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わが悲しき娼婦たちの思い出

  • 出版社:新潮社
  • サイズ:20cm/141p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-509017-8

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de García Márquez)

G.ガルシア=マルケス (著), 木村 榮一 (訳)

  • 全体の評価 56件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:1,89054pt
  • 発行年月:2006.9
  • 発送可能日:24時間

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商品説明- 「わが悲しき娼婦たちの思い出」

これまでの幾年月を表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年夜の巷の猛者として鳴らしたもう一つの顔を持っていた。かくて昔なじみの娼家の女主人が取り持った14歳の少女との成り行きは…。悲しくも心温まる波乱の恋の物語。2004年発表。【「BOOK」データベースの商品解説】

90歳を迎える記念すべき一夜を、処女と淫らに過ごしたい−。かつては夜の巷の猛者として鳴らした男と、14歳の少女との成り行きは? 川端の「眠れる美女」に想を得た、悲しくも心温まる波乱の愛の物語。【「TRC MARC」の商品解説】

ユーザーレビュー- 「わが悲しき娼婦たちの思い出」

全体の評価
5.0
評価内訳 全て(6件)
★★★★★(4件)
★★★★☆(2件)
★★★☆☆(0件)
★★☆☆☆(0件)
★☆☆☆☆(0件)

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6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/12/16 15:31

ガルシア=マルケスにはまっていきそうな気がする

投稿者:yukkiebeer(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」。
 本書は主人公のこんな怪しげな独白で始まります。老年の男のうら寂しさと濃厚なエロスとを想像させないではない書き出しです。しかし、130頁に満たないこの物語の果てに私を待ち受けていたのは、これ以上ないほどの清々しい読後感でした。

 コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(ガルシアがファーストネームだと思っている人が多いようですがそれも含めてガルシア=マルケスが苗字です)が2004年、77歳のときに発表した作品です。
 主人公はこれまで一度も結婚することなく、娼婦などと金銭的関係を結んで生きてきた老人です。そんな彼が卒寿を迎える日に自分に贈る「うら若い処女」は、なんと十四歳。「ひとつ間違えば三年食らい込むことになる」と娼館の女主人も心配するほど。

 この現実離れした設定といい、読者である私の倍以上の年齢の主人公といい、果たしてどこまでこの物語に感情移入できるものであろうかと、恐れにも似た思いを抱えながら頁を繰り始めましたが、いやいやどうして何の問題もなくこの老人に心がすっと重なっていきました。

 デルガディーナと名づけた十四歳の少女と主人公の間に展開されるのは、ごくごく普通の思慕や嫉妬です。胸ときめく恋心とはもはや縁遠いかと思われる老境にあっても、主人公が感じるのは彼自身も驚くほど身を焦がすような恋わずらい。「嫉妬というのは真実以上に知恵が回るもの」(104頁)。こんな箴言風の言葉を織り込みながら、ガルシア=マルケスは諧謔味あふれる筆致で、読者に素敵な恋物語を差し出して見せるのです。

 物語の幕切れはこの上なく素敵です。老いることによってかりに体力が衰えることがあっても、人生の勢いまでもが衰えることはない。そんなことを確かに感じ、胸を張って生きる主人公の姿が思い浮かび、心洗われる思いがします。

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6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/11/29 21:35

眠れる少女を前にして、少しもエロ話にならないとことがえらい!しかもその純情。婆さん追いかけるばかりが爺さんじゃないけれど、少女と付き合うならこのくらい高潔でありたいよね

