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ひきこもれ ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)
ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ
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紙の本
ひきこもるべし!!
2007/01/12 15:08
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石曽根康一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「思想界の巨人」吉本隆明さんが語ったことを文字に起こした本。なので、とても読みやすい。
「ひきこもり」を中心として、そこから話は膨らんでいく。
学校、会社、家庭での「偽の厳粛」。
ひきこもることの大切さ。
とにかく、読みやすい本なので、多くの人に読んでもらいたい。
共感できるところとできないところはあるかもしれないが、それも含めて、議論のたたき台とすべし。
戦中派の含蓄のようなものが感じられる。
ひきこもるべし!!
紙の本
自分に通じる言語をもつということ
2020/05/07 23:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が一番印象に残ったのは、「自分に通じる言語をもつということ」が、ひきこもるときに生み出されるのだという考えです。
なぜなら、私も、他者に伝える言葉より先に自分の内蔵に響く言葉を持つことの意義を深く感じているからです。
言葉とかけ離れた私は虚しいけれど、言葉と仲良くなった私は愛しいと思います。
紙の本
これをもって吉本隆明の「ひきこもり」本とするにはいろいろ注意が必要だと思う
2007/03/04 00:26
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
単行本で出版されたのが2002年冬頃だった。当時もすでに「(社会的)ひきこもり」がマスコミ等でとりあげられていた頃だったはずだ。そんな時に、あの吉本隆明が、「ひきこもり」をテーマとした本を出したというので、書店で何度かパラパラとめくり、よほど購入しようかとも思ったけれども、買わないままできてしまった。その時にも、「有名な人が、ひきこもりについて自分の知る側面からだけで物を言っているのではないか」という気持ちがあったし、正直結構大きな活字で書かれていて、ページ数の割に内容が乏しそうな気がしていた。その本が文庫になった。文庫なら買ってもいいか、ということで読んでみた。
吉本が考える「ひきこもり」は例えば次のようなところからわかるだろう。
「世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前にならない種類のものです」(p.25)、「家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだ」(p.26)
そして、「ひきこもり」には二種類あると言う。「ひどい引っ込み思案だったり孤独癖があったりして、どうも世の中とうまく折り合えず、一人でいるのが楽なんだよという人たち。そして、ある限界を超えて病気の範疇に入ってしまっている人たち」(p.30)であり、前者の意味合いで吉本自身も「ひきこもり」だったと言う。つまり吉本の言う「ひきこもり」は、一人の時間をもって思索するなり、内省することは人間の成長にとって必要なのだから、他人との関わりを避けているような状態を即問題視するようなことではない、ということらしい。
この論に沿って、「ひきこもり」そのもののことから、「ひきこもり」と類似の問題としての「不登校」や「いじめ」の問題について、吉本の語りは続く。はじめに書かれていたように喋りを文章にしているので、往年の吉本の文章に見られたような難解さはあまり感じられない。だが、後半へ進んでいくと、話は「ひきこもり」関連から徐々に「死」の問題や、「ひきこもっている」吉本自身が見ている現代社会の問題へと移っていく。この部分にも教えられることはあるにはあるが、やはり「ひきこもり」の本として読むと異和感が生じてくる。
こうした本まで「ひきこもり」の本だとして扱う必要はないのかもしれないが、吉本のような人が『ひきこもれ』といったタイトルで出版するときっと「ひきこもり」問題に引き付けて論じる人間が現れてくるだろう。「ひきこもり」問題そのものが曖昧さを含んでいるのでいかんともし難いところはあるが、現在問題とされている「ひきこもり」とここで語られている「ひきこもり」はやや異なると思われる。今後「ひきこもり」を考える時に注意深く扱わねばならない1冊ではないかと思う。
紙の本
わかりやすい本だが、吉本らしい考えが典型的に見られる
2012/03/24 21:09
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
『共同幻想論』、『言語にとって美とは何か』などが盛んに読まれていた頃に、自分も少しばかりかじっていた。だから、吉本にふれたのはずいぶん昔になる。そのころ、どの程度、理解できていたのか、今となってはあやしい。
先日、とうとう吉本が亡くなったと聞いて、驚いた。時代を画するような人がいなくなった。世のなかを見渡しても、代役のつとまりそうな人はいない。吉本の死はすべての新聞の夕刊の1面を飾り、社会面にも関連記事が出ていた。その週末、さらなる追悼記事が掲載されていた。
吉本は、そんな扱いをされる最後の思想家になるのかもしれない。
時代は変わって、吉本もずいぶんわかりやすい本を出しているのが分かった。本書がそうだ。「ひきこもり」が否定的ニュアンスで語られるのを筑紫哲也の番組で聞いて、それは違うと思ったのが動機だ。
この目の付け方は吉本らしい。みんながそうだというものを違うと言ってみせる。みんなが「白」だと言っているときに、吉本は本当にそうかと疑う。白と言われるものをひとり考え抜いて、ついには白ではないことを言い当てる。白以外の色を言い当てられて、周囲は慌てふためいてしまう。みんなが予定調和の世界に安住しているときに、ひとり核心をついてしまうのだ。
核心をついているがために、世界にとっては都合が悪い。吉本はそんな思想家だった。
みんなが幻想で成り立たせているものに、それは実はこういうものなのですよと切り込んでしまう。といっても、吉本以外にも見えている人はいる。そうした人には、吉本は特別な存在となる。吉本がいるから、自分は自分でいられる。そうした人は少なくないのだ。
「ひきこもり」もまたそうだ。吉本自身、引きこもりだったという。ひとりで考え抜く作業をしているのがひきこもりだ。そうした時間は、世界の本当を理解するためには欠かせない。みんなで騒いでばかりいる人には、世界の本当は見えない。だから、ものすごく、引きこもりを肯定する。
そんな吉本という存在をうしなって、「空気が読める」、「空気が読めない」という言説ばかり、幅をきかせる世の中というのは、実は、とても生きづらいのだと思えてくる。
「それは本当は違うのだよ」、そう言ってくれる思想家を失った2010年代の私たちは、寄る辺なき時代に入ってしまったのかもしれない。自分の中の吉本を大切にしながら、生き抜いていくしかなくなってしまった。