- 出版社:新潮社
- サイズ:20cm/254p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-452502-7
1000の小説とバックベアード
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- 税込価格:1,575円(45pt)
- 発行年月:2007.3
- 発送可能日:購入できません
- 本
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商品説明- 「1000の小説とバックベアード」
僕は「片説家」。「小説家」と違って、純粋に「特定の個人に向けて物語を書く」仕事だ。そこにあるのは、創作とはいえないリクエストとマーケティングだけ。いや、正確には「片説家」だった。四年間この仕事をしてきたが、今さっき解雇されたのだ。27歳の誕生日だというのに…。あてもなく過ごしていたところへ、「私のために小説を書いて欲しい」という女性が現れた。奇しくも、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕のいた会社が、片説の原稿を渡した相手だという—。【「BOOK」データベースの商品解説】
【三島由紀夫賞(第20回)】僕は「片説家」。「小説家」と違って、純粋に「特定の個人に向けて物語を書く」仕事だ。4年間この仕事をしてきたが、今さっき解雇された。そんなところへ、「私のために小説を書いてほしい」という女性が現れ−。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介- 「1000の小説とバックベアード」
佐藤 友哉
- 略歴
- 〈佐藤友哉〉1980年生まれ。2001年「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人」でメフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に「水没ピアノ」「クリスマス・テロル」など。
ユーザーレビュー- 「1000の小説とバックベアード」
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/05/13 04:57
小説、言葉の賛歌ある世界へ
投稿者:ねねここねねこ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐藤友哉、彼は本気だ。
あたりまえすぎて笑ってしまう。知っていることを敢えて、馬鹿みたいに至極当然のことを言うようだけれど、「世界」という、又は「小説」というものに佐藤は全力を持って、そして本気で向かおうとしている。
無論、本気で向かわないものに価値はない。ポーズは真っ平、百も承知。そんなもの自己も読者も許さない。そのことを誰よりも思い、痛感し、抱えて、自分のものとして向かっている作家が彼なのではないだろうか。
無謀な試みかもしれない。掛け替えない1000の小説には影すらも届かないかもしれない。
それでも彼は書く。そのことを、純然たる至高のものと信じて。
その真摯さ。本気で向かう決意。
こころを指先に込め、そしてすべてを投入する。
書く、書く、書く。非難を恐れず、避難をしない。
かつて訪れた過程を、彼は確かに抜け出した。
覚悟の問題だろうか。その覚悟を確かに彼は固めている。
自らのものを投げ打って、文字通り彼は必死に模索し進む。
彼のもの、かつて世に送った作品たち。
子供の冷たいまなざしと、青年期見える世界と個人の目。それは妙な温度で冷たく、混沌と泥にいる者を思わせた。そしてあるときから、彼が思い、描く世界は凄みを増した。諦観、そして憎悪。過剰なる愛情の裏返しにあるものとして、それらは物語にあり続けた。
そして本作、視野が拓ける。空気は確かに変わったのだ。
苦悩した彼がそれでも離さなかったものは、透明なフィルタを通じて、清冽な希望の光を世界に投げる。
距離は縮まっている。
1000の小説の一篇に近付こうとするものがある。
世界を清澄に流れる、言葉の羽ばたきを彼は見た。
小説に対する決意。そして再生の物語。
希望…。世界にあふれる言葉、夢の息吹。
文字たちの、そして言葉の、愛と賛歌が肩を押す。
佐藤の愛と想いが、一心不乱に文を残す。
文字、言葉。そして物語、彼の世界。
物語。言葉の力に共感する。
愛を思う、彼の真摯さに共感する。
『「言葉は残ります」
誰かが云った。』(文中より)
すべてのすべてを読んで、一人だけのため、すべてのために本を書く。
信念がある。愛がある。再生する大きな希望がそこにある。
そして「僕」は生きていく。
生きる。個人として世界を、世界であるものの個人として。
物語を「小説」を愛する、個人と世界の物語。
文字と言葉を信じる、世界への試みを彼は止めない。
その冒険が胸を打つ。真摯さ、想いはきっと届く。
小説を愛する者として、僕もそのことを信じている。
初出「新潮」2006年12月号。
第20回三島賞候補。(書評投稿時、選考未)
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/10/17 18:45
前衛だろうが、アヴァンギャルドだろうが私にとって小説は面白くなきゃ意味ないわけで、そういう意味でこれが凄いかっていうと、ま、どこかで読んだような。悪くはないけれど、あと一歩、そんな感じでしょうか。でも、意外と読みやすい・・・
