戦争や政変について口にします。日本人の登場人物には,戊辰戦争, 西南戦争,乙未事変を体験した者がいます。箱館で榎本軍に加わったというフランス人元将校は,パリ・コミューンを回想し,上述の「ファン・リード」氏は来るべきロシヤ革命について語ります。この小説では一度として言及されていないとはいえ,メキシコ・シティーがのちにトロツキー暗殺の舞台となることすら,作者は視野に入れているにちがいありません。
では,『悲劇週間』は,20年前に書かれた『海から来たサムライ』のメキシコ版かというと,けっしてそうではないとわたしは思います。そのことは,500ページを越えるこの長編小説を最後まで読まないと感じられません。メヒコ革命についてのオクタビオ・パスの総括を正確に引用して扉に掲げ,第二次世界大戦で戦死したはずのポール・ニザンの言葉を明治45年の堀口青年に不正確に引用させるアナクロニズムでもって,この小説は始まります。それならば,若き南方熊楠の奔放な活躍を描いた『海から来たサムライ』とさしたるちがいはありません。しかし,『悲劇週間』は,いつしか失われた時を描きはじめます。失われた時とは,いくら手紙を書いても返事をくれないかつての恋人のようなもの。いったん心に棲みついたら,全身が侵されます。作者がそんな小説を書いたことはわたしの予想外でしたし,わたしがそんな小説に感じいったことも予想外でした。
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「ジャケ買い」した書物。革命時のメキシコを、堀口大學の眼を通して活写した時代小説。体言止めを効果的に使った、抒情的だがどこか乾いた文体が印象的。舞台が荒野のメキシコのせいか、白っぽい風景が広がる感じ。メキシコ娘とのロマンスも鮮烈。再読もありか。
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メキシコ革命の混乱を背景に、国と国との外交を、人と人との信義を、そして男と女の愛をこれでもかというまでに華麗にロマンティックに描いた矢作俊彦の新作。狂言回しをつとめるのが二十歳になったばかりの堀口大學。言わずと知れた『月下の一群』の詩人である。「夕暮れの時はよい時」の優しさ。エロティックな詩に見せる官能性と、同時代の日本詩人とはひと味ちがった作風を持つこの人の父は外交官であった。
大學の祖父は河井継之介の起こした戦で討ち死にする。遺された父は米百俵を金に換えての教育を受け、めきめき頭角を現し立志伝中の人物になる。しかし、外交官時代朝鮮王妃暗殺に関係した罪で投獄、後に放免され外交官に返り咲く。在外公館を渡り歩く父は滅多に帰らず、母に早く死なれた大學は祖母一人の手で育てられ、父の愛を知らずに育つ。
明治45年、若き大學は慶應在学中。秘かに敬愛する与謝野晶子と鉄幹主宰の新詩社同人となり、荷風の授業を受けるなど、父の願いに反して詩人への道を歩んでいた。大逆事件に連座した女流詩人が新詩社同人であったことから、与謝野夫妻の周囲にもきな臭い煙が立ち上る。そこにメキシコ公使として赴任中の父から渡航を求める便りが届く。ハワイで喀血し肺を病む身となった大學は公使の嫡男として公使館に身を落ち着ける。
折しも当地では、独裁政権が倒れ新政権が起こったばかり。独裁者ディアスを倒した新大統領は血を見るのが嫌いな義人であった。しかし、その温情が却って叛乱の芽を摘み残し、政情は不安であった。パンチョ・ビリャ、サパタと詩に謳われ、映画にもなった英雄達が革命の同士マデロとの確執の中で、敵味方になって相戦う。叛乱の最中、公使は大統領の家族を公使館にかくまうことになる。その中に、大統領の姪でコーヒー色の肌を持つ美少女フエセラがいた。一目で恋に落ちた大學は、どこか秘密の匂いのあるこの美女と逢瀬を重ねるのだったが。
アステカの遺跡、湖を埋め立てた上に造られた壮麗な都市、数多の骸骨が街に繰り出す「死者の日」の夜、異国情緒溢れる南国風景が眼前に展開される。男勝りの令嬢は馬にも乗れば車も運転する。しかもパリから送らせる衣裳は華麗この上もない。大學も暴れ馬に乗り、自転車で疾駆する。復活祭の夜は道化服の仮装と負けてはいない。二人の恋が成就するかどうかも気がかりだが、端正な街路はしだいに戦場と化す。暴動を恐れた日系人が公使館の守りにと馳せ参じる。その中には戊辰戦争の生き残りの野中老人、官軍の海江田武官、会津戦争で死にはぐれたマユズミさんと、明治維新の敵味方が呉越同舟。
堀口の家も今でこそ新政府の外交官であるが、もとは長岡藩士。大學のフランス語家庭教師ドン・ルイス・ペレンナは砲術士官としてパリ・コンミューン、五稜郭の戦いでいずれも敗軍と共に戦った経験を持っていた。いきおい歴史を裁く視点は破れた側から見られることになる。特にテキサス、カリフォルニアでは満足せず隙あらばメキシコを手中に収めたいと画策し、執拗に干渉を繰り返すアメリカに対する反感の表現は露骨でさえある。
ルサンチマンに溢れた書きぶりは文体にも影を落とし、倒置法を多用する美文調になる。そこにランボオやヴェルレーヌらの詩の引用が入る。ニザンや小林秀雄、その他人口に膾炙した名文のパスティシュがふんだんに織り込まれる。センチメンタルのどこがいけない。ロマンティケルで何が悪いという開き直ったような文体は堀口大學に仮構した作者その人の心情が却って顕わになったというところか。原稿用紙一千枚の大作だが卷置く能わず一気に読み通した。堀口大學という視点人物とメキシコ革命という背景を結びつけた作者の慧眼に快哉を叫ぶ。山田風太郎の開化ものに通じる、虚実綯い交ぜた歴史物語を読む愉しさに溢れた快作。
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20140808立秋翌日
悲劇週間 矢作俊彦 文藝春秋
西題SEMATA TRAGICA
図書館返却棚で偶然の邂逅。外交官の息子「大學」の墨国(Mexico)での恋。
維新の頃の日本、米国と対峙していた墨国という地理と、与謝野晶子、鉄幹
石川啄木など日本の俳壇、フランスに行く途中で美貌のフエセラとの出会いと
冒険と別れ。時代的には、海から来たサムライの頃(米国のHawaii併合)。
そして、フエセラの訃報が昭和3年のバニティフェアに載ったと。
町田の高原書店の倉庫が戸塚にあり、そこでデミムーアの妊婦ヌードが表紙の
バニティフェ(虚栄の市)を古本でみつけた記憶が蘇り。
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矢作俊彦がこういうのも書くんだということがマジ驚き。堀口大学が実名なんだということも驚き。もっとも、堀口大学なんて知らないというのが、今や普通で、矢作俊彦だって???という時代。トコトンうんちくとも読めるし、腰の据わった、しかし、どこか風太郎的奇想の匂いもする快作。
もっとも、読むのには、少々根性もいるかもしれない。