- 出版社:文藝春秋
- サイズ:16cm/528p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-16-769102-7
ららら科學の子 (文春文庫)
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- 税込価格:700円(20pt)
- 発行年月:2006.10
- 発送可能日:1~3日
- 本
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商品説明- 「ららら科學の子」
男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放をへて帰還した「彼」は30年ぶりの日本に何を見たのか。携帯電話に戸惑い、不思議な女子高生に付きまとわれ、変貌した街並をひたすら彷徨する。1968年の『今』から未来世紀の東京へ—。30年の時を超え50歳の少年は二本の足で飛翔する。覚醒の時が訪れるのを信じて。【「BOOK」データベースの商品解説】
【三島由紀夫賞(第17回)】【「TRC MARC」の商品解説】
ユーザーレビュー- 「ららら科學の子」
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/03/28 21:06
未来の子
投稿者:たむ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書のタイトルはもちろん『鉄腕アトム』のテーマ曲の一節。
ほんの数年前までは、21世紀は未来の代名詞だった。「科学の子」という言葉には明るい未来が溢れていた。
21世紀に入ってはや数年。アトムもとうに“生まれて”しまった。
本書の親本は、アトムが〈過去〉になってしまって間もなく刊行された。刊行時すでに、「1968年の『今』から未来世紀の東京へ」と書かれた〈未来〉は過去だった。だが作中時間ではアトムはかろうじて〈未来〉だったはず。すべてが過去になった今、文庫版を読む。しかも作品世界は回想と現在を自在に行き来する。作品は過去と未来を翻弄する。
矢作俊彦は、徹底して“なぜ日本はこんな馬鹿な国になったのか”を問い続けている。
殺人未遂で日本から中国へ脱出した全共闘世代の主人公が、三十年ぶりに日本に帰ってくる。あらすじといえばそれだけだ。
なんのテクニックもなく日本批判や政治批判を展開していたなら、いかに矢作俊彦といえども、単なるオヤジの愚痴たれながしハードボイルドになっていたかもしれない。
三十年の空白をもうけて、しかも過去と未来を混沌とさせることで、どんな世代の人間が読んでも郷愁と共感を誘えるようにできている。少なくとも二十代後半のわたしが読んでも置いてけぼりは食わなかった。これには主人公自身というよりも、主人公に映る鏡像としての現代社会に思うところがあったのかもしれない。
全共闘の影などかけらもない現在。三十年の空白を経て、主人公は意外とあっさり順応する。変わっていないのだ。うわべのポップカルチャーや科学技術や物価は変わっても、日本という国の本質はまったく変わっていない。今という時代がぬるいのなら、たぶん三十年前もぬるかった。全共闘が運動であったのなら、今も運動は続いている。
昔は、とか、最近は、というのはきっと幻想なのだろう。日本は三十年かけて、世代を重ねて馬鹿な国を作り続けてきた。
五十歳の人間は取り戻せない三十年を、四十歳の人間は取り戻せない二十年を、三十歳の人間は取り戻せない十年を、我が身を削る思いで悔いなきゃならないんだと思う。
三十年の空白というのは、あらゆる世代のわたしたちにとって格好のエクスキューズだ。主人公は三十年のあいだ、たとえ何かをやりたくてもできなかった。やろうと思えばやれるのに何もやってこなかったわたしたちには、“できなかった”“知らなかった”というのは蠱惑的な言い訳だ。
やりたくてもできなかったのだ、と自信を持って言い訳してしまおう。これから実行すればよいのだ。失った時間を取り戻すことはできないけれど、未来はまだ作りあげることができるのだから。居場所がないのなら、これから見つければよいのだ。今から自分探しをしたって決して遅くはない。三十年、四十年、五十年先の未来がある。あのころの未来が明るく希望に満ちていたのなら、これからの未来が希望にあふれていたっていい。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2010/12/12 09:21
