紙の本
<ミステリにして純文学>
2010/05/16 08:45
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はこの小説を翻訳と原書を併せて4回は読んだ。良い作品というのは何度でも読み返したくなるし、読み返すたびに何らかの新しい発見や収穫があるものだ。それは小説だけでなく、映画(ビデオ)でも言えることである。良い作品というのは、各所で物語の細部が連繋し、補強し、響きあい、テーマを変奏し続けていく(本書についての池上冬樹解説)ように構成されているからであろう。
巻末の池上冬樹解説では、小林信彦、結城昌治、遠藤周作等の諸氏による本作についての最上級の賛辞が挙げられている。たとえば、小林信彦によれば「この小説は<ミステリにして純文学>という奇蹟をやってのけた稀有な例」ということである。本書はスパイ小説の傑作とされているようで、ストーリーそのものの興趣もないわけではないが、劇的なストーリーが展開されるわけではない。本作は、題名が示すように、恐怖、不安、愛、信仰、忠誠というような人間的要素を追及する物語であり、読者に対して、国境とは何か、「国」を裏切るとはどういうことなのか、といったテーマを問いかけている。
また、遠藤周作は「グリーンのそれ(小説)を広げ、そのうまさ、その情感にみちた文体に圧倒される。私のそれは何と乾燥しているだろう」と述べている。遠藤周作はこの引用部分ではグリーンの文体について言っているのだが、作品、文体の真価を本当に味わうためには、翻訳ではなく原文にあたるべきであろう。
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名人芸。
グレアム・グリーンは本のタイトルのつけ方が上手ですね。「おとなしいアメリカ人」「負けた者がみな貰う」そしてこれ。これはタイトルに思い込みすぎて、読後すぐは思っていたよりも軽いという印象をうけてしまいましたが、あとから考え直してみるとけして軽い内容ではないから、軽いという印象を与えてしまう書きっぷりがまた名人芸だと思った。
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スパイ小説ということで、スリリングな展開を期待する方も多いとは思うのですが、それだけを目的に読むのはもったいないです。彼は祖国を裏切り、もしかしたら神までも裏切ったかも知れません。それでも、大切なものは見失わなかったのだと思います。
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古本市で購入。
この前にジェフリーアーチャーの十一番目の戒律を読んだけど、読了感は全く異なる。
国家を、祖国を、使命を、神を裏切ってまでも愛に生きたのに、
最後はかなわずハッピーエンドでないところがまたよい味を出している。
タイトル秀逸。スパイ小説としてもおもしろい。
背景知識深い。
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スパイ小説の傑作と呼ばれているだけある。一気に読み終わった。たくさん出てくるウイスキーの銘柄が気になる。
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イギリス情報部を舞台に二重スパイを機密漏洩の事実ごと闇に葬ろうとする上層部と、嫌疑をかけられた男たちの姿を描くスパイ小説の古典的名作。
何故今(といっても出版されたのは06年だけど)この本の新訳なのか?
スパイ小説とはいえ、銃撃シーンも敵の本部への侵入も秘密兵器も謎の暗号も出てこない。暴力シーンは極限まで削られている。
ただスパイが主人公なだけ。地味な人間ドラマがただ重厚に語られるのみだ。
そしてそれがスパイ悲哀、孤独などを鮮やかに描き出している。
二重スパイが何故そうなったのか、ところどころにキーワードが挿入されており、あとになってそのことが持つ重さを感じられるようになっている構成は見事。
そして改めてキーワードが出てきた冒頭へとページを戻し、とくと考え込んでてしまう。
人にとって故国とは、家族とは、世界とは何であるのか?
