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- カテゴリ:一般
- 発売日:2006/05/25
- 出版社: 小学館
- サイズ:20cm/270p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-09-387654-1
紙の本
ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話
著者 大山 のぶ代 (著)
声優時代を中心とした大山のぶ代の自伝。ドラえもんとの運命の出会いから、テレビや映画、藤本先生の思い出など、26年間の涙と笑いにあふれたエピソードをつづる。貴重な写真満載の...
ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話
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商品説明
声優時代を中心とした大山のぶ代の自伝。ドラえもんとの運命の出会いから、テレビや映画、藤本先生の思い出など、26年間の涙と笑いにあふれたエピソードをつづる。貴重な写真満載の「大山のぶ代グラフィティ」も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
運命的な出会いから、感無量の別れまで、ドラえもん一本に役者生命を賭けた26年間の、大山さんにしか書けない涙と笑いにあふれたエピソードが満載。“ドラ声”と呼ばれ、声質に悩んだ子どものころの思い出や、母から受け継いだことなど、若い世代に、いまこそ伝えていきたい感動のメッセージです。日本のテレビ史とほぼ重なる長さの芸能生活。その半分以上をドラえもんと歩んできた大山さんが、自ら健筆をふるい、活き活きと書き下ろした貴重な1冊。貴重な資料写真を集大成した「大山のぶ代グラフィティ」も必見。「ドラえもん声優」卒業記念でありかつ「デビュー50周年」記念出版でもあります。【商品解説】
著者紹介
大山 のぶ代
- 略歴
- 〈大山のぶ代〉1936年東京生まれ。女優・声優。「この瞳」でデビュー。ドラえもんの声を26年間担当。2005年「放送ウーマン賞」受賞。著書に「大山のぶ代のおもしろ酒肴」など。
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紙の本
大山さんのドラえもんへの思いの強さがひしひしと伝わる本
2006/07/16 12:51
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルどおり、大山のぶ代さんとアニメ『ドラえもん』との関わりの話が中心。だから、俳優・タレントとしての大山のぶ代さんについて深く知りたい人には、「もう少し詳しく知りたい!」と思うかもしれない。
でも、『ドラえもん』で育った世代の俺にとっては、大山さんのドラえもんへの思い入れの強さが印象的。そして、感動的。ドラえもんを演じることを、ものすごく大事にしていたことを感じた。なんというか、まさにドラえもんと一心同体だったんだなあと思う。
色々と興味深い話はあるのだが、とくに印象に残ったのは、1996年、NHKホールで行われた「ASIAライブ・スーパーコンサート」にドラえもんのレギュラー声優5人が出演した時の話。ドラえもんの着ぐるみが舞台に登場すると、「ホールの中はもう全員狂喜乱舞、立っている人もいて、すべてがウワンウワン言っています」(p.192)。そして、「気がついたら、舞台袖は各国の出演者でビッシリ。出演が済んだ人も、これから出演する人も、みんな空飛ぶドラえもんを見るために楽屋から飛び出して来ているのです」(p.193)。動き出したドラえもんの着ぐるみにあわせて大山さんが声をあてると、「今までのどの出演者のときより、ホール全体がこのまま空に向かって飛び立ってしまうかと思えるような騒ぎ」(p.193)。そして客席も出演者も一緒にドラえもんの歌を合唱したという。
ドラえもんってすごいなと、改めて思う。この部分は感動したなあ。
また、大山さん自身の病気について書かれた「第7章 ありがとう、ドラえもん。」と、若い頃に亡くなられたお母様の思い出と、俳優を志した思いについて書かれた「第8章 伝えていきたいこと」は、テレビを見ているだけの者には分からなかったエピソードが紹介される。
特に中学生の頃に、自分の声にコンプレックスを感じていた大山さんにお母様が話した話は、印象的。
「目でも、手でも、足でも、そこが弱いと思って、弱いからといってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうのよ。弱いと思ったら、そこをドンドン使いなさい。声が悪いからって、黙ってばかりいたら、しまいに声も出なくなっちゃうわよ」(p.232)
この話を聴いた大山さんが、次の日に早速放送研究部に入部したという。
そして、16歳の時にお母様を癌で亡くした大山さんは、「癌は遺伝するから、私が大人になって結婚して子どもを持って、その子が十五、六になったとき、私もお母さんみたいに癌で死んでゆくんだ。そんなかわいそうなこと、絶対したくない」(p.216)と思い、「一生ひとりで生きるために、私はなにか手に職をつけておかなくては」(p.216)と、俳優になる決意をしたのだという。この話には、大山さんの仕事にかける思いの強さを感じるなあ。
ドラえもんの声優さんとしての活動は終了されたわけですが、これからも大山さんの末永い活躍をお祈りしたい。