国家を描いて裂帛の気合い
投稿者:analog純(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、私にとってはひさびさの無条件のいい小説でした。
とってもおもしろくって、すごく感心しました。それはたぶん、作品に向き合う作者の姿勢のゆえでしょうか、東京の暗部を描いて「裂帛の気迫」が感じられました。
2004年の三島賞受賞作品であります。
そもそもこの作家については、ハードボイルド小説を書いている方と言う程度の理解しか、私にはなかったんですね。
それがいつ頃でしたか、漫画家の大友克洋(あの『アキラ』を書いた天才漫画家)と組んで書かれた『気分はもう戦争』と言う作品を読みました。
でもその時は、矢作俊彦の原作というよりは、圧倒的な大友克洋の画力に魅力を感じていただけでした。ストーリーについては、失礼ながら少し中途半端な感じがしておりました。
その後誰かの文章で、この筆者のある小説が「奇書的絶賛」を受けていたのを読み、ただその小説はまだ文庫本じゃなかったこともあって(今は文庫になっているんでしょうかね)、図書館で借りて読みました。この本です。
『あ・じゃ・ぱん』(上下)矢作俊彦(新潮社)
上下2冊で1000ページを超える長編小説です。いかにも、ちょっとしんどそうですね。しかし読んでみました。
はっきりいって、やはり少ししんどかったです。
どーも、この手の本は、私はあまり合わないのだろうかとも考えてしまいました。
とにかく文章はハード・ボイルドです。心情・心理描写がほとんどありません。
ストーリーは、太平洋戦争終了間際、日本の国が北からはソ連、南からはアメリカと攻め込まれ、そのまままっぷたつに東西が占領されて、フォッサ・マグナあたりに壁が立てられ、かつての東西ドイツのように、また朝鮮半島のように、二つの国体の違う国になってしまうという話です。
これは優れた「スパイ小説」(主人公は黒人のジャーナリストですが)だと思います。
この手の小説は、例えば沼正三の『家畜人ヤプー』のように、いかに国家を、社会を、文化を完璧に作り上げるかという、一種の全体小説であります。想像力の極北として、どこまでリアリティを保ちながら現実からテイク・オフできるかというのが眼目だと思いました。
そんな風に読んでいくと、とてもいいできの小説だと思うんですがねー。
しかしなぜか私には、上述の如くどうも文体の段階で十分に入り込むことができないで終わってしまいました。
あるいは、再読すれば、ずっと面白く読めるのかも知れませんが、うーむ、1000ページの再読は、ちとつらい。
と、いう気持ちが私の中で、なんとなく表れては消えしていたんですね。
で、この度そんな心の引っ掛かりもあって、今回の小説を読んでみました。
で、とっても面白かったです。
読み終えて、どこが面白かったのか、振り返ってみました。
以下に、この小説のいいところを列挙してみますね。
(1)70年安保前夜、殺人未遂罪で指名手配されかかった主人公が、中国に密出国し、30年を過ぎて帰ってくるという設定が巧妙。70年の時代の雰囲気と、20世紀末の行方知れずに肥大化しながら不気味に病んでいる東京という都市の雰囲気が対照的にとても見事に描かれています。
(2)作者が真っ向から、「国家」という物に対して取り組もうとしている姿勢が圧倒的です。これは明らかに前作『あ・じゃ・ぱん』の延長線上にあると思われますが、近年、ミニマム、トリビアルなものへの嗜好が目立つ文学界では、まことに快作といっていいと思います。
といったところですかね。ただ、気になる点もまるでないわけではありません。今度は少し気になるところを考えてみますね。
(1)後半へのストーリー上のテコとして、「顧客つき携帯電話」というものがポイントとなっているのですが、その取り扱いについて、ややリアリティに欠けるかと思われました。
(2)前作『あ・じゃ・ぱん』と違って、主人公は見事なまでにアンチ・ヒーローとなっており、そこに一種の目新しさがあると思える一方、そのような主人公に行動を起こさせる動機に「アイデンティティー探し」を設定していますが、これだけで乗り切ってしまうにはやや長丁場過ぎるかな、と。だから終盤なかばあたりの描写・説明が、やや繰り返しの上滑りになっている様な気もしました。
と考えてみましたが、でも総体としては、この小説はとっても上々だと思いました。
いやー、ひさしぶりに気持ちよかったですね。