物語はラストに向け盛り上がり、【めでたしめでたし。】の後日談を伴って幕を下ろす。
あまりにも大きい「故国」を裏切った代償が余韻をもって描かれる。
それはやるせない未来を予感させる。最後の1文はただただ切なく、読み手の心に染み込んでくる。
非常に上質な小説を堪能した。
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イギリス情報部で、極秘事項がソ連に漏洩した。二重スパイは一体誰か? 上層部が特定を進める中、主人公カッスルは・・・。
グレアム・グリーンの『二十一の短編』に収録されていた「廃物破壊者たち」は、通学中の電車内で読んで、「駅を乗り過ごしてもいい!」と初めて思った短編だった(結局ちゃんと降りてしまったのだけれど・・・)。
しかし、この「廃物~」以降の短編は読んでもよく頭に入らず、一冊読み終えた感想は「一番最初のだけめちゃくちゃ凄かったのにな」だった。
というわけで、グリーンの本が自分に合うのか合わないのか、いまいちよくわからないまま、この本を手に取ったところ、これもちょっと違ったらしい。
確かに、抑制の効いた静かな語り口に含まれる哀しみの感情は、押し付けがましいものがかけらもなくて素晴らしい。しかし、登場人物たちの関係や状況などが、はっきりと明言されず、あわいを揺らいで濃ゆくなったり薄くなったりするので、私には少々掴みづらく、読みにくかった(それがこの小説のよさでもあるのだろうけど・・・)。
もう一度「廃物破壊者たち」を読んだときのような読書がしたいとは思うのだが、これからまだグリーンを読んでみるべきか否か、この小説が合わないようだったので、またわからなくなってしまった。うーん。
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主人公カッスルの心情を表わす箇所を一部抜粋。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「信じてないのか?」 「もちろん信じているわ。でも・・・」 階段の上まで”でも”が追いかけてきた。カッスルは長いこと”でも”と生きてきた(中略) いつか人生が子供の頃のように単純になる日がくるだろうか。”でも”と縁を切り、誰からも信頼される日が。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主人公がイギリス外務省の二重スパイであるという小説でありながら、ハラハラする場面は殆どなく、ずっと静かな"哀しみ”がまとわりついて離れないという感じだった。 物語の全体に人間の悲哀と孤独が流れているように思えた。読み終えたとき、静かで物悲しい気持ちを抱えつつも充足感のつまった長い長いト息を吐きだしていた。
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スパイ小説ではありますが、派手な撃ち合いも激しい駆け引きもなく、終始淡々と進行します。主な登場人物は全員心の弱さを抱えていて、祖国を裏切ったはずのスパイですら悪人ではなく、敵対する立場の人物の弱さに共感を抱いたりもします。
言ってみればスパイ小説の形を変えた人情もので、読後感は非常にしんみりとしています。
文学的な香気があふれる作品ですが…残念ながら僕の好みではありませんでした。
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ひとつの言葉、一行のセリフがストーリー全体へと浸透していく。イギリス諜報機関を舞台にしたスパイ小説、ではあるが、何か、たとえば信念とか正義とかを、声高に掲げるようなことはしない。淡々として見える日常の中で静かにそれは進行する。以下、引用。---------------------------------------------「サムを愛しているのはきみの子だからだ。私の子じゃないからだ。あの子を見たときに、自分の何かを見ないですむからだ。きみの何かだけが見える。自分の何かが延々と続いていくのは嫌だ。自分はここで終わりにしたいんだ」----------------------------------------------「ああ、私は同じことを何度もやる運命にあるようだ」----------------------------------------------恐れと愛が不可分なら、恐れと憎しみもまた不可分だ。---------------------------------------------「偏見にはどこか理想と共通するものがある。コーネリアス・ミュラーには偏見がなく、理想もない」----------------------------------------------「そうかな。後悔は理性でどこかに追いやれるものではない−人を愛するのに似ている。人を愛するように、後悔する」----------------------------------------------「憎しみは往々にしてまちがいを引き起こす。愛と同じくらい危険だ。」----------------------------------------------礼儀は反目を超える障害物になることがある。糧として生きたいのは礼儀ではなく、愛だ。---------------------------------------------
