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紙の本
ワインを楽しむが如くカメラの世界と付き合う
2007/07/04 15:03
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
ライカボディにツァイスレンズを装着して、ニューヨークを撮影した写真紀行だ。ノスタルジックでどことなくペーソスも漂うニューヨーク滞在の短編集でもあり、同時にこれは、チョートク流(著者の愛称)のひと味もふた味も違った写真理論の書でもある。
チョートクこと田中長徳氏は、写真家であるが、カメラを構えて2、3カット撮り、ふたたびカメラをおろす・・・、これだけで既にドラマチックなエッセーが一つ書ける人物だ。 本書は、膨大にして縦横無尽なカメラ知識からのエッセンスが含蓄ある文章に彩られている。 巻末の撮影データと共に書かれた4ないし5行のコメントもずしりとしており、ここだけで本になりそうだ。 本書に書かれているのは、カメラ哲学としか表現できないようなチョートク流の世界観である。
ライカのカメラボディにとって、ツァイスレンズは非ライツ系、つまり純正ではない。このライカとツァイスの組み合わせという撮影は、美しさと機能、さらにブランド力を兼ね備えたという点で、BMWの車体にBenzのエンジンを載せてドイツのアウトバーンをひた走るようなものだ。 まさかボディとエンジンだけで車が走る訳がないし、大袈裟な表現なのだが、そこはアウフヘーベン(止揚)して理解するのがチョートク哲学に近いであろう。
どの著書を読んでも分かるのだが、チョートク氏は、カメラやレンズ、その他の機材に関する知識の持ち主としてだけではなく、人々とも交わる達人でもあるようだ。事実、私自身、松屋銀座で開催された世界中古カメラ市で偶然居合わせた著者と話し込んだことがある。大変気さくな方で、数ある商品の中から、ライカM3を選んでいただいた。
著者は、カメラをワインに例えている。つまり、ワインを語る時、いちいち化学組成を並べるような野暮な事はしないということである。そのような事より、目の前の料理や設定、一緒の相手によってセンス良くワインを選び、どう楽しめるかを正しく感じ、それを正しく伝える事が極意なのだ。 だから、ライカボディにツァイスレンズで撮った紀行は、ワインを堪能した経緯や結果が詰まっていると言える。 本書のような文章は、チョートク氏のように、カメラに悟りを得た人物にしか書けない。
おそらくチョートク氏は、露出計を用いずに、肉眼で測光して撮影しているはずである。 気に入ったシーンを見つけると、チョートク氏の 長年の勘とニューヨークの記憶を一瞬のうちにブレンドして絞りとシヤッタースピードを判断したのに違いない。 判断というよりは、呼吸するかのように指が動いたのであろう。
やれ、ライカだ!カールツァイスだ!と細かい成分を近視眼的に騒ぐのではなく、ワインを楽しむが如くカメラの世界と付き合う・・・。 これがチョートク流のカメラ哲学なのだ。