投稿者:みーちゃん(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

中村びわさん、★五つじゃないんだ・・・って、変なところで驚いてしまいました。予想外だったんですね。私にはとっても面白かった、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』とは全く違いますが、それでも今年の翻訳小説のベストの一つじゃないか、なんて思った私は、中村さんの評を熟読させていただいた次第。よかった、褒めてるんだ・・・
まず、ブックデザインがいいですね。本文120頁、全体でも140頁と量的には大したことがありませんが、カシっとした角背と白いカバー紙がモダンで。しかも、モノトーンの高速度撮影写真か?と思わせる Silvia Bachli の Drawing が、こうアートしていて、それがまた似合う。装幀は、勿論、新潮社装幀室。木村榮一の訳もいいですね。話としっくりして違和感が全くありません。
でも、笑ったのは冒頭に引用されている
たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠って
ゐる女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけ
ませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。
川端康成『眠れる美女』
ですね。川端康成=『伊豆の踊り子』=青春文学、っていう図式が生きていたのはいつ頃までなんでしょう?最近、色々なところで、今時の若い女性には川端の小説は気持ち悪いものとして、敬遠されている、といったような文章を見かけます。ま、その理由は私にはよく分りませんが、さしずめ『眠れる美女』を標的にあげるのは簡単でしょう。
今回、この引用を読んで、こんなにユーモラスな描写があったんだろうか、それならもう一度読み直してもいいか、なんてマルケスよりヤスナリのほうに気持ちがいきそうでしたね。
ま、『眠れる美女』再読は夢みたいなものなので、マルケスの本について比較する相手がいない、困ったな、と思ったんですが、思い出しました。ゴールズワージー『人生の小春日和』です。これも200頁にも満たない作品ですが、『小春日和』にも滋味としかいいようのない暖かみがあって、ノーベル小作家というのはいいものだなあ、なんて思うんです。ま、川端先生もお仲間ではありますが。
無論、マルケスが直接、触発されたのは川端作品であり、眠る少女という共通点はあるのですが、では老人がその女性に寄せる思いの切なさ、自分を押えようとする心の動きなどは、むしろゴールズワージーの作品に登場する老いた資産家のそれにより近い気がします。そして、その少年のような初心な思いも。
川端作品から立ち上る老人臭に対し、ゴールズワージーからはどちらかというと霊的なミストが、そしてマルケスのこの作品からは年齢を感じさせない熱気を感じるといったら、おかしいでしょうか。でも、自分の恋心を新聞記事に書いてしまうようなところは、若い。
主人公は90歳の文筆家 私、博士と呼ばれる男です。彼が文章を寄せるのは《ラ・パス日報》の日曜版ですが、その老人は「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」のです。彼は過去に数年間続いた忠実な女中ダミアーナとの関係こそあったものの、結婚をしようとは思ってきませんでした。女が欲しければ商売女でいい、そう考えて生きてきたのです。
でも、この90歳の老人は、「みだらな一夜を過ごして誕生祝いにしようと思い立ち」行動に移すのです。そして娼館の主、ローサ・カバルカスに頼んで処女を用意してもらうのです。そして、彼の前に眠っているのが14歳の少女、デルガディーナです。望みの乙女を前にした老人は・・・
いつ死ぬか、もう逝っちゃうのだろうか、などと気を廻しながらラストまでイッキ。これから毎月のようにマルケスの本に出合えるのかと思うと、それだけで出版社に感謝したくなります。

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5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/11/12 11:59

マルケスのこの中篇小説は読むものを魅了する!

投稿者:ブルース(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

川端康成に『眠れる美女』という異色作がある。この作品は、娼家にて睡眠薬で眠らされた娘を前にして繰り広げられる六十歳代の老人の妄想や死への恐れが描かれている。
今回刊行された南米の作家ガルシア・マルケスの新作は、この川端の小説に想を得て書かれたというが、モチーフは同じでも内容や読後感は随分異なっている。川端の作品の主人公は、良きにつけ悪しきにつけ、日本の老人らしさを保っているのに対して、マルケスの主人公の老人は九十一歳という超高齢に設定されてあるにもかかわらず、極めてエネルギッシュで前向きの生き方をしており驚かされる。なるほど、高齢者であるだけに、心身の不調が比較的多く描かれているが、その描写も多分に戯画タッチであるので、陰惨な感じは与えず、時には笑いさえ誘われてしまう程である。
ストーリーは、地方新聞のコラム欄を書いて生計を立てている老人が、「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生日にしようと思い」馴染の娼家の女性に連絡を取るところから始まる。並の小説家であれば、馬鹿馬鹿しい内容に終わりかねないのに、ついつい引き込まれてしまって最後まで読まされてしまうところにマルケスの天賦のストーリーテーラーとしての才を感じさせる。
物語はさらに進み、老人は、娼家で眠らされている娘と添い寝するうち、やがてこの女性を愛するようになる。愛するといっても、娘はいつも眠らされており、話しも老人からの一方通行でありとても愛など育つ状況ではないのだが、そのような不可能な状況の中で育つ愛をマルケスは文学的な技巧を凝らして描いている。ここに、この作品の読みどころの一つがある。
作中の要所要所には、主人公を巡る個性的な人々、主人公の日々の暮らし、南米の色鮮やかな風景や気候などが描かれており、作品に膨らみを与えている。
さらに、この小説を生き生きととさせているのが、主人公を巡る女性たちの存在である。馴染の娼家の逞しい女将、終盤近くに登場して主人公と来し方をしみじみと語り合う元娼婦など印象に残る。
今さら言うまでもないが、やはりマルケスは素晴らしい作家である。版元の新潮社では、これらか一年かってこの作家の全小説を刊行する予定と聞くが、何とも楽しみなことである。さしあたり、この十月に刊行された大長編『コレラの時代の愛』を読んでみたい誘惑に駆られる。