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フレミングのような分かりやすいスパイ活劇ではなく、主人公の内面を追ったスパイ小説。面白かった。それ以前のスパイ小説が愛国主義vs.敵国という構図だったのに対して、1978年のこの小説では個人の感情vs.組織の外圧という構図が物語の枠組みとなっている点が興味深い。主人公以外にも、登場人物それぞれを悩みを持った人間としてしっかり描いているところに好感を持った。少し残念なのは、主人公の魅力が少し薄いように感じられてしまったところ。正直、カッスルよりもデイヴィスに感情移入してしまった部分もある。
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『死者にかかってきた電話』、『真冬に来たスパイ』、『スピアフィッシュの機密』に続いて読んだ。前3作はどうしても「おっさん目線」が鼻につき、「あー、そうですか。はいはい。」といった感じだった。
この『ヒューマンファクター』は"male gaze"はそれほど気にならなかった。
切ない話。
もっとグレアムグリーン読んでみようと思う。
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派手なアクションは無縁ですが、登場人物の心情が細やかに描かれていて作品の世界に入りやすい作品です。翻訳が良いのでしょうが、場面、場面を、まるで絵を見るかのように想像できます。 文学作品にふれた印象を残すでしょう。
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007の痛快なスーパーマンの諜報部員ではない。地道な情報担当の諜報部員の日々が息苦しく描かれている。主人公は妻のために祖国を裏切った二重スパイ。疑惑・陰謀・奸策に囲まれてる。家族とともに生き抜くために、自分を隠しながら全てを疑い、真実を判断しなければならない。小さな過ちは破滅につながる。心の支えは妻と息子、しかし家族に真実を話すことも許されない。孤独と愛、信頼と裏切り、人生でのどうしようもない不条理が濃縮されているよう。その中で懸命に生きる主人公たちが切ない。緊迫感に溢れたストーリー。
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「ヒューマン・ファクター」。人間的要因、とでも訳しますか。
これは、大人の男性には堪らない小説でした。
手に汗握る、スパイ小説。紛れもないスパイ小説なんですが、そういう状況に置かれた男性の心理描写。葛藤。
銃の撃ち合いやら車の追っかけっこなんか、ゼロです。
後半は物凄い緊迫感。やめられないとまらない、でした。
1978年にイギリスで書かれた小説です。
書いたのは、グレアム・グリーンさんという人です。
グリーンさんは1904年生まれのイギリス人さん。1991年に亡くなっています。86歳くらいまで生きたんですね。
で、1930年代、つまり30歳前後にはもう、小説家として成功していたみたいですね。
そして、20代で共産党に入党。
この辺で、誤解してはいけないなあ、と思うのは。
1950年代くらい以降、スターリンさんが、隠しようもないくらい、相当な虐殺や警察国家をつくるまでは、
共産主義、というのは、世界中のインテリさん、理想主義者、ロマンある知識人的な若者たち、にとって、ある種の期待を込められる希望だった、ということですね。
で、第2次世界大戦が1945年に終了して、数年内に東西冷戦が始まるまでは、共産主義というのは、そんなに蛇蝎のように否定されるものではなかったはずです。
一方で、子供の頃からスパイ小説好きだったグリーンさんは、第2次世界大戦前から、MI6に入って、諜報活動、スパイをやります。
マジで、007の世界な訳です。
で、終戦直前くらいに辞職してます。
この辺、僕も不勉強ですが、若い人気作家が、同時にスパイでもあった訳ですね。
その後は、人気小説家として、不動の地位、死ぬまで続きました。
とは言え、一部の「スパイ小説ファン」「ミステリー愛好家」「イギリス文学ファン」以外には、そんなに知られてないですね。
名作映画「第三の男」の原作者でもありますが、これはグリーンさん本人が、「映画は素晴らしいけど原作はそうでもない」と発言しているそうです。
今回、読んでみたのは、大した理由でもなくて。
「娯楽小説読みたい気分だなあ。ミステリーっていうか、犯罪モノとか」
という気分と、
「丸谷才一さんが、褒めてたなあ。グリーンさん」
そして、
「読んだことのない作家を、外れるかも知れないけど、読んでみないとなあ」
という感じで。
で、外国文学は、翻訳が命。
これはほんと。
ぱぱっと調べて。
代表作らしく評判が良い。そして割と最近に新しい翻訳が出ている。電子書籍にもなってる。ってことで、「ヒューマン・ファクター」。
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主人公は、どうやら50代らしい男性の、カッスルさんです。
イギリスの情報部で働いています。
現場と飛び回るわけじゃなくて、ロンドンのデスクワークです。
アフリカなどの情報の受けや、その整理をやってます。
割に地味な仕事、地味な風貌、地味なブ男な感じ。
年下の部下デイヴィスと、実質ふたりの部署っぽい。
郊外に、妻と子��住んでいます。これがなんと、黒人妻、黒人の子。
カッスルさんは、諜報部員として南アフリカにいたんですね。
そのときに、スパイとして使った黒人女性に恋をして。
南アフリカですから。アパルトヘイトですね。白人が黒人と愛し合うなんて、えらいことなわけです。
色々あって、なんとか彼女を逃がして、自分も脱出。その辺りは全て、上司組織にも隠さず報告済みな訳です。問題なし。
さてこの、カッスルさんの部署の情報が、どうやらソ連側に漏れている、ということになります。
誰かが、スパイなんじゃないか?