投稿者:みーちゃん(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐藤作品は講談社ノベルスで『クリスマス・テロル』を読んだだけでした。舞城王太郎の存在が大きすぎて、似た印象の作品を追いかける気がしなかったというのが実際です。ただし、その後、様々なところで前衛作家としての佐藤友哉という名前を見かけては、フムフムと思っていました。
例えば大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り!リターンズ』のROUND3:UNDER30歳の新人作家、有望株は?です。
金原ひとみ、島本理生、青木淳悟、三並夏、水田美意子、森見登美彦、滝本竜彦、綿矢りさ、白岩玄、豊島ミホ、辻村深月と並んで佐藤友哉の名前があがっています。私の評価では島本理生、綿矢りさ、豊島ミホといった女性作家が面白くて、男性作家は殆ど魅力なし、ということで佐藤友哉も二軍扱い。
ただし、今回の岩郷重力の手になる装幀が、いかにも佐野洋の推理日記風なので、思わず手がスルスルと延びてしまったわけです。勿論、いかにもそそっかしい私らしく佐藤友哉が推薦する1000冊の本、という読書案内と思い込んだままですが・・・
ちなみにカバー折り返しのことばは
「 僕は「片説家」。「小説家」と違って、純粋に「特定の個人に向けて物語を書く」仕事だ。そこにあるの
は、創作とはいえないリクエストとマーケティングだけ。いや、正確には「片説家」だった。四年間この
仕事をしてきたが昨日、今さっき解雇されたのだ。27歳の誕生日だというのに・・・・・・。
あてもなく過ごしていたところへ「私のために小説を書いて欲しい」という女性が現れた。奇しく
も、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕がいた会社が、片説を渡した相手だという――。」
です。時代としては未来、近未来なんでしょうがどちらかというと現代と100年後くらいが絶妙にブレンドした感じです。主人公は僕、木原27歳で、『ティエン・トゥ・バッド』という今でいう出版社とうか作家工房に、23歳のとき社長の水口のよる面接で採用され、その後四年間の片説家を続けましたが、解雇されています。ここで片説家という言葉が出てきます。???です。
ちなみに『ティエン・トゥ・バッド』の職場仲間にはまず、大まかなプロットを作る33歳の先輩・猪田がいます。次が職歴11年というベテラン片説家手塚で29歳。そして25歳の女性片説家・南野さん、最後が木原に解雇を告げた社長の水口です。ま、社長はエラソーにして片説を書いてはいません。
キーワードである片説家ですが
「僕は「片説家」。「小説」と違って、個人のリクエストで、その人のためだけに物語を書くのが仕事だ。いや「片説家」だった。昨日、解雇されたのだ。途方に暮れる僕の前に、自分のために「小説」を書いて欲しいという女性が現れた。しかも、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕がいた会社が、片説を渡した相手だという。」
となります。失業中の仕事の依頼に現れたのが30歳の配川ゆかりで、失踪したのは25歳の妹のつたえです。彼女を探すために小説を書いて欲しいというのですから再び???ですね。そんな木原が調査を依頼するのが一ノ瀬興信所の一ノ瀬、31歳です。この男、独身で、機械音痴、小説には全く興味を示さないという設定で、木原とは19歳のときからの知り合いです。
個人のために物語を書くという片説家は、今で言うエンタメ系作家、小説家は純文学作家をイメージしておけば間違いないでしょう。この一時代前的な文学区分を底流に、謎のバックベアードが登場し、幻想的とも悪夢的ともいえる争いが展開していきます。
ちなみに文中に
バックベアードとは、アメリカの妖怪で、黒い太陽の体に巨大な一つ目という姿を持ち、その目に見られると、眩暈がしてビルから落ちるという。水木しげるの創作妖怪で、西洋に広く伝わっている妖精・バグ・ベアから類想されて作られたともいわれる。ただ写真家・内藤正敏の「キメラ」の盗作という説もある。
とあります。何が真実で虚構やら、見極めながら読みたいところです。文章は『クリスマス・テロル』の時同様、特殊なものとは思いませんが読めます。むしろ「片説家」という設定の妙がすべてを決定しているといえるでしょう。『クリテロ』よりは面白かったのですが、以前の王太郎類似に対しなんだか奥泉光の小説を読んでいるような気がして、今ひとつかなって思います。
とりあえず目次を写しましょう。
第1章 約一万四千冊の本たちから遠く離されて
第2章 ジャポニカ学習帳とトーカイグラフィック学習帳の交換
第3章 バックベアード
第4章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(1)
第5章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(2)
第6章 九十年後の石川啄木
第7章 遅れてきた思春期・テスト・一〇〇〇の小説・これよりはじまる
第8章 物語追放
第9章 地下
第10章 三つ巴
第1000章 死者たち