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3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007/02/25 13:52

90にして惑い、91にして惑わず

投稿者:たむ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 川端康成『眠れる美女』に想を得た、とは言うものの、当たり前だけど全然違う。同じなのは老人が処女と添い寝するところぐらい。何しろガルシア=マルケスの方は現実世界の社会性ばりばり。というか九十歳の老人が新聞に寄稿して現役で働いているのである。おいおい。現実に足が着いているのか孤独な老人だけの異世界なのかという以前の問題である。もちろんあっちの方もほぼ現役。さらには少女に恋したという記事が世間の反響を呼んでしまうのである。嫉妬のあまり暴れるし。すごい……。世界と真っ向から対峙してます。

 日本だと、九十歳の老人は一人孤独を慰める方がリアルなのかもしれないなあ。社会の問題なのか個人の問題なのかはわからないけど。

 老人だけじゃなくて、処女という存在自体が違います。川端の処女というのは、現実の未経験女というより観念としての処女性なんだけど、本書の処女は、薬で眠らされて動かないとはいえ生身の人間。生身の人間同士を扱えば、年齢は関係なくこういう小説になるよなあ。

 そもそも九十歳にして初恋です。しかも片思い。すごすぎて言葉が出ません。

 「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」という衝撃的な冒頭でこそ、おそらく自分の死や老いとその真逆な処女というものを意識していたのだろうけれど。

 読み終えてから振り返れば、冒頭でこんなにネガティブだったのがむしろ意外なほど。

 九十歳で一区切りついて、九十一歳から再スタート。きっと百歳になったらまた一区切りで、百一歳から再スタートなのだろう。とんでもなくパワフルな小説でした。

 装丁がよいです。カバーもよいのだが、カバーを取った表紙がまたいい。チョコレート色一色。背表紙のみに黒か焦げ茶の箔押しタイトル。また色だけじゃなく、質感とか手触りまでもがチョコレートっぽいのです。

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6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007/10/15 13:18

いわゆる変態とは、ある意味成熟しない人間のことであるのかもしれない

投稿者:hamushi(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る


 学生のころ、私とはくらべものにならないほどの読書家の友人が、私に向かってこう言った。

「川端は、変態です」

 それから二十数年、「川端=変態」が頭に焼き付いて離れない私にとって、本書冒頭の「眠れる美女」の引用は、問答無用の変態色眼鏡として機能する、とても邪魔くさい装置になってしまった。
 鬱陶しいとは思うものの、どうにも「変態」を払拭できそうになかったので、仕方なく、その「変態」を切り口にして、このとらえどころのなさげに感じる物語を、なんとか乗り切った。必要もないのに言葉の切れ端に囚われてしまうというのは一つの病理であるのかもしれないが、それを刃物にして本に切り込むというのも、一つの読書のあり方であろう(?)。