って・・・みんな仕事がスパイですから、つまり、「二重スパイ」がいる・・・隠れている・・・。
さあ、それは。カッスルなのか。部下デイヴィスなのか。
罠。監視。不審。不信。不安。嘘。猜疑心。恐怖。
物語は、疑い迷う、上司たちの視点の章と、
疑われている一人である、カッスルの視点の章で描かれて。
#######ここからは、ネタバレです#######
上司たちは、部下デイヴィスが犯人、と状況証拠で判断、デイヴィスを暗殺しちゃう。
だけど、二重スパイは、カッスルだった。
カッスルは、妻をアフリカから脱出するときに世話になった友人がいた。
その人に本当に世話になった。
その男性は、共産主義者だった。
その人への友情義理から、ソ連側に情報を流していた。思想としては、全く共産主義じゃないけど。
そして、カッスルは恐れる。いつバレる。もうだめか。バレてるのか。バレてないのか。
デイヴィスが死んだ。もうこれ以上、情報を漏らしたら、自分が犯人だとバレる。引退しよう。
そんなときに、MI6の仕事で入った情報。
それは、そのまま許すと、アフリカの黒人たちに大変不利になる、米英の陰謀だった。
苦悩したが、それを、ソ連側に流すんですね。
もう、カッスルさんは、祖国も思想も大義名分も、その欺瞞性に倦んでいます。
ただ、黒人の妻と自分との、愛の共同体だけが、彼にとっての祖国なんですね。
それには、アフリカを、黒人を、見殺しにはできないんですね。
その情報を出した後で。
周辺の「連絡網」に異常が起こります。
もうダメか。妻子は、母の実家に、喧嘩したことにして去らせる。
さり気ない尋問に、職場の人が来る。ダメか。殺されるか。東側の救出は、あるのか。
結果、ぎりぎりタッチの差で、東側に救出、脱出、亡命。
モスクワで何とか無事暮らす。
だが、妻と子とは別れたまま。それが辛い。それが辛い。妻子もいずれモスクワに呼ぶ、と東側は約束してくれたのに・・・。
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と、言うお話です。
なので、ほとんどは、サラリーマン的な暮らしをしているカッスルさんの日常。
そして、サラリーマン的な暮らしをしながらも、二重スパイが誰なのか、考える、上司たち。
という、地味な状況。
全体の1/3くらいを過ぎて、多分そうだろうな、と思っていたけど、「カッスルが二重スパイ」と分かる。
●もう、そこからの、心理サスペンスが一級品。
●それから、敵味方を問わず。
諜報に生きて暮らす人々の、神経の疲れ具合。孤独感。不信感。寂寥感。この描写がまた、絶品で。
これは、ある意味、何の仕事をしていても、愛無き暮らしに忙殺されていれば、同じように当てはめれる心理。
●そして、そんなにクドくなく、語られ、展開される、世界観。
共産主義が正義でもない。
でも資本主義陣営が正義でもない。
黒人、という立場を通した時に見える風景。
仁義なき戦いの中で、主人公と妻が、守らなければならない、人としての最後の砦というか。
ヤクザ映画風に言うと、それでも捨てられない義理というか。
そして。
そんな主人公の周りで行われる、なんだかもう、手段と目的が数回転くらいこんがらがったような、
諜報戦。ゲーム。
いやあ、このジリジリした心理描写、圧巻です。脱帽です。
神なき孤独な街を往く男の背中、という意味では、男性のハードボイルド・ミステリー娯楽作なんですが。
とてもそれでは収まりきらない。
小説ならではの心理描写、サスペンス。
確かに、原作を手がけた映画「邪魔者は殺せ」「第三の男」に通じるテンション、焦燥感。
女性向きではないでしょうが、えらく、面白かったです。
丸谷才一さんの「快楽としてのミステリー」で確か知ったんですけどね。さすが丸谷氏。
ちなみに。
「半分、実話小説じゃないか」、という噂があるらしいですね。
キム・フィルビー、という名前でネット検索するとわかるんですが。
雑に言うとグリーンさんがMI6時代に、仕えていた上司さん。
この人が、MI6でかなーり偉くなったんですけど、実は共産主義者で、ソ連の二重スパイだった。
1950年代の英米のスパイ戦略は、モスクワに漏れまくっていたそうです。
で、ばれて、1960年代かな?にソ連に亡命したんですね。
その後は、モスクワでKGBで働いていた。
1988年か、そのへん、冷戦終結直前に逝去。
この人と、グリーンさん。
ゴルバチョフの雪解け時代にですね。
グリーンさんは何度かモスクワに行って。
再会してるんですね。
相当、仲が良かったみたいです。
面白いですね。
グレアム・グリーンさん、大人の味わいのある作家さんですね。
渋いです。
ジョルジュ・シムノンさんの、イギリス版っていう感じですね。
次々続けて読みたいわけではないですが、うん、四〇代から読み始めるくらいで、正しい作家さんだと思いました。
お子様にはね、渋すぎて。面白くないだろうなっ・・・と(笑)。
そんな、歳を取ることの旨み、を、味わえるのも、読書の快楽ですね。