- 出版社:新潮社
- サイズ:20cm/140p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-301771-6
生きてるだけで、愛。
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- 税込価格:1,365円(39pt)
- 発行年月:2006.7
- 発送可能日:購入できません
- 本
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商品説明- 「生きてるだけで、愛。」
ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?過眠、メンヘル、二十五歳。人と人とがつながりにくい現代を生きるひとりの女の子の物語。芥川賞候補作。【「BOOK」データベースの商品解説】
ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ−? 過眠、メンヘル、25歳。人と人とがつながりにくい現代を生きる、ひとりの女の子の物語。『新潮』掲載を単行本化。書き下ろし「あの明け方の」も収録する。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧- 「生きてるだけで、愛。」
| 生きてるだけで、愛。 | 5-117 | |
|---|---|---|
| あの明け方の | 119-140 |
著者紹介- 「生きてるだけで、愛。」
本谷 有希子
- 略歴
- 〈本谷有希子〉1979年石川県生まれ。「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手掛ける。著書に「江利子と絶対」「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「ぜつぼう」など。
ユーザーレビュー- 「生きてるだけで、愛。」
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/11/30 23:28
生きるという疲れ
投稿者:トマト館(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?」
「あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生。」
だれもが時には考えてしまうことだと思う。
生きるってしんどいし疲れるなあ、自分をやめてしまいたいなあって。
この話は、その感情に常につき合っている人間の話である。
精神的にも極限で、肉体的にもつらくて、
それでも
生きてるだけで
五千分の一秒でもいいよって思えることがある。
主人公が、苦手としていること、
つっこんでいること、
ものすごく怒っていること、
そしてそれにおおきな疲れを感じていること、が
すごく立体的に感じられる本でした。
タイトルからしてわたしの心をつかんでました。
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2006/07/28 23:58
分かってほしい
投稿者:ナカムラマサル(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公は躁鬱症の25歳の女性。
彼女が猛烈なうつ状態にいる場面から本書は始まる。
同棲相手の津奈木はそっとしておいてくれるが、彼女はそれも気に食わない。
正直言って、前半は、自分はエキセントリックだと思っている著者が主人公に逆選民意識を託した、よくある手合いの話だと思っていたのだが、津奈木の元彼女の計らいで主人公がイタリアン・レストランで働き始めるあたりから引き込まれた。
今までどのアルバイトも長続きしなかった彼女が、ここなら大丈夫、と思った矢先にほんのささいなことがきっかけで、その希望が脆くも崩れる。
その「ささいなこと」の描き方が上手い。
そう、足をすくう「ささいなこと」の存在は、自分の周りにもそこらじゅうにゴロゴロ転がっているのだとハッと気づかされる。
人が一番望むものは、「誰かに自分を分かってもらいたい」それに尽きるのだ。
テーマとしては常套かもしれないが、終盤に近づくにつれて主人公の胸の痛みが身に沁みてくる1冊だ。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/05/27 08:48
生きてるだけで、文学。
投稿者:けんいち(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本谷有希子の『生きてるだけで、愛。』は、タイトルが実によく作品を表していて、確かにページをめくれば、いささか文学的とは言いにくいくだけた文章が並び、エキセントリック子という綽名を体現するかのように、過眠症で鬱で、嘔吐して走ったり、些細なことでパニックになったり、屋上で全裸だったりと、若い女性主人公の言動は無茶を通り越して「異常」にみえるだろうし、そのような生活の様態それ自体が、すぐれて現代的であるようにもみえるだろう。旧来の枠をはみ出した小説にかろうじて与えられる、「現代社会を写し出した文学」という理解の仕方がそれだ。しかし、『生きてるだけで、愛。』は、いうならばそんな生やさしいレベルに安住するような、「お行儀の良い現代小説」などでは全くない。そこに描かれているのは、「切なさ」といった感傷や、「私探し」といった物語をも排した、ただただ「生きているだけ」の、生々しいと言えば生々しいことこの上ない、それでいて「小説」としてみるならば実に無欲で淡泊そのもののような「生きているだけ」の女性の声であり、生活であり、生だ。もちろん、そこには男性との奇妙にしかみえない同棲生活も描かれているが、それを「愛」と呼ぶべきかはにわかには判断できない。確かなのは、それもまた「生きているだけ」のことから派生する一つの現実であり帰結だということで、一見クライマックスにみえる結末近くの会話も、基本的には、「生きてるだけ」のことで、そのために必要な言葉のやりとりにすぎない。この透徹した、生そのものをリアルに描き出す認識=筆力は、本谷有希子を若くて美しい有能な書き手といった範疇にはとどめておかないだろう。芥川賞のゆくえはともかく、本谷有希子は、書いていくだけのことであるし、読者はそれを、恐れおののきながらも惹きつけられて、読んでいくだけのことだろう。