 結婚せず、人を愛したこともなく、過去の瓦礫に埋もれた異物のように九十歳になってしまった「私」の人生は、性欲に翻弄された人生といってもよかったのかもしれない。
 人が「変態」になるのにもきっかけがある。幼少期に娼婦の集団にさらわれて恐怖のなかで犯されたことが、「私」にとってとんでもないトラウマとなったであろうことは想像に難くない。その後、五百人を超える女性と関係しながら、相手が何者であっても事後に金を払い、それをいちいちノートに記録していくという、心に何ものをも残さない刹那的な交流を繰り返していったのは、女性に対する抜き差しならない恐怖が一因であったと読み取るのは、短絡的で浅すぎるだろうか。
 成り行きで婚約するハメになった女性と結婚する前日には、娼婦の大集団と誓いの儀式を執り行い、結婚式の時刻が来ても息を潜めて家に閉じこもり、結局逃げ切ってしまっている。少女のころから長年勤めてくれている使用人のダミアーナとも、無理矢理関係を持っているけれど、老境に達しても結婚することのなかった彼女の思いや苦悩の存在に、「私」は九十歳を超えるまで、まるで気づきもしなかった。
 こうした「私」の振る舞いは、批判的に見るとするならひたすら幼稚で、人として成熟することそのものを拒絶しているようにも受け止められる。このような生き様は、どことなく、一部のひきこもりやニートと呼ばれる人々の姿とも重なるようにも思える。「私」はひきこもりでもニートでもないが、他人との心的な交流をおそれて自分の外に一歩もでない生き方は、精神的な引きこもりと言ってもよさそうに思う。
 「私」の拒絶的で、変化や成長をこよなく嫌って「引きこもる」生き方は、仕事に対する態度にも色濃く表れている。いつまでたっても古くさいスタイルの外電屋としての執筆方法に固執しつづけ、時代の変化を無視したことから、編集者に切り捨てられそうになったこともあったほどである。ところがあまりにも時がたくさん流れすぎたため、「私」のやり方は古くささを通り越し、昔を知らない若い人にも受け入れられるような、独自の価値を持つに至ってしまう。つまり、人としての成熟を拒絶した偏屈および「変態」きわまりない生き方が、結果的に一つのスタイルとして世間に広く受け入れられてしまったことになるわけである。
 さらに皮肉なことに、その時点に至って、「私」はようやく、人としてのまっとうな成熟の方向へと向かって、黴が凝り固まったような分厚い殻をやぶりはじめるのである。かつて「私」を翻弄し、自発的な成熟の道から踏み外させた性欲のバケモノが、九十歳の誕生日を前にして初めて、他人を思い、人生をかけて愛する気持ちの土台となるように働いて見せたのである。
 しかし結局のところ、「私」は、眠れる処女である「デルカディーナ」と、一言も言葉を交わすことがないまま、物語は終わっている。裸で眠る姿を見つめる・見つけられるという関係にすぎない彼ら二人が相思相愛であると断言するのは、売春宿の女将だけである。
 笑ってしまうほど残酷な運命であると言っていいのかもしれないが、この上なくラッキーな人生の終末であるのかもしれない。よくわからない。ただ私はこの「私」という老人も含めて、登場人物の誰にも全く感情移入できなかった。したがって、笑うのも顔をしかめるのも流すのも自由という、とてもラクな読書であった。もっとも、だからこそ、いま一つつかみ所のない感じを覚えたのでもある。

 蛇足。
 女中のダミアーナが膕(ひかがみ)丸出しで洗濯しているのを見た「私」が、なぜか「入り口ではなく出口」めがけて後から辱めたというエピソードを読んで、久米の仙人の伝説を思い出す人は多いのではなかろうか。だからどうだというわけではないが、ガルシア=マルケスが川端の「眠れる美女」にインスパイアされてこの作品を書いたというのであれば、もしかしたら薄田泣菫の「久米の仙人」だって、読んだことがあるのかもしれない。ただし久米の仙人が「出口」に興味があったかどうかは私は知らない。
 また、九十歳になるまで寂しい独身生活を送っているのは実はホモだからで孤児相手に汚らわしい欲望を満たしているなどという中傷をされたが無視したというエピソードもあったが、こちらはどことなく、僧侶のお稚児趣味を意識して書かれたような気がしないでもない。
 そして「私」が執心するデルカディーナが、最初は少年とほとんど変わりない容姿であることと、成長しても、どこか両性具有的な美の持ち主であることが何度か強調されているのに気づくに至り、さらに、美しい娼婦たちは取っ替え引っ替えしていたにもかかわらず、頑強な体格であまり女性的とは言えない容貌であるらしいダミアーナとの関係が最も長続きしたということに立ち戻ると、作者のガルシア=マルケスは、これらの、どこか「和」の衆道テイストを感じさせるエピソードを重ねることで、一体何を言いたかったのだろうかとか、このひと一体日本をどんな国だと思っているのだろうかとか、猛烈に勘ぐりたくなってくるのだが、本書のなかにその答えがあるのかどうかは、私にはちょっと分からなかった。