です。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/05/11 10:50
日本文学のアカルイミライ
投稿者:けんいち(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「小説は終わった」というようなことは、これまでにもずいぶん長い間、繰り返しいわれてきた。ここ最近もまた、日本のある批評家がそのようなことを「改めて」宣してもいるし、遡れば、世界的な作家の名があげられて、「だれそれで小説は終わった」と、いくたびもいわれてきた。そして、ポスト・モダンがやってくる。ポスト・モダンと呼ばれた時空の中では、「「終わった小説」についての小説」が流行った。というのも、それがまさに、小説というモダンのあとに来るべきものとしてポスト・モダンらしかったからだ。ニューアカ・ブームと期を一にしたかのような日本でも、ポスト・モダンの季節は訪れ、そこでは「「終わった小説」についての小説」が流行った(あるいは、もう少し謙虚に、「書かれた」かな)。その旗手の1人としてあげられるのは、高橋源一郎であることに、大方の異存はないだろう。『優雅で感傷的な日本野球』に贈られた三島賞は、それゆえ、それ以後、(しばしば)ポスト・モダン小説を含意するようになっていった。
長い枕になったが、そこで佐藤友哉である。この作品は、目下三島賞候補となっている。そして、その歴史的な含意に即すかのように、『1000の小説とバックベアード』もまた、「「終わった小説」についての小説」である。あるいは、「「小説とは何か」について考える営みそれ自体が小説となったもの」である。それは今なお、ポスト・モダン風に見えると同時に、今となってはたいへん古臭い、ともすれば恥ずかしい小説に見えなくもない。ただし、佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』は、率直にいってたいへん面白く、その面白さは、「「終わった小説」についての小説」に共通する重要な要素のいくつかを、もちあわせていないことによる。その1つは「暗さ」、もう1つは「懐疑」あるいは「歴史」である。
『1000の小説とバックベアード』は、「小説」それ自体の成立の可/否とか、必要性などがたえず取り沙汰されると同時に、しかし「小説」への確信に満ち満ちている。しかもそれは、「小説」を価値あるものと位置づけた上での、明るい希望的に満ちた確信である。これは、「「終わった小説」についての小説」が、もう書くことがないという絶望的な現実にたえず向き合うことで書かれていたという貧しさ、つまりは「暗さ」とは全く無縁である。また、『1000の小説とバックベアード』は「「終わった小説」についての小説」であると同時に、27歳の男性を主人公にした、エンターテイメント冒険小説でもあり、そのプロットには謎と速度の心地よい複合があり、小説を読むことの楽しさを実感させてくれる。そのことによる説得力もあり、『1000の小説とバックベアード』には、「小説は終わったのだから、今から小説を書いても仕方がないのではないか?」という懐疑が首をもたげることはない。それどころか、「「終わった小説」についての小説」という体裁を採りながら、ともすると「小説が終わった」という「歴史」を、忘却したかのような地点で、良い意味で楽観的に書かれているようでもある。
ここに、新たな世紀の「「終わった小説」についての小説」が誕生し、「日本文学のアカルイミライ」が照らしだされる。
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2008/02/05 23:30
片説家の冒険と小説家の主張
投稿者:読み人(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、片説家を主人公にした、メタフィクションです。
ここで、片説家と小説家について解説したいと思います。
一人が大衆に対して、なんのマーケティングも行わず
俺の書きたいものを読め!と書く行為が
小説を書くという行為で、
片説を書くという行為は、
会社組織の集団が、一人の読み手に対して執筆依頼を受けてから
物語を書くというものです。
つまり、片説のスタイルは、既存の私たちが知っている広く流布している小説執筆のスタイル
とは、180度反対なわけです。
で、この片説家を通して、(実は、クビになり、元片説家なのですが)
小説を書くという行為はどういうことなのか、
物語性のある文章を書き続けるということは、どういう行為なのか問いた小説です。
メタフィクションなので、整合性のある筋運びとはいかないので、あらすじは、一応置いといて、
物語を読むとはどういうことなのか、
という受け手の部分まで踏み込んでいたり、
(片説を依頼した、女性の失踪から話は、はじまるので)
又、書きたいものがなくなった作家というのも登場し
著者の佐藤友哉さんが、普段というか、今までのプロ作家で
感じた、小説を書くという行為を
すべて、小説に置き換えて発表したのが、本書だ受け取りました。
色々殺ぎ落としていくと、
書くという行為は、どうとでも解釈したり、定義や意味付けを付け加えられるけど、最後には当たり前ですが、書いた文章だけが、残ると。
つまり、小説家の俺たちは、
誰がなんといおうと書くしかないんだよ、、。と受け取りました。