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2006/11/03 22:53

「薬で眠らせた美女を楽しむ老人の小説」というお題で世界の作家がいっせいに競作しても、生まれてこなかったに違いない。先行する川端文学があったからこそ出てきたお茶目な小説。

投稿者:中村びわ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1982年のノーベル文学賞に輝くガルシア=マルケスが、1968年に同賞を受賞した川端康成の作品『眠れる美女』から着想を得たという本作は、別に『眠れる美女』を読んでいなくても十分楽しめる大人向けの「おとぎばなし」だ。しかし、『眠れる美女』や『雪国』がどういうものか少しでも知っておけば、これが極めて意識的に川端文学を「裏焼き」にした小説なのではないかと感じられ、洋の東西の「死」「性」「加齢」に対する価値観の差を対照的に読み取ることができる。そのような観点での読書の仕方も楽しめる。
 どちらも、薬剤でどっぷりと眠りにつからせた若い娘を、老人がもてあそぼうという筋立てだ。高度の高齢社会に移行しつつある日本で、このような文学作品が『ダ・ヴィンチ・コード』や『風の影』のようなヒット作品並みに読まれたらよからぬことが起きるのではないかも思える。ネット上に分散するこの本の評判が比較的若い人が立てるものが多いようでよかったあ…と思ったというのはおちゃらかほいとしても、金銭授受を伴い、双方の合意の上に実現させるこの大したお遊びが、光のよく回っていないモノクローム写真と鮮やかな総天然カラー写真ほどに違う描き方がされているのが愉快だ。
 川端作品では、まもなく亡き骸となる自分の滅び行く肉体に自分で死に水を取るように、若い娘を使った遊びを自身に与える。一方、マルケス作品では、90歳の誕生日を迎えるというのに、この先の人生を「余齢」とは考えないポジティヴな老人が登場し、自分のための祝祭の祭壇に若い娘を「いけにえ」として掲げるわけだ。
 それぞれの作品を読み進めて香り立ってくるのは、川端が仏間に漂う線香の匂い、あるいは死臭、新発売で生産が追いつかないほど売れたチューインガムで消し切れない加齢臭。マルケスは、むんむんと大気のなかに踊り出る毒々しい色をした南国の花の花粉の匂い、あるいは脂汗混じりのマスク(じゃ香)系の香水といったところ。
 おそらくマルケスは、英訳に恵まれながら世界に打って出た川端の『雪国』を読んだとき、それが「芸妓」という玄人女性との交流を書いていることに興味を持っただろう。だが、自分の知る文化圏の「娼婦」たちと彼女たちに普遍的に通じるものがあったとしても、うしろに控える社会背景の差異を興味深く感じたのではないだろうか。トンネルの向こうに広がる雪国と赤道近く(高度があれば涼しいが)のラテンの国という地理的条件ひとつ取っても、人間の精神性に及ぼす影響の差は計り知れない。
 そのような両者の個性が決定的な際立ちを見せるのは、「文体」ではなかろうか。『わが悲しき娼婦たちの思い出』は本体わずかに115ページほどの中篇だが、地の文も登場人物たちも、まあ見事にしゃべりまくっている。しゃべろうとしていったん口を開くからには、相手を楽しませサービスを尽くした上で言葉を自分の舌の上に戻すべしという覚悟が伝わってくる。77歳で書かれ、当地で2004年に出版されたというが、あっぱれマルケス、マジックリアリズム健在境地にありという、ほとばしる勢い。その対極に思えたのが、おそらく川端文学の静かな雪解け水のせせらぎのような文体なのだろう。せせらぎは必要以上の音は立てないし、余分な場所には広がって行かない。
 しかし、読者として一番面白かったのは、男女の間にある「愛」を生かすのか殺すのかという選択であり、それをテーマとした物語の結末だ。この小説の行き着くところは、滑稽なまでにシュールであり、それゆえにファンタジー味ある「おとぎばなし」だと気に入った。人間のしぼみがちな心を2倍にも3倍にもふくらませてくれる愉快な「おとぎばなし」は、いつだって歓迎なのである。